4 族長の勤め
「は、離しなさい、ツァガンくん」
ヴァシリーが、もがいている。
彼はツァガンに、馬乗りにされ、身動きが取れない様に、両腕を封じられていた。
「ヴァシリー、オイラ、お前、傷つけたく、ない」
「じゃあ、離してください。私は、君に危害は加えませんから」
その言葉に、彼は首を振った。
「信用できない。ヴァシリー、オイラの目、見てない」
「くっ……」
「兵隊たち、皆、逃げた。隊長も、オイラ倒した。あとはヴァシリーだけ」
彼はそう聞かされ、驚きの表情を見せたが、やがて眉間にしわを寄せて泣きそうな顔をし、次いで、自棄になったのか、大声で笑いだしていた。
「やっぱりな、ははは……」
「どうした?」
「罪人の開拓兵なぞ、こんなものだ。こんなものなんだ……」
彼の目から、涙が溢れ出る。
「ヴァシリー、なんで、泣く」
「う、うっ、う、ああああーっ!」
あの旅でも見せたことのない、彼の取り乱した姿に、ツァガンは驚いていた。
「ヴァシリー」
さくさく、と草を踏む音と、エルージュの悲し気な声が、彼らの背後に聞こえた。
「バカな奴だ」
そして、ユーリの、声もした。
彼は吐き捨てるように、そう言った。
「ユーリ、さん。あなたは、見える?」
彼女の声が、震えていた。
その意味を理解した彼は、弟と、その周囲を見て、黙って頭を振った。
「見えません、どこにも」
「そんな、ヴァシリー、あなた」
エルージュは、泣いていた。
ヴァシリーの身体の側に、いつもあるはずの、それが見えなかった。
「ない、シャマンの樹が。どうして」
漏れる嗚咽を押さえようと、彼女の手が顔を覆った。
暗闇の草原に、男と女の泣き声がしていた。
「エ、エルージュさん。ごめんなさい、ごめんなさい」
泣きながら、ヴァシリーは詫びていた。
「私は、シャマンで、なくなって、しまいました。私は、私は……」
彼は語った。
彼のシャマンの樹は、東西を分ける山脈の、西側山麓のどこかにあった。
だが、強大な国として膨らみ続ける故国は、その山脈まで勢力圏を拡大し、開拓と称して、森林を切り開き、彼の樹までも伐採してしまったのだった。
その当時、彼は結婚したばかりで、家には彼と嫁がいたのだが、原因不明の吐血に倒れた彼を、医者も助けることは出来ず、何を思ったか嫁は教会へと駆けこんでしまったのだ。
そして、助けたいとの嫁に、司祭はシャマンをやめて改宗しろと迫ったのである。
当然の如く、嫁は彼を説得した。
涙ながらに説得を続け、ついに彼は、それを受け入れてしまった。
シャマンをやめ、転んだ彼に、以前のような力は、残っていなかった。
彼は、生活のために、開拓兵になることを選んだ。
森を切り、殖民し、また、森を切り開く。
それを繰り返し、東側の、まだ人の手の入らない森林地帯を突き進み、莫大な資源と、毛皮、そして土地を、彼らは手に入れた。
「私は、富と栄誉を掴みました。でも、代わりに、大事なものを失ったのです」
ヴァシリーの襟元から、首飾りが転がり出た。
「それは……」
首飾りの形に、ユーリは驚いていた。
「正教会です」
それは、彼らの故郷の国教である、東方正教会信徒の証だった。
正教会は、皇帝が威厳を示すため、また正当なる歴史の後継者として振る舞うためのものでもあった。
遥か古の時代に、憧れの存在であった国に倣おうと、人々は土着の宗教を捨て、教会の教えを受け入れた。
そうして、周辺異民族を蛮族だとして、討伐しながらも、国は少しずつ発展を遂げた。
今や、正教会は国の大多数を占め、異民族や異教徒は迫害の中で、ひっそりと消えゆくしか、道は残されていなかった。
