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1.魔王様のおやすみからおはようまで

 勇者が振りかぶった剣の切っ先が、私の体をすらっと凪いだ。


「俺は王国を守る! 魔王よ、滅ぶがいい!」

「く……っ! みごとだ……っ」


 両者ありきたりな台詞だなあと思いながらも、実際私にはもう魔法はおろか苦笑する力すら残っていない。流れに任せ、背中から静かに倒れて我が城のバルコニーから落下した。

 きっとこれで『魔王』としての、私の役目は終わりだ。



 全然言うことを聞かない乱暴で我儘な魔物達をいちいち統括するのも、奸計にかまけ魔獣の暴走一つ治めない魔族に振り回されるのも、怨嗟に満ちた人間が殺しに来るのをいちいち相手にするのも、なんだか全てが疲れてしまった。

 どのみちこの国を統べる『魔王』たる私が全力を出しても勝てない人間が現れた時点で、魔の国は遅かれ早かれ衰退する運命にあるのだろう。はるか昔、古代より魔族は栄えていたが、これからはきっと人間の時代なのだ。

 切り立つ崖の上の城からなすすべもなく落ち続けながら、私はそれがとても自然な事のように感じていた。

 あとは崖下にある深い谷に飲み込まれて、動けないまま朽ちていくだけ。

 もう果たすべき責任もないし、あとは横になっていればすべて終わるなんて、本当に最高。

 フカフカのベッドじゃないのは不本意だけど、終わったことだしどうだっていい。



   ◇◇◇◇◇



 私は光の届かない谷底に落ち、かなりの時間が経過したと思う。

 魔王を名乗る資格がある身体なだけあってやたら頑丈のようで、落ちた衝撃でバラバラの肉塊になったというのに、魔力も勇者との戦いで底をついたというのに、絶命する気配が一ミリも感じられない。

 それどころかミンチ状になった私の肉は短期間で四肢を形成し、皮膚と髪と爪まですっかり再生していた。なんだこのバカみたいな生命力……自分の体ながら本当に気持ち悪い。

 あんなに労を割いて命がけで魔王に相対した勇者にも悪いし、何より私は死ぬまで寝てたい。目がグズグズに溶けて偏頭痛を起こしても構わない、とにかく今は疲れていてぐっすり寝てたいのだ!

 日々魔王としての責務に追われてとうとう50徹したり、部下に人間を襲うなとクギを刺しに国内あちこちかけずり回ったり……

 ミンチになっても死なない身体はあれど、疲れないわけじゃない。目も霞むし胃だってストレスでキリキリ痛むのだ。


 私は二度寝を決め込むことにした。こんな深い、光すら満足に届かないような谷底に、好きこのんで赴くような輩はそうそういないだろう。

 勇者一行が私の生死を確認しに来るにしたって、その時はその時だ。最後の優しさでさくっとトドメの一つでも刺してくれるだろう。まさに願ったり叶ったりだ。



 ――そして更に時は経ち。

 本当に誰も来ないしトドメも刺してくれなかったから、私の身体はすっかり元に戻ってしまった。

 赤い双眸には以前と同じ量の魔力が戻り、イマイチ魔王として泊のない低身長で華奢な雌の体躯も傷一つ無く修復され、真っ黒な猫毛の髪も肩の長さまで伸びた。加えて今まで休めなかった分の過労も抜けてすこぶる調子がいい。

 こんなに清々しい朝は久しぶりだ。辺り一面真っ暗闇で何時かは知らんが……


 魔力が満ち、魔王としての才覚がすべて戻ったことで、私は谷を下りこちらに迫る一個団体の存在を察知していた。気配は恐らく人間のものだろう。

 名残惜しくも寝ることを止めた私は少々考えたが、この場を離れることにした。

 迫りくる集団の中に勇者の気配があるためだ。完全復活状態の魔王を見つけ、また一からあんなひどい死闘を繰り広げさせられる勇者があまりにも不憫だし、正直魔王の座に一切未練のない私もダルい。


「よっこいせ……ふう」


 横になりっぱなしだった私はとうとう立ち上がり、裸足が岩と土を踏みしめた。

 何も食べていないせいか身体は肋が透けるほど痩せているが、歩くには問題ない感覚だった。

 へたに魔力を使うのは避けたいので、歩いて谷の抜け目まで行くことにしよう。

 集団の気配とは逆方向に足を向け、一糸まとわぬ姿で闇に包まれた谷を私は歩きだした。

 あったかいビーフシチューが食べたいな。そう思いながら……



   ◇◇◇◇◇



 深い渓谷を抜け、岩だらけの雨と霧の荒野を横切り、勇者達が来た国とは正反対の方向に向かってひたすら歩く。

 途中からは姿を消す魔法を使った。これで一定以上の魔術師以外は私を知覚しえないだろう。

 私が生きていることが知れれば今までの試みがすべて水の泡だ。

 魔の国の国境を超えると、私の目の前には鬱蒼としした森が広がっていた。


「これはこれは大層だな……潜伏におあつらえ向きな場所だ。

 ここなら何かしら食べ物がありそうだな。よしよし」


 ビーフシチューは無さそうだが、木の実ぐらいはあるだろう。

 そう思い私はさっそく草と湿った土に覆われた森に足を踏み入れた。

 少し歩くと予想通り背の低い木には赤い小粒の実が生っていて、一つ千切って口にした。とても酸っぱいが毒は無さそうだ。

 咲いている花を一つ摘んで匂いを嗅ぐとささやかだがいい匂いがする。

 更に奥に足を進めると陽光を反射して輝く美しい湖畔に出た。土埃にまみれた足をゆっくり水面に差し込み、体に冷たい水をかけて洗う。

 すべてが新鮮だ。魔の国での頭がおかしくなるような激務がまるで悪い夢であったかのようだ。



「まさか……まさかですが、魔王様でいらっしゃいます……?」


 水浴びをしていると背後からそんな声がかかる。

 振り返ると絶世の金髪美女が信じられないというような表情で湖の中に立ち尽くしていた。


「随分唐突に現れたが、貴様は私の事を知っているのか?」

「ヒエッ……しっ失礼いたしました……!

