第1話
––––私ことサミナには物心付いた時から誰なのか分からない人達の記憶が沢山あった。
見知らぬ土地、見知らぬ街並み、一目で異界と分かるこの世界のそれを大きく上回る生活水準、見た事の無い筈のそれらは何故か知識や技術として知っている。
それだけならまだしも、その記憶の全てが人生の絶頂で途切れている。それも事故や病気で命を落とした等の外的要因では無く、就寝した際にプツリと糸が切れた様に途切れているのだ。
自分の中に自分以外の人の記憶がある事は確かに恐ろしい、だが私が一番恐れているのはそのプツリと記憶が消える瞬間。
––––もしも、私の目の前に広がる世界が誰かの見ている夢だとしたら、本当の私は一体誰?
夢を見ている見知らぬ誰かが目覚めれば、水泡の様に弾けて消える、そんな恐怖と達観によって私は生の実感が全く無い。
痛みも、苦しみも、悲しみも、ありとあらゆる物が他人事に感じてしまう、唯一その虚無感から逃れられるのは、日課として行なっている剣術の訓練のみ。
この剣も無数の記憶の中の一人が毎日毎日訓練していたから、その習慣を引き継いだだけなのだけれど、一つのことに集中している間は悩み事とは無縁だ。
異界に伝わる剣術、複数の記憶にそれぞれ別の流派を学んだ覚えがあるけれど、私が一番好んでいるのが二の太刀要らずの剛剣。
一撃で一切合切を両断する事のみに主眼を置いたその剣術は攻撃を外した後の事を考えて居ない。
それは即ち外せば死、殺るか殺られるかの必殺の剣技、そのリスクが私に生の実感を齎すかもしれないと、見よう見まねながら今に至るまで剣を振り続けていた。
しかし悲しきかな、異界の剣術を扱える者は当然異界にしか居らず、私が習得出来たのは同じコンセプトに主眼を置いた我流の剣術。
「……ままならないわね」
「お嬢様? 庭に打ち込んだ丸太を一撃で両断しておいでですのに、何がご不満なのでしょうか?」
「だってまた剣が折れてしまったもの、柔過ぎるわ、コレ」
庭に転がる丸太と今しがた折れた剣の刀身を見ながら、私に疑問を投げかけた世話役のビオラへ向けて溜め息を吐く。
今月に入って既に8本目、最初の頃は剣に振り回されると言った感じだったのに今じゃ剣が私の全力に耐えられない。
「ねえこの剣よりも硬くて柔軟な剣は無いのかしら? 流石に日に一本折っていては我が家の金庫に穴が開いてしまうわ」
「お嬢様……申し上げ難いのですが、お嬢様が加減なされるか剣術をお辞めになれれば良いのでは? 旦那様もその方がお喜びになられます」
「……それは無理な話ね、全ての雑念を捨てて剣に集中する事が唯一の癒しだもの」
握っていた剣の柄を投げ捨て、何時ものお小言が始まる前にその場を後にする。
彼女だけでなく、父であるキドニアも私に女性らしさを求めて小言を言うが、私の中にある記憶は男女混合の物なので性別も曖昧にしか認識出来ていない。
それ故にどちらの趣味にもあまり馴染めず只管に剣を振るばかり、コレでは父も将来を心配するという物。
他人事の様にそう思いつつ着替えの為に自室へ向かう途中、執務室から出て来た父と出くわしてしまった。
父は廊下の窓から外を見た後、私の腰に下げられた鞘にあるべきモノが収まっていない事を確認すると頭を抱えてしまう。
「サミナ……また折ったのかい?」
「折れる剣の方が悪いのです、お父様」
「またそれか、いい加減女の子らしい事をだね……」
「お言葉ですがお父様、我が家は武功によって男爵の爵位を賜った一族なれば、女子供と言えど剣の一つは嗜んでおかねばそれこそ家名の恥となりましょう」
先先代の時分にこの国は王位継承を巡って内乱が起きた、その際に私の一族は目覚しい活躍ぶりを発揮して爵位を賜った。
