第15話:二人三脚
「テツ! 隼人! ごっこ遊びは後にしろ! ここは直に崩れるぞ!」
硲と柴島、両者が言葉も交わさずに深く思いを巡らせていると、仰々しく、鬱陶しい我修院の声が響いた。それと同時に、硲は柴島の左肩に置いた手をさっと、離した。ごっこ遊びをしていたわけではない。
「走るぞ!!」
石と石を擦り合わせるような音が響いたと思うと、──最初はそんな音だったが──昂っていた心臓の鼓動を掻き消してしまうほどの重く、低い音が響き、融けた。
見えない恐怖への不安と、精神的な疲労、その2つが柴島の肩にのしかかっている。だが彼はいつものように、『なんともない、平常だ』とでも言いたげな顔で我修院を小突いた。
「何が起きてるってンだ? 肇は?」
我修院に答えを求める。この男は──柴島から言ってしまえば──低知能な愚か者に過ぎないが、今まで起きたこと、これから起きることのほぼ全てを把握していることは明白だ。
身体に悪影響を及ぼす姿勢で長時間拘束されていた我修院は、気が抜けた視線を柴島に落とすと、
「水銀じゃ」
の一言。
「ンだって?」
我修院に促され、背中に這い寄る暗闇に目を向けてみると、そこには波のように押し寄せる大量の水銀が!
「ンだこりゃあ……」
「やっと出口か……!」
二言目を受け取る前に硲が口を開いた。
「あー、どうなさいましたか?」
出口では貴族の令嬢が、首を傾げて3人を待ち受けていた。悪魔のような面で走り寄ってくる男共に歩み寄り、手を挙げて注目を浴びようとするが、彼らの視線は遥か頭上に焦点を結んでいた。
入門者を威圧する男女の像だ。
「オイオイオイオイ、倒れるんじゃねぇのかッ!?」
事実、硲の勘は当たることになる。石灰岩の巨像が倒れ、たちまちそれは魔法を掛けられたように水銀と化し、ジェネカ・ゴットシャルを追った。
「間に合わんッッ!!」
幸いなことにも、4人は集団として固まっていた。だが、不幸なことに四方八方を水銀の波に囲まれている。
このままではほんの数分で、考える隙も無く溺れ死ぬ……、
「やむを得ないかッ!」
そう言った我修院の顔は正に鬼の形相。額に太い血管が浮き上がり、目が充血している。
そんな我修院が硲、柴島、ジェネカの3人を強引に引っ張った。
「狂ったか!」
我修院の考えではこのまま全員で死ぬのを待つ、それが最善の策で、今から神に会いに行こうとでも思っているのか? そう訝しむ硲でさえ、もう死ぬしかないのか、と思考を強制的に停止させていた。
「“愛しき神よ、我らが女神よ、潤いを地に、眼差しを民に、聖杯の加護を我に授けよ”」
何らかの呪術的な詠唱か──だが言い終えた時、我修院の手に握られていたのは直剣だった。
柄と鍔にあたる箇所にダイアモンドのような……何らかの鉱石か、はたまた何らかの欠片が固定具や溶接もなしに自転し、光を放っている。
その瞬間に硲と柴島は、またしてもこの男の謎に足を踏み入れたのだ。一方、ジェネカは、一連の詠唱と、それらから引き起こされた現象を鑑み、ある物語に共通点を見出した。
だが、それは今語られるべきではないだろう。
「そ、そこが一番傷が深い……」
危機は去った。未だに水銀は広い洞窟に満ちているが、我修院が放った光で、一定の空間だけは確保できた。今は薄い膜のようなものが彼らを護っている。
「…………」
あれから1時間は経った。未だにアドレナリンが身体を走り回っている気がしてならない。硲は落ち着くこともできずに、爪先から頭頂まで傷だらけの我修院と、それを手当てする柴島とジェネカを見守っていた。
「動くと余計に傷が広がってしまいますよ、少しの……辛抱です」
「この傷口にゃあ消毒液に漬けたガーゼを詰めたほうがいい。止血が最優先だ」
この1時間で猫科の肉食動物に襲われたわけでもなければ、不満を爆発させた硲に袋叩きにされたわけでもない。ただの人間には認識することさえできない何かが働いた。
その力は体感で、我修院に宿っている原初の炎を遥かに超越した力であるとわかる。
「肇、探してくる」
硲は喉に込み上げた数々の疑問をぐっと飲みほした。それを我修院に投げかけたとして、彼を我修院たらしめる謎という1つの魅力を、紙のように容易く破り捨てることはないだろう。
「ッチ、待ちやがれ」
硲の肩に、柴島の繊細な5本の指が食いこむ。
「わかるだろ、時間がないんだ。1人で事に当たる」
この場にいる男女は既に15を超えている。その年なら当たり前だが、所謂下の毛も生えているわけで、それが彼のアイデンティティになるわけではないが、もう互いに『友達』だの、『仲間』だのと言えるような低いプライドはない。
それを一番理解しているのは柴島だ。が、自らが見てきた硲の生き様からして、ここで1人で無茶をさせれば、必ずや辛酸を舐めることになるだろう。
「噛みついてでも行ってやる。後悔したくないなら、他人を少しは信用すべきだ」
柴島は覚悟を決めて、硲の隣に並んだ。
「…………」
硲は鼻から大きく息を吐いた。
「プライドを守りたいのは理解できるがぁ、あっしがいないと困るぜ、アンタ」
硲の肩から柴島の指が離れたと思うと、今度は柴島の右腕が肩に掛かった。
同時に、柴島の右手の甲も視線に入る。透き通った蒼いルーン文字が奔っているのがわかるが、対照的に硲の手の甲は稲妻のような黄金色が消え失せていた。
「それに……どうする気だったんだ? この薄い膜から出りゃあ、水銀に呑まれるゼ?」
嘲笑するように、そして鬱陶しい柴島の囁き声が、硲の片耳に入り込んだ。
「……わかったよ、カッコつけて悪かった」
こうしている時間は無駄だと理解しているが、硲にはどうしようもない。
「貸しができたンじゃねぇか?」
柴島の意志に呼応し、手の甲のルーンが一層、輝きを放ちだした。
レポートという名の学業のせいで集中できず、執筆に精が出ませんでした。
ですが、レポートなどというものは既に過去の遺物!! これでようやっと執筆ができるぞ!!