 わたくしはこの湖の精霊です。恐れながら、魔王様は人間に滅されたと聞きましたが……」

「それで間違いない。お前が見ているのはその滅ぼされた魔王の残りカスのようなものさ。

 お前の場を騒がせてすまないが、もう少しだけ水を使わせてくれ」

「そっ、そんな恐れ多いですわ! 湖水などでよければじゃんじゃん使ってくださいまし!! もうじゃんっじゃん!

 でっ……ですが魔王様、その、何もお召になっていないのは何故かお聞きしても……?」


 湖の精は顔を赤らめて私から目をそらしている。

 そういう湖の精も白い布こそ纏ってはいるが、濡れ透け状態なのだが……


「服などは勇者に破れた時に失ったのだ。

 今は問題ないと思っていたが、人の里に出るにはかなり支障があるな……」

「ひっ、人里に!? 魔王様御自らがですか!?!?」

「ああ、それにもう魔王ではない」

「とうとう人間を根絶やしに……」

「しないしない」

「え……では、勇者に復讐を?」

「……だからな……私は死んだと思われているうちに国を抜けて魔王を辞めたのだ。

 今更勇者を害する必要がどこにある」

「えー……? ちょっとよく分からないです……」


 理解しがたいとでも言いたそうな表情で、水の精は言葉もなくどん引いている。

 

「というわけで、湖の精霊よ。

 私のことはアンヘルと呼んでくれ。魔王と呼ばれるより以前の名だ。これからは人のようにして生きたいのだ」

「ええ……? ですが……」

「あと、服を調達できる当てを知らないだろうか」

「……ほ、他の精霊にあたってみます……」

「すまんが、よろしく頼む。

 それらの礼と言っては何だが、この湖全域の毒気と邪気は吸収して貰い受けよう」

「えっ……それは助かりますわ! 魔王様大好きっ! すぐに行ってまいりますっ!」


 美女の精霊はぱあっと表情を輝かせ、意気揚々と水の中に消えた。

 私はその現金さに苦笑しつつも、湖を出ると同時に邪気と毒気を引きずり出して瞬時に体内に蓄えた。これも私の身体には十分滋養になる。

 濡れた髪を絞っていると、森の藪ががさがさと音を立てて揺れた。


 藪をかき分け、矢をつがえたボウガンを構えつつ進み出たのは、恐らく人間の青年だ。鳶色の髪に薄い緑の目をした、高身長の男。


「……動かないでください。

 この湖は聖域で、一切の立ち入りを禁じられている。君は何者だ」


 これは驚いた。ボウガンを向けている眼の前の青年の気配が私には今まで一切察知出来なかった。

 私は何も――服すら持たない状態なのだが、すぐさま両手を上げて無抵抗の意思を伝えた。


「私は一切抵抗をしないし、今は何も持たない。すぐにこの場を去るようにする」

「……湖に、何かしましたね」

「体を清めるために水を使い、その後湖の力を奪っていた邪気と毒を抜いた」

「……何を言って……」

「貴殿は武装神官と推測するが、相違ないだろうか?

 もしそうであれば湖を確認してほしい。私の言わんとする事がわかると思うが」

「…………」


 息を飲んでボウガンを覗き込むように構え直しながら、じりじりと私に近づく青年には一切隙がない。まさに勇者並みの逸材だ。

 ……人間の界隈には今やこんな存在がゴロゴロといるのだろうか。もう魔族が勝てる気がしない。


「……ほ、本当に、武器も服も何も無いんですか?」


 藪を抜け私の足元まで見えたのだろう。一糸纏わず荷物と呼べる荷物一つ持たない私の状態に驚愕する青年。

 今更どう言い繕っても無いものは無いので、仕方なく頷く。


「無い」

「無い……って、ええ……」

「頼むから早く湖を調べて欲しい。この出で立ちは少々心許ないんだ」

「えっ、あっ……あっ!」


 青年は慌ててボウガンを片手に担ぎ直し、おもむろに纏っていたローブの留め金を外して脱いだ。

 矢先をこちらに向けつつもそろそろと近づき、ローブを私に差し出した。

 これを羽織れということだろうか。


「あ、汗臭いかもしれませんが……これ、着てください……」

「……いいのか?」

「目の毒すぎるので、本当にどうか一刻も早くお願いします……」


 今更ながら茹だるような赤面でローブをずいずいと寄越す。矢を向けている以上私の裸体から目を離すわけにいかないのだろう。……とはいえ、先ほどの湖の精霊のように豊満な肢体ではなく、痩せこけた見すぼらしい状態で何だか申し訳ないが。

 私は上げていた片手を慎重に降ろし、受け取ったローブで体を包んだ。

 ようやく私は人界初の服(?)を手に入れた。あまりにも嬉しくて、私はボウガンを構える青年にニッコリと微笑んだ。


「ありがとう! 本当に助かった」

「…………」


 耳まで真っ赤にしながら、隙無く武器を向けている青年は盛大な溜息を吐いた。

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