八十七話
天使共の首が腕が、血風ともに吹き飛んでゆく。
アカツキは無我夢中で斧を、剣を振り上げ、振り下ろし、旋回させた。
羽毛の浮かんだ血溜まりを踏み越え、一同はアカツキを先頭にして外に向かって出て行こうとするが、天使共は続々現れ、必死になってこちらを殺そうとしてきた。
「道に背きし子らよ。もはや、暁のみならず、他の反逆者共も始末してしまえ!」
天使はその端正な顔を怒りと憎悪に歪めて地を蹴り、同胞の流した真っ赤な血の痕を踏み越え襲い掛かって来る。
先手必勝が信条のアカツキは咆哮を上げて斬りかかった。
「アカツキ将軍」
そんな彼を止めたのはバルバトスの柔らかな声だった。
「太守殿、何でしょうか?」
「お前一人で戦っているわけじゃ無いのだ。もはや我らは一蓮托生の定め、そろそろ席を譲ってくれまいか?」
そこでアカツキは己が肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返しているのを知った。極度の疲労が体を蝕んでいる。
「お願いします」
アカツキは素直にそう言った。
「お任せください!」
ラルフが出る。バルバトスも隣に並んだ。
ラルフの母、カタリナ分隊長譲りの鋸剣セーガが、バルバトスの持つ名剣ネセルティーが天使共を迎え打つ。
空に浮く敵は金時草の弓矢が容赦なく射落とした。
そうして一行は少しずつ回廊を外へと進んで行った。
外に出るとそこには整列した天使達が待ち構えていた。
「出てきたぞ! 反逆者どもを殺せ!」
天使の軍勢が迫る。
「ガルム殿、地上に戻る魔術は使えないのですか?」
グレイが尋ね、アカツキは今更ながら赤装束の存在に気付いたのだった。
「門を出なければ使えませんね」
ガルムは笑顔の道化の仮面の下で忍び笑いを漏らして言った。
ガルムは今まで積極的に前に出ようとはしなかった。その秘めたる力は計り知れないものだろうが、使わないのなら意味が無い。アカツキは言った。
「ガルム、シルヴァンス大使とヴィルヘルムを頼む」
「良いですよ。でも、お二人が承知すればの話ですがね」
その言葉通り、レイチェルと、ヴィルヘルムは表情を険しくして訴えた。
「俺だって戦える。剣だってアカツキ流だ。ならば俺だって地獄の悪鬼になれる可能性はある!」
「私も戦うわよ。私はただの外交大使。命に大も小も無いけど、アカツキ将軍の使命に比べれば軽いものよ」
ヴィルヘルムは片手剣を、レイチェルは山刀を左右それぞれに提げた。
「極力、要人お二人の援護はしますよ」
ガルムが言い、アカツキは渋々頷いて敵を振り返った。
津波のように押し寄せる敵を見てアカツキは横並びになる仲間達を見る。バルバトスを見ると相手は目配せした。
この場の総大将を委ねるという意味だとアカツキは察した。ならばと咆哮を上げた。
「行くぞ、皆! この窮地を突破し、まずは地上へ帰ろう!」
「おおっ!」
仲間達が応じた。
アカツキは駆けた。
敵勢と肉薄する。天使達は見渡す限り端正な顔を崩し怒りの形相をしていた。
アカツキはぶつかり、斧を、剣を薙いだ。血煙を浴び、肉壁を次々切り崩して行く。
左右はラルフ、グレイだった。
彼らも負けじと得物を振るい天使を斬り裂いている。
どこからペケさんの恐ろしい唸り声が轟き、悲鳴も聞こえた。
乱戦になりそうだった。いや、もうなりかけている。
ただでさえ人数が少ないのだ。全員揃った方が良い。
「皆、左右の仲間達に気を配りながら進め!」
天使達の鬨の声、悲鳴、怒り、怨嗟が飛ぶ中、自分の声が皆に届いたかは分からない。
すると隣のラルフとグレイがそれぞれ伝言を飛ばし合った。
俺も皆に合わせなくては。
アカツキも速度を落とし、ラルフ、グレイ、連なる他の仲間達と一緒に進んだ。
天使が戦士として軟弱なのが救いだった。戦場を駆け巡り屍の山を築いて来たこちらの修羅の剣には勝てなかった。
天使は次々と屠られた。
その時だった。
突如大地が揺れ、背後から物凄い衝突する音が轟いた。次いで聴こえるのは分厚く空気を孕む羽音。
「ドラゴンだ! あのドラゴンが出てきたんだ!」
ラルフが背後を振り返って叫んだ。
赤く大きなドラゴンが空を自由に旋回するとこちらへ滑空してきた。
「皆、離れろ!」
アカツキは声を上げた。
そして前線を僅かに後退したところにドラゴンが降り立った。
地面が激しく揺れ、ペケさん以外、誰もが立っていられない状態だった。慌てて地に得物を突き立て体勢を整える。
レッドドラゴンは大きく息を吸い込むと炎を吐き出した。紅蓮の業火が天使達を一挙に焼き尽くした。
「アカツキ将軍、今が好機です! このまま混乱に紛れて門へ出ましょう!」
グレイが進言した。
「その通りよ、アカツキ将軍。無駄な命を取る必要は無いわ」
グレイの母レイチェルが言った。
「確かに」
ドラゴンまで相手どろうとしか考えていなかったアカツキは母と子の意見に頷いた。
「皆、行くぞ、遅れるなよ!」
レッドドラゴンが天使の隊列を壊乱させ、混乱させる中、その外側をアカツキ達は駆けて門の外に出た。
悠長なことはしていられなかったが、アカツキはそれでも全員の顔を確認した。リムリアがニッコリ微笑んだのを見てアカツキは安堵した。
「ガルム、門の外へ出たぞ」
アカツキが言うと、赤装束は含み笑いを漏らした。
「良いでしょう。それではいきますよ」
頭がグラグラするような感じと少々気持ちの悪さとまどろみを覚えた。
そして次の瞬間には草藪、森、整備された街道が目に入った。
「全員いるか?」
アカツキが問うと、仲間達が応じた。
馬が嘶く声が聴こえた。
見れば馬車がそこにあった。馬達もいる。ラルフが走り、戟を拾ってきた。
「どうぞ」
「ああ」
アカツキは受け取った。
「おい、ガルムがいないぞ?」
金時草が言った。
「ここに書置きがあります」
御者台に乗ったグレイが戻って来て羊皮紙の切れ端をアカツキに差し出した。
それには「いつもの場所で待ってます。あなた方の旅路と使命に幸運あれ」と記されていた。
「ガルムは帰ったようだ」
「魔法ででしょうか? それでしたら我々も便乗させて下さっても良かったのではありませんか?」
「そうだな」
アカツキはラルフの不満気な声に柔らかく賛同した。
今回ガルムが駆け付けたこと自体がイレギュラーなのだ。あいつはどこでどうやって俺達の窮地を察知したのだろうか。
山内海とグレイが馬を集めている。バルバトスが近付いて来た。
「アカツキ将軍、これからは私に構わず、お前が皆の指揮を取れ。もはや光と闇を和するのは我々の使命だ。その使命を最初に背負ったお前こそ、リーダーに相応しい」
「太守殿」
アカツキが驚いているとバルバトスはアカツキの両肩に手を置き微笑んだ。
「共に天へ逆らおう」
「ありがとうございます」
アカツキは嬉しさと感動を覚え頷いたのだった。




