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6.魔王様の本音と勇者様の苦悩

 かくして勇者は魔王を倒し、人の国は平和になりました。


 そんな単純なことなら、どれだけいいか……

 魔王にとどめの一撃を与え、闇深い谷底に落とした後は『めでたしめでたし』では終わらなかった。

 突如、魔の国の城の頭上から尋常ではない声が響いたからだ。

 それは咆哮だった。


「きゃあっ!」

「うわっ! 何事だ!」


 俺とリリア達はあまりの音の響きに脳が揺さぶられ、ひどい目眩を感じてその場に膝をついた。

 絶叫のような音の圧力は城の上で轟き渡り、俺達は耳を塞ぐ以外の行動が出来なかった。

 脳に直接襲い来る怒りの気配が、俺達に死を意識させたその時、寒気がするほどの怒気を孕んだ男の声が響いた。


「――魔王様、我が君……」


 途端、城の天井が横薙ぎに吹き飛んだ。その衝撃音は凄まじく、瓦礫が砕け散りながら俺達に降り注ぐ。

 とっさに防護魔法で払い落としたが、あまりの量に全員座り込んだまま動けない。見上げると城の上部がポッカリと消失し、どんよりとした魔の国の空が露わになっている。そこから黒い霧が吹き込み、一気に暗くなった視界にすかさずリリアは照明魔法を発動した。

 光に浮かび上がる巨獣の影を目の当たりにして、彼女はひっと息を飲んだ。戦慄し怯えきった声音を絞り出す。


「まさか……うそよ……

 ……ダーク、ドラゴン……」


 その言葉を聞いて、俺は絶望しながらゆっくり首を横に振った。もしこの黒い巨体がリリアの言うとおりの存在であれば、もう俺達になんか勝ち目はない。史上最強ともいわれる途方もない力を持ち、世界の終末にはこの世を漆黒に塗り替えるとすら言われている。伝説の邪悪な巨大竜……

 俺達を見下ろしていた巨大な影は、俺達の目の前で突然黒く霧散して消えた。

 霧は城へと流れ込み、一つに集約して俺の背後……魔王が落下したテラスの前で人の形となった。俺は震える膝を奮い立たせ、即座に剣を構えて間合いを取った。

 黒い霧の表面がさあっと消え、その中から現われたのは精悍な顔立ちをした、黒髪黒目をした長身の男だった。黒い縁の眼鏡をかけ、魔王が纏っていた黒服と似たような作りをしたものを着ている。

 男は何も言葉を発さず、俺達に一瞥もくれることはなかった。テラスの手すりを長い指先がそっとなぞり、そこに付着していた魔王の血をすくい取る。まだ乾いてすらいないそれは男の指先を赤く濡らし、男は指先を見たまま固まって動かない。


「お、おい……

 お前は何者だ」


 我ながら情けない声が出た。しかし男は呼びかけに答えることはなく、俺に背を向けて俯いたまま動かない。長いこと沈黙していた俺達の間に割って入ったのは、先ほどまで魔王が操っていた黒い細身の剣だった。

 剣はいまだ黒いままで、黒い霧の獣のうち一体が咥えたまま男の許に運んでいった。

 男は突如振り返り、剣を見て顔を強張らせている。


「っ……これは……」


 彼の手がそれを受け取った途端、黒い獣は空気に紛れて散った。剣は先端から黒い色が次第に薄れ、代わりに剣を持つ手が黒く染まっていった。男ははっと息を飲み、全ての黒い魔力が男の手に吸収されると、剣は元の白銀色を取り戻していた。

 男の手に吸い込まれた形になった魔王の魔力も、次第にすうっと薄くなり、男の手は元の色に戻った。


「……仰せのままに、我が君……」


 男は沈痛の面持ちで目を閉じたまま深く息を吐き出し、先ほどまで黒かったはずの自らの右手を唇に押し当てた。それからすぐに目を開き、俺を射殺さんばかりに睨みつける。すぐに臨戦態勢を取ったが、男は白銀の剣を前に差し出し、床に突き刺した。


「貴様が勇者だな? 俺は魔の国の宰相デューク。

 たった今、俺は我が王からの最後の命令を賜った」

「……それは、俺達を滅せよ、ということか……?」

「……痴れ者が……まあ、もし仮に貴様らを殺せば我が王の命が戻るのであれば、俺は人の国を根絶やしにしてでもそうするがな。……そうでなければ、俺はこの命令に従うだけだ」

