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月並みニジゲン  作者: urada shuro
第一章
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素敵な出会い(2)

 渡り廊下を抜け、東校舎に入る。右を向くと、廊下の数メートルほどさきが突き当りになっており、「美術室」というプレートがかかっていた。

 

 ルチカははやる胸を押さえつつ、閉じられたドアを開け放ち、美術室をのぞく。

 目に入ってきたのは、ごちゃごちゃとした景色だった。

 大きな机が六つ並び、それぞれの机の上に木製のイスが六つずつひっくり返った形で置かれている。石膏像、カンヴァス、イーゼル、水道、本棚。そしてさまざまな画材の詰め込まれた棚が、教室の後方にいくつか並んでいる。

 

 その棚の前に、ひとがいた。

 ルチカと相対するように立ち、イーゼルに置かれたカンヴァスに向かっている。

 右手に持った黒い絵の具のついた筆を、ななめ上からカンヴァスに振りおろしたところだ。

 

 この顔。すらりとしたからだ。長い栗色の髪。色素の薄い肌――

 

 ――彼女だ。

 

 そう認識した瞬間、ルチカは口を開いていた。


「よかった、また会えて」


 彼女は、こちらを見ていた。

 真正面からルチカに向けられた瞳。それは、さきほどにらまれたときよりももっと、鋭く鬼気迫るものだ。

 電気がついていないせいだろうか。門の前で会ったときより、肌が青白く見える。


 ルチカは再会の喜びと安堵で、口もとを緩ませた。


「……あの、僕……」


 一歩、美術室のなかへ足を踏み入れる。


「入るな!」


 少女は微動だにせず、刺すような大声で部外者の侵入を制した。しかし、ルチカはお構いなしに、少女目がけて美術室をまっしぐらに進んでいく。


「は、入るなって言ってるでしょ!! なんなの、あんた!」


 少女は慌てたようすでイーゼルからカンヴァスを持ちあげ、ルチカに背を向けてそれを棚に立てかける。カンヴァスの画面は、真っ黒だ。まだ絵の具が乾いていないらしく、水分が光を持ち、輝いている。


「あの、僕の話聞いてもらっていいですか?」

「嫌。それより、あんたいつからいたの? なんで、ここにきた?」


 少女の左手が、ルチカの胸ぐらをつかんだ。

 自分よりいくらか背の高いルチカの顔を、上目使いで鋭くじっと見る。

 彼女の頬に、もう白い涙のあとはなかった。


「え? ……い、いまです。たった、いま……あなたに会いにきました」

 少女は数秒ルチカをにらんでいたが、勢いよく息を吐くと、ルチカから手を離した。

 イーゼルを抱え、すでに数個のイーゼルが置かれている教室の左隅に運んでいく。ルチカもあとをついていった。


「あの、さっきのことなんですけど……」

「黙れ。どっかいけ」


 少女はイーゼルを置くと、窓際の水道まで歩いていき、蛇口をひねる。シンクに水が真っ直ぐに落ち、とん、と音をたてた。少女が水柱に筆を突っ込み、両手で洗い始めると、水音はばたばたと乱れたものに変わった。


「聞いてください。大事なことなんです」


 ルチカは少女の顔をのぞき込んだが、少女は無反応だ。

 沈黙のなか、きゅ、という蛇口をしめた音が響く。少女は無言で下を向き、筆を振って水を切っている。


「あ、あの、僕のこと、信じてくれたんですよね?」


 ルチカを無視して、少女は棚の前までもどり、机の上に置いてあったバッグに、筆とパレットらしき木製の板をつめ込んだ。それを持って、美術室から出ていく。迷いなく廊下を突き進む彼女を、ルチカは追った。

 追跡者を振り切りたいのか、少女はどんどん早足になる。置いていかれるまいと、ルチカもスピードをあげ、ついていく。


「ま、待ってください。どうしても、話したいんです」

「ついてくるなよ」


 廊下を進み、階段をおりる。もはや、ふたりとも小走りだ。縦列で小走りなふたりとすれ違った生徒たちが、驚いて軽く身を縮めた。

 階段をおりると、昇降口だ。少女は「020346」というシールが貼られた靴箱から手早くローファーを取り出し、上履きを脱ぎ、履き替える。靴箱に上履きを乱雑にぶち込むと、再び早足で、校舎を出た。


