氷姫の真実
和弥は大きく伸びをした。
これから大事なことを大事な人に尋ねるというのに、自分のことながらずいぶん落ち着いているものだと思う。
和弥が立っているのは、歩道橋の上だった。
まだ日は高い。今ごろ教室では古典の授業中のはずだ。
姫宮が早退して帰ったと聞いた和弥は、適当な理由をでっち上げて学校を抜け出した。どうせ出席日数は足りている。
そして、桜通の上にある歩道橋で姫宮を待っていたのだった。
歩道橋の反対側に、とぼとぼと歩く女子生徒の姿が見えた。
姫宮だ。
こちらには気づいていない。
和弥はそっと近づいた。
「ここに来ると思ってたよ、姫宮」
顔を上げた姫宮は凍りついたように固まった。
逃げられても困るので、和弥は姫宮の腕をつかんだ。
「……離して」
「それはできない。さぼりはよくないよ」
「神谷だって、同じじゃない」
「まあね」
姫宮は和弥を鋭く睨んだ。
「何の用?」
「話を聞きたいだけだよ」
「神谷は、全部、わかっているんでしょう?」
「まあ、真相の一部はわかっているつもりだ」
「なら、それでいいじゃない。神谷はわたしのことを助けてくれないくせに」
「そうかもしれない」
「東雲さんから何かを聞いたの?」
「そう。興味深い話を聞いたよ。でも、東雲さんは真相からは遠い位置にいた」
姫宮は和弥に好意を寄せいてる。
東雲はそう言った。
けれど、それが事実かどうかはともかく、姫宮が智樹を探す理由とは無関係のはずだ
「確かめたいことがある
「なに?」
「智樹に復讐しようと思ってはいないよね?」
姫宮はため息をついた。
「やっぱり、知っているんだ」
「確信はなかったけれどね」
「続けて」
「君の母親は、十五年前の七月に殺された。容疑者は仲木戸一。夏原智樹の実親だ。君とが智樹を探す理由は、十五年前の殺人事件に理由がある」
「そのとおりよ」
「意外とあっさりと認めるんだ」
「いまさら神谷に隠しても仕方がないから」
「それで、智樹を見つけてどうするつもりだった? 」
「わたしはどうすると思う? いま起こっている連続殺人事件みたいに、復讐のかわりに夏原くんを殺す?」
「姫宮自身、わかっていないんだろう? 智樹を見つけたあと、どうするつもりか」
「そう。わからないわ。会ってみないと、わからない」
「仲木戸一は懲役刑を受けた。そして、刑務所内で病死した。もう、智樹とは何の関係もないことだ」
「理屈ではわかってる。夏原くんは何も悪くないって」
「どうやって智樹の秘密を知った?」
「夏原くん自身が言いに来たの」
「なるほどね。智樹らしい」
姫宮はため息をついた。
「言っておくけど、神谷の同情なんかいらないから」
「わかってるよ」
「でもね」
「でも?」
「ときどき『どうして、わたしはわたしなんだろう』って思うの。父がわたしのことをどう思っているか、わかる?」
「わからないよ」
「わたしのことを見ると、母が殺された事件のことを思い出すんだって。だから、父はわたしのことを避けてる。嫌な記憶を思い出したくないから」
「だから、一人暮らしをしているのか」
「そう。父は数年前に、別の女の人と結婚したから。わたしにはお金を渡すだけ。もうずっと会ってもいないわ」
和弥は何も言わず、姫宮の目を見つめた。
「わたしには誰もいないわ。家には誰もいないし、学校でも氷姫だなんて呼ばれて、どこにも、わたしの味方はいない。なのに、夏原くんは? ……夏原くんには、親切で優しい両親がいる。仲の良い妹だっている。友人も多いし、可愛い女友達もいる。なのに、わたしには誰もいない」
「そんなことはないよ」
「気休めはいらないわ」
「役立たずのクラスメイトなら、ここにいるよ」
姫宮はくすりと笑った。
「それって、神谷のこと?」
「姫宮の妹になったり、女友達になったりはできないけれど」
「女装でもする?」
「それは勘弁してほしいな」
「なら、神谷はわたしの何になってくれるの?」
「それは俺の決めることじゃないよ」
姫宮は、そうだね、と言って笑った。
「でも、神谷はわたしのことを氷姫なんて呼ばないでくれる」
「うん」
「ありがとう。ね、これから、神谷はどうするの?」
「智樹に会いに行く。実のところ、居場所はもうわかってる」