「じゃあ、何だってんだ?」


 デュークは大きく溜息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。


「我が国は貴様ら人の国との和平を結び、今後争うことを望まず。

 我が国は当代魔王の命をもって我が国民の命の保証を求める。交換条件として人の国に蔓延る魔獣の殲滅にも尽力を厭わぬものとする。

 それ以外の条件は話し合いを重ね、正式な協定の締結を希望する」

「……」


 俺は何も言えず、ただ脱力したまま再び床に片膝をついた。

 勝利に酔いしれられるような気分には全くならない。それどころか……これでは俺はただいたずらに他国を土足で荒らして回り、和解を求める王の首を狩っただけの蛮族じゃないか……

 何か他に方法は無かったのか? それを考えずして魔王と戦った……俺は『正しいことをした』と胸を張って言えるのか……?

 どうすればよかったんだ、どこから何を間違えたんだ……俺は、俺は――


「マリウス!!! しっかり! しっかりしなさいよ!」 


 気がつくと、リリアに両肩を強く掴まれ力任せに揺さぶられていた。

 目の前のリリアはとてつもなく怒っていた。さっきまで怯えていたデュークを容赦なく睨み上げ、あまつ指まで指している。


「ちょっとあんたっ! 私達が聞かされてきた『民話』では、魔王は強靭な魔力と、瘴気による再生能力を持つと書かれていた!

 そんな魔王がたかだかそこから落下して死ぬなんて、ちょっと決めつけるのは早いんじゃない? そこのところはどうなのよ?」


 そこでようやく、俺とデュークははっとした。思わずお互い目を合わせる。

 まだ分からない――何もかも。

 リリアはまったく……乱暴な溜息を吐き出し、フン!と鼻を鳴らした。


「男って、すーぐグダグダするんだから!

 ホラ皆もさっさと準備しなさいよ! 魔王が落っこちた場所に行くわよ!」



   ◇◇◇◇◇



 城のテラス真下にあたる、瘴気の濃い谷底。

 岩と土が落下の衝撃で大きくえぐれ、中央には黒く乾いた血痕が広がっている。

 ここには確かに魔王が『いた』のだ。ただ現在はそれ以外の何物も残されていない。

 朽ち果てているのなら、遺骸が一部でもあるはずだ。だがここにはそれすら無い。

 目深にフードを被っていたデュークは呆然としたまま、抉れた地面を凝視している。


「……これは……この魔力の名残は間違いない。

 魔王様はまだ生きておられる。先ほどまでここにいらしたのだ!」

「い……生きて、る……?」


 歓喜の声を上げる宰相を横目に、俺達人の国の者達は一様に表情を強張らせた。全身全霊の死闘を繰り広げ、辛くも致命傷を負わせ、数百メートルもの距離を転落してもなお、生きているだと?

 魔王という存在がいかに驚異的な存在なのか……

 そしてここに魔王が居ない理由が分からないことに、どうしようもない底知れなさを感じる。

 彼女は何故消えたんだ? まさか、俺達の国を滅ぼしに……

 慄いて沈黙する俺達を横目に、デュークは抉れた地面にふわりと降りたち、乾いて黒くなった血痕へと近寄った。

 その端にそっと手を触れ、口元で何かを唱える。


「……おい、デューク、何をしている?」

「ああこれは、魔王様の残された魔力の残滓から、我々の来る直前の思考を知ろうかと思ってな。それで行方がわかるかも知れない。

 ……よし、引き出せた! 皆に聞こえるよう音に出してやろう」


 リリアの光魔法で照らし出された落下地点の中心に、黒と赤の輝く魔力が集まる。


『……これで、っと……る』

「魔王様!」


 ノイズ混じりに聞こえる魔王の声に、デュークの声が歓喜に震えた。

 俺達は固唾をのみながら、よく聞き取れるのを待った。


『これで……これでやっと……ゆっっっっくり寝れるぞ! やったー自由だ自由だ私は自由だ!

 貫徹激務の挙げ句勇者とか、今回こそ本当に眠くて死ぬかと思ったけど、世代交代で役目を終えた以上私はこれから自由に生きるっ! 普通の人間に偽装して住居を得て美味しいもの食べてふっかふかの布団で心安らかに気持ちよく寝るっ! あとビーフシチュー食べたい』


「…………」

「…………」

「…………えぇー……?」


 俺もリリアも宰相も、もちろん他の奴らも全員目が点になった。困惑を禁じ得ない。

 だが次に俺の胸に去来したのは……


「ブッ……ふはっ、あはははっ! 何だこりゃ!」

「……あのねえマリウス、これかなり笑い事じゃないわよ?

