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月並みニジゲン  作者: urada shuro
第五章
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19/30

曇りのち、雨(3)

 階段を駆けあがり、渡り廊下に出る。

 窓から見える曇り空が、いまにも泣き出しそうだ。


 ルチカは渡り廊下の端まできて、足を止めた。

 一歩、足を前に踏み込めば、そこは東校舎だ。

 右に曲がれば、美術室がある。


 それはわかっているが、ルチカにはウラハと交わした約束があるのだ。東校舎に入ることが、ためらわれる。

 いま立っている場所から右斜め前には、美術室の窓が見える。しかし、カーテンが閉まっているため、なかのようすはうかがい知れない。


 一目でいいから、ウラハさんが無事だと確認したい。

 でも、ルールを破れば終わりだ。

 ふたりを繋ぐ関係もなくなり、白い涙の理由も知ることができない。


 ルチカが無言で葛藤していると、うしろから麻乃花が息を切らせて走ってきた。


「……に、鈍条崎くっ……待って! ど、どうしたの、いったいっ……」


 麻乃花がルチカの横に並んだとき、悲鳴のような声があたりに響いた。


「い、いまのなにっ……?!」


 麻乃花のからだがびくりと動く。

 続けざまに、今度は大きな物音がした。


 美術室のほうからだ。


 そう気づいたとき、ルチカの足はもう前に出ていた。

 全速力で、美術室へ向かう。


 このさきの人生で、白い涙を見る可能性はまたあるかもしれない。

 ふいに、自分が流す可能性だってある。

 でも、ウラハさんになにかあっては、取り返しがつかない。

 たとえ彼女の間を繋ぐものがなくなってしまうとしても、彼女が無事でいることのほうがよっぽど大切だ。


 ルチカは迷いなく、閉ざされている美術室の扉を勢いよく開けた。

 目に飛び込んできた光景を見て、血の気が引く。

 美術室の奥、画材の置かれた棚の前で、ウラハがボブヘアの女子生徒の胸ぐらをつかんでいる。


「ウラハさん!」


 ルチカは叫ぶように声をあげ、ウラハのもとに駆けよった。


「なにしてるんですか?! なにをっ……」


 突然あらわれたルチカに腕をつかまれ、ウラハは絶句した。その拍子に、女子生徒から手が放れる。

 ウラハは血走った目をかっと開いたまま、茫然とルチカを見た。

 ルチカも動揺のにじむ目で、肩で息をしながらウラハを見る。

 ボブヘアの女子生徒はウラハから一歩遠のき、喉を押さえて小さく咳をした。そばに立っていたメガネをかけた女子生徒が、ボブヘアの女子生徒の背中に手をあて、さする。


「え……なに……? どうしたの、これは……っ?!」


 しんと静まり返った空気のなか、遅れて美術室へ入ってきた麻乃花の甲高い声が響いた。


 転がったイス。

 倒れたイーゼル。

 カンヴァス。

 床には様々なものが散乱している。


「な、なんなの、この状況は……?」


 麻乃花は困惑した顏で、美術室中をせわしなく見まわす。

 美術室の後方には、ウラハとルチカ、ボブヘアの女子生徒、そしてメガネをかけた女子生徒がいる。そのほかには、窓際の席に男子生徒がひとりと、前方の席に女子生徒が三人、ひとつのテーブルにまとまって座っていた。

 しかし誰も、麻乃花の質問には答えない。席に着いている部員たちはみな、硬直しているようだ。


「……ねえ、こいつ、ニジゲンのっ……」


 ルチカを見たメガネの女子生徒が、ボブヘアの女子生徒の肩をゆする。

 ルチカはふたりの女子生徒のほうへ視線を向けた。


 どうして、このひとが僕のあだ名を知っているんだろう。


 そう思ったとき、ウラハがうわずった声でつぶやいた。


「あんた、なんで……」


 ルチカはウラハのほうへ向き直る。


「すみません。その、僕の靴箱に変な手紙が入ってて……だから、ウラハさんのことが心配になって……」


 それを聞いた瞬間、なにかを察したのか、ウラハが表情を変えた。

 怒りに満ちた修羅のような目が、ボブヘアの女子生徒を捕らえる。


「……っざけんな」


 ウラハはそうつぶやいてルチカの腕を振り払うと、右足を踏み込み、ボブヘアの女子生徒の背中を思い切り蹴りとばした。


 あまりにも鮮やかに放たれた蹴りに、ルチカの息が止まる。

 止める間もなかった。


 蹴られた女子生徒は床に倒れ込み、うずくまって低く呻いている。

 ウラハは息を荒げ、一瞬それを見おろすと、今度はメガネの女子生徒につかみかかった。

 ルチカはウラハを止めようと、腕を伸ばす。


 ふと、視界にボブヘアの女子生徒が入ってきた。立ちあがった彼女は、拳を振りかぶっている。

 ルチカは瞬時に体勢を変え、ウラハとボブヘアの女子生徒のあいだに割って入った。


 ゴッ。


 勢いよく伸びた拳が、音を立ててルチカの肩にあたる。


「……っ!」


 ルチカのからだは、うしろによろめいた。


「鈍条崎くん!」


 麻乃花が叫んだ。

 ボブヘアの女子生徒は、痛そうに顔を歪め、拳を押さえた。困惑したようすで、ルチカとウラハを交互に見る。


 ルチカは浅く早い呼吸をしながら、殴られた肩をつかんだ。

 痛みよりも、熱を感じ、しびれている。

 自分よりも背の低いウラハににあたっていたとすれば、顔の位置だったかもしれない。

 息を荒げ、いっそう肩を強く握りしめる。


 大きく息を吸って、吐き、呼吸を整えてから、ゆっくりとウラハのほうへ顔を向けた。

 視線が交差し、ルチカは息が詰まる。

 ウラハは腕を高くふりかぶったところで動きを止め、悲しみを帯びた瞳でこっちを見ていた。

 

 ふいに、ふたりを除いた部員たちと麻乃花の注目が、美術室の出入り口に集まる。

 遠くのほうから、足音が近づいてきたのだ。

 

 しばらくして、美術部の顧問である「坂上(さかがみ)」という男性の美術教師が美術室に入ってきた。室内のようすを見て、「おまえたち、これはなんなんだ」と一喝するが、誰も口を開かない。

 麻乃花を見つけた坂上は、事情の説明を求めたが、動揺した麻乃花は「美術室に来てみたら、女子生徒たちがケンカらしきことをしていた」としか説明できずにおどおどしている。

 坂上はひとつため息を吐くと、部長らしきショートヘアの女子生徒のもとへと向かった。

 部長と短い会話をしたあと、坂上は部員全員を注目させ、本日の部活動の中止を告げた。さらに、ウラハとボブヘアの女子生徒とメガネの女子生徒、そして部長以外は下校するように、と話した。

 

 ルチカはウラハに「大丈夫ですか」と声をかけたが、ウラハは力なく腕をだらりとさげてうつむき、ぼんやりと床を見つめているだけだった。

 

 部員たちは画材を手早く片付け、次々に美術室を出ていく。

 ルチカも麻乃花から「とりあえず、外で待ちましょう」と諭され、仕方なく美術室をあとにする。

 廊下に出ると、窓の外では空が色のない涙を流していた。

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