八十一話
「法王様の死に天も悲しんでいるのかもしれないですねぇ」
出立の前の食卓に着くと、料理を運んできた宿の店主がそう言った。
法王が死んだことは既に全国に広まっているだろう。
「羨ましいね。畏敬のある人物だと信じられて死ねたんだから」
金時草が言った。
ここはコロイオスだった。
空は相変わらずだったが、慈愛の神メイフィーナを殺したというのに天からの襲撃は無かった。神々にとって、ただ太陽を月を星々を隠しているだけで報復のつもりなのだろうか。
静かな朝の食卓は続いた。リムリアは食事を終えペケさんを撫でていた。
「もう一度、皆に問うぞ。本当に俺のやろうとしていることに賛同してくれるのだな? 外れるならまだ間に合う」
「ヴィルヘルム殿も、アムル・ソンリッサ殿も良い人です。そんな人達と刃を交えたくはありません」
ラルフが言った。
他の者も頷く。
「アカツキ将軍、お前は言っていたな。俺達は盤上の駒では無いと」
バルバトスが言うとアカツキは応じた。
「その通りです。光と闇の戦いは、いわば神々の戯れのチェスの様なものです。しかも己は傷つかない場所にいて、我らを駒として操り、その結果、傷ついた者を死者を愛することもない。己の子と言いながらのこの仕打ちは黙って見過ごすことはできない」
「……戦神ラデンクスルトの名が泣く」
山内海が言った。
そして町を出る際にある噂を聴いた。
慈愛の神に仕える神官達が聖なる魔術を使えなくなったと。
アカツキが見たところ、一行はそれぞれ改めて確信した様だった。
「本当に――」
俺の使命と運命を共にするのか?
再びそう問おうとすると、リムリアが満面の笑みで頷いた。
「アカツキ将軍、もっともっとみんなを信じなよ。あたしはこの皆が特別な集まりだと思うの。運命に逆らうために選ばれた特別な人達。もしかしたら、神様の中にもアカツキ将軍を応援してくれている人がいるのかもしれないね」
「だと良いがな」
アカツキが言うとその両肩をそれぞれ叩かれた。
ヴィルヘルムとバルバトスが微笑んでいる。ラルフとグレイもだ。黒装束をはためかせ、山内海が指をチョキにしている。金時草はニヤリと口角を上げて笑い、ペケさんは短く鳴いた。
「行きましょう」
励ますようにレイチェルが言った。
二
コロイオスからアビオンへ向かう。頭上の様子は相変わらず禍々しい瘴気を纏っているかのようだった。
新たな馬車を調達し、御者をバルバトスが務め、ヴィルヘルムとレイチェルがその中に乗っている。
山内海とリムリアが先行し、ラルフとグレイは両翼を、アカツキとペケさんに乗った金時草は再びしんがりに就いていた。
旅は順調に思えた。コロイオスに入ればそこからは安全なものだろう。馴染み深い町や村が並ぶため、アカツキは心のどこかでそう思っていた。それが油断であることにすぐに気づかされた。
「空から何か来ます!」
グレイの声が響き、全員が足を止め頭上を見上げる。
無数の羽ばたく人影が前方に舞い降りて来る。
白い装束を身に纏ったそれはどれも顔が同じに見えた。女なのか男なのか分からない。金色の長い髪をしている。腰に剣を帯び、一行を睨むと腰のものを抜剣した。
「我々は天の使い。人の子、暁よ。神殺しの罪で連行する!」
白い衣の一人が言った。
「天の使い。つまりは天使か。リムリア、御者を頼む」
バルバトスがそう言い、名剣ネセルティーを引き抜いた。
「アカツキ将軍は渡せん」
老将が口を開くと、ペケさんが咆哮を上げ、山内海、ラルフ、グレイがそれぞれ身構える。
「愚かな、神の使いたる我らに剣を向けるとは! 構わん、反逆する者達は斬り捨てろ!」
天使達が羽ばたき、空へ浮くと距離を詰めてきた。
そんな中、山内海が目にも止まらぬ素早い動きと居合で一刀の下、飛び立つ寸前の天使の二人を腰から寸断した。
「あ、ああああっ……」
斬られた天使達の上半身がそう断末魔の声を残し自らの血の海に沈んでいった。
「……一番槍はいただいた」
山内海は血のりを振り払い、刀の血を振り払って再び居合の構えを取る。
「愚かな! 天使を手にかけるか!」
天使達が激高し頭上から剣を振り下ろしてくる。
アカツキは戟で応戦し、一人を貫き地面に突き立てた。
そこをもう一人の天使が襲い掛かって来たが、隣から大きな影が跳びかかった。
ペケさんだった。白虎は天使を口に咥えると顎に力を入れた。骨の折れる音が響き渡る。
それにしてもメイフィーナの時もそうだったが、空にいられると刃で貫くのは難しかった。長柄の得物を持つアカツキでもそうなのだから、他の者達の剣は明らかに届いていなかった。ただ一人、斧槍を持つグレイでさえ、武器は左右に振れていて空の者を相手にしきれてはいなかった。
「卑怯者、天の使いとしての誇りがあるなら下りて戦え!」
ラルフが大音声で言ったが、天使達はその言葉に乗ってこなかった。
その時だった。
風を切る音が幾つもし天使達の頭を矢が貫いた。
馬車の屋根にいる金時草の弓と、地上でクロスボウを構えたレイチェルだった。
「人間様の英知を舐めるなよ」
金時草はそう言って矢を次々連射した。一方のレイチェルはクロスボウのハンドルを巻き弦を引き上げているところだった。
天使達は次々数を減らした。
空に浮いていれば剣による力ある一撃は届かない。一方的に得物を叩き込めると思っていたのか、天使達は矢の襲来に今度は自分達が良い的になることに気付いて地に降り立った。
「反逆者どもを殺せ! だが、神殺しの暁だけは捕縛しろ!」
顔の似通った天使の一人が叫んだ。
天使の剣術は生温いものだった。血煙の嵐を潜り抜けてきた歴戦の人間達には遥かに及ばなかった。
バルバトスが気合の一撃を放ち、天使を脳天から真っ二つに斬り裂いた。
「天の使いとやらも呆気ないものだな」
ラルフとグレイも次々天使を押し、斬りつけ、斬り裂き、絶命させている。
レイチェルも馬車の横でクロスボウを構え乗っているヴィルヘルムを護っている。
「くっ、罪深き人間ども、覚えていろ。退くぞ!」
最初は三十あまりいた天使だったが残った三人が半死半生で懸命に翼をはためかせ紫色の雲へと向かおうとする。
「ところが、ぎっちょんってね!」
金時草が矢を連射し天使達を射落とした。
アカツキが戟をグレイが斧槍アークダインを、バルバトスが名剣ネセルティーを手に、地に落ちた傷だらけの天使達を見下ろした。
「ま、待て、人の子達よ!」
「そうだ、これ以上、罪を重ねるな!」
だが、三つの刃は振り下ろされた。
天使達の断末魔の声が響き渡り、やがて静かになった。
「ひとまず終わったな」
バルバトスが言った。
赤い血溜まりの中に抜け落ちた白い羽が浮いている。メイフィーナの時と同じく、天使達の亡骸は跡形もなく消滅していった。




