episode:02-7
最近夢見が悪い。同じ夢を何度も見ている気がするのに、起きると思いだせない。夢とは普通、そんなものだが、少しくらい覚えていてもいいのではないかと思う。
今日も今日とて目覚めが悪かったリリアンであるが、何やら階下が騒がしいことに気が付いた。リリアンはウィルと共に、王都にあるカーライル侯爵の屋敷で暮らしているのだが、ウィルが何かしたのだろうか。どうせ家族しかいないのだからと、リリアンは身を起こすと夜着の上にガウンを羽織り、靴を履いて声の聞こえる方に向かった。まだ早朝と言える時間で、出勤するには早い。
声が聞こえるのはエントランスの方からだった。しかも、聞き覚えのあるような声である。
「ジェイミー?」
エントランスに続く階段の上から、リリアンはウィルと話している人物を見て名を呼んだ。灰色がかった茶髪の男がリリアンを見上げる。
「リリアン! 寝起きでも美人だな」
ちょっとピントがずれたことを言うあたりがウィルと同じだと思う。ウィルと話している男、ジェイミーはウィルの弟で、ということはつまり、リリアンのもう一人の兄でもある。ウィルとジェイミーは年子であるが、リリアンとは五歳以上年が離れているので、リリアンは両親の死後も二人の兄に可愛がられて育った自覚がある。リリアンは垂れてきた前髪をかきあげながら階段を降りる。
「帰ってくると言っていたか?」
「そして、ふるまいが男前……」
「質問に答えろ」
基本的に、カーライル兄妹は自由である。マイペースだ。一応、ウィルとリリアンは社会に出ていることもあり多少空気を読んで行動するのだが、大学からそのまま研究者になったジェイミーはどこか浮世離れしている雰囲気がある。
「いや、うん。帰ってくるとは言ってないけど、大学も夏季休暇でだーれも人が居ないしさぁ」
「なるほど」
にへらっと笑って言うジェイミーに、とりあえずリリアンは納得して兄二人を見上げた。リリアンも男性の平均身長ほどある長身なのだが、カーライル家は長身の家系なので、リリアンも兄二人を見上げなければならない。危機対策監室にいると自分はでかいな、と思うリリアンだが、家の中に入れば普通なような気もする。
というどうでもよい話は置いておき。兄妹三人がそろうのも久々な気がする。たいてい、誰か一人がどこかに出張に行っていたりして欠けていた。
「久々に三人そろったし、どこかに出かけるのもいいかもなぁ」
「むしろ、ウィルとリリアンは休みとれるの」
ウィルの言葉に、ジェイミーがツッコミを入れた。長兄ががっくりと肩を落とす。リリアンも生真面目に言った。
「私も教育期間中だから難しいな」
今日もこれからセオドールをたたき上げなければならないと思うと、ちょっと憂鬱だ。いや、頭はいいから教えがいはあるのだが、あの性格をたたき折ってはダメだろうか。と、結構本気で思う。
「教育? ああ、ブラックリー公爵の息子と仕事してるんだっけ、今」
「もう一発くらい殴っておくべきだろうか」
「うん。ごめん。脈絡が全く分からない……」
ジェイミーは困惑気味にそう言うと、リリアンの頭を撫でた。リリアンも十九になるが、兄たちにとってはまだまだ子供なのだろう。リリアンはくしゃくしゃにされた髪を手櫛で直す。
「そういや、リンジーも一緒か?」
「ああ、一緒。彼女は毎年、夏季休暇には戻ってきてるし」
「そうだなぁ。お前も毎年戻ってこいよ」
「うーん。考えとく。研究もしたいし」
兄二人の会話を聞きながら、ふと思い出す。そう言えば、両親が死んだ時も夏季休暇だったか。まだウィルも学生で、ジェイミーは寄宿学校の生徒だった。二人とも夏季休暇で帰ってきていた。
フラッシュバックのようなものだろうか。赤い、紅い血。動かない体。笑う男。血にぬれた剣。それらが一気にリリアンの脳裏を駆け抜ける。
「リリアン!」
「大丈夫か?」
気づけばリリアンはウィルの腕に抱きとめられていた。驚いた顔でウィルと、心配して声をかけてきたジェイミーを見上げる。
「……大丈夫」
「いや、どう考えても大丈夫じゃないだろ」
ウィルがツッコミを入れた。ジェイミーも「リンジー呼ぼうか」などと気を使ってくる。ジェイミーの相棒であるリンジーは医者なのである。
「とりあえず今日はお前が休むと言っておくからな」
「勝手に決めるな」
リリアンがウィルに突っかかるが、兄は強かった。はいはい、とリリアンの頭を押さえつける。
「ジェイミー、リンジーを呼んでくれるか? それと、俺も遅れて出勤だ」
「わかった」
「わかりました」
後半の言葉は使用人に向けられたものだ。久々に全員そろった兄妹を微笑ましく見守っていたのである。
「仕事に行くにしても、一度リンジーの診察を受けておけ」
「……体調が悪いわけではないんだが」
ひょい、と抱き上げられ、あわててウィルの首に腕をまわしてバランスをとる。ここまでされるともうウィルに逆らうことはできない。リリアン自身も自分の不調に気づいていたから、ウィルの言うことは正しい。