「私は、父を、兄さんを、捨て、転びました。私は、もう、昔の私では、ありません」
溢れる涙を拭う事も無く、ヴァシリーは、ツァガンの目を見た。
「ツァガンくん、私を、殺してください」
「えっ、ヴァシリー……」
「私は、君たちを、欺いた。その報いを受けないと、いけないのです」
「で、できない。そんなこと、オイラ、できない!」
ツァガンが頭を振って、叫んだ。
「やらないとだめだ、ツァガンくんは、家族を守らないといけない。侵略者には立ち向かうんだ」
「い、いやだ!ヴァシリーは、殺せない!」
「やれ!ツァガン!」
戸惑い、拒絶の意思を表すツァガンへ、ユーリの怒号がかけられた。
「お前は、じきに族長となる男だ、敵に情けをかけるな!」
「ヴァシリーは、敵じゃない!」
「奴は敵だ!土地を奪い、森を、毛皮を奪い、男を殺し、女を慰み者にする、我らの敵だ!」
ツァガンの目から、涙がこぼれた。
「ヴァシリー、うそ、だよね」
大粒の涙が、ヴァシリーの頬に落ちた。
「嘘ではありません」
彼が、にこりと笑った。
旅の中で、年下のツァガンを、いつも弟のように可愛がってくれた、彼の笑顔が思い出された。
その顔が、ツァガンに訴えている。
「さあ、殺してください。その鼻水が、私の顔に落ちないうちに」
ずるずると、鼻をすすり、ツァガンは、彼の首に、震えながら手をかけた。
「ごめん、ヴァシリー」
ツァガンに、優しい笑顔を見せたまま、ヴァシリーの息は事切れて、いた。
数か月が経っていた。
あれから開拓兵たちは、この東方世界に姿を見せず、樹林地帯は平和が訪れていた。
「エルージュ、オイラ、分からない」
草原で遊ぶ、子供たちを見ながら、ツァガンは、そう呟いた。
「ヴァシリーは、なんで開拓兵になった?なんでオイラたちを、殺そうとした?」
「……分からないわ」
夫の言葉に、エルージュは答えることができず、ただそう言う事しか、できなかった。
「侵略者に、立ち向かえって、言ってた。ヴァシリーは侵略者なのか?」
ツァガンの脳裏に、あの日の夜の事が、思い出される。
ヴァシリーが死んだ時、ツァガンも、エルージュも、そしてユーリも涙を流し、彼の死を悼んだことを。
彼のシャマンの樹は、なくなっていた。
その時に、本当の彼は死んだのだと、エルージュは、涙ながらに言っていた。
旅の中で、常にツァガンを可愛がり、そして、全てが終わった際に、エルージュと結婚した時も、彼は誰よりもそれを喜び、祝福してくれた。
ヴァシリーは、ツァガンにとって、仲間でもあり兄のような存在であったのだ。
その彼が、殺してくれと懇願し、死んでいった。
首に手をかけた、あの彼のぬくもりを、ツァガンは、忘れることができずにいた。
「オイラ、間違って、いたのかな。もっと、何か、なかったのかな」
「お前は、何も、間違ってはいない」
思い悩む、彼の背後に、ユーリが立っていた。
「お前は、家族と、村を守るために戦い、勝った。それだけだ」
「ユーリさん」
彼の手には、小さな花が握られていた。
その花を見て、エルージュの目に、涙が滲んだ。
「墓参りに行ってきました。あんなのでも、私の弟だったのですから」
「ごめんなさいね、あなたの方が、もっと辛いでしょうに」
「いえ、エルージュ様は、身重ですから。こういう事は、私にお任せください」
ヴァシリーの亡骸は、ユーリの手で、森の中に葬られた。
開拓兵は、仲間のヴァシリーが死んだというのに、亡骸を引き取ろうともしなかった。
冷徹なのだ、と、ユーリは言っていた。
「ユーリ、オイラ、間違っていないのか?」
ツァガンは、彼に問いかけた。
彼は大きくうなずき、それを肯定した。
