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月並みニジゲン  作者: urada shuro
第二章
8/30

青い春(5)

「……いや、誰に、というか、その……」

「やっぱり、なんかあるんじゃない。はっきり言え!」

 

 詰めよるウラハを前に、ルチカはなおも、口ごもる。


「言いたいです。僕だって、ウラハさんに聞いてほしいって、ずっと思ってて……でも、ウラハさんや遺作には関係のないことだし、僕から話すと助手ルールを破ることになると思って……」


 そう思って我慢をしていたせいで、無意識のうちに、ずっと表情が強張っていたようだ。

 視線をあげると、ウラハの両目が真っ直ぐにこちらを見ていた。


「あっそう。でも、いまはあたしから聞いてるんだから、さっさと言いなさい。それに、あたしにも関係あるわ。だって、あんたの態度が、あたしをこんなに不愉快にさせてるのよ。そんなんじゃ遺作制作も進まない。その元凶なんだから、関係あるでしょ」


 ルチカは安心したように、肩の力を抜いた。


 とはいえ、好意を持っている相手に、自分があんな書き込みをされる人間だと打ち明けるのは、ルチカだって嫌だ。これまでも、両親に「みんな、僕のことを信じてくれない」と言うたびに、悲しい気分になり、胸をしめつけられてきた。


 そのうえでなお、ルチカはウラハに自分の現状を伝えたいと思う。

 これまで、いくら他人に自分の本当の姿を伝えても、伝わらなかった。だからこそ、自分を信じてくれるひとには、自分のすべて知って欲しい、と思うのだ。


 ルチカは水中から救い出したウラハの写真をポケットにしまうと、噴水をかこっているレンガの上に座った。ウラハも、となりに腰かける。


「実は……ネットに、自分の悪口が書かれてたので、ちょっと滅入ってて……」

「……え? ……なに、それ」

「えっと……今日たまたま、光釘高校のホームページを見たんです」

「……光高の……?」 


 ウラハは身をのり出し、神妙な顔で聞き返してきた。

 ルチカは安堵する。

 ウラハさんは、真剣に僕の話を聞こうとしてくれている。それがとても嬉しかった。


「は、はい。僕も今日、はじめて見たんですけど、そういうのがあるみたいなんです。そこに……死ねニジゲンって、僕のことが書いてあって」


 目頭が熱い。ルチカはぐっと、目に力を入れた。

 聞いてほしくて話し始めたのに、いざ抱えていた思いを吐き出すと、涙が出そうになる。


「……にじ、げん……?」


 ルチカの顔を見やるウラハの目が、茫然とした。


「……なにそれ? ふざけないでよ」


 声を荒げ、ウラハは顔を背ける。ルチカは、慌てて補足をした。


「ああああの、ニジゲンっていうのは、僕のあだ名なんです。ふざけてません。変なあだ名ですけど、本当なんです。僕、昔の同級生からは、本当にそう呼ばれてるんです。涙の色が見えるっていう僕のことが、漫画のなかの話みたいってことからそうなったみたいなんですけど……」


 不名誉な自分のあだ名の由来を、自ら解説するというのは、情けなくもあり、悲しくもある。今度は顔全体が熱い。


 焦るルチカとは対照的に、ウラハは自分の足さきを見つめたまま、険しい顔で黙り込んでいる。

 ルチカは浅く深呼吸をして気持ちを落ち着かせ、話を続けた。


「……でも、これは僕が悪いんです。悪いことをしたから、そんな書き込みをされてしまったというか……だから、明日の朝、謝ろうと思ってるんですけど」


 昨日、怒って走り去る米谷に、一応「ごめん」と謝罪の言葉を伝えはしたが、ちゃんと面と向かって頭をさげたわけではない。

 書き込みの存在を知り、職員室を出たあと、ルチカはウラハの顔が見たくてたまらなくなり、急いでウサギの裏に向かった。ウラハに会えば、乱れた気持ちが和らぐと思ったのだ。


