氷姫との交渉
智樹を探せ、と姫宮に言われて、和弥は肩をすくめた。
そして、首を大げさに横に振ってみせた。
「いったい、誰のために俺がそんなことをするんだ?」
「夏原くんのために」
「それなら、手伝えない。智樹のために時間を割く義理はないからね」
「幼なじみのため、でしょう?」
「だけど、今の俺とは関係のないやつだ」
「薄情なのね」
「何とでも言ってくれ。だいたい、なんのために姫宮は智樹を探すんだ?」
「東雲さんのため」
「友達だから?」
「そう」
「友人のために、そこまでするかな」
「大切な友達だもの。東雲さんは、夏原くんのことをかなり心配してる。事故や事件に巻き込まれたんじゃないかって……」
「へえ、そりゃ『大好きな智樹くん』がいなくなったんだから、当然か」
「東雲さんのためなら探してくれる?」
「いいや」
「でも、東雲さんのこと、好きなんでしょう?」
「誰が?」
「神谷が」
「どうしてそう思う?」
「神谷のこと、見てたらわかるわ」
「姫宮の勘違いだ」
「なら、嫌いなの?」
「嫌う理由はないけれど」
「なら、好きなんでしょう?」
姫宮はちょっとだけ思い込みが激しい。和弥が東雲に異性としての好意をもっている。そう確信しているらしい。
実際、「当たらずといえども遠からず」というところを突いているから困る。
以前は、智樹と東雲、そして和弥は気の合う友人だった。学校の中でも外でも、いつでも三人一緒に行動していた。
その三人から、和弥だけが弾き出された。
和弥はため息をついた。
「姫宮の想像に任せるよ」
「やっぱり、そうなんだ」
「ともかく、東雲さん本人にはそういうこと、言わないようにね」
「わかってる。でも、言わないでいるから頼み事を聞いてくれるかしら?」
「それは脅迫?」
「脅迫なんかじゃない。交渉よ」
「秘密をばらさないから、人探しを手伝え、か。うん、悪くない。探偵小説みたいだ」
「わたし、そういう本を読むのが趣味だもの」
「そうだったっけ」
「それで、どうするの?」
「答えは決まってる」
「そうよね。神谷に選択肢はないわ」
「いいや。俺は人探しなんかしないよ」
姫宮は絶句した。
予想外だったのだろう。
和弥は苦笑した。
「べつに東雲さんに言ってもかまわないよ。困りはするけど、致命的なことじゃない。後から俺自身が否定すればいい話だ」
「そんな……」
姫宮が瞳を曇らせ、和弥を見た。
他の人なら睨まれているように感じるだろう。
和弥はわざとらしくため息をついてみせた。
「どうして俺に頼むんだ?」
「暇そうだし」
「失礼な」
「それに、他に頼める人がいないもの」
「消去法で選ばれたなら、嬉しくはないな」
「神谷は夏原くんのことをよく知ってるし」
「それもあまり嬉しくない理由だ」
「東雲さんのためなら、やってくれると思ってたから。東雲さんも神谷に手伝ってもらうようにって……」
「そう言われても、気は変わらない」
姫宮は目を伏せた。
そして、小さな声でつぶやいた。
「神谷は頼りになるから」
「俺なんて、頼りにならないよ」
「でも、昔、わたしのことを助けてくれたわ」
「あのとき俺は失敗した」
「わたしはそうは思っていないわ」
姫宮はうつむいてた。
雪のように白い頬を、少しだけ赤く染めている。
和弥は咳払いをした。
「智樹のためや東雲さんのために、俺は何かをする気はないよ。でも」
「でも?」
「自分を頼ってきてくれた相手のためなら、べつだ」
「それって、わたしのためってこと?」
「あー……そのとおりだ」
姫宮は一瞬フリーズした後、ため息をついた。
「それなら、最初から『わたしのために働け』って言えばよかったわ」
「あんまり調子に乗らないように」
「冗談よ」
いたずらっぽく姫宮は笑った。
和弥もつられて、へらりと笑った。
これで、否応なく、和弥は智樹と関わらざるをえなくなった。
引き返すことはできない。
誰もが認める優等生。それが突然、行方不明になった。理由もわからない。
仮にいなくなったのが智樹でなかったとしても、それなりに興味を惹かれる。
いい暇つぶしになりそうだ。
和弥は事務的な手順に話を進めた。
「先に言っておくけど、条件が二つある。俺は嫌になったらいつでも降りる。それに、知った情報のすべてを姫宮には伝えないかもしれない。それでもいい?」
「いいわ」
「さて、俺は何をすればいい?」
「まずは、夏原くんの妹、葉月さんから話を聞きたいの。妹さんは、東雲さんやわたしには会ってくれないから」
「俺に連絡をとれと?」
「幼なじみだから、大丈夫でしょう?」
「まあ、葉月も知り合いではあるけど……」
気は進まなかったが、和弥は言われるがままに葉月にメールをした。
智樹を避けだしたころから、葉月ともほとんど会っていない。
返信をしてくれるか不安だったが、すぐに「明日の放課後に会いましょう」という返事が来た。
姫宮は満足そうにうなずいた。
「さっそく神谷が役に立ったわ」
「俺は道具じゃない」
「道具だなんて思っていないわ。期待しているのよ、探偵さん」
「そりゃどうも」
「そうそう、東雲さんにも会ってもらわないとね」
「いつ?」
「今でも、教室にいると思うわ」
「了解。会ってくるよ」
「わたしも行く」
「姫宮がいる必要はないんじゃないかな」
「ふうん、わたしは役立たずってわけ?」
「そうじゃないけど、姫宮は一通り東雲さんから話を聞いてるんだろう?」
「でも……」
「それに姫宮には話しにくいこともあるかもしれない」
「神谷はそんなに東雲さんに信頼されてるの?」
「まあね」
これは嘘だったが、必要な嘘だ。
姫宮について来られては困るからだ。
東雲にはいくつか問いただすべきことがあったし、それらは姫宮のいないところで尋ねるべきことだった。
「ずいぶんと仲が良いのね」
姫宮はすねたような顔をしたが、いちおう納得してくれたようだった。
「それじゃ、姫宮。また明日」
早足で和弥は立ち去った。
後に残された姫宮の姿を、ちらりと見る。
姫宮を見ていると、中等部のころのの苦い記憶が甦る。
くしゃみをした和弥は、空を見上げた。曇り空は、冷たく和弥を見下ろしていた。
ここは寒すぎる。早く東雲に会って、そして帰ってゆっくり寝ることにしよう。
マフラーを返し忘れたことに気づいたのは、教室についた後だった。