第9話:Brotherhood
「ぐっ……あぁ……、ここ、は……?」
まるで自らの存在を否定するように、激しい頭痛と、海水にでも浮かんだような、そんな不愉快な感覚が硲を襲う。
「い゛、痛゛ぇ゛……!!」
あまりの不愉快さにやはり、人間は耐えられない。そこで、ようやく硲は感覚を認識した。だが、己が身をみてみれば、霧のように不確かな肉体が、何も無い、真っ白な空間に跪いている。
「……よォ、兄弟」
不愉快さと疑心の中で、硲の頭に声が響いた。その声は硲鉄郎という男の声で間違いなかった。
そして、その声を認識すると、真っ白な空間に、バンダナを目深に巻いた硲鉄郎が現れる。硲にとって、これは不思議でしかなかった。ドッペルゲンガーか? はたまた、大麻でも摂取しすぎたか? 幸いなことに、その瓜二つな自分を認めても、両者は狂気に陥ったりはしなかった。
「ンのダラズが……、無茶苦茶しやがったなァ?」
硲鉄郎は、跪いた軟弱者に向かっていく。軟弱者が立ち上がらないことを確信すると、硲鉄郎は拳──右手の甲が金色に輝いている──で軟弱者の顎を突き上げた。
「なっ──!?」
顎に思いきり、拳がめり込む。軟弱者は何メートル、何百メートル、何千メートル飛ばされたことか。鈍い痛みが稲妻のように走り、ようやく軟弱者が壁に衝突した。
彼は、天文学的な数字で後方へ吹き飛んでも死ななかった。音も、速度も、時間も、全てが無だと感じられる。
「や、めろ……! テメェらぁ!!」
ただそこにあったのは、痛みと苦しみ、そして、何よりも彼らの首を絞めたであろう、同胞の声。壁に刻まれた文字から声が響く。それらの声には、明らかに侮蔑や、マイナスな感情が込められている。
『いい歳して、まだやってたんだな、その……研究?』
『貴方に、くだらない幻想を抱いてる暇があるの?』
中には、血族の声もあった。
「苦しいか? 苦しいよな……誰よりも。だが、お前がちっぽけな夢に……、知らなくてもいいことに心血を注いじまったんだ」
硲の首を絞めた声はいつしか、消え去っていた。だが、軟弱者の前に、また硲鉄郎が立ちはだかる。
『最高にイカれてンぜ、アンタ。脳みそでもファックしたのか? ヘヘヘイ、冗談だよ』
『……まだ立ち上がるか。否、それも既に限界とみた……。楽にしろ、拙者は見捨てぬ……』
『ビッグな夢じゃ。いや、ちっぽけだろうな。他人からすりゃあ。だが、夢なんてそんなモンじゃろう? なんにせよ、ここが正念場だ』
硲鉄郎は立ち上がった軟弱者に、友の声を聞かせた。それが彼をもう一度、心身ともに奮い立たせる。
『何か、熱心に研究されてるとお聞きしました。よろしければ、この私にもお聞かせ願えないでしょうか? お役に立てるかもしれません……!』
突然、潤った女の声が響く。低く、粗野な男の声とは違うために、それが女の声だとわかる。
「いい女だな、好きなのか?」
「……いや、ちげーよ……」
その問いに、軟弱者は目を泳がせる。軟弱者の気持ちなど、硲鉄郎には筒抜けだ。まさに、目は口ほどに物を言う、だ。
「思うに、彼女は自信がないだけだ。力を合わせてみろ」
「そうかよ……」
まったく関心がない。いや、恐らくは恥じらいを抑制しているのか、軟弱者は下を向いた。
その視線を追うように、硲鉄郎は腰を落とす。
「オレゃあ、もう消えるかもしれねェ。……次が最後だぞ。もう力は貸せない」
そう言い終えると、硲鉄郎は腰を上げ、額に巻いたバンダナを取り、軟弱者へ投げた。
「選べ、オレかお前か。もう一回言う、次が最後だ」
硲鉄郎が軟弱者に“最後”を言い残すと、硲鉄郎は文字通りの霧となり、軟弱者の身体へ吸い込まれ、染み込んでいく。
「最……後……」
硲には、まだそこが夢の中だと実感できる。鼻が食欲をそそる匂いを嗅ぎつけるが、このまま瞼を閉じてしまいたい。そう思うと、硲は夢の中で眠りについた。
HDDの磁気ヘッドが壊れたんですよ、データ復元頼んだんですよ、無理でした。でも、なんとかできるらしいんですよ、提携業者に頼んで。いくらかかるんでしょうね……?
今作に関するデータが消えてしまったら……もう終わりだぁ!