四十八話
兵に交じりアカツキ、ブロッソ、ヴィルヘルムは調練に明け暮れていた。
雪は相変わらずだ。
膝下まで埋まるそれらを掻き分け、三人の将軍は駆けた。その後ろを新兵達が追い掛けて来る。
ヴィルヘルムはまだ体力が無かったが、ただのお坊ちゃんでないところを兵士達に見せ付けようと、気力で喰らい付いて来る。
アカツキはそんな友の様子を見て心の中で密やかに応援していた。
そうして夜明け前、少し早いが、新兵達は兵舎の屋根の雪を降ろさなければならなかったのでアカツキは解散を告げた。
「ようやく終わったー」
雪の上にバタリと大の字に倒れ、ヴィルヘルムが言った。
「ヴィルヘルム卿、身体が凍えてしまうぞ」
ブロッソが言うと、魔族の若い貴公子は顔を起こし青い髪から雪を振り払い、再び首を雪の中に下ろして応じた。
「この後は風呂だからどうでも良い。それよりも俺は情けないがもう一歩も動けない。ああ、クソッ、ここまで軟弱なつもりはなかったんだがな」
「辛いか?」
アカツキは尋ねた。
「辛いさ。けど充実している。毎日に満足だ」
ヴィルヘルムは答えた。
アカツキは手を差し出して友に言った。
「お前はよくやっている」
するとヴィルヘルムは微笑んでアカツキの手を掴み起き上がった。
「ありがとう。足がガクガクだ」
「俺だって昔はそうだった。挑むのなら誰だって通る道だ。無事に通過できるようにな」
「ありがとう、親友」
ヴィルヘルムは琥珀色の目を優し気にして言った。直後、三歩踏み出し、雪の中に前のめりに倒れた。
「駄目だ。う、動けない。もう足が言うことを利かない」
アカツキは溜息を吐いて抱き起すと、頭陀袋をそうするように肩に担いだ。
日勤のシリニーグとの稽古があるので、夜明け前の城でヴィルヘルムをブロッソに託した。
「どれ、ヴィルヘルム卿、貴卿の背中は俺が流してやろう」
ブロッソは豪快な笑い声を上げて回廊を行った。
その背を見送り自分は屋内演習場へと向かう。
と、勇ましい女の声が轟き、先の暗殺者の件もあり、何事かとアカツキは足を急がせた。
暗黒卿、サルバトールに従者のテレジアがいる。暗黒卿に打ち掛かっているのはアムル・ソンリッサだった。
片手でも両手でも握れる柄を持つ剣を振り回し、暗黒卿の剣デモリッシュに次々剣を打ち込んでいる。
その度に勇ましい声が反響した。
ヴァンパイアの子爵サルバトールと従者のテレジアはその様子を見守っていた。
するとアカツキの存在に気付いたサルバトールが真っ赤な目で邪魔するなと訴え掛けてきた。ヴァンパイアの視線は直視し続けると麻痺の効果がある。そのためアカツキは頷き目を逸らして主君と最強の客将の剣を合わせる様を見守っていた。
程なくしてサルバトールが告げた。
「そこまでだ。そろそろ夜が明ける」
アムル・ソンリッサは荒い呼吸をしながら石畳に剣先を突き付け身体を預けていた。
「アムル。腕を上げたな。政務に追われている身にしてはなかなか信じられない打ち込みの速さと力だったぞ」
暗黒卿が言った。
「私は国の先頭に立たねばならないからな。いつもは将達に任せてはいるが、いつか先陣を切って皆を鼓舞する戦をするのが私の夢だ」
アムル・ソンリッサは答えた。
「まるで戦乙女のようだな」
暗黒卿はそう言うとバイザーの下りた兜の下でくぐもった笑い声を上げた。
「我が軍勢の斬り込み隊長と言えばもはやアカツキ将軍だろう。奴と先陣を競ってみるのも一興だ」
「アカツキか……。私とあいつと卿はどちらに賭ける?」
アムルが暗黒卿に尋ねると暗黒卿は言った。
「残念だが、まだアカツキ将軍だな」
「サルバトール卿は?」
アムル・ソンリッサが続けて問う。
「私もアカツキ将軍の方だな」
その答えを聴き悔し気に表情を変えるアムル・ソンリッサだったが、テレジアが言った。
