最高の愛情表現か、それとも最悪の嫌がらせか
「――人を、殺した事があるかもしれないの」
彼女のその発言を聞いた瞬間、僕は思わず顔を引きつらせた。「何か怖い話はありませんか?」と頼んだのは僕だけど、ちょっとばかり怖さの方向性が違っていたからだ。
ただ、折角話してくれたのだから会話を続けない訳にもいかず、僕は「“あるかもしれない”とは、どういう意味ですか?」とそれからそう尋ねたのだった……
僕は佐野隆といって、大学の新聞サークルに所属している。その女性はある医療大学の献体された遺体の管理を仕事の一つにしていて、その特異な立場から聞けるだろう様々な体験談が新聞のネタになると考えた僕は彼女に取材を申し込んだのだ……
と言うのは、まぁ、半分以上は建前で、実を言うのならこういった類の場所でなら聞けるのじゃないかと思える怪談を聞くのが本当の目的だった。
僕は鈴谷凛子という女の子にそれはもう自分でも驚くくらいに惚れまくっているのだけど、その彼女は民俗文化研究会なんていう大学のサークルに入っていて、そういった関係の話に興味を持っている。
つまり、僕はその鈴谷さんに喜んでもらおうと思って、その取材で変わった怪談を仕入れようと考えた訳だ。
その医療大学の女性は美人と言っても良いくらいの容姿だった。ちょっと鈴谷さんに雰囲気が似ているかもしれない。“遺体の管理”なんて仕事はあまり相応しくないように僕には思えた。が、彼女はもう三十代半ばで、既に8年ほどその仕事をやっているらしいのだ。
それでつい僕は「どうしてこんな仕事をし続けているのですか?」と聞いてしまったのだった。そしてそこからなんだか彼女の身の上話を聞くような流れになってしまった。
ただ、彼女は少し奇妙な言い回しをする癖があるらしく、その会話の内容はなんだか禅問答のようだった。
「――私がこの仕事を始めて、なおかつ長期間勤め続けている理由はね、自分自身の業を真正面から受け止める為なのよ」
そのような不思議な事を彼女は言うのだ。
「業? 業といいますと……」
僕が尋ねると、彼女はゆっくりと笑ってこう返した。
「そうね。例えば、いじめが好きで、どうしてもいじめを止められない人っているわよね?」
「ええ、まぁ、そういう人もいるのでしょうね」
「そういう人は、それが反社会的な行為で好ましくない事だって分かっていても、どうしてもいじめてしまう訳よね……
断っておくけど、だからっていじめを認めようとか主張しているのじゃないのよ? ただ、ある意味じゃその人も被害者なのじゃないかとは思うの。もちろん、本人が自覚するしないに関わらず…… いえ、自覚していない方がもっとずっと苦しいのかもしれない。
もちろん、そういうのが治療できれば良いのだけど、治療できるケースなんて滅多にないでしょう?
