七十七話
オーク城では再び酒宴が催され、ヴィルヘルムの方は恐縮しきっていた。
そして出発する。目指すは王都だ。
ヴァンピーア、リゴ村、アビオン、コロイオスと停泊してから出立し、一行は戦の気配と無縁の町へと足を踏み入れ、再び旅立つ。金時草はペケさんと町の外だったが、町を出ると気配なく合流し、しんがりのアカツキを毎回驚かせた。
「俺もペケさんも裏の人間だからな。このくらいは朝飯前だよ」
金時草がペケさんの背で得意げに言った。
街道を歩んで行くと、やがて空が曇り始めた。
全員が空を見上げた。
これまで苦楽を共にして来た御者の男、彼は天候の変化に詳しいらしくバルバトスに向けて言った。
「将軍様、こりゃ、激しい雷雨になりますよ」
とは言っても戻るよりも進んだ方が近い距離だった。
「このまま行こう。雨に塗れるのは御免だが、これも役目だ仕方あるまい」
バルバトスの朗らかな美声が全員の心を捉えたようで場に漂う雰囲気が上向きになっているのをアカツキは察した。
そして御者の言う通り雷鳴が轟き始め、桶を引っ繰り返したような雨が一行に容赦なく降り注いだ。
雨音は馬蹄を消し、声も聴こえなくさせた。
なのでアカツキは前方で起きた不意打ちにまったく気付けなかった。
「敵だ!」
隣の金時草がアカツキの耳元でそう言いペケさんから下りて弓矢を構える。ペケさんが猛然と走る。
アカツキも急いで馬を下りて駆けた。馬上で戦うより地面の上での方が暴れやすかった。
見れば馬から下りたバルバトスと山内海が大勢の敵と打ち合っていた。
「将軍!」
グレイが声をかけて来た。
「グレイ、ラルフとお前は馬車の護衛だ。離れるなよ」
それを馬車の中で聴いたリムリアが反対側のラルフに伝えた様だ。
「太守殿!」
アカツキは左手に剣を右手に斧を握りバルバトスと山内海、駆けて行ったペケさんに合流した。
敵は黒装束を纏っていなかった。いや、一人だけ顔も隠れた白装束の者がいる。後方でこちらの様子を静観していた。
猛烈な雨がアカツキ達の気合の雄叫びを掻き消し、武器と鎧を染める血のりを洗い流していた。
「こいつら、盗賊か?」
雑多な武器を手にする敵勢を見てそう思った。
矢が飛び、アカツキに躍り掛かった一人の喉を射抜いた。
程なくして金時草も矢が尽き、小剣を手にして合流してきた。素早い身のこなしで容赦なく敵の手首を切り落とし、喉元を貫く。
山内海も刀を放ち次々敵を斬り、あるいは吹き飛ばしている。
ペケさんは大きな胴体で体当たりし、倒れた敵の喉元に食らい付いていた。
バルバトスの方はいつの間にか敵の首領と思われる白装束の者と剣を交えていた。
「その剣、まさか、貴公は!?」
雨の中バルバトスの驚愕する声が何とか聴こえた。
アカツキ達は次々野盗らしき者共を斬り捨てた。以前の暗殺者を相手にするよりは楽だった。
だが、バルバトスと敵の頭目は互角の争いを展開していた。
老いたりとはいえ、あのバルバトスと打ち合っている。こいつだけは別格の強さだった。
「アカツキ!」
金時草が飛び込み、呆然とバルバトスの行方を見守っていた自分に迫っていた凶刃を叩き潰した。
血と悲鳴が豪雨の中に消えてゆく。
「どうした、悪鬼!? らしくないぞ!」
金時草に言われアカツキはバルバトスの方を指差した。
「太守殿も剛剣の使い手でその手には名剣ネセルティーがあるが、いささか不安だ!」
アカツキが心境を吐露すると金時草が肩を叩いた。
「分かった、それで不安が消えるなら、お前がバルバトスと代わって来い!」
「行ってくる!」
両者は雨にも負けじと大声で応答し、アカツキは未だに大勢の野盗を仲間達に任せてバルバトスに合流した。
