二人の友人
新校舎の最上階にある生物準備室は、要するに物置だ。それ以上でもそれ以下でもない。
周りに誰もいないことを確認してから、和弥は部屋に踏み込んだ。積もった埃が一斉に舞った。
扉に鍵をかけた東雲が小さくくしゃみをする。
「ずいぶん散らかってる。それに寒い!」
「仕方ないよ。あたしたち、最後にここに来たのって、いつだったっけ?」
「半年以上前だったかな」
そのころは、和弥・智樹・東雲の三人はよくこの部屋を使っていた。ときどき昼飯を一緒に食べたりしていたのだ。
和弥はとりあえず座るスペースを確保しようと、ダンボールを脇によけた。
「東雲さん、寒いから用件は手短に済ますよ」
「そんなこと言わず、ゆっくり話そうよ」
「こんなところで?」
「こんなところでも。最近、あたしのこと避けてたよね?」
「そんなつもりはなかった」
「やっぱり嘘つき」
「嘘じゃない」
「理由は、あたしが智樹くんと付き合っているから?」
「そっちが俺を避けていたんだ」
「そんなことないってば。あたしが和弥くんを避ける理由はないよ?」
「智樹から、俺と話さないように頼まれたんじゃない?」
東雲は黙った。
無言は肯定を意味しているのかもしれない。
べつに東雲を責める気もなかったし、智樹を責める気もなかった。
と、急に何か白い物体が倒れてきた。
人間? 部屋の隅にいたのか?
さいわい、和弥にも東雲にもその物体は当たらなかった。
短く悲鳴を上げた東雲を横目に、和弥は床に転がった物を眺めた。
頭蓋骨をちょいちょいと足でつついてみる。
それは人体模型だった。
「生きた人間でも死んだ人間でもなくてよかった」
東雲はいまだに怯えた顔をしているようだった。人体模型と和弥の顔を見比べている。
「ええと、和弥くんは死んだ人間がいると思ってたの?」
「十年くらい前にさ、そういう事件があったんだ。ある高校で、殺した同級生の死体を物置に隠していたらしい」
「あまり怖いこと、言わないでよ」
「まあ、そんなこと滅多にないけどね。それより、手を放してくれないかな?」
「あ、ごめんなさい」
東雲は赤面して手を放した。
人体模型が倒れた瞬間に、とっさに和弥の腕を握ったらしい。
他の誰かに見られたら誤解されそうだな、と思いながら和弥は話題を転換した。
「ところで、髪を切ったんだ?」
「うん。ショートカットにしてみたんだけど、似合う?」
東雲はくるりと一回転してみせた。
スカートの裾がふわりと揺れる。
「似合ってると思うよ」
「和弥くんの褒め方、不自然だよ」
「そうかな」
「心がこもってない」
「今の髪型の方が、俺はずっと好きだけどね」
「そうそう。さっきよりはましかな」
なんだか、東雲にからかわれているような気がする。
からかわれて、悪い気はしないけれど。
「ところで、聞きづらいことを聞くんだけれど、いいかな?」
「あたしのスリーサイズとか?」
「いや、そんな情報は必要ない」
「聞かれても答えないけどね」
「だろうね」
「ほんとは、智樹くんが失踪した話でしょ?」
「いいや」
「違うの?」
「智樹のことだけど、別の質問。どうして智樹と喧嘩したの?」
その瞬間、東雲の小さな顔に浮かんでいた笑みが、すっと消えた。そのかわり、東雲の顔には怯えたような表情が浮かんだ。
一呼吸置いて、東雲は視線を床に落とした。たぶん、人体模型を見ているわけではない。
「やっぱり、気づいた?」
「気づかないわけがないよ」
「うん。和弥くんなら、そうだよね。あたし、智樹くんに振られちゃったんだ」
「そっか」
東雲が髪を切ったのは、失恋したからだろう。
以前はポニーテールだった。智樹の好みに合わせていたのだ。
それに智樹と揃いのストラップを外してる。
「『そっか』って、それだけ?」
「それだけ」
「慰めてくれないの?」
「そんな義理はないよ。それに、こういうとき、なんて言えばいいかわからない」
「正直だね」
東雲は少しだけ笑った。
「ちょっと前から、智樹くんとはあんまりうまくいっていなかったんだ」
「だから、東雲さんは自分で智樹を探さないのか。そのかわり、友人の姫宮に頼んだ」
「その姫宮さんは和弥くんに頼んだ。『一緒に探して』って」
「まあ、そういうことになる」
「姫宮さんと仲が良いんだね」
「いいや」
「和弥くん、照れてる?」
「そんなんじゃない。姫宮の友人なんだから、知っているよね?」
東雲は微笑むだけで、答えなかった。
和弥は首を振った。
「最後に智樹に会ったのはいつ?」
「四日前。それが振られた日」
「先週の木曜日か。それって、東雲さんの誕生日だよね?」
「うん。智樹くんは忘れてたけどね」
東雲は深いため息をついた。
四日前の十二月十四日は、東雲の誕生日だ。
そして、智樹が失踪したのは、その翌日の金曜日だ。
「いまさらだけど、誕生日おめでとう、東雲さん」
「ありがとう。これであたしが一つ年上だね」
「すぐに追いつくけどね」
「去年みたいに、当日に言いに来てくれたら、もっと嬉しかったけど」
「そういうわけにもいかないよ」
「中学のころは良かったな。あたしと和弥くんと智樹くんで、いろんなところに出かけたよね?」
「そんなこともあったっけ」
「ほら、智樹くんが釣りに行こうなんて言い出して」
「三人で近くの川に行ったけど、全然釣れなかった」
「そうそう」
くすくすと東雲は笑った。
そして和弥が笑っていないことに気づいたの途端、バツが悪そうにうつむいた。
東雲が一歩だけ和弥に近づいた。
「智樹くんはいま、どこにいるんだろう?」
「家出だったら、友達の家に行くのが鉄板だろうね。それも、一人暮らしか、あるいは親があまり帰ってこない家だ。この条件で順に当たっていくのが無難なやり方かな」
事件や事故、という可能性は口にしなかった。
「ごめんね。面倒なことをさせちゃって」
「東雲さんが謝ることじゃない。俺は姫宮に頼まれただけだから」
「でも……」
「それに悪いのは智樹だ」
「うん」
「とりあえず、できる範囲で探してみる。あまり期待はしないでほしいけど」
「うん」
「じゃ、俺はこれで。何か気づいたら教えてよ」
「待って」
「なに?」
「智樹くんが戻ってきたら、また三人でどこかに遊びに行かない?」
「そうできるといいね」
おそらく無理だろうけれど、とは言えなかった。
和弥は床に転がった人体模型を建て直した。
和弥は手についた埃を払った。
「さて、人体模型とにらめっこをする必要もないし、さっさとここから出よう」