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月並みニジゲン  作者: urada shuro
第四章
14/30

こんなはずでは(3)

「……犬か」

「ウラハさんです」


 二つに結った髪を描いたはずの部分が、ウラハには犬の垂れた耳に見えたらしい。ルチカの描いたウラハの顔は、輪郭の半円の線もゆがみ、目や鼻や口が全て丸、という幼児性の感じられる作品だった。


「実は、中学のときずっと美術2だったんです。やっぱり、才能ないですね」


 ルチカはうつむいて、はにかんだ。


「……そんなことないでしょ」


 ウラハの声に、ルチカはふたたび顔をあげる。


「美術とか芸術とかって、表現者と誰かの感性が合えば、作品を誰かが認めてくれれば……自分が自分でいいと思えば、それで成り立つような、自由なもんなんじゃないの? いいも悪いも、気の持ちよう、でしょ」


 伏し目がちに、ウラハは足もとに転がったドライヤーを軽く蹴った。

 ルチカは、ウラハが自論を語っただけだと分かってはいた。けれど、自分が励まされたような気分になり、顔がほころぶ。


「……そういうものですか」

「その犬も、かわいいげのある額に入れて、どっかの雑貨屋に置いといたら、物ズキが買ってくれるかもしれないわよ」

「えっ。これを、ですか?」

「ちょっと、かして」


 ウラハはルチカの手からスケッチブックを奪うと、部屋の奥にいき、ガラスケースの中から、いくつかのハードパステルを取り出した。戻ってくると、スケッチブックからルチカが絵をかいたページを破り取り、机の上に置く。


 ルチカは床に転がった日用品をよけながら駆けより、横からのぞき込んだ。


 迷いなく動く、ウラハの指。

 オレンジ色のパステルで、ストライプを描くように、荒い線が重ねられていく。

 ルチカはちらりと視線をあげ、そっとウラハの表情をうかがった。

 彼女の眉も目尻もさがり、口もとが緩んでいる。


「わたしはいま、流れているこの時間を、楽しみで費やしているの」


 そう語りかけるような表情だ。

 ウラハがはじめて自分に見せた柔らかな笑顔に、見惚れる。


 かたん、と音がした。

 ウラハが机の上にオレンジのパステルを置いた音だ。


 細く、白い指さきが、オレンジに染まっている。

 濃く色づいた先端から、グラデーションとなって色が薄れていく。肌との境目は馴染むようにぼやけ、そのさまは頬に残る涙のあとに似ていた。


 きれいだな……。


 ルチカの頭が、くらりとする。高ぶっていく自分の鼓動を胸に感じる。

 ウラハはスケッチブックの白紙のページに、黄色のパステルを塗りつけた。粉状になったパステルを中指ですくい取り、ルチカの描いた犬のようなウラハのまわりに、くるくると小さな円を描いていく。


