5.魔王様と勇者様 2
俺とリリアは各国を周り、3年かけて共に戦ってくれる仲間を集めた。勇者候補生として国の施設に連れて行かれてからゆうに13年。俺達は18歳になっていた。
最初は若い勇者を軽んじる輩が大勢いたが、俺達が並大抵ではない戦闘力を持っていると分かるとそれも減っていった。こればかりは鬼教官達のしごきに感謝するしかない。
リリアの言っていた通り、俺の気が穏やか過ぎるのもあってパーティーメンバー達は俺を頼りすぎるきらいがあった。それを常に彼女が諌めてくれていた。語りきれないほど色々あったけど、次第に仲間との絆は固く結束していった。
俺達は各国に蔓延る魔獣共を蹴散らし、誰一人欠けることなく魔の国への潜入を開始した。
魔王がいる城までの道のりには、樹木はおろか草すら生えていない。その代わり霧のような瘴気が常に漂っていた。これだけを見ていても分かる。人の国と魔の国は相容れない存在だということが……
魔獣どもの猛攻を蹴散らし、高度な魔力を操る魔族との戦いに勝利した俺達は、とうとう城の謁見の間前に辿り着いた。
ドアは固く閉ざされ、今までの壮絶な戦いが嘘のようにここだけは静まり返っている。
最後の戦いになることは分かっていたので、しっかりと回復、準備を行い、出来うる限りの覚悟をして、重厚なドアを開け放った。
謁見の間は外とは隔絶されたかのように、緑と木々、光で満たされていた。俺達は一様に動揺し、高度な幻覚かと辺りを見回したが、踏む土の感触や草の匂い、適度に温かい陽光、触れた木の幹の感触は本物のように感じた。
扉からは一直線に白く艷やかな石畳が敷かれていて、その奥に数段の階段が見えた。その頂上には白くふっくらした椅子が置かれている。そこに腰掛けているのは、俺達よりも歳若い風貌の黒髪の少女だった。
少女は厳かな黒装束を身にまとい、ふんだんにクッションが付いた白い玉座?に埋もれながら、黒い細身の剣をそっと抱え、ガーネットのような真紅の目はどこか遠くを見つめたそがれていた。
白い肌には血の気こそあまりないものの、ゆるく結ばれた桃色のふっくらした唇は綻べば可愛いとすら感じてしまうだろう。
俺が家を出た時は子供は俺しか居なかったな。こんな子が妹で、俺のこと「お兄ちゃん♪」とか呼んでくれたら、何でもしちゃうかもしれないな……いやいやオイオイ……
あまりの非現実的な光景に、多少どころではないほど俺達は狼狽・混乱し、全員何もせずに固まっていた。
大人たちから乳児の頃から耳タコで聞かされ続けた『民話』に出てくる魔王は、角が生え牙が生え、足が獣で、獅子のような牛のような頭部を持った、あまりの恐ろしさに直視さえ出来ないような見た目だと伝えられていた。
それが現実はどうだ、見惚れるほどの美少女ではないか……
しかし俺達はまだ確信が持てなかった。もしかすると、玉座に座っているあの少女はただのダミーで、これから恐怖の魔王が現れるのだとしたら、呆けている場合じゃない。
それに目の前にいる少女は未だ遠くを見つめたまま動かない。俺達の存在など全く認識していないかのようだ。もしかすると雑魚だと思われ過ぎて、見る価値がないとでも思っているのだろうか?
あっけに取られていた気合を入れ、俺はぐっと口を引き結んで白いタイルの上を真っ直ぐ進んだ。
それに驚いたリリア達は我を取り戻し、隙無く俺の後に続く。
玉座がある階段の前に立つも、少女は未だ身じろぎ一つしない。
「貴殿が、魔王か」
「…………」
返事はない。動きもない。
やはり人形かなにかなのだろうか……?
