生贄の乙女の報復
薄暗い部屋に、小さな布団が敷いてある。
今夜はこちらで、と通された部屋は一人休むには広すぎる大広間で。
案内役の女が出ていくと同時に、ぞろぞろと村の男たちが入ってきた。
その顔を見れば、これから何をしようとしているかなんて明らかだ。
龍神に恵みの雨を祈る、儀式。
そのために捧げる、生贄。
生贄には、かつては村の女が選ばれていた。
妻を、娘を、神に捧げる。神聖な儀式。
しかし今は、生贄を村の外から調達してくるようになって。
彼女らを、「妻にする」儀式が追加された。
(いったい、どんな理屈なのだか。)
年端もいかない娘を、村の男たち総出で三日三晩「妻にして」。そして、殺す。
それが、神聖な儀式なのだ、と。
言い張った最初の奴に、会ってみたい。そして、潰してやりたい。
「サナ様。」
「・・・・はい。」
サナじゃないけど。
本当の名を、名乗る気などない。
どうせ、碌なことにはならないだろうと思っていたから。
にやけた顔をして、「アレにしよう。」と私を指さしたのは、目の前にいる男の息子だった。
気づかなかったふりをしたけれど、しっかり聴こえた。聖なる乙女だ、とか言われて、連れてこられて。丁寧に扱われ、崇められても。この不自然さに気がつかないほど愚かではない。
供された食事はおいしかったし、久しぶりのゆったりした湯あみには感謝するけれど。
「これより、貴方様が無事龍神様のもとへ行けますように、儀式を取り行います。初めは、すこし我慢せねばなりませんが、・・・・・大丈夫、すぐに慣れます。」
勝手なことを言うな。
表情には出さないが、内心で悪態をつく。
慣れることなどありはしない。
いったい、ここには何人の男がいる?
若い奴もいる。いい歳した爺も。儀式とか言いながら、その目にはぎらぎらした情欲しか見えない。
「・・・・妹は?」
「離れでお休みになっていますよ。」
「・・・・・・。」
村の女たちは知っているのだろうか。・・・知っているのだろう。自分の身が犠牲になるよりはまし、ということだろうか。村の女たちは皆、ここへきてからずっと、私たちと目を合わせようとはしなかった。
私を囲む輪が、そろそろと狭まってくる。
逃げないようにと、ご丁寧に3重構造だ。交代制らしい。
こんなことをずっと、繰り返してたのかこいつらは。吐き気がする。
ぞわり、と鳥肌が立つ。
私を護るように立つ、いくつもの女の影。
男たちは動きを止めない。・・・・彼女たちが見えないから。
幼い少女もいた。
恋人に裏切られた女もいた。
騙されて、連れてこられた女もいた。
無理やり攫われた女も。
脳裏を流れていくのは、幾つもの場面。悲痛な叫び。
「きゃああああ!いやあ!」
「いや・・・いや・・・・・。もう、やめて・・・・。」
絶叫が、すすり泣く声に代わり、やがては声も出なくなって、気を失っても。
無慈悲に、行為は続けられた。
それが神聖な儀式だと?
見覚えのある男の顔が目の前にあった。あの、息子だ。
一番乗りを名乗り出たらしい。ああ、本当に、もう。最低だ。
伸ばした手が、少女に触れようとした途端。
強い力に引き離され、男は壁に叩きつけられた。
ずるり、とその身体が床に落ちる。壁に赤い血の跡を残して。
「な。」
「・・・・・あーあ。あと三日は、ただ飯が食えると思ってたんだけどな。」
ゆらりと少女は立ち上がる。
藍色の髪が揺れ、緑の瞳がつまらなそうに周りを眺めやる。
「龍神様は女が欲しいって言ったわけ?しかも、誰かの妻を?勝手にそんな設定されて、怒らないかな、龍神様。」
「おまえ、おまえ!おとなしくっ」
「するわけないでしょう?この、屑ども。」
ゴウっと空気が攪拌される。
白装束が捲れ上がり、少女は顔を顰めた。
「脱がせやすいようになってるわけね。ったく、そんなつまらないことにばかり努力して!」
もごもごと口を動かすと、白装束は床に落ち、ごく普通の村娘の服を着て、少女は立っていた。
「術士・・・?」
「そうよ?」
「我々をだまし・・・。」
「騙したのは、そっちだろうが。・・・・被害者面しないでほしいな。」
「ま、待て!妹が、どうなってもいいのかっ!」
「だから大人しく襲われろと?さすが、下種。」
トンと、少女は床をつま先でたたいた。
途端、白い光が1つの魔法式を浮かび上がらせる。ふわり、と宙に現れた妹を、少女は愛おしそうに引き寄せる。顔だちは似ていない。どちらも美少女ではあったけれど。
「・・・ん?お姉ちゃん?」
「ごめんね、リリ。予定が変わっちゃった。もう、この村は出るよ。」
「ん。いいよー。」
眠たそうに目を擦りながら、少女の隣に降り立つ。