 繊細に、柔らかく、指が滑る。


 紙を撫でるその仕草が、十五歳のルチカには、なんとも艶めかしく見えた。

 からだの中心が、ぞわりとする。


 こんなふうに優しく、僕もこのひとの指に触れられたい。


 思考が、よからぬ方向へと傾いていく。

 引き込まれるように、ウラハに顔を近づける。


「……できた!」


 勢いよく、ウラハが顔をあげた。ごん、という鈍い音がする。出来上がった絵を持ちあげたウラハの左手が、ルチカのあごに直撃した音だった。


「……いった! あんた、なにやってんのよ!」

「す、すみません……」


 ルチカはあごを押さえて、からだを縮めた。

 制作活動中の彼女に対し、よからぬことを考えてしまったばちがあたったような気がして、顔が熱くなる。


 まったく、とつぶやきながらウラハはルチカに完成した絵を見せた。


「……ほら。なんとなく、それらしく見えるでしょ。殴りたくなるくらい平凡だけど」


 ルチカが描いたウラハの似顔絵の背景に、幅の太い縦縞が足され、さらに水玉模様がちりばめられている。

 色合いも明るく、ポップなイラスト風に仕上がった。


「わあ……! 可愛くなりましたね」


 ルチカは目を輝かせ、笑みをこぼす。


「僕の描いたウラハさんも、嬉しそうに見えます」


 さっきまでは、どくとなくさみしげだった、歪な線の似顔絵。それが、ウラハの手が加わることで、見ているこちらの気分まで明るくなるような絵になった。


 特別なひとと自分が、ひとつになるという喜び。


 それが、嬉しくてならない。

 イラストも、彼女も、ふたりを取り巻くこの空気そのものも、すべてが愛しく思える。


「……これ、遺作にしようかな」


 ウラハの言葉に、ルチカが反応する。


「え?」

「みんな驚くわよ。犬じゃなくて、人間かよ、って」

「あ……そ、それは確かに……」


 ウラハは息を吐き、頭を横に振った。


「ばか、嘘に決まってるでしょ。あたしの作りたいのは、そんなんじゃないから」

「……あの、じゃあこれ、もらってもいいですか? 僕の遺作になるかもしれないので」

「え?」

「僕はこのさき、自発的にまともな絵を描くことなんてきっとないですから」


 一瞬目を見開いたあと、あっそう、と言ってウラハは笑った。両手に持った絵を抱きしめるように胸に引きよせ、身をよじる。


「だめ。これはあたしの。ここまで仕上げたのはあたしなんだから、あたしのものでしょ」

「えっ……そういうものなんですか? 僕も欲しいです……」

「だめ」

「ジャンケン、じゃ、だめですか? 」

「嫌だってば。画材もあたしのなんだから、あたしのなの!」


 ウラハはイラストの描かれた紙を、机の引き出しにしまい込んだ。


 一緒に描いた絵を貰えなかったのは残念に思ったが、ルチカは笑っていた。


 楽しい。


 こんな楽しい気分になったことは、ずっとなかった。

 これまで、休み時間に談笑する友人同士を見ては、うらやむのが常だった。

 そんな自分がいま、ウラハさんと話をして、笑っている。

 ウラハさんも、笑った。本当に楽しい。


 これはもしかして、仲良くなれているのではないだろうか。

 嬉しくて、楽しくて、口もとがしまらない。


「僕、ウラハさんの遺作ができるのが楽しみです」

「……わかってる。白い涙の理由が知りたいんでしょ」

「あ……はい。そうです。そうですけど、それだけじゃなくて……僕、はじめは白い涙の理由が知りたいっていうのと、一緒にいたいっていう気持ちで助手になりました。だけど、今日はじめてウラハさんの絵を見て感激したんです。ウラハさんなら、きっとすごい遺作ができるんだろうなあって、なんだか僕も、わくわくしてきました」


 両手を軽く握り、真っ直ぐにウラハの目を見つめる。

 ウラハは怪訝そうな顔で、視線を落とした。


「……そんなに持ちあげたって、助手の待遇はなにも変わらないわよ」

「持ちあげてなんてないです。ほんとに僕、ウラハさんの作ったものがもっと見たいんです。絵もすごくきれいだったし、僕の下手な絵でも可愛くしてくれたし、描いてるときのウラハさんも、楽しそうだったから……」


 ウラハの表情が引きしまる。


「……なによ、わかったようなこと言って……描いてるとこなんて、いま、ちょっと見ただけじゃない」

「前にも一度、美術室で見たことがありますよ。あ、でもあのときは……」


 そういえば、あのときと今日では、ずいぶんウラハさんの雰囲気が違っている。


 あのときは自分の気分が高揚していたので、正直はっきりとは覚えていない。けれど、あのときのウラハさんはもっと冷たい、ぎらぎらとした恐ろしげな目つきだったような……。


 ルチカは疑問を抱いた。同じ「絵を描く」という行動なのに、ウラハさんのなかでなにがどう違い、表情を変えているのだろう。


「……あのときは……どんな絵を描いてたんですか?」

「あんたには関係ないでしょ!」


 ウラハは瞬時にルチカの質問を跳ね返した。

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