すると、背後のドアが突如大きな音をたてて開き、魔族数体がなだれ込んできた。
「魔王様!」
「――来させない!」
リリアは詠唱を終えて準備していた防御魔法で、首尾よく背後の魔族と我々の間に厚いシールドを作る。それに魔族達の放つ強力な魔法がぶつかり合い、魔法障壁の向こう側では大爆発が起きていた。
俺はこの背を仲間たちに任せ、剣を構えて玉座の魔王を見上げ対峙した。すると魔法ぶつかり合う衝撃音に、少女の目がピクリと揺れた。
「……なんだ、騒がしいな……
……――! しまった!!」
少女はカッと目を見開き、弾かれるように玉座から立ち上がった。
「この騒ぎ、宰相が帰ったのだな!? わ、私は寝てない! 断じて寝てなどいないぞ!」
魔王と呼びかけられた少女は慌てたようにキョロキョロとあたりを見回し、ひどく狼狽していた。
……寝てたなコイツ……
あわてふためき辺りを見て、誰かを探していたようだが、玉座の前にいる俺の存在にはたと目を向け、途端きわめて冷静な顔に戻った。
「人の国の、勇者か」
「そうだ。貴殿が魔王とお見受けするが、間違いないか」
「……いかにも、私が魔王である。
もう勇者が来る時期だったか。早いものだ」
勇者襲来を祭りか何かのような口ぶりでぽつりと呟き、魔王は玉座の階段からスタスタ降りてきた。
俺は間合いを取るために後退し、少女の出方を注意深く伺った。彼女はそれすら意に介さず、剣を抜く気もないような足取りで階段を降りきり、立ち止まった。
「今回の勇者は強そうだが、またずい分と若いな。前回の勇者はもっと歳をとっていた気がするが」
前回の勇者は確かに魔の国入りが遅れていたと聞く。仲間を見つけて魔獣狩りをし、魔の国に入る体勢を整えるのはそう容易なことではない。俺がこの若さでここまで来れたのは、ひとえにリリアのサポートと、仲間たちの尽力があってこそだ。
「お前達は何故、魔獣を使って人の国の民を襲わせるんだ?」
「……それは、以前来た全ての勇者に話している筈だが」
「何? 聞いたことがないぞ」
「そうか。どうやらうまく伝わっていないようだ。ならば何度でも話そう。
まず魔獣の事だが、人の国にいるような野生の獣と同程度の知能しか兼ね備えていない」
「何だって!?」
「奴らが常に群れで行動し、感情のある動物を襲うのは、恐怖と絶望によってもたらされる陰の気を欲するがための本能でしかない。現に我が国の民も無差別に襲撃に遭うのだ。
これはかなりの懸念事項のため、我々も国内の魔獣を定期的に討伐して頭数を制限している。しかし我々は許可なく人の国へと入ることが出来ないため、人の国に渡った魔獣を駆除することが出来ずに困っていたのだ。
前の勇者にも、その前の勇者にも伝えたが、この件について、人の国の代表と話し合う準備がこちらではいつでも整っている。我が兵を無償で貸与し駆除したいと申し上げたが、未だ人の国からの返事はない。
……奴ら魔獣は私が何かを命令して、聞く類の生物ではないのだ」
「そんな……しかし……」
「その様子では……まるで伝わっていないようだな」
あどけない顔立ちに、フッと大人びた苦笑が宿る。
民話では……いや、もう何が正しい情報なのかは分からないが、魔獣は魔王の命令で人々を襲うれっきとした侵略行為なのだと語られていた。
熊や狼といった人を襲う野生生物は、人の国でも定期的に駆除を行っている。
それと同じと思えば、確かに奴らの印象はしっくり来る。だが魔獣と正面から対峙したことのない国民には、それは理解しがたい事だろう。人の国の王からして正しい情報ばかりではない民話を頑なに信じ、後世に伝えてしまうことは、ただ現実から目を背けているだけとしか言いようがない。
そして彼女の言う通り、この100年の間は魔族自体が人の国には入ってきた記録はない。人を襲うのはもっぱら魔獣だけだ。
ここに辿り着く道中、確かに俺達は魔族に襲われはした。しかし、それは他ならぬ俺達が『国境を侵した侵略者』だからに他ならないのではないか――