「ああ、間違っていない。自分を信じろ」
「でも、思うんだ。もっと、違う方法が、あったんじゃないかって」
「それはない、シャマンをやめたら、農奴になるしかない。自由などないんだ」
西の国は、国民の大部分が、農奴兼兵隊だった。
富農として成功する者もいるが、それは限られた人だけであった。
「農奴として、貧困にあえぐなら、開拓兵として、自由を掴みたかったのだろう」
それもまた、家族を守るための術なのだと、彼は語った。
さらに時が経ち、エルージュの腹が膨らんだ頃だ。
ツァガンは父親の天幕へと、呼び出されていた。
「え、父さん、今なんて」
「よく聞け。お前に、族長の地位を譲ると言ったのだ」
その言葉に、彼は驚いた顔をしていた。
「お前は、もう立派に、族長としての振る舞いを身に着けた。時期が来たんだ」
父は、ツァガンの両肩を、しっかりと掴んだ。
「儂はもう年だ。だがお前は、敵から村を守れる力を持っている」
「でも、あれは、オイラだけじゃ、ない」
息子の言葉に、父は首を振った。
「信頼できる友人を持つことも、また族長の務めなのだ」
「ユーリは、オイラの友人なのか?」
「友人だろう。でなければ、何だってこの村を守る義理がある?」
ツァガンは、それもそうだと思い、首を縦に振っていた。
「よし、では近いうちに儀式をして、正式にお前を族長にする。それでいいな」
「はい、父さん」
凛々しくも、力強く、それを受けた息子に、父は嬉しそうに笑っていた。
数日後、エルージュは、森の中で子供たちを遊ばせていた。
「それでね、ユーリさん、お願いがあるのよ」
「はい」
倒木に腰かけ、彼女は傍らに立つユーリに声をかけた。
「今度のツァガンの儀式なのだけど、あなたにも出てもらいたいの」
「……私が、ですか」
「ええ。ツァガンと、お父様の、たっての希望なのよ」
そう語るエルージュを、彼は見つめ、思わず彼女と目が合っていた。
「し、しかし、私は部外者です、あの村の者ではありません。参加する意味が……」
「ツァガンは、あなたを友人として招待したい、と言っていたわ」
思いがけない言葉に、彼は大層驚いていた。
「ゆ、友人?」
「ええ、友人よ」
「ですが、私は、そう思ったことは、ありません」
「あなたたちはそう思っていても、私には充分、友人に見えるわね」
慌てる彼に、エルージュは微笑んでいた。
「儀式、出てくれるかしら?」
主の願いを断る訳にもいかず、彼は決心していた。
「はい、謹んでお受けいたします」
「ありがとう、ユーリさん」
膝をつき、頭を下げる彼に、エルージュは安堵の顔を見せていた。
それから幾日か経ち、村の中心部の広場に、狼の氏族が集まっていた。
広場には、豪勢な祭壇が作られ、族長と、その息子のための、祝いの品々と捧げものが、ずらりと並べられていた。
「さて、準備はできたみたいね」
祭壇の脇で、エルージュは太鼓を持ち、そう呟いていた。
「ユーリ、今日は、何があるんだー?」
祭壇下の、氏族の者たちの場所で、ボローは、ユーリに問いかけた。
「今日はな、ツァガンが、族長になる儀式の日なんだ」
その腕に、ヴォルクを抱き、ユーリは優しくボローの問いに答える。
「とーたま、ぎしき」
「そうだ、儀式だ。良く言えたな、ヴォルク」
ユーリが頭を撫でてやると、彼は嬉しそうに、尻尾を動かしていた。
「二人とも、よく見ておくんだぞ、ツァガンの、晴れ舞台だからな」
「うん!」
「とーたまーぎしきー」
村中の者たちが見守る中で、族長の儀式は、始まった。
祭壇に火が掲げられ、エルージュの、シャマンの太鼓が、静かに鳴り響く。
