第8話:尾羽打ち枯らしても
5月4日。時刻は20時。腹の虫が鳴る頃でもあり、睡魔に惑わされる頃でもある。
では、あの5人はどうだろう? 腹の虫は鳴っているか? 睡魔につきまとわれているか?
「もしオメーがあっしらのダチを自称すンなら、隠し事する必要、あンのか?」
否、夜食の雰囲気でも、就寝の雰囲気でもない。硲、柴島、忍足が水を汲みに行っている間、我修院とジェネカがテントや鍋、その他、キャンプ用品を設営したようだが、気絶した硲を除く4人は、それらにまったく手を付けなかった。
だが、そんな誰が醸し出したかもわからない陰鬱な雰囲気を、柴島が切り出したことで、変わった。
「隠し事……、そんな大袈裟なモンじゃあない」
口に手を当て、視線を低く保ち、我修院は言明した。
「……では何故、封をした?」
気を失った硲の額に濡れたタオルを置きながら、忍足は呟いた。
「…………」
貴族令嬢ジェネカ・ゴットシャルはこの、まるで獣が爪を研ぎながら睨みあっているような雰囲気に圧倒されていた。その証拠に、両足を山のようにして、両膝を両腕で抱え込み、明後日の方向へ視線をやっている。
「いや、まぁ、なんと言うか……来るべき時を待ってたんじゃ」
「……あぁ?」
「……ううむ……」
我修院の答えに、柴島も忍足も眉間に皺を寄せた。『もっと相応の答えがあるだろう!』そう言いたいところだが、同じ釜の飯を食った仲だ。不機嫌そうな表情を見せるだけで、後は我修院の口の封が解かれることを待った。
「そして……、こいつが知りたがっていた情報もすべてここに詰まっとる」
我修院は、その逞しい人差し指で硲をさし、次に自らのこめかみにさし、不敵な笑みを浮かべた。
「ッチ、5W1Hに則って、モノ言いやがれ」
その笑みが気に入らなかったのか、柴島は中指を立てて、我修院に迫った。
「ハハハハハハハハ! 笑えよ! 柴島!」
遂には、忍足も我修院に迫り、そのうざったらしい顔面を、柴島と共に平手で叩いた。
「ヘッ、ヒヒヒ」
「……フフフフ」
「ガッハッハッハッハッハッハッ!」
途端に、3人が気でも狂ったように笑いだす。ジェネカは座ったまま、後ずさり、珍しいものでもみる眼差しで3人を見た。
「み、皆さん、ど、どうか心の平静を……」
「「「保ってる……!!」」」
3人が同時に返したことで、ジェネカはこれからこの3人を、どういう目で見ればいいか考えあぐねた。
「そういうことじゃ! 数年前からずっと! お前らは禁書庫のことでピリピリしとったからの! 中々、言い出せなかったんじゃよ……!」
「その言い分も……、まァ、理解できる。ここ数年、あいつは文字通り、人が変わったからなァ」
「……件の問題もある。それは致し方あるまゐて」
数分前とは一転して、どういうわけか和気藹々とした雰囲気が流れた。
「学院でも話しかけづらかったですし……。ホントに人が変わったようでした……」
その流れに上手く乗ずるためか、ジェネカも3人の横へ突撃した。
「変わったンだよ」
刹那、柴島の顔が悲しげもあり、少し呆れたような、そんな顔に変わった。普段の柴島からは考えられない表情だ。
「えっ……?」
「……好事魔多し、そう言うが、アイツの場合は魔が多すぎた。それも仕方のないコトだがなァ……」
言葉の意味が理解できない。人が変わった、この言葉の意味については、深く考えなくてもわかる。何か、日常生活での些細なことがトリガーとなり、人が変わったように怒り出す、泣き出す……、そういった意味ではないのだろうか? ジェネカは疑問を抱いた。
「……其れは、其処許が自ずから求めるべきであろうな」
「うむ、それも来るべき時が来るじゃろう」
虚を衝かれた、或いは、惑わされた。ジェネカはそんな気がした。だが、それも悪い方向へ惑わされたわけではなかった。
「ワシも後顧の憂いを断つ。そのために明日、改めて説明する。いや…‥与えよう、求める力と濃い記憶……。それよりも……!」
「飯の時間だぜ」
「……腹の虫が騒ゐでおるわ」
「お夜食ですね!」
ジェネカが両手を挙げた瞬間、3人は行動を開始した。その間にも、ジェネカは神への食前の祈りを済ませようと、十字架のネックレス【1】を手に握り、北の方角へロングブーツを脱いで正座した。
