第5話
––––躾を終えた翌日から私は、シャロンと共に王都へ荷物を出荷しに行ったお父様の代わりに内政を行なっているのですが、個人的な感情を抜きにしてもやはり街中への視察は必要だと感じていました。
書類の上ではインフラ整備や治安維持は出来ている、しかし報告書の書き方が少々気に入らないのです。
やや迂曲的な物言いや誤認を招くような文面、意図的にぼかされた様な内容を読めば誰もが取り繕った進捗報告だと言うのは分かりましょう。
羽ペンを走らせながら今後の開発計画や具体的な指示を書面に起こしつつ、手勢の不透明さへの対策を考える。
この手の報告書は我が家に付き従う古い臣下達は絶対に書かない、彼らもまたこの地に生きる人間として共に血と汗を流し、人生を賭けているのだからその繋がりは強い。
なら一体誰がこの報告書を書いて居るのか? それは他所の土地から流れて来た流民達。
彼らは様々な理由からこの地に流れて来ますが、その多くは高級品の産地であるが故に非常に豊かな生活を送れると言う淡い夢に縋った形です。
しかし現実はこの通り、理想郷など無縁の言葉なのですが、働かなければ喰い繋ぐ事すらままならず、否応無しに開拓作業に従事する事になる。
ここで真面目に働く人達だけなら問題はありません、ですが世の中とは人の意思や思想によって大きくうねりながら動く物、時折そんな彼らの中にネズミが紛れる事があるのです。
成り上がりの下賤な貴族に勅令として与えられたこの地の開拓、それが気に入らないと言う理由や自分達の方がもっと早く開拓できると言う言葉を衣に産出される物品を欲するなど、様々な利権や思惑を絡めた者が足を引っ張りに来る。
残念ながら今の我が家にそれらを未然に防ぐ事が出来るほどの人員はありません、貴族と名乗っていますが元は一兵卒の武勲によって出来上がった爵位、付き従う臣下も当時からの付き合いになりますので必然的に数が少ない訳です。
一度戸籍登録や検問などを行いましたが、焼け石に水と言う言葉がある通り、さしたる効果はありませんでした。
病に罹ってから予防策を講じても無駄な様に、やはり内部の人間を特定しない事には話になりません。
優秀な諜報能力を持った人員が居れば話は別なのですが、そうそう在野の者にその様な者は居ないので……慢性的な人員不足は悩みの種です。
ティーカップに注いだ白湯で口を濡らしながら視察場所を吟味していると、執務室の扉がノックされた。
「––––サミナ様、紅茶が入りました」
声の主は恐らくビオラ、しかし彼女にしては二点間違えている部分が存在する。
先ず一つ目、彼女は私の事を名前では呼ばずお嬢様と統一している。これは私が外出の際に偽名を多用するので、正体の隠匿も兼ねて呼び方を統一する癖が付いてしまったからだ。
そして二つ目、開拓地故の貧しさから我が家では清貧を良しとし、質素倹約の下生活をしている。その為、紅茶の様な嗜好品は我が家には殆ど存在していない。
一応は来客用にとそれらは存在しているが、少なくとも我が家では口を潤す為には白湯を飲むのが常識だ。
その二点を知らなぬと言う事は、つまりそういう事なのでしょう。
「––––どうぞ、鍵は開いてますよ」
「では、失礼します」
そう言って入って来たのはビオラの姿をした女性、確かに彼女と似た背格好ではありますが、身長が1センチ程高いですし、バストサイズも彼女に比べると些か慎ましいです。
「––––さあ、サミナ様。紅茶をどうぞ」
しきりに勧めてくる紅茶、一見普通の紅茶に見えなくもないですが、相手の目を見れば一服盛られているのは明白。
まぁしかし、我が家にある茶葉とは違う香りがしていますから態々持参してきてくれたのでしょう、折角淹れてくれたのですから頂くとしました。
ゆっくりとカップを傾けて紅茶を味わう私に名も知らない彼女は笑みを浮かべるが、残念ながら私はこの程度では死にはしない。
「ありがとうございます。しかし––––変わった隠し味ですね、トリカブトとフグ毒を入れるなんて」
「……な、何を、仰るのですかサミナ様?」
「勉強不足ですよ。ビオラはその様な呼び方を致しませんし、紅茶なる嗜好品は我が家とは無縁です」
「ッ貴様!? まさか始めから!?」
「中々の変装ですが爪が甘かったですね。どこからの回し者かは分かりませんし、心当たりが多過ぎて特定する気もありませんが、ここから如何致します?」
個人的には毒入りとは言え年に数える程しか飲めない紅茶を頂きましたから、そのお礼に見逃して差し上げても良いのですが……残念ながら彼女は実力行使に出る予定らしく、スカートの中に隠していた短剣を取り出しました。
「覚悟ッ!!」
「––––ああ、それともう一つ。私の世話役のビオラですが、彼女は護衛役も兼ねて居ますので、背後には十分注意してくださいね?」
私がそう言った瞬間、既に背後に立っていたビオラによって襲撃者は後頭部を殴打されて意識を刈り取られる。
「……お嬢様? 流石に襲撃者には慣れているとは言え、毒入りの紅茶を知っていながら飲むのは如何なものかと」
「あらそうかしら? これはこれで乙なものよ? だって相手の呆気に取られた顔が見れるし––––何よりこの後毒が回り出した時の苦痛が素晴らしい快感なのよ?」
強烈な嘔吐感と呼吸困難、更に臓器不全による全身への悪影響、自分でも死なない事が不思議なのだけど、教会の方々曰く私は神の寵愛を受けているので常人離れした身体構造を持っているのだとか。
故に致死量の毒を摂取しても苦しいだけ、しかしその苦しみや痛みを感じる間は––––焼け焦がれるような強烈な〝生〟を実感する事が出来るのです。
それは他者の命を奪った時と同様に、彼らの悲鳴・断末魔・今際の言葉、その全てを踏み躙って首を刎ねた瞬間は絶頂を覚える程の快感で……誰かの命を粗末にしたと言う背徳的で非道徳的行為が翻って自分の存在と生を私に認識させてくれる。
––––きっと、私は産まれながらにして壊れた人間なんでしょう。
人間一人の器には一人分の一生しか入らないというのに、幾人もの人生が無理に詰め込まれれば器そのものに致命的な欠陥が生まれるのは自明の理。
だから私と言う存在の中で普通なのは人の姿形をしていると言う一点だけで、文字通り一皮剥いたらその中身は全くの別物なのは仕方がない事なのだ。
……どれだけ〝普通の少女〟を切望しようと、私が私である以上––––いえ、この例えは違いますね。自分を私と認識出来ない以上、私はどうあっても異常なのです。
「…………私は、お嬢様のお考えには理解できかねます」
「理解しなくていいのよ、私も理解したくは無かったのだから」
そんな言葉を交わした後、紅茶を飲み切った辺りで漸くトリカブトの毒が回り始めたようで、徐々に息苦しさが出てきました。
フグ毒と混ぜたおかげで毒の発現まで時間差がありましたが、漸く死が迫る苦しみとそれと共にする生の実感を味わう事が出来る。
––––嗚呼やはり何度味わっても、この瞬間だけは堪りません。
襲撃者の後始末をビオラに命じた私は、執務室でもがきながらも全身を巡る苦痛と快感に全てを委ねるのだった。