太鼓の音は、徐々に強くなり、彼女の、テングリを称える詩が、草原を駆ける。
詩はテングリから、大地に移り、獣人を、氏族を、そして祖霊の狼を崇める詩となる。
腹の大きな彼女は、なるべく影響が出ないよう、踊りを最小限に、詩を踊りに被せるように、力強く、うたい上げる。
シャマンは、天啓を受けて、氏族の者を、族長に任命する役を負う。
それは、この東方世界の獣人たちに、共通する事柄なのだが、ツァガンの父は、シャマンの力添え無しに、族長に任命された。
そのことは、異例中の異例とされ、族長になっても苦労が絶えないとまで言われた。
実際、彼が族長になってから、狼の氏族は苦労が重なる状態になったのだが。
「これからは、苦労も減るだろうな」
ユーリの背後から、誰かの声がした。
「ツァガンなら、大丈夫だろう」
村人の声だった。
「あいつは、シャマンを連れてきた。希望の子も嫁に産ませた」
「これで、安泰だ」
皆、口々に、今までの苦労と、それが報われるであろう、言葉を話していた。
この村が、どれだけの困難を負ったか、ユーリには見当もつかないものの、ツァガンが、褒め称えられる言葉を聞いて、そんなに悪い気はしていなかった。
エルージュが、祭壇の火を松明に移し、ツァガンの周囲を、火で清める。
そうして、彼に、シャマンの言葉として、族長を任命する文言を捧げた。
秋の日の、晴れ渡る青空の下、こうしてツァガンは、族長となった。
それから数日が経ち、彼は周辺の氏族からの、祝いの一団をもてなすため、宴会に次ぐ宴会が続いていて、心身共に疲れ切っていた。
「はあー、つ、疲れた……」
天幕に戻って来るなり、ツァガンはそう言って倒れこんだ。
「あらあら、お疲れさま」
既に子供たちは、就寝しており、エルージュは静かに、夫を寝床へと連れて行った。
「さあ、ゆっくり休んで。明日も早いんでしょう?」
「うん、それなんだけど、ちょっと……」
彼は、妻を手招きで呼び寄せると、そっと耳打ちをした。
「明日、魚の奴らが来る。だから、エルージュは、外に出ないで欲しいんだ」
「え、魚?」
「うん、魚、危ないから」
彼の言葉に、エルージュは首を傾げる。
「危ないって、どういう……」
そう言った時、ツァガンは既に寝息を立てていた。
彼女は、夫にそっと掛布を被せ、自身もそこに入っていった。
翌日。
今日も、朝早くからツァガンは出かけ、客をもてなすために、忙しく動き回っていた。
「ねえちゃん、今日は、お外に行かないの?」
「お外はね、ちょっと出られないのよ」
「俺、ユーリのとこに、遊びに行きたい」
駄々をこねるボローを、優しくなだめつつも、エルージュは扉を少しだけ開けて、そっと外を伺った。
そこには、不思議な模様の服を着た、七、八人の集団と、義父の姿にツァガンの姿がある。集団は、村内を見回して何かを言い合っているようだ。
「あれが、ツァガンの言っていた、魚の?」
扉をゆっくりと閉め、エルージュは子供たちと遊ぶことにしていた。
「ねー、ねえちゃん。赤ちゃん、いつ産まれるの?」
小石を並べる遊びをしながら、ボローはそう言っていた。
「そうねえ、早くても、冬を過ぎてからかしら」
「男の子かな、女の子かなあ」
子供らしく、首を傾げながら語る、彼の姿に、エルージュは優しい笑顔を見せていた。
「それは、産まれてみないと、分からないわ」
「俺ねえ、女の子がいいと思う」
すぐ横で、小石遊びを見つめるヴォルクに、ボローは頭を撫でてやっていた。
「あら、どうして?」
「ツァガンがね、女の子が欲しいって言ってた」
予想外の言葉に、彼女は驚いていた。
「ねえちゃんに、そっくりな女の子、欲しいーって」