「太守殿!」
「アカツキ将軍か!」
「この者の相手は私がします。太守殿は他の者達の御助勢をお願いします」
「分かった。だが、この方を殺すなよ。彼の持つ剣は、教会が与えし神器、飛翼の爪だ!」
その言葉にアカツキは驚愕した。神器、飛翼の爪を持つ者と言えば、バルケルの大将代理のライラ将軍の夫、エルド・グラビスに違いなかった。
老いたりとはいえバルバトス・ノヴァーと長らく最前線の双璧を築いて来た勇者だ。油断はできない。
「エルド殿! エルド・グラビス殿!」
「私も試したが反応はせん! おそらく魔術か薬かで錯乱させられているのだろう! できるか、アカツキ将軍!?」
「お任せあれ! エルド殿を救い出して御覧に入れます!」
「頼むぞ!」
そう言うとバルバトスは咆哮を上げて山内海、金時草、ペケさんの救援に赴いた。
「エルド・グラビス殿! 何度かあなたとはお会いしたことがあります、将軍のアカツキです! 我らは今、闇の国の使者殿と、レイチェル・シルヴァンス大使を」
そこまで言いかけてアカツキは身を躱した。
大剣が容赦なく振るわれる。
頬が浅く裂けるのを感じた。
剣風でこれだけだ。やはり油断はできない。
武器を落とさせ、無力化し、後は気絶していただこう。
アカツキはそう決めると、防御に努めた。
エルド・グラビスの乱打が斧を剣をひしめかせ、アカツキの腕を痺れさせる。
まだだ、まだ待て。これだけ大振りの剣だ。必ず隙ができる。そうだろ、シリニーグ。
アカツキは双剣の師を思い出し、じっくり耐えた。
そして錯乱しているとはいえエルド・グラビスも人間。疲労が蓄積してきたのか、剣を振るう速度が緩慢になってきた。
そろそろだ。
そして雑に振り下ろされた一刀両断の一撃を避け、アカツキは地を蹴ってエルド・グラビスの懐に飛び込み、顎を斧の柄で打った。
エルド・グラビスがよろめく。そこをアカツキは素早く斧の平を叩き込みエルドの手から剣を落とすことに成功した。
するとエルドは両腕を広げ、狂ったかのように躍起になって掴みかかって来た。
アカツキは避けに避けた。そして脇を走り抜け、振り向きざまに頭の後ろに剣の柄で一撃を打ち込んだ。
エルド・グラビスは泥水の中に倒れた。
アカツキは荒い呼吸をしながら仲間の様子を見た。
金時草が頷いた。
どうにか片付いた。
馬車が合流してくる。
「将軍、その白装束の者の顔を見てやりましょう」
ラルフが言った。
全員が見守る中、現れたのはバルバトスに負けず劣らず老いて尚、精悍な顔つきをしたバルケルのエルド・グラビスに間違いなかった。
「エルド殿には申し訳ないが、念のため縛っておこう」
バルバトスがそう言った時だった。
エルド・グラビスが目を開いた。
全員が武器に手を掛ける中、大陸最強の神官戦士は不思議そうにこちらを見て、静かに腰に手を伸ばしたが、神器はグレイが回収していた。
「エルド・グラビス殿?」
バルバトスが声を掛ける。
「うむ? バルバトス殿か? ここはどこだ? 俺は法王様に呼ばれて――」
その言葉に全員が顔を見合わせた。一連の襲撃事件の首謀者は間違いなく法王だ。しかし、全員の表情が語っている。法王を罪に問い、その座から引き下ろすのはきっと難しいと。エルドの証言があっても、法王は言い逃れするだろう。それにあの温和なアラバイン王が法王を追求し責めるとも思えない。
「まぁまぁ、エルド殿、我らは今、王都へ向かっているところだ。貴公も良かったら御一緒せぬか?」
バルバトスが言うとエルドは頷いた。
「どうやら知らぬ間に貴公らに剣を向けてしまったようだな」
街道に伏せる屍達を見て察したらしくエルド・グラビスはそう言ったのだった。




