第7話:Another one
「あ~あ~やだやだ」
溜息交じりに大声を上げ、サンは体をくねらせた。そして彼の向かった場所は、洞窟に流れる滝という自然が創り出した恵みだった。元々、この地下遺跡は、山と山との間に生まれた洞窟を利用して造られたもので、こういった恵みは“神の恵み”と言うには程遠く、珍しいものではないのだ。
「高温多湿も筋肉もやだねぇ」
と彼は言うが、その顔には不快な表情、というよりは心地のよさそうな表情が浮かんでいた。それもそのはず、前述の滝と、長い時を経て形成された小さいオアシスに、彼は足を浸しているのだ。
「……ん……?」
だが、神はサンに長い休息を与えなかった。1……2……、3。その3人の足音がドレイドではない、ということにはすぐ気が付いた。
だとすれば、墓荒らしか? 命知らずの考古学者か? そしてサンの頭には最悪のケースが思い浮かんだ。
「……倹約できる」
「その上、この水に変な病原菌でも入ってりゃ、スリルにもなる」
「バカ言ってンじゃねーよ。いい加減、顔洗って、目ぇ覚ませ」
歳は若い。もしかしたら、自分と同じ年齢かもしれない。物陰に隠れたサンは、注意深く3人を観察した。
「あれは……」
サンは覚悟を決めたように、右手の甲を静かに、だが力強く摩った。
次の瞬間、思いもよらない光景と、全身に衝撃を走らせるほどの音が響いた。……壁に埋め込まれた石棺の蓋が倒れたのだ。
「っぐぁ……!」
「あぁ……!?」
サンにとっては至上最悪の失敗。硲にとっては、埃を巻き上げて倒れた蓋と物陰から転んで姿を現した生身の人間が視界に映った、理解しがたい驚愕だった。
「まさかこんなことになるとはな……だが、生身の人間はいない……、そう断言されたもんでね」
だが、イレギュラーにも即対応できることを要求されたサンは、すぐさま、トンファーを取り出した。ド石棺、バケツ、3人の人間、と目を回し、体も誰を相手にするか、忙しく動かさなければならない。
「あ、あぁ……?」
「……む」
「あっしらはミイラ盗むために来たわけじゃあ……ねぇンだがなぁ……?」
ドレイドの目覚めが遅いということは、生身の人間にとって幸いなことだった。
「お前ら、エンバーミング希望?」
サンは息を整えて、恐怖と驚愕をかき消すためか、ジョークを飛ばした。
「「……そっちは任せた!」」
「あぁ!? オイ!!」
あの(文学少年の一面もある)硲でさえ、こんなことは容易に想像できなかっただろう。ある程度は信頼を寄せていた2人に蹴られただなんて。
「同情するぜ。……だが! すこし痛むぞ!」
「冗談はよせ。クそ──」
おいクソッタレって悪態ぐらいはつかせろよ! そう頭の中で不満を浮かべる時には、既にサンのトンファーが硲の顔面にのめり込んでいた。
「……てっ、めぇ!!」
痛みのおかげで、全身に力が漲ることに硲は笑みを浮かべ、サンに殴りかかる。
「痛かったかよ!!」
だが、相手が悪かった。トンファーを警戒し、機敏に動いたのはいいものの、横腹を蹴られるまでは想像ができなかったのだろう。
「悪いな。うちの家系は代々、蹴りを主体とした格闘術を受け継いできたんだ。痛みはどんなだ?」
「ぐっ……あぁ……」
数十分前でさえ、遺跡の環境で気分は最悪だったが、今の気分は最悪を越していた。硲は最悪な環境と気分の中、脇腹の痛みに悶え喘いだ。
「おっと、ミイラにするってのに、骨を何本か折っちまったかな? 自分は芸術家を自負してるんだがぁ……」
格闘家も一種の芸術家である。サンは混じり気のない純粋な瞳で自負した。
「貸してくれや……」
「あ? トンファーか? すまんがむ──」
数秒後には、サンのその尖った口が完全に封じられた。それは痛みと血を伴い、同時にサンへまたしても驚愕を与えた。
サンの前に、突如として、黒のバンダナを目深に巻いた硲が現れた。
「これ以上、オレの身体を痛めつけられちゃあ、困るんでね」
まるで人が変わったようだった。先程までと違い、全身に身の毛がよだつほどの殺気と、筆舌に尽くしがたい何かがその男を包んでいた。
「……っち」
静かに、静かに一歩ずつ、サンは後退していく。そしてバケツを取ったと思うと──スッ、そのバケツで水を掬い、狼から逃げる兎のように、一気に走り去っていった。
「…………」
「用が済ンだらこっち手伝え!」
硲が考えを巡らせている中、水音をかき消すほどの柴島の声が耳に届く。何やら急を要するようだが……。
「やべッ! 忘れてた!」
どうやら、硲がサンの相手をしている間に、柴島と忍足の2人が何とか石棺の蓋を起こし、眠りから覚めたドレイドを抑え込んでいたようだ。
だが……、
「……もう限界でござるぞ……!!」
「しゃあなしだ! 離れっぞ、肇……! 1、2の……3!!」
“3”のタイミングで2人が横に跳ぶ。石棺から這い出てきたのはやはり、ドレイドだ。それに、這い出てくるドレイドは、1体どころではなかった。
「おい、何か考えはあるのか? 隼人」
「こりゃまずったナ……」
「……む」
そんな中、忍足の敏感な耳が異音を捉えた。何かが燃え盛るような……例えていうならば、キャンプファイヤーの炎……、そんな的外れな音が段々と大きくなっていく。
「叩きッ……潰すッ!!」
3人がドレイドではなく、音の鳴る方へ視線を向けた瞬間、飛び出してきたものは、右の拳に炎を纏わせた我修院であった。
我修院が横目に3人の安否を空中で確認すると、形容し難い音が鳴り響き、次の瞬間にはドレイドが炭と化していた。
「……あ?」
硲は拳が入ってしまいそうなほど口を大きく開けた。たった一瞬の出来事であったのに対し、脳みそが『あれは一瞬の出来事ではない、いや、あれは──!!』と、混乱し、何が起こったのか、完全に理解できるまでに数秒を要した。
つまり、石棺から這い出たアンデッド! そして飛び出す我修院! (流入者が使えるはずもない)異能の力で炭と化したミイラ! この3つの間が極めて短く、人間の脳みその処理能力では追いつけなかった。
「おう……、覚めたんかテツ」
まだほんのり温かい右手で我修院は硲の肩を叩く。対して、硲は……、
「う゛ぁ゛……」
……驚くべきことに硲は地面に倒れてしまった。まさかこんな状況で、おふざけとまではいかないだろう。そう、彼はどういう訳か……気を失った。
「あ……?」
「……む?」
やっと脳の処理が追いついたところで、柴島と忍足が目にしたものが硲の気絶だとは……。一連の騒ぎに加え、糅てて加えて硲の気絶とは、もはや神も彼らに同情するだろう。
「あ~、まぁ、後で詳しく……話すとするかのう……」
特に困った様子も見せずに、我修院は硲を担いで歩き始めた。
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