 ルチカも変わらず、彼女のあとを追う。足もとは上履きのままであったが、そんなことはどうだってよかった。


「さっき、僕が涙の色が見えるって話したとき、あっそうって言ったじゃないですか。信じてくれたんですよね? 僕の話」

「知るか、そんなの。もう、どっかいってよ」


 正門を出て、さらにスピードをあげ、歩道を進んでいく。

 この道は、真っ直ぐいけば駅へと続く。道路沿いには、住宅や、草が生え放題の小さな公園、駐車場、そして途中に橋のかかった河川もある、中途半端な田舎道だ。

 交差点を左折したところで、チャイムが聞こえた。おそらく、光釘高校の入学式の始まりを告げるものだろう。少女は振り返らずにルチカに問うた。


「あんた、一年じゃないの? 入学式サボるような度胸、あるわけ?」

「いまは、あなたのほうが大事です!」


 ルチカは一秒たりとも間を開けずに答えた。

 少女の前にまわり込み、腕を広げて立ちはだかる。少女の足が、ようやく止まった。眉のつりあがった少女の顔を、ルチカは真っ直ぐに見つめる。


 淀みのないまなざしにひるんだのか、少女は少しあごを引いた。


「はじめてなんです、あなたみたいなひと。僕の話を否定しなかったですよね。僕にとってあなたは、特別なひとなんです!」

「……」


 黙ったまま、少女はルチカを見つめている。ルチカの目も、ずっと少女を捕らえたままだ。


 入学式というものは、これまで小、中学校で二度経験している。しかし、自分を信じてくれた他人に出会えたのは、人生ではじめてだ。ルチカにとっては、三度目の入学式よりもずっと、この少女に出会えたことのほうが貴重で重要なのだ。入学式を欠席したとしても、悔いなどは残らない。


 車道には、車がぽつぽつと流れていく。タイヤの音が近づいては、遠くなる。

 どのくらい、視線を交わしていたのだろうか。遠くで、クラクションが鳴った。それに呼応するように、少女の目が細くなる。

 少女はいったん車道に出て、ルチカを抜くと、また歩道に戻って歩きだした。その速度はさきほどまでとは違い、ゆっくりとしている。


「あ、待っ……」

「あんた、誰?」


 ルチカの声を遮って、少女が口を開いた。彼女の視線は、自分の足もとより少し前のアスファルトを見ている。

 ルチカの胸が、高鳴る。名前を聞かれたということは、自分の存在に興味を持ってくれたということだ。急いで、少女の横に並んで歩く。


「……鈍条崎です! 鈍条崎ルチカ、一年二組……です、たしか」


 名乗った瞬間、少女が勢いよくこちらを見た。眉間には、しわがよっている。


「に……にびじょうさき……?」

「鈍いっていう字に、条件の条って書いて、伊勢崎とか茅ヶ崎とかの崎です。ルチカは、カタカナで。ちょっと変わった苗字だって言われるんですけど」


 少女の左眉が、ぴくりと動いた。


「……はあ?! そうでもないでしょ、いい気になるな! センスのないペンネームみたいな名前のくせに」


 目を剥き、眉をつりあげ、歯を食いしばった少女がにらみつけてくる。


「い、いい気になってはないです」


 ルチカの反論を「うるさい!」と一蹴し、少女は腕を組んで、勝ち名乗りをあげるがごとく、斜め上を見て言い放つ。


「……あたしは、ミアデュール・ウラハロルド・二藍ふたあい!」

「うらはろるど……? はあ、僕よりずっと、めずらしい名前ですね」


 ルチカの感心した声に、長い名前の少女はにやりとした。


「そうよ。己の平凡さを思い知ったか、この凡人が!」

「はい。ウラハさん」

「う、うらは……? ……そこ、チョイスする?」

「変ですか?」

「へ、変じゃない、センスがおかしいだけよ! 調子に乗るなって言ってるでしょ!」


 目前に迫る横断歩道に設置された信号は、緑色が点滅している。ウラハは怒りながら、横断歩道を駆け足で渡った。ルチカも彼女について、小走りで渡る。渡りきり、歩調を緩めたころには、ルチカはウラハの横に並んでいた。