 それと同時に、すぐに米谷に謝りたいという気持ちもあったのだが、やはり特別な存在であるウラハとの約束を破るのは嫌だった。

 そこでルチカは、米谷くんには明日、ちゃんと謝ろう。そう決めていたのだ。


「え……? 謝るって、誰に謝るつもり? どういうことよ」


 ウラハがルチカの顔をのぞき込む。


「実は、心当たりがあるんです。僕、昨日同級生を怒らせてしまったので、それが原因の可能性があるかもと思って……」

「思って? ……って……なにそれ。憶測?」

「はい。でも、僕のことをニジゲンって呼ぶのは、光釘高校にはふたりしかいないんです。その同級生と、もうひとり別の同級生……だから、きっと、怒らせてしまった彼のほうかなって……」

「それで、謝るっていうわけ? 謝って、どうするのよ。もう書き込みしないでください、とでも言うつもり? そんなことして、もし犯人が違ったらどうするの? 光校生徒を装った、他校の誰かの犯行かもしれないじゃない。あんたは証拠もないのにひとを疑うの?」

「え……」


 ウラハの軽蔑のこもった眼差しが、ルチカに突き刺さる。

 そこではじめて、ルチカは自分の視野の狭さに気がついた。


 確かに、証拠など、なにもないのだ。


 米谷を怒らせたというのは現実の話だが、彼があの書き込みをした瞬間を見たわけでもなければ、彼が書き込んだという噂を聞いたことすらない。それなのに、自分は米谷が書き込みをしたのだと決めつけていた。


 書き込みで受けたショックにかまけて、考えを巡らせる余裕がなかった自分の浅はかさに、ルチカはがっくりと肩を落とした。


「……そんなの、よくないですね。すみません……」

「あたしに謝られても」

「じゃあ、どうすればいいですか?」

「……あんたはどうしたいのよ」

「僕は……僕は、誰が書き込みをしたのか知りたいです。それに、どうしてあんなこと書いたのか、理由を知らないと、怖いです。僕をすごく嫌っているみたいだから……」


 知ってどうなるかは、まだ想像もつかない。けれど、匿名の死の書き込みは、得体のしれない恐怖だ。そして悲しい。この恐怖と悲しみを背負ったままでは、胸は痛み続ける。

 ウラハは鼻から息を抜いた。


「……犯人をつきとめるなんて、どうやってする気よ。たとえ誰が犯人でも、どうせしらを切るに決まってるでしょ。相手はわざわざ高校のサイトに悪口書くような、陰険な人間なのよ? 警察相手ならともかく、あんたごときに犯行を暴かれても、無関係を装うに決まってる」


 ルチカの頭に、麻乃花の言葉がよみがえる。


(脅迫でもなければ事件が起きたわけでもないし、削除するしか対処法がないって前任の先生が言ってたわ)


 削除はした。しかし、心に刻みついた記憶は、アクセスせずともいつだって呼び出すことができる。




 死ね死ね死ね死ねニジゲン!





 ほら、いつだって。


 のどかな公園の緑を背景に、例の書き込みの文字がじわじわと浮かんでくる。死、という無機質な活字が、背中に、冷たいものを走らせた。

 目の前に浮かびあがった文字をかき消すように、ルチカは頭を左右にふる。


「……ねえ、このこと、ほかの誰かにも話したの?」

「え……? い、いえ、まだ……」

「不用意に、他人に触れ回るのは絶対にやめなさいよ。騒ぐと、それこそ犯人の目論見どおりってやつだわ。それに……殺害予告ってわけでもないしね。こういう書き込みをする心理ってだいたい、誰かの悪口を書いて、関係ない自分のストレスを発散したいっていうだけなんじゃないの? 反応するだけ、バカらしいわ」

「は、はあ……。これ以上なにもないと、いいんですけど」


 結局、僕はなにもできないということか。ルチカは虚ろな目で遠くを見た。

 突然、ウラハが立ちあがる。ルチカの前まで歩いてくると、仁王立ちをした。


「……スマホ、出して」

「え?」

「出して。スマホ。け・い・た・い・で・ん・わ!!」


 ウラハは、手のひらをこちらにさし出している。ルチカは自分のスマートフォンをズボンのポケットから取り出すと、言われるがままにウラハにそれを手渡した。


「これは、あたしがあずかってやる」


 ウラハはルチカのスマートフォンを印籠のように掲げると、それを軽く振って見せた。


「えっ……?」

「こんなもん持ってるから、くだらない悪口なんか見つける羽目になるのよ。それに、ネットを連想させるこれがある限り、見る度に書き込みを思い出すことになる。凡人は大抵、一回見たんだから、また書き込まれてるんじゃないかって、気になって仕方がなくなるものだからね。あんたは、特にそういうタイプでしょ。そのうちほかのサイトだって気になって、ノイローゼになることだってあり得る。そんなことに振り回される人生を自分が歩んでいくなんて、あんた楽しいと思う?」


