友人の妹は甘いものが好き
和弥は姫宮と一緒に、夕闇のなかの県道の前に立っていた。
四車線ある広い道を、かなりの数の車が通過していった。
「やっぱり俺一人でいいと思うんだよ」
「何が?」
「だから、夏原さんから話を聞くのは、俺だけでいいんじゃないかな」
「ダメよ」
制服姿の姫宮に睨まれた。
二人がいるのは、ちょうど喫茶店の入り口の前だ。
図書室を出た後、学校のすぐ近くにある喫茶店に来たのだ。
落ち着いた薄茶色の外観の店舗には、黒地の看板にオレンジ色の文字が大きく書かれている。
この喫茶店は、名古屋市周辺でよく見かけるチェーン店だ。
和弥は、ここで夏原葉月と待ち合わせをしていた。できるだけ無用の出費は避けたかったのだが、葉月の希望なので仕方なく喫茶店を待ち合わせ場所にした。
葉月の部活が終わるのを待っていたから、すでに時刻は午後六時近くになっている。
和弥は、不機嫌そうな顔の姫宮を見て焦った。
ただでさえ、葉月と会うのは久しぶりで気が重いのだ。そのうえ、その場に姫宮までいたら、さらに面倒なことになりかねない。
「姫宮は初対面の相手と話すのは苦手なんだから、無理しなくていいよ」
「苦手なんかじゃない」
「嘘だよね」
「……たしかに苦手だけど」
「それに、姫宮も一緒だとは伝えていないし」
「それはそれでいいの」
「どういうこと?」
「わたしがいると知ったら、あの子は来ないかもしれないから」
「それなら、なおさら姫宮はいないほうが……」
和弥が口にしかけた言葉は、宙に浮いた。
小柄な少女が、いつのまにか和弥たちの横に立っていたのだ。制服の上に薄緑のコートを着込んでいる。
夏原葉月だ。
少し驚いた和弥は、少女に向けてぎこちない笑みを浮かべた。
「や、やあ。夏原さん」
「……久しぶりですね、神谷先輩」
葉月は和弥をじっと見て、それからぴょこんと小さくお辞儀をした。
最後に会ったときから、葉月の見た目はあまり変わっていなかった。
葉月は、兄の智樹とあまり似ていない。綺麗だけれど、ちょっと変わった雰囲気の子だった。
ポニーテールがよく似合っているが、快活な感じとはいえない。
「わざわざ来てもらって悪いね」
「いいえ、大丈夫です。でも……」
「でも?」
「この人、誰ですか?」
葉月は不機嫌そうだった。
「あー……事前に言ってなくて悪いね。こいつは友人の姫宮。
「氷姫さんですね。知っていますよ。でも、なんでそんな人が神谷先輩と一緒にここにいるんですか?」
「わたし、東雲さんの親友なの」
姫宮が口をはさんだ。
葉月は、姫宮に視線を移した。
「東雲先輩の親友?」
明らかに葉月は嫌そうな顔をした。
「それに神谷は、わたしの頼みを引き受けてくれたの」
葉月は姫宮を見上げ、姫宮は葉月を見下ろした。
あまり友好的な雰囲気ではない。
「頼み?」
「ええ。わたしはあなたのお兄さんを探してる。それを神谷は手伝ってくれている」
「……そうなんですか、神谷先輩?」
葉月に尋ねられて、しぶしぶ和弥はうなずいた。
「まあ、一応、そのとおりだよ。夏原さんにとっては、余計なお世話かもしれないけど」
葉月は何も答えずに、考えこむように腕を組んだ。
その表情は冷たいものだった。
和弥や姫宮のことを快く思っていようには見えない。
仕方がないか、と和弥は思う。
疎遠になった兄の友人と、よく知りもしない先輩が相手だ。
それに、兄が一週間も家に帰っていないのだから、あまり明るい気持ちにはなれないだろう。
とりあえず、三人は店内に入った。ログハウスのような落ち着いた内装の店内には、それなりの数の客がいた。
店員の案内にしたがい、和弥たちは赤色のソファに腰かけた。窓側の位置に和弥が座り、その隣に姫宮がくっつく。
そして、テーブルをはさんだ反対側に葉月が座った。
さて、どう話を切り出せばいいのだろう?
このたびはお気の毒に? 智樹が死んだわけでもないのに、それはないだろう。
かといって、いきなり事務的な質問からはじめるのも気が引ける。
和弥は悩んだ。
しかし、悩んでいるうちに姫宮が余計なことを言いかねない。
もしくは、葉月の方から口火を切るかもしれない。いつのまにか葉月はコートを脱いでいて、制服のブレザー姿になっていた。
和弥は覚悟を決めた。というほど、大層なことではないけれど。
「大変だね。智樹が――夏原が家出をしたんだって?」
「……兄は家出をしたわけではありません」
「どうしてそう思う?」
「家出をする理由がありませんから。和弥先輩には、兄が家出をするような人に見えますか?」
「まあ、見えないな。でも、なにか心当たりはない? たとえば、智樹がトラブルに巻き込まれていたとか、さ」
「まったくありません」
「ほんの些細なことでもいいんだ。家でのことでも、部活のことでもいい」
「何も、ありません」
葉月は上目遣いに和弥を睨んだ。取り付く島がない、とはこのことだろう。
和弥は質問を変えることにした。
「質問ばっかりで悪いけど、最後に智樹の姿を見たのはいつ?」
「……先週の金曜日の夜です」
「ちょうど期末テストが終わった日か」
「はい」
智樹は、律儀に期末テストを受けてから姿を消したようだった。
先週の金曜日は、十二月十五日。姫宮から聞いてたとおりだ。
今日が十二月十九日の火曜日だから、四日間たっている。
和弥は重ねて質問をしようとしたが、ちょうど注文していた飲み物を持って店員が現れた。
グラス一杯にソフトクリームが浮かんだコーヒーが、葉月の前に置かれる。葉月の顔がほころんだ。嬉しそうにスプーンを手にした葉月は、和弥と目が合った瞬間、慌てて笑みを消した。
そういえば、葉月は昔からかなりの甘党だった。
和弥も蜂蜜のかかった甘いデニッシュパンを頼んでいるので、人のことは言えないが。
和弥は、葉月の視線がある一点に集中していることに気づいた。葉月が熱心に見つめているのは、和弥の注文したデニッシュパンだった。
和弥は微笑み、デニッシュパンの皿を指さした。
「夏原さんも一切れ食べる?」