それは数年前に亡くなった祖父の誇りであり、我が家の誇りでもあるのでそれを盾にしたのだけどあまり成果はなさそう。
「そうは言うが君は女なんだ、よほどの事が無ければ家は継げないし華やかな趣味の一つでも無ければ嫁げもしないんだよ?」
「お父様のお気持ちは分かりますが、私は自分が剣を置く時は死ぬ時と決めておりますので……失礼致します」
深々と一礼した私は父の顔を見ない様にその横をすり抜けて自室へ入るのだった。
▽
––––今日もまたあの子に剣を辞めさせられなかった。
自分の親としての威厳の無さに思わず溜め息を吐きそうになったのを堪え、僕は中庭に出ると世話役のビオラから折れた剣の刀身を受け取り、それを改める。
初めて娘の剣をまともに見たのは一年前、慣れない剣を振り回して四苦八苦していた筈のサミナが荒いながらもまるで捨て身の様な剣術を扱い始めた時期だった様に思う。
あの子の言っていた様に我が家は武功によって出来た若い貴族、戦事しか知らぬ下賤な貴族だと揶揄される事はあれど先代である父も、先先代である祖父もそれを誇りにしていたから何とも思わなかった。
だから僕もこの先向けられるであろう心無い言葉や悪意に負けない為に剣を学ぶ事は賛成だったが、今ではその時に強引にでも辞めさせるべきだったと後悔している。
その理由はこの折れた剣、あの子の剣は全てを一撃で両断することを主眼に置いているらしく、強烈な撃剣は金属製の刃物ですら耐えきれずに剣の半ばが砕けて折れてしまう。
(––––あの子の一撃に耐えられるようにと特注した剣がコレで8本目、いくらなんでも一年やそこらで到達できる領域じゃない)
昔からあの子は不思議と泣かない子だった、母親が流行病で亡くなった時も父が往生した時も、一滴たりとも涙を流す事は無かった。
医者に見せても魔導師に見せても異常無し、感情が抜け落ちているように見えてもしっかりと物事を考えられている以上、原因不明ではあるが命を脅かすものではないと言われたが、僕にはそう思えない。
アレは近くに居座り始めた賊の根城を包囲した時の事。
早い内に戦場の空気に触れさせようと家臣達と共にあの子をその場に連れて行ったのだが、その際に我々の隙を突いてあの子は一人で賊の元へと行ってしまった。
慌てて追いかけた僕達が見たものは、返り血に染まった身体で生き残った賊の頭に迫るサミナの姿だ。
『どうしました? 今の一撃は凄く良かったですよ? なんなら斬ったり突いたりしてくれても構いません、今の痛みは少しだけ自分の事の様に感じられましたから』
『な、なんだよ、何で頭カチ割られて笑ってられるんだよ!?』
『その様な事は些細な事ではありませんか? 今重要なのは貴方が部下を皆殺しにした少女と対峙しているという事、どこからでもどうぞ』
『た、頼む!! もう此処に近寄らねぇ!! 足も洗う!! だから助けてくれ!!」
両手を広げて無防備に近寄って来るサミナに賊の頭は怯えたのだろう、額を地面に擦り付けるように命乞いし––––そのまま首を刎ねられた。
その時見たあの子の顔は今でも夢に出て来る。
冷酷な笑みを浮かべ、非常に満ち足りた表情を浮かべながら首を見下ろしていた、まるで熱に浮かされた様に。
(あの子は無自覚の狂人だ、何時人斬りに魅入られるか分からない)
今まで何度も剣の道を諦めさせようとして来たが、今日の様に隙を見ては常に剣を振っている。
僕もあの子の悩みは知っている、だからこそ唯一自分の不安が取り除かれる瞬間を奪う事は出来かねた。
(今夜に家臣たちと本格的な相談をするとしよう、あの子が生粋の人斬りになる前に……)
娘の剛剣による剣圧で草一本生える事の無くなった庭を見て、僕はそう思うのだった。