【1】この世界での十字架は、縦棒が聖剣、横棒は聖花が纏わりついたアカシアの木となっている。
「…………」
一方、どうやら硲はうなされているようだ。眉間の皺が痙攣し、脂汗が顔を流れる。
「……む」
それに気づいたのか、缶詰の開封を中止し、忍足はタオルを絞った。
実を言うと、硲の気絶はあまり、珍しいものでもない。その度に、忍足が硲の面倒を見る。柴島は恥じらいか、もしくはプライドのためか、忍足に硲が気を失ったと伝えるだけだ。
「……に、き……!」
脂汗を拭き取ると、硲が重い口を開き、力を振り絞って言葉をこぼした。
「あ……に、き……!」
「……目を覚ませ……!」
硲の精一杯の言葉を聞き取ると、忍足はそれを否定した。その後、苦虫を噛み潰したような表情で、忍足は調理に戻る。
だが、調理の場に忍足の出る幕はなかった。それもそのはず、缶詰を開封し、鍋で炒めるか、バックパックからパンを取り出すか、という単純作業だけで食事の準備ができたからだ。
「……すまぬ」
「おうよ」
紙皿を手に、料理をよそる柴島の肩に手を置き、忍足は謝辞を述べた。
「うぅ、人数人数とはいえ、ここまで豪華でいいんじゃろか?」
「ンだよ、文句あっか。こちとら、二週間はもつように配分してンだぞ。それにメニューも2セット用意してンだぜ」
紙皿に盛り付けられた食事を前に、我修院の腹の虫は昂っていた。例え、机がないにせよ、それらが洞窟の岩の上に敷かれたブルーシートへ置かれているにせよ、興奮は抑えられなかった。
「申し訳ございません、私もお手伝いできなくて……」
「あっしは神への祈り邪魔してバチ当たり者にゃあなりたくないんでね」
料理人柴島は、まるで本職のように缶詰料理を煌びやかに飾り付け、加えて気の利いた赤ワイン【2】までもが食卓に並んだ。
【2】地球と違い、この世界では宗教の関係で8歳から赤ワインのみの飲酒が可能である。
「……お前、家庭的」
「黙れ」
無駄口を叩いた我修院の愚かな口中に対し、柴島は迷わずエンペラーロール【3】を叩き込む。
【3】地球での類似食品はカイザーロール。オーストリア発祥の伝統的なパンである。
「缶詰は初めてですが、中々、美味しいですわね……!」
「……うむ、美味」
そんな我修院と柴島を横目に、ジェネカと忍足は食事を始めていた。
ここでブルーシートに並んだ食事を観ていこう。
まずは飲物だ。前述の赤ワインの他に、デトックスウォーター、カンポット【4】、食後のための蜂蜜湯が並んでいる。
【4】地球では、ヨーロッパで多くの国の食文化に組み込まれていた甘い飲み物。ガラス瓶にライム、リンゴ、レッドベリー、チェリー、イチゴ、モモなどの果物を入れ、水と甘味料と共に作られる。
次に、食べ物。エンペラーロールは勿論のこと、カーマル【5】、バゲット、それにカカオとクリームを練り合わせて作られるチョコバゲット、パルク【6】などのパン。
ボネルネ【7】、チキンチグ【8】、スパツァス【9】、などの缶詰は、最高に香ばしい匂いで、4人を魅了した。
【5】地球での類似食品はベーグル。食べ方は大して変わらない。
【6】地球での類似食品はチャパティ。サーフル公国では香辛料を豊富に使用した料理が好まれるため、女性はこれにミントをのせ、食後に蜂蜜湯と共に食し、口臭対策とする。
【7】地球での類似食品はチリコンカン。トマト、ハバネロ、豆が主な材料。缶詰のボネルネは辛さ控えめのようだ。
【8】地球での類似食品はタンドリーチキン。ヨーグルトや種類豊富な香辛料に半日ほど漬け込んだ肉にレドタメリク【10】を塗し、壺に入れ、焼き上げる。
【9】地球での類似食品はリュテニッツァ。これをパルクで包み、食す。
【10】赤身のウコン。
「アイツも起きりゃあ、いいのによォ……」
「……うむ」
「けど、テツと食いに行ったときは、毎度毎度、水くれ水くれ五月蠅かったからのう……、ホントに好みなんか……?」
「フフフ、おっちょこちょいなんですね、硲さん……」
例え缶詰料理でも、友と共に他愛のない話で食す料理は絶品だろう。そんなこんなで、就寝の時間がやってきた。
明日を迎えれば、我修院が口の封を解くことになるだろう。そう胸に秘め、柴島も忍足も瞼を閉じた。
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