 魔王が人の国に渡ったってことでしょ!? こんなの、国に帰ってどう報告すればいいのよおー!!」

「いやでも……なんか、あの見た目の年相応っぽくてなんかさ……ははははっ!」


 俺は爆笑が止まらず、リリアはすっかり呆れていた。他の仲間達も俺の爆笑に毒気を抜かれたのか、やれやれ疲れたといった表情だった。

 だがその横でがっくりうなだれ、落ち込む奴がいる。デュークだ。


「……わ、我が君……

 俺が仕事を詰めすぎたせいで……厳しくしすぎたせいで……家出だなんて……俺を捨てて……」


 デュークは厳格な容姿からは想像出来ないほど背を丸め、これ以上無いほどに落ち込んでいた。いじけてもいるようだ。その後ろ姿には悲壮なほどの哀愁が漂っていて、見ているこちらが可哀想になる。大柄な男に抱く感情では決して無いが……

 魔王、罪作りな奴……



   ◇◇◇◇◇



 魔王の溢れる本音をうっかり聞いてしまってから一週間後。俺達は城に戻ってきた。

 魔の国の民は皆一様に魔王が帰還するのではないかと淡く期待していたようだが、それは落胆に変わった。


 魔の国へ攻め入った仲間たちとは別れ、俺とリリアは再び旅に出ていた。今日までの経緯は(魔王の本音以外)仲間たちが我が国の王に伝えてくれることになっている。

 俺は魔王を仕留めそこなった『失敗した勇者』として、先代魔王たちと同じように不名誉な形で国に名を残すことになるだろう。

 まあそれはそれとして、今後の旅の目的は二つ。

 一つは人の国で増えてしまった魔獣の討伐。

 ダークドラゴンたる宰相が健在であることに加え、瘴気のエネルギー源である魔王が不在に陥った場合、新たなる魔王が選出されるというシステムを知った以上、魔の国の制圧は難しいという結論に至った。

 それにもうこれ以上、魔の国の民の暮らしを脅かしたいとは思えない。

 魔王が存命している以上、人の国が和平に応じるとは思えない。民意もあの『民話』を信じきってるせいで、頑なになってしまっている。

 そんな訳で今後も互いに国交は断絶したままなので、彼らの協力を得て魔獣を退治するのは難しいだろう。

 そんな結果を作ってしまったのは他でもない俺だ。そこはせめて俺が魔獣を討伐して償いたい。


 もう一つは先代魔王の捜索。

 勿論再戦したいとかじゃない。なんというか、俺のけじめというか……

 平穏に生きたいと望んでいるなら邪魔はしたくないが、せめて一目会ってどういう生活をしているかだけでも知りたいんだ。

 それに……まだ彼女の事を諦めてない奴もいるしな。


「これが人の国か……空が青いな」

「おいおい、あんまりオノボリしてると転ぶぞ? デューク」

「そうよ。絶対に正体がバレるような事はしないでよ? 絶対だからね?」

「分かってる……王に会うまでは絶対にボロは出さない」


 俺とリリアの他に、宰相デュークが付いてきた。腰には魔王が持っていた剣が携えてある。

 魔王に引き続き、宰相まで国を出たとあっては……魔の国は大丈夫なのか?


「問題ない。今の若い連中はどれもこれも優秀だ。俺の代わりなどいくらでも務まるだろう」


 と、デュークは部下たちの目の前であっさり豪語していた。……部下たちは全員青ざめながら、千切れそうな勢いで首を横に振ってたけど……

 国の内部に関わる話だからあまり詳しくは教えてくれなかったが、もうすでに新たな魔王候補は決まっていて、今は王としての教育期間なのだという。

 そんな混乱のさ中にも関わらず、デュークはしれっとして言った。


「別に俺は今すぐ宰相を辞めるとは言っていない。なので今後も仕事は継続して行う。人の国の魔獣討伐は、魔王様がかねてより懸念していた重要な仕事だからな。

 それに、先代魔王こそが俺の君主であることだけは俺の中でどうしても揺るがない。アンヘル様でなければ俺はダメなんだ」

「アンヘルさま?」

「先代魔王の、本当の名だ」


 人の国の街道を進み、俺達は魔獣出没の情報を探しに街へ来た。

 魔王アンヘルは今どこで何をしているんだろうか。彼女が望み通りふっかふかのベッドで毎日心よく眠ることができていればいいと俺は思う。

勇者視点は終わりです

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