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月並みニジゲン  作者: urada shuro
第二章
7/30

青い春(4)



 校舎を出ると、風が吹いていた。この季節特有の、暖かく、強い風だ。ゴミなのか落ち葉なのかわからないなにかが、宙を舞っている。


 ルチカが息を切らしてウサギの像の裏へいくと、すでにウラハが待ち構えていた。

 十六分も待たされた、とつりあがった目で激怒されたが、ルチカはほっとした。

 ウラハの顔を、目を見ただけで、胸に立ち込めていた暗闇が和らいだ気がする。


 ルチカは本来、自分の思いをひとに隠さないタイプだ。

 本当は、ウラハにさきほど自分に起きた出来事を話したくてしかたがない。

 しかし、助手という立場がある。書き込みの件は、遺作とは無関係だ。助手ルールを破って、ウラハに話すことなどできない。

 待ち合わせに遅れた理由を聞かれても、ルチカは口を開けなかった。


「……なに黙ってんのよ。早く、言いなさい」

「で、でも……遺作に関係ない話はしちゃだめだって、助手ルールが……」


 ウラハは腕を組み、肩をすくめた。


「関係なくても、あたし発信で話すことなら、なに話してもいいのよ。助手ルールは助手のルールなんだから、あんたから話すのはダメだけど、あたしはいいの。わかったわね。これからは、いちいち話の腰折らないでよ」

「そ、そうですか。わかりました……」


 ようやく、ルチカが「始末書を書いてました」と説明すると、ウラハはにやりと笑った。


「あっそう、いい身分じゃない。まあ、いいわ。早くいくわよ」


 ウラハは駅のある方角へと歩き出した。ルチカも、それについていく。

 話にはまだ続きがある。けれど、「いくわよ」と断ち切られてしまった以上、ルチカからは続けられない。


 あ、とウラハが声をあげた。思い出したように、バッグのなかからノートを取り出す。


「白い涙の理由、書いといたわ。見たい?」


 ウラハが手にしているのは、今朝ルチカが渡したノートだ。

 思ってもない言葉に、ルチカは目を白黒させた。頭のなかが、白い涙を流すウラハの姿で埋まる。


「み、見たいです! 遺作ができていないのに、いいんですか?」


 ノートに手を伸ばす。ウラハはノートを取らせまいと、身をひるがえした。長い髪が、ふわりと踊る。


「だめ。まだ見せないわ。でも、これで余計やる気も出たでしょ。しっかり働きなさいよ」


 ウラハは顔を歪めて舌を出すと、ノートを乱暴にバッグにねじ込んだ。ルチカは行き場をなくした手のひらを、ゆっくりと握りしめる。


 一度刺激された胸は、まだうずいていた。

 自分のいない間にも、ノートを手に取って、白い涙の意味を書いてくれたなんて嬉しい。書いている間中、僕のこと考えてくれていたんだろうか。

 鼓動の高鳴りを押さえつつ、小さく、はい、と返事をする。


「ねえ……あんたのノート見てて、思ったことがあるんだけど」

「は、はい。なんでも聞いてください!」

「……このノートのセンスのないタイトルのとおり、あんたはずっと、自分の話を信じてくれるひとが欲しかったのよね?」

「はい。そうです」

「それって、すごく贅沢じゃない? 図々しい。信じてくれる、じゃなくて、受け入れてくれるひと、っていうんじゃ、嫌だったわけ?」

「え……? 受け入れてくれるひと、ですか? 受け入れるって……僕をわかってくれるってことですよね? それって信じてくれるってことじゃないんですか?」

「違う。信じてなくても、受け入れることはできるでしょ」


 ルチカは黙った。


 ルチカには、両親に信じてもらっているという経験はあっても、誰かに受け入れてもらったという経験がない。ウラハの言いたいことがわからないのだ。

 受け入れてくれるのと、信じてくれるのはどう違うか。


 ウラハが口を開く。


「受け入れるっていうのは……認めるってことよ。あんたは涙の色が見えるんでしょ。その話を聞いて、内心、そんな馬鹿なって半信半疑に思ったとしても、この世なんて謎だらけなんだし、そういうこともあるのかもね、って認める。心から信じてるわけじゃないけど、あんたという人間を理解する。受け入れるって、そういう感じね。たとえ信じてくれなくても、自分を受け入れてくれるひとに出会いたいっていう妥協は、考えたことなかったわけ?」