「ああ。たぶん、精神的不調だろ」
ウィルもわかっているのか納得した様子でうなずいた。肉体的には確かに健康なのである。精神干渉魔法を受けている可能性が高い。
兄たちに言うべきなのか迷う。見ているのはたぶん、両親が死んだ時のこと。第一発見者はリリアンで、彼女はもしかしたら殺害現場も目撃しているのではないか、と言われていた。そして、その予想はたぶん正しい。
「不調って言われても、私は心理学的なことには詳しくないんだけど」
そう言いながら優しく微笑むのはジェイミーの相棒であり恋人のリンジー・スクワイアだ。栗毛に空色の瞳をした優しげな女性で、大学で研究医をしている。年若いが腕のいい医師である。しかし、さすがに心療内科的なことは専門外らしい。
「まあ、リリアンの読み通り精神干渉魔法を受けている可能性が高いわね。でも、あんたって基本的に精神干渉魔法に耐性があるじゃん。並みの精神感応魔法では心理をのぞけないのよね」
「それは聞いている」
リリアンは精神干渉魔法に耐性があるため、精神干渉魔法が効かない。なのに、精神干渉魔法を受けた形跡があるのだ。リンジーも「何なんだろうねぇ」と言っている。リリアンが相手でなければリンジーに不信感を覚えるレベルの言葉である。
「何か身に覚えがある?」
「ああ……。前に王都で爆破事件があったのは?」
「新聞では読んだわ。あのときに?」
「……非公表だけど、アーサーと街に降りていたんだ」
あの時にあった男。彼から精神干渉魔法を受けたのだろうとリリアンは推測している。
「顔、覚えてないの?」
「一応、覚えている特徴を伝えて似顔絵は書いてもらったが、人間の記憶などあいまいだ」
「……ははっ。ぶれないわね、リリアン」
リンジーは苦笑を浮かべて言った。リリアンは彼女のたれ目がちな目を見て、それから口を開いた。
「……赤い血、血にぬれた剣、動かない両親。それに、笑う、男」
「何それ」
「私が見ているものだ」
そう言うと、リンジーは「うーん」とうなった。
「完全にフラッシュバックと思われる」
「どっちだ」
完全、と思われる、は一緒に使うものではない気がする。というどうでもいいツッコミは置いておく。
「それ、ウィルやジェイミーには言った?」
「言ってない」
「だろうねぇ。言ってたら、あいつらもっと過保護になるわよ」
リンジーから見ても、あの二人はリリアンに対して過保護であるらしい。自分の思い過ごしではなかったのか、とリリアンは小さく苦笑する。
「……たぶん、お父様とお母様が死んだ時のこと。爆破事件の時にあった男、フラッシュバックで見る男と同じ……だと思う」
「ま、あんたの記憶なら間違いないでしょうね」
リンジーが肩をすくめてそう言った。リリアンの記憶力の良さを知っているからこその発言であるが、今回の場合、それは当てにならないと思う。だが、話がそれるので言わなかった。
「私は魔法理論について独学だから、あまり詳しくはないんだが」
「いやー、あんた、詳しいと思うわよ? 続けて」
「精神干渉系の魔法は、すぐに影響を与えるものと、あとから何かのきっかけで発動するものがあるだろう? 私にかけられていたのは、後者なのではないかと」
「ああ~。七年前にすでに魔法がかけられていたと……てぇことは、リリアンは自分が、その、ご両親を殺した犯人と会っていると思ってるってこと?」
少しいい淀んだが、リンジーは結構はっきり言った。あっさりした性格だからか、言いにくいこともあっさり言ってしまう彼女である。リリアンも人のことは言えないが。
「……おそらくは。どういう魔法がかかってるのかはわからないけど」
「うん、まあ……そっちはたぶん、ジェイミーの方が詳しいわね。まあ、医師として言わせてもらうと、精神干渉魔法を受けている可能性があるのなら、人の多いところにはいってほしくないわね。何があるかわからないし。でも、実際に発現しないとわからないパターンが多いから問題なのよねぇ」
「では、何かあったら私を止めてくれそうな人の側にいる」
「いや、自分自身に何かあるとは考えないのね?」
リリアンが危惧するのは、周囲に被害を与える場合のことだ。自分についてはどうとでもなれ、といったところである。
一番考えられるのはアーサーに危害を及ぼすことだが、最初にあの男と接触したとき、リリアンはまだカーライルの領地で暮らしていた。その後も、父の弟である叔父に世話になっていたから、あの時、アーサーがカーライル侯爵領に落ち延びてこなければ、リリアンとアーサーが出会うこともなかっただろう。
まさか、あの男がそこまで読んでアーサーに危害を加えるためにリリアンに魔法をかけたとも思えないが……。
この真偽について、最悪に近い形で発露することになる。
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