プロローグ:雌伏からの解放
「それじゃ、どうもありがとうございました」
硲はメイド長の老婆に頭を下げてから、謝辞を添えた。
頭を上げ、エントランスホール全体を視界に捉えると、そこがどのような場所かがすぐにわかる。そしてこの流入者の男、硲鉄郎が何を目的にして、この場にいるか。
巨大な人間でも招かない限りは届かないであろう天井。腕の利く職人を金で唸らせなければ見ることさえ叶わないであろう家具、絵画、壁紙。富に恵まれた貴族ならば全てを取り揃えることが可能だろう。
「いえいえ……人手不足で困っていたものですから……」
と、天を仰ぐように辺りを見渡した硲は、老婆のゆったりとした言葉に意識を向けた。貴族の屋敷にしては人気がない。それも近年の急速な近代化と大陸間の戦争が影響しているのだ。
「硲さん! どうしてですか!」
すると突然、2階に続く階段の踊り場から若々しく、潤いのある声が響いた。
名をジェネカ・ゴットシャル。言わずもがな、この屋敷の当主であるゴットシャル家の令嬢である。
「空耳か……」
「待ってください!」
硲は、メイド長から受け取った小切手を胸の内ポケットに入れると、またもや金細工が施された重厚な扉を開けようとした。
「なんです? お嬢さん」
眉間をいつも以上に寄せた硲は、気怠そうに言葉をこぼした。
仮にも同じ学び舎に通うジェネカにとって、この『お嬢さん』呼びは耐え難い距離を感じさせるものだ。
「お願いです! きっとお役に立てますから! 私もお供を……!」
天井からシャンデリアのLEDライトがジェネカを照らすと、より美しく見えた。
ただ、その一挙手一投足には高尚さが消えかけている。硲と同じく、情熱と勇気で足踏みをしているのだろうか。
「それじゃ着替えたほうがいいでしょう!」
「ええ!」
また始まった。メイド長は溜息交じりに階段へ足を置く。
「んあ?」
ジェネカが踊り場から見えなくなったことと、携帯電話のバイブレーションを確認し、硲は扉を開けて屋敷から去った。
「おうよ」
硲は中庭に出ると人が変わったように満面の笑みを浮かべ、それからスピーカーに耳を当てた。
『ワシじゃ。こっちゃ金さえありゃすぐにでも用意できるぞ』
野太い声がスピーカーから響いた。恐らく、グループでも最年長の我修院大和だ。
「あいよ。それじゃ、集合はいつものトコで」
ようやく計画が進む。そう思うだけで今でも踊ってしまいたい気分だと硲は思った。
「とうとうこの日がやって来た……! 長かったぜ」
庭に咲いた聖花をもぎ取ると、ふと通話を切り忘れていることに気づいた。硲は慌てて携帯電話を閉じると、
「……この時をずっと夢見てた。今すぐに解き明かしてやる。俺らの……ルーツを」
獲物に狙いを定めた獣のように舌を出し、硲は微笑んだ。これまでは学院に通う傍ら、ゴットシャル家の非正規使用人として貯金をしてきたが、それも数分前に断ち切った。
流入者と呼ばれる異なる世界からやってきた人間がこの世に現れて約1000年。誰も解き明かそうとしない禁を、硲は破りたかった。
自分の祖先がどこからやってきて、この世界で何を成し遂げたか? 目に見えるものならば、先進的な技術や文化……。
だが、どれも情熱で心臓の鼓動を煽る硲にとっては退屈なものだ。
硲の意志に感化された仲間と共に足踏みをしてきたが、ようやっと踏み出せる。硲はそうして法を破るということへの恐怖と背徳感を忘れた。
やっとプロローグを投稿できますた……!
感想や指摘があればお気兼ねなくどうぞ!