「・・・私たちは出ていくよ。」
「そ、そんなことが許されると思っているのか!」
「・・・ホント、偉そうだよねえ。」
か弱い女子供。取り押さえれば何とでもなると思っているのだろう。
「あ。そうだ!教えてくれた、お礼をしなきゃ。」
「・・・・何の話だ。」
「おまえらじゃない。彼女たちに?」
ふふ、と笑って少女は歌うように言葉を紡いだ。
「あなたに、身体を与えよう。」
時が止まったかのように、男らは足を止めた。
「・・・憎き男の喉元を、押さえつけるための腕を。・・・・息の根を止める手を。」
じわり、と何かが沁み出てくるのが見えた。幾つも。
「あなたに、力を与えよう。
憎き男に死と、絶望をもたらすための力を。」
男たちの足が、がくがくと、震えだす。
逃げ出したいのだろう。だけど、足が思うように動かない。
優しい旋律の、その内容は物騒だったが、男たちにはわからなかった。その歌は、術式が織り交ぜられて、人の耳にはどこか遠くの異国の言葉のように聴こえたから。
「・・・・・あ。」
「ひいっ!」
漂う煙のようだったソレが、はっきりとした輪郭を持つようになると、男たちは悲鳴を上げた。
それはかつて、彼らが犯し、殺した生贄の女たちだったから。
「さあ。」
にっこりと、無邪気にも見える笑顔を少女が見せた。
「存分に、恨みを晴らせ。」
彼女らの憎悪に燃えた目が向けられると、彼らは一斉に逃げ出した。
「ぎゃあああ!」
「たすけ、助けてくれ!!」
数人が間に合わず、彼女らの餌食になる。
腕とか足とか、潰されて血塗れなのに、即死には至らせない。
動けず、激痛にさいなまれながら、時間をかけて死にゆくように。
「どうして逃げるの?彼女たちは皆、龍神に捧げた、妻なんでしょ?龍神の使いに等しい存在でしょうに。」
少女の、言葉が冷たく降ってくる。
「そうそう。恵みの雨が欲しいんだっけ?一宿一飯のお礼に、私が、呼んであげる。」
くすくすと、笑い声が聞こえる。そしてまた、歌。
それは、水の精霊を呼ぶ呪い歌。そして地の精霊に呼びかける歌。
そうして、ぽつりぽつりと降り始めた雨は。
すぐに豪雨になり、やがて村を丸ごと押し流した。
*****
悲鳴を聴いても。
誰も助けてくれなかった。
やめてくれと懇願しても。
誰もやめてくれなかった。
お前は選ばれたのだと。
龍神に捧げられる。それは名誉なことなのだから。
だから。
与えられる苦痛に、我慢しろと?
何度も意識を失って、同じ悪夢の中で目を醒ます。
やっと解放されたと思ったら、私は首を切られて死んでいた。
ほら、やっぱり。
龍神なんて、どこにもいない。
雨を呼ぶのは精霊だ。ここにいる私は、ただの邪霊。力なんて何もない。
哀しくて、悔しくて。このまま消えたくないと思うのに。
どんどん、どんどん薄れていく。
最低最悪な記憶の残滓。心の欠片。
叫ぶことしか、許されないモノ。
その叫びさえ、ヒトには届かない。
同じ殺され方をしたからだろうか。
よく似た想いを抱えていたからだろうか。
幾人も幾人も。私たちは混ざっていった。
あれからどれくらい時間がたった?
もう、これで何人目?
このまま消えたくない。
どうせなら、
あいつらを全員、道連れにしてやりたい。
神様、私に腕をください。
あいつらを切り裂くことができる腕を。
神様、私に力をください。
あいつらに悪夢を与えることができる力を。
・・・・・・また、少女が連れられてきた。
天使のような幼子と、藍色の髪をした少女。
逃げて。早く。
ここから、逃げて。
届かないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。
少女は顔をあげる。
そして、まっすぐに私を見た。
*****
「ああ、やっと、雨が止んだね。」
「お姉ちゃん、虹!ほら!」
目の前に陣取っていた枝をどけると、遠くの山と山を架ける橋のように、虹が架かっているのが見えた。その下にあったはずの村は、もう影も形もない。ここからは、山肌があらわになった三つの筋が、まっすぐ村のあった場所に向かっているのが見えるだけだ。
虹、虹!といって笑うリリがとても可愛い。
小さな手を握り、ぶんぶんと振られるままにさせながら、これからどうしようかと、少女は考える。
旅人だと言い張るには、無理があるのは知っている。
(土砂崩れにあって、親は犠牲となり、なんとか助かった姉妹・・・・。)
そのあたりが妥当だろう。
細かいことは、よく覚えていない、わからないで通せばいい。
人が近づいてくる気配がした。それに気がついていないふりをして、少女は様子を窺う。
(お人好しか、ハイエナか。)
どちらでも構わなかった。