「そんなこと、言っていたの?」
「うん、それに、ユーリも女の子じゃないかって言ってた」
「ユーリさんまで?もう、二人して……」
そんな他愛もないことを話していると、突然、天幕の扉が開け放たれていた。
「誰?」
彼女が振り向いた時には既に、二人の見慣れない男たちが、天幕内に侵入している状態だった。
「出て行きなさい!ここは、族長の天幕です!」
エルージュは、ヴォルクとボローを背後に庇い、気丈にも不審者に立ち向かった。
だが、そんな彼女をあざ笑うかのように、男二人は何かを話し合うと、彼女を指差し、ニヤニヤと不気味な顔をしている。
「出て行けと言っています!人を呼びますよ!」
ボローは、ヴォルクを抱え、恐怖で怯えて固まっていた。
「ね、ね、ねえちゃ、ん」
「ボロー、逃げて、早く!」
彼女が一瞬だが、子供たちに気を反らしたのを狙って、男二人が彼女に襲い掛かっていた。
「下がりなさい!」
彼女の周囲に光の帯が出現し、彼らを威嚇するように、バチバチと鳴った。
だが、それに怯まず、男の一人が、彼女の腕を掴もうとした、その時だ。
「やめろ!」
息を切らせたツァガンが、飛び込んできて、瞬く間に男の腕を圧し折っていた。
「オイラのものに、手を出すな!」
その言葉と同時に、もう一人の男のみぞおちにも、一発叩き込む。
泡を吹きつつ気絶する男どもを、表に引きずり出し、ツァガンは怒りの打撃を加え続けた。
「よくもっ!お前ら!」
拳が、男らの身体にめり込むたび、骨が、砕け散る音がする。
「やめろ、ツァガン!」
あまりの事に、父がツァガンを止めに入るのだが、男二人の顔は既に大きく変形し、見るも無残なものになっていた。
魚の一団は、ツァガンの怒りの形相に恐れをなし、頭を地に付けて、必死に許しを請うていた。
「ねえちゃーん」
エルージュの身体に、ボローが抱き着く。
「ボロー、怖かった?もう大丈夫よ」
「えぐ、ねえちゃん、ねえちゃん」
「うええええん」
ボローの泣き声に、ヴォルクもつられて泣きだした。
そんな子供たちをあやす彼女の元へ、ツァガンが大慌てで戻って来た。
「エルージュ、ケガはない?」
「ええ、私も、子供たちも無事よ」
「よかった。すぐに来られなくて、ごめん」
ツァガンは、妻と子供たちを、安心させるように、抱きしめた。
「あいつら、帰ったから、もう大丈夫だから」
「ツァガン、ありがとう……」
子供たちのいる手前、彼らを怖がらせないように、気丈に振る舞っていた妻だったが、抱きしめて初めて、小さく震えていることに、ツァガンは気が付いた。
彼は、子供たちが泣き止むまで、ずっと妻を抱き、なだめていた。
その日の夜。
ツァガンは、寝床にて、柔らかな妻の身体を抱いていた。
「エルージュ、昼間は、ごめんね」
「どうしたの?」
黒い、妻の髪をいじりながら、彼は呟いた。
「魚の奴ら、あいつら手癖、悪いのが多い。他所の氏族の女、狙う、卑怯な奴らなんだ」
「危ないって、そういう意味だったのね」
「うん、ちゃんと言ってなくて、ごめん」
彼女は、ツァガンの胸に頬を寄せた。
「もう、いいの、あなたは私たちを助けに来てくれたわ」
「でも、もっと睨み、利かせていれば、ああは、ならなかった、思うんだ」
あの時、妻は震えていた。
襲われた恐怖に、怯え、震えていたのだ。
その事実を目の当たりにし、彼は家族を守るという事の重要性を、ひしひしと感じていた。
「手癖の悪い奴は、二度とこの村に来るなって、きつく言った、だから」
ツァガンは、そっと、妻に口づけをした。
「安心、して」
「ええ」
暗い天幕の中で、二人の息の音が、していた。