「あ、あの。どうしてウラハさんは僕のことを、否定しなかったんですか? 涙の色が見えるって話したとき、あっそうって言いましたよね。いままで、そんなひといなかったんです。僕、本当に涙を流している理由ごとに涙の色が違って見えて……でも、みんなそんなの嘘だって」


 上手く伝えたいという情熱が気を焦らせ、思うように言葉にできない。

 もどかしさで、ルチカは下唇を噛んだ。


「バカね、あんたは。そんなの、あたしがバカじゃないからに決まってるでしょ」

「……ばかじゃ、ないから……?」


 少しだけ首をかしげて、ウラハの横顔を見つめる。


「そう。人間には目がついてて、色が見える。感情もある。その組み合わせが、どんな形にどう変化したって、別にたいしたことないじゃない。それをいちいち否定するなんて、バカらしいわ」

「は、はあ……そうですか」


 ルチカにとって、斬新な意見だった。ぶっきらぼうな言いかただが、なんだかすがすがしい。さらに、ウラハは続けた。


「感情ごとに、涙の色が変わって見える……そうね、あたしが思うに、それって感受性の一種なんじゃない?」

「感受性……?」


 ウラハが立ち止まり、ルチカもそれに倣う。

 景色は、河川の上にかかる橋の中央にさしかかったところだ。橋の下にはところどころに草の生えた河川敷が広がり、これまで人工的な建売住宅や公園の緑が入り混じっていた道路沿いが、よりのどかなものに変わっている。


 ウラハはルチカのほうに向き直ると、髪をわずかになびかせ、つんと顔をあげた。


「よくあるでしょ、まだしゃべれない赤ちゃんの言ってることが母親にだけわかる、みたいなやつ。そういう相手の気持ちがなんとなくわかるっていう感覚の、延長。どうせ、そんなもんよ」


 ルチカは目を大きく開け、「はあぁ」と唸った。


 これまで、流すときの感情によって涙の色が違って見えるということを、「自分だけにある、特殊な力」だと認識していた。いままで彼が接してきた他人の否定的な言動が、彼にそう認識させたのだ。

 しかしウラハは、それを「感受性」だと言い切った。そう言われてしまえば、とるにたらないことのようにも思える。感受性というのは、たいてい誰だって持っているものだ。感受性も、涙の色が見えることも、「他人の目には見えないが、本人は確かに感じ取っている」という点は、同じだ。


 実際には、そう簡単に割り切れるものではないが、「感受性」というのは新しい見解だな、とルチカは感じた。


「そういう考えかたもあるんですね」

「そうよ。だから今後一切、【僕は特殊能力の持ち主です】だなんて、調子に乗らないことね。これからは【僕、ちょっとめんどくさい感受性の持ち主です。すいません】って思って生きなさい。わかったか、凡人」

「は、はい」


 凡人、と呼ばれたのも、そういえば人生ではじめてだ。ウラハと出会って間もないが、彼女は「はじめて」をたくさんくれる。自分とは違う考えを持つウラハの存在は、ルチカの心に鮮烈な印象を与えていく。


「もう気が済んだ? じゃあね」

「ま、待ってください!」


 歩き出そうと足を踏み出したウラハを、ルチカは腕を伸ばして制止した。


「なに」

「あの、ウラハさん。これから、僕と仲良くなってもらえませんか?」


 念願だった素敵な出会いがあったのだ。出会っただけでは終わりたくない。

 ウラハに会うまでは、素敵な出会いをすることが、ルチカの最上級の望みだった。しかし望みが叶ったとたん、すぐに望みのさきを求めてしまう。

 いまのルチカの一番の望みはすでに、「ウラハさんとよい関係を築きたい」というものに変わっていた。


「……なにそれ。気持ち悪いんだけど」

「お願いします。僕、ウラハさんと仲良くなりたいんです」

「なんで? あたしがあんたの話を信じたから?」

「はい。信じてくれただけでも夢のようですけど、せっかくそんなひとに出会えたので、僕ともっと仲良くなってほしいです」


 瞳を輝かせるルチカに対し、ウラハは無表情だ。

 視線を一度、川の遠くの水面に向けたのち、ルチカの顔にもどした。

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