 説明を聞いたら、余計わからなくなった。


 信じているわけじゃないけど、理解はしている。


 それはいったい、なんなんだ。

 とても曖昧で、不明瞭な印象を受ける。


「……僕は本当に涙の色が見えるから、それを信じてくれるほうがいいです。信じてもらえなくてずっと悲しかったし、いま現実に信じてくれるウラハさんに会えて、すごく嬉しいから」


 ルチカは口角をあげたが、顔が引きつった気がした。

 三秒後、合っていたふたりの視線がばらける。


「……ふーん、あっそう。平凡なセリフね」


 ウラハは足を速め、歩道と車道との境目にそって、一歩、二歩、三歩、ルチカから離れていく。再び歩く速度を落とすと、間近に迫った川のほうへと視線を投げた。


「あの……ウラハさんは、なんで僕にそんなこと聞くんですか?」


 ルチカの問いかけに、ウラハの顔が素早く振り返る。


「暇つぶし……ていうか、あんたからあたしに話始めるのは禁止ってルール、忘れたの?」


 親の仇を見るような目でこちらをにらむウラハに、ルチカはゆっくりと首を横に振った。話の流れとして聞いたつもりだったのだが、ウラハにとってはルール違反だったらしい。


 しばらく歩き、ウラハの足が止まったのは、駅のそばにある、小型のホームセンターのなかだった。

 ウラハはスマートフォンで自分の写真をルチカに何枚か撮らせると、それを店の機械で大量にプリントアウトした。そのあと、接着剤やハサミ、カッターなどを買い込み、ホームセンターの前にある小さな公園へと場所を移す。風が強いせいか、先客はいないようだ。


 ふたりは噴水の横にあるイスに座り、備えつけられているテーブルに、さきほどプリントアウトした写真の束と、購入した品物が入ったビニール袋を置いた。風にあおられ、写真が一枚浮きあがる。ウラハはそれを左手で押さえ、右手でビニール袋からハサミを出すと、それを写真の束の上に乗せて重りにした。


「じゃあ、始めるわよ」

「……あの、遺作はテニスコートで作るんじゃなかったんですか?」

「あれはもういいの。別のもの作ることにしたから」

「別のもの?」

「そう。この写真を使って、作るの。写真をたくさん並べて、ひとつの大きな絵を作るのよ」

「写真を並べて……? あっ、もしかして、モザイクアートっていうやつですか? それなら僕も、テレビで見たことあります。あと、ジグソーパズルとか!」

「……は?」


 ウラハは無表情で固まった。そして、首をかたむけ、空を見る。やがて突然目を見開くと、立ちあがって腰に手をあて、鋭い眼光でルチカを見おろした。


「……違うわ! 目をえぐるのよ」

「えっ……? えええ、えぐるって」

「写真から、目だけ切り取るの。目以外を等身大のあたしの石膏像に貼りつけて、目は床に散りばめるの。わかったら、はやく仕事しなさい。見本見せてあげるから、同じようにやるのよ」