「お二人ともあんな、しかも人間に期待するなんてどうかしています。私はアムル様に賭けます!」
「すまんな、テレジア」
アムル・ソンリッサは言った。
「さて、日が昇る前に我らはこれで失礼しよう」
サルバトールが言い、テレジアが一礼する。
そうして二人がこちらに歩いて来る。
「人間!?」
テレジアがアカツキの存在に気付き驚愕の声を上げる。
アムル・ソンリッサと暗黒卿がこちらを見る。
「アカツキ将軍だ、テレジア」
狂犬の様に騒ぎ出しそうな従者を見てサルバトールが諭すように言った。
テレジアはそっぽを向いて主と共に去って行った。
「見ていたのか?」
アムル・ソンリッサが尋ねる。
「まぁな」
アカツキは応じた。
「アカツキ将軍」
アムル・ソンリッサがこちらを見詰めて言った。そして剣先を向けた。
「私と一勝負してくれ」
「陛下と?」
「戦いの最中は私がお前の主であることを忘れてしまって構わない」
真剣な主君の表情が、友、ヴィルヘルムに重なった。
「お受けしよう」
アカツキは訓練用の片手斧と、剣を準備する。
「ちょうど、お前の噂をしていたところだ。私とお前、どちらが強いか。暗黒卿はお前に賭けた」
それが悔しいのだな。アカツキは内心溜息を吐いて、向き合った。だが、自ら戦う主君の態度は立派だと思った。前回のハッキネン、グレアーの連合軍を相手にした時も彼女の剣と鎧は血みどろだった。
「フフッ、両者覚悟は良いな?」
暗黒卿が言った。
アカツキは程よく距離を取ったところでアムル・ソンリッサと見合った。
「始め!」
暗黒卿の声が轟くや否や、アカツキは咆哮を上げて疾駆した。
そしてアムル・ソンリッサに躍り掛かり斧を振り下ろす。
アムルは避けた。相手はすぐさま素早い一撃を放ったが、アカツキはもう一方の剣で弾き返した。
相手の一撃には力強さと冴えがあった。これはヴィルヘルム以上の剣の腕の持ち主かもしれない。
アムル・ソンリッサは両手で剣を握り締めた。
剣が風を斬り唸りを上げてアカツキに襲い掛かってくるが、アカツキは斧で、剣で追いついて弾き返した。
と、耐えている間にアムル・ソンリッサの剣術の勢いが弱まった。
アカツキはここぞとばかりに斧を振り回した。一撃、二撃、三撃、耐え凌いだが、狙い通りアカツキの温存から解放された全力の一撃を受けて剣は地面に叩き落された。
アカツキは剣先をアムル・ソンリッサの喉元に突き付けた。
「参った」
アムル・ソンリッサが言った。
「勝負あり、アカツキ将軍の勝ちだ」
「強いな、アカツキ。野獣の様だ」
アムル・ソンリッサは軽く息を荒げながら言った。
「私の当面の目標はお前だな」
そう言葉を続けた。以前の自分なら素っ気なかっただろう。しかし、アムル・ソンリッサの戦う姿勢と剣を受けてみて正直感心していた。彼女が暗黒卿との過酷な打ち合いをせず疲労を身に帯びていなければ勝負は長引いたのは勿論のこと、勝敗は分からなかったかもしれない。
「勝負は時の運とも言います陛下」
アカツキが言うと相手は応じた。
「お前が帰る前に一本取って見せる。よし、それが私の目標だ」
太い眉を動かし、そして彼女は暗黒卿を振り返る。
「だから卿、今後は今まで以上に私の稽古に付き合ってもらうぞ。嫌とは言わせない」
「政務の方はどうするつもりだ?」
「半分はシリニーグに丸投げする」
暗黒卿の問いにアムル・ソンリッサはきっぱりと答えた。
「やれやれ」
暗黒卿はバイザーの下りた兜の下で呆れた様に言った。
「やれやれではない! 卿、必ず私をアカツキ将軍以上の剣士にするように!」
心なしか、アムル・ソンリッサの頬が赤い。
陛下は暗黒卿を好いている。
ん? もしや、俺は逢瀬のダシにされたのか。
アカツキは内心苦笑した。
「ではな、アカツキ将軍。また夜に」
アムル・ソンリッサは一歩後ろに暗黒卿を従え去って行った。