 早口だが、はっきりとした口調だった。丸い茶色の瞳が、真っ直ぐにルチカを見つめている。

 死の書き込みの存在を知る前までは、ルチカの高校生活は楽しかった。相変わらず同級生とはうまくつき合えていないものの、ウラハと出会ったことで、自分が長年求めてきた憧れの生活が確かにあった。

 しかしその楽しさは、死の書き込みによって打ち砕かれたのだ。ウラハと一緒にいるのに、楽しさを全力で感じる余裕がなくなっていた。


 まさに、ウラハの言うとおりだ。あんな書き込みに執着して生きるなんて、楽しいわけがない。


「……楽しくないです」

「……そう。だから、これはあたしがあずかってやる。あんたん家のパソコンも、明日持ってきて、あたしにあずけけなさい。わかった?」

「えっ……! そ、それは無理です。うちのパソコン、お父さんが仕事に使ってるんで勝手に持ってこれないですよ」

「あんた専用のやつは?」

「ないです、そんなの」

「嘘じゃないでしょうね」

「はい」

「……ふーん、あっそう。じゃあ、助手ルール追加。あんたは永遠にネット接続および全サイト閲覧禁止! ほかのことは考えずに、あたしの助手に専念すること! いいわね!」


 ウラハは上半身を倒し、ルチカの顔にぐっと自分の顔を近づけた。

 笑うでもなく怒るでもない、ウラハの真面目な表情が、どことなく憂いをおびて見えるのは、気のせいだろうか。

 もしそれが、自分の話を聞いて、真剣にとらえてくれているせいならば、嬉しい。


 急に、目の前の少女が大人の女性に見える。

 風になびく長い髪が、陽の光を受けてきらめき、とてもきれいだ。

 励ますわけでもなく、突き放すわけでもない。やりかたは多少乱暴だが、遠まわしに、「悪口なんて、気にするな」と言われた気がした。


「帰るよ」


 スカートをひるがえし、ウラハはもといたテーブルに向かって歩き出した。


「……えっ? 帰る? ……って、あ、あの、遺作は?!」


 慌てて立ちあがり、ルチカがあとを追う。


「今日は中止。あたし、風って好きじゃないし」


 ウラハはバッグを肩にかけると、公園の出口へと進んでいく。公園の前には、やや大きな道路が通っている。道路沿いには木々が並び、風でざわざわとその腕をゆらしていた。ルチカも自分のバッグをつかむと、ウラハのもとに駆けつけ、横に並んだ。


「あの……ありがとうございます」

「……は?」

「こんなに僕のことに親身になってくれるなんて、ウラハさんは優しいですね」


 ルチカはゆるく笑みをうかべ、ウラハのほうへ顔をかたむけた。整った横顔がこちらに振り向くのを期待していたが、ウラハは自分の歩むさきを見据えたままだった。


「……勘違いするなよ。あたしはただ……自分の助手がぐだぐだしてるのが嫌なだけ。自分のためよ」


 やや伏し目がちに顔を背けるさまは、シャイな昔のアニメヒーローみたいだ。

 ルチカの胸の奥が、じんわりと暖かくなる。


 やっぱり、ウラハさんは僕の特別なひとだ。書き込みの件が解決したわけではないけれど、自分の悩みにより添ってくれた。辛いものは、辛い。だけど、辛いときに、そばにいてくれるひとがいる。こんなしあわせがあるだろうか。


 風で乱れる髪を、ウラハはうっとおしそうにかきあげた。不意にのぞいた白いうなじに、ルチカはどきりとする。

 そうだ。いま、僕は女の子と一緒にいるんだ。

 改めて意識をすると、胸の高鳴りは加速する。

 大好きなひとと、放課後に並木道を歩く。

 今朝感じた「青春らしき雰囲気」が、ふたたびルチカの全身をくるんだ。

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