「勇者よ、そんなに深く悩まずともよい。確かに我々も一枚岩ではないのだ。
人の国に対し、侵略を企てる魔族派閥も多い。それらを御しきれぬは、まさに王である私の器の責任だ。貴様らが私と戦う事を使命としてここまで来たことも、十分理解している」
魔王はとうとう剣を抜いた。白銀色の美しい刀身がキラキラと光を反射していたが、根元からどんどん漆黒へと塗り替えられていく。
少女の周囲には黒い陽炎が二つ立ち上り、四足の獣へと形を変えていった。
「私は貴様ら勇者に敬意を評し、ここに戦いを挑む。
もし貴様らが負ければただちに国へと帰り、今の伝言を伝えて欲しい。
そして私が負ければ……この魔の国は貴様らの地となり、思うがままにするがいい。ただし我が命をもって、魔の国国民の最低限の権利を保証せよ」
かくして、俺と少女の死闘が始まった。
◇◇◇◇◇
見てくれで判断していたつもりはないが、序盤の俺はこのあどけない魔王にコテンパンにやられていた。
それでもなお倒れなかったのは、味方の回復魔法があったからだ。
対する魔王の側には誰も居ない。強力な魔法の壁が謁見の間の入り口を覆い隠し、未だに破られていないからだった。
途中からはとにかく必死に戦った。陽炎の獣は俺の動きを翻弄し、魔王に攻撃を当てさせまいと阻害してくる。魔王は未だに一歩も動いていない。だが空中を回転しながら不規則に飛来してくる黒い剣が俺を容赦なく襲う。高速落下してくる剣は威力がひどく高く、受け止める俺の剣の方が壊れてしまいそうだ。
だが俺はあのカイルの戦いを見てきた。魔法の使い方は確かに特殊だが、似たような強化魔法を会得した。勇者としての旅の間、この魔法が何度俺を護ってくれたか知れない。
俺はまるで水の上を渡るような足取りで、踊るように陽炎の獣達の防御網を抜けた。その突然の動きに少女は目を瞠り、飛ばしていた剣を手中に戻して俺の強化された一撃を受け止めた。
「~~~~っく!」
白く美しい床がクレーター状にへこむ程の剣圧が魔王を襲っているが、魔王はどうにか踏ん張って立っていた。この一撃をまさか受け止めきるとは思っていなかった俺は再び間合いを取り、陽炎の獣を避けながら再び突撃し、攻撃を加えた。
二度、三度と速度強化と耐久強化の剣を浴びせていく内、それらをいなす魔王の肩にとうとう攻撃が通った!
「つっ……! っ!」
声も出さず、苦痛に顔を歪ませる魔王。俺達と同じ赤い血がパッとほとばしる。
そうして俺の次の攻撃は、魔王の腹部をまともに横に凪いだ。強すぎる圧力にその小さな体が吹き飛ばされ、玉座の更に向こう側に落ち転がっていく。
……俺は何をしてるんだろうか。こんな女の子を殺すために勇者になったのか……
だとすると勇者など、虚しいだけだな。
魔王は無事では済まないほどのダメージを受けながらも、ゆっくりと立ち上がり、再び剣を構える。広い森のような謁見の間は玉座の少し後ろにテラスがあった。もう逃げ場はない。
「俺は王国を守る! 魔王よ、滅ぶがいい!」
俺は腹を決め、魔王に上から剣を振り下ろした。肩から胸へと切れる感触が、リアルに手に残った。
魔王は再び吹き飛び、その軽そうな身体は宙を舞った。
「く……っ! みごとだ……っ」
少女の体はテラスの手すりに衝突し、勢い余ってその向こう側へとゆっくり落ちていった。ハッとして慌てて追いかけるも、テラスより覗き込んだ下の衝撃的な光景に、俺は思わず身震いして手をのばすことすら出来なかった。
魔王は城の最上階から、崖下に広がる谷の底へと吸い込まれていく。
それを見ていた背後の仲間たちは、一斉に歓喜の声を上げていた。
壊れた手すりに触れた俺の手のひらには、真っ赤な血がべっとりと付着していた。
人の国の俺達と、魔の国の彼女らには、一体どこにどのような違いがあるというのか。
戦いの最中ずっと考えた。
でもとうとう、答えは出なかった。