 ウラハは写真の束から、一枚だけ手にとって目の前に置き、紙のなかの自分の顔にカッターを突きたてた。

 銀色の刃が、ウラハの肌にざっくりと食い込む。

 ルチカは総毛立ち、とっさにカッターを持つウラハの手をつかんだ。

 驚いたウラハはカッターを落とし、慌ててルチカの手を振り払う。


「な……なによ急に。勝手に触らないでくれる」

「……嫌です、顔にカッターを刺すなんて」


 ウラハは眉をよせた。


「は……? 顔……って、こんなの、ただの写真じゃない。紙よ、紙。プリント代、1枚31円の紙」


 ひらひらと、ウラハは写真を持って振ってみせる。ルチカはそれをとらえると、愛おしげに自分の胸に引きよせた。


「たとえ写真でも、ウラハさんが傷つくのは嫌です」


 悲しげに、うつむく。

 ウラハは一瞬、呆気にとられた。

 やがて、彼女の頬に赤みが増していく。それを隠すように、ルチカから目をそらした。


「……助手のくせに、あたしに指図しないでよ。遺作ができるのを邪魔するつもり? あたしがなんで泣いてたか、早く知りたくないの?」

「し、知りたいです。すごく知りたいですけど、僕にとってウラハさんは特別なひとだから……」


 どちらが大事か、などという、優先順位はつけられない。

 困り顔のルチカを、ウラハは横目で見つめた。


「……さすが凡人ね。あんたの話聞いたら、創作意欲がそがれたわ。せっかく、作品のタイトルも決めてたのに。遺影、って」

「いえい?」

「葬式とかで使うやつよ。死んだひとの写真」


 ルチカの心臓が、跳ねた。


 死んだ、というウラハの発した言葉。それを聞いた途端、心の隅に追いやろうとしていた自分への恨みのこもった書き込みの文字が、くっきりと脳裏に浮かびあがってくる。


 意図せず、ルチカの表情は苦いものになった。


「……なに、その顔。あたしの考えになんか文句あるの?」

「い、いえ、ないです!」


 ルチカは首を思い切り横にふる。

 自分だって、大切なひとの前でこんな顔はしたくない。しかし、これまで黙って頭に居座っていた死の書き込みが、突然騒ぎ出し、彼女との間に割って入ってきたのだ。


 せっかくウラハさんと一緒にいるのに、心の底から楽しめない自分がいる。


 ウラハに出会う前まで、ルチカは想像のなかで、「特別なひとさえいてくれれば、なにがあってもしあわせな気分に包まれて生きていける」と思っていたところがあった。たとえほかのみんなと上手くつき合えなくても、特別なひとが僕を信じてくれるなら、それですべて救われる、と夢を見ていたのだ。


 しかし、実際はそんなにきれいに割り切れるものではなかったらしい。

 自分を信じてくれた特別なひとと、放課後にふたりで話しているというのに、別の悩みに心の一部を奪われている。


 こんなことが自分の身に起こるなんて、ルチカにとっては予想外の驚きでもあった。


「……ねえ、あんたさあ」


 ウラハがそう言いかけたとき、突風が吹いた。写真の束の上に置かれたがハサミがずれ、テーブルに落ちる。あっという間に、かたまりだった写真はばらばらになり、十数枚が空に舞う。そして噴水の水柱にぶつかると、そのまま水中に潜った。


「あーっ……!」


 ルチカは駆け出した。噴水をのぞくと、写真が水中や水面に散っている。ブレザーの袖をまくり、それを一枚、また一枚と拾いあげていく。

 ウラハはテーブルの上に残った写真とはさみをビニール袋にぶち込むと、自分のバッグのなかに入れた。ウラハのまわりにも、写真は数枚落ちている。それを手早く拾い集め、ブレザーのポケットに突っ込む。噴水に目をやると、しゃがみこんで水中に手を突っ込み、写真を集めるルチカのうしろ姿がある。ウラハはゆっくりと近づいた。


「……なんなのよ、あんた」

「え?」


 ルチカがふり返る。右手に持った写真からは、水滴がぽたぽたと落ちている。


「なんで、放課後になってあたしと会ってからずっと、眉間にシワよせてるわけ? はじめは気のせいかと思ったけど、やっぱり気のせいじゃなかったわ。なんの話してても、なんか薄暗い顔してるし。なんなの? 昨日は……今日の朝までは、あんなにはしゃいでたくせに」

 

 特に、自分を「特別なひと」と呼ぶときは、目を輝かせていた。しかし、ついさっき「特別」と口にしたルチカの表情には、曇りがあった。ウラハはそれを、見逃してはいなかったのだ。


「なんなの? あたしになんか不満でもあるわけ?」

「な、ないです。ウラハさんには、不満なんてないですよ」

「あたしには、ない……? じゃあ、誰にはあるの?」

「えっ」


 ルチカの肩が跳ねあがる。しまった、と思いながら、立ちあがった。濡れた腕に風が当たり、冷たい。腕をさすり、息を吸ってはみたが、声を出せずに視線を落とした。

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