そういう場合、その人はそういう業を人生の中で受け止め続けなければいけない。私もそれと似たような感じなのよ。だから、こうしてこの仕事をし続けているの」
それを聞き終えても僕には何の事か分からなかった。
それで「なんだか、人生哲学のようですね」とそう言ったのだ。僕のその言葉を聞くと彼女は可笑しそうに「人生哲学?」と言って笑った。その時「あなた、私の知り合いに似ているわ」とも。何が可笑しいのかは分からなかったけど、僕も一緒に笑ってみた。
そしてそれからしばらく色々な話をして、僕はようやく「何か怖い話はありませんか?」と本命の質問をすることに成功したのだ。ところがそれに、
「――人を、殺した事があるかもしれないの」
と、彼女はそんな予想外の返答をして来たのだった。
「“あるかもしれない”とは、どういう意味ですか?」
と僕が尋ねると、「そのままの意味よ」と彼女は答える。
僕が悩んでいると、その表情を見たからか、彼女は続けてこんな事を言って来た。
「最高の愛情表現か、それとも最悪の嫌がらせか。もしも、前者だったなら、私が殺したみたいなもんって話よ。
ま、どちらにせよ、この上なく迷惑だけどね」
やっぱり僕には何の話か分からなかった。それから彼女は「ごめんなさいね。あなたが“彼”に似ていたものだから、つい変な話をしちゃった」と謝って来る。
「……でももしあなたが“彼”だったなら、今の私の話を聞いて、果たして何て言うのかしらね」
そして、三呼吸ほど後、思い詰めたような表情でそんな事も。それはまるで懇願されているようにも思えた。
「……なんて事があったんだよ、鈴谷さん。どう思う?」
大学の民俗文化研究会のサークル室で、僕は鈴谷さんにその話をしてみた。怪談や都市伝説の類ではなかったけれど、充分に変な話だから、まぁ、いいや、と思って。
しばらく黙ると、彼女はこんな事を尋ねて来た。
「ねぇ、佐野君。遺言で献体してくれって残して自殺していった人がいないかどうか調べられる?」
その時僕はノートパソコンを持っていて、ネットで検索して調べるくらいなら簡単だった。
「できると思うけど?」
「じゃ、調べてみて」
そう彼女が言うので調べ始めて、20分くらいでそんな記事があるのを見つけた。
「あるね。献体目的での自殺か?ってタイトルの記事が」
「何年前の記事?」
「5年くらい前」
「そう。その医療大学の女性が献体された遺体の管理の仕事をし始めたのは確か8年前だったわよね? 合っているわ」
僕はその彼女の言葉に驚いた。
「ちょっと待って、それってもしかして、あの女の人は、自殺に見せかけてこの新聞の記事の人を殺したって事?」
即座に彼女は横に首を振る。
「違うわよ。それならわざわざあなたに言うはずがない。自首するつもりなら、警察に言うだろうしね」
「じゃ、どういう事?」
それを聞くと、彼女は軽くため息をついた後でこう説明をし始めた。
「佐野君は、その女の人がまるで禅問答をしているみたいだったって言っていたけど、多分、それは違うわ。彼女はほぼそのままの話をしていたのよ」
僕には鈴谷さんの言葉の意味が分からなかった。
「いやでも業とかなんとか、よく分からなくて……」
「よく考えてみて。その人は“自分ではどうにもならない業”って言っていたのでしょう? そしてそれを真正面から受け止める為に遺体の管理をやっているって。
その言葉を素直に解釈するのなら、屍体愛…… 屍体に対して嗜好を示すネクロフィリアが思い浮かぶわ」
そこまで説明してもらって、ようやく僕は鈴谷さんの言わんとしている事の意味が分かった。
「なるほど……。って、ちょっと待ってよ。なら、この献体をする為に自殺した人の本当の目的って……」
鈴谷さんはそれに頷く。
「佐野君の予想通りでしょうね。
多分、その女の人はその記事の男性を振ったのよ。ところが、どうしても彼女を諦めきれなかったその男性は、彼女がネクロフィリアである事を知っていたが為に、彼女に愛されようと自殺をしてしまった…… 彼女の勤める医療大学に献体してくれと遺言を残して」
僕はそれを聞いて初めて彼女のあの態度の理由が分かった気がした。きっとやり切れない気持ちでいるのだろう。
“最高の愛情表現か、それとも最悪の嫌がらせか”
そんな事も言いたくなる。
「その女の人の口振りからして、佐野君に救いを求めているのだと思うわよ……」
そう続けて来た鈴谷さんに僕は「分かっているよ」とそう返した。
“少しもまったくこれぽっちも、あなたは悪くないと思います”
仰々しい文章じゃ、却って安っぽくなってしまいそうだと思った僕は、考えた末にわざと稚拙にそんなメールを書いて彼女に送った。僕の意図を察してくれたのかどうかは分からないけど、それに彼女は“ありがとう”と、ただそれだけを返して来た。