お題小説【葉桜】【地下】【夜】
企画初参加、且つこのサイトでの初投稿になります。
これから定期的に投稿させていこうと考えていますので、今後とも宜しくお願い致します。
四月中旬といえど、流石に深夜二時ともなればまだ寒い。久々に着た黒のダッフルコートの襟を引き寄せながら、クリーニングに出さないでおいて良かったなと思う。
「やぁお待たせ」
声のした方に視線だけ向ける。赤茶色のマッシュヘアに黒縁眼鏡、間違えようもない間抜け面の男。コンビニから漏れる光に揺らめく姿と台詞、仕草、風景すべてに既視感を覚えてクラクラした。頭に浮かんだ次の自身の台詞も、もう何度も口にしている気がしたが、構わずそのまま口に出す。
「人を呼びだしておいて待たせるなんて、どういう了見なのよ」
こんな時間ではあるものの、野生から離れて時間感覚のいかれた現代人と、寧ろ退化して夜行性に戻った奴等は煌々と光る派手な街灯りを縫う。誰もが他人に無関心で、私たちも例外ではない。
「文句言いつつもちゃんと来てくれるあたり、やっぱりキミは優しいね」
ふにゃりと笑って私の手を取ると、手を繋がれたまま流れるように彼のポケットへ突っ込まれる。冷えちゃったなごめんね、なんて宣いながら。抗議の言葉は、白い靄に変わる。
下を向いたまま引き連れられた先に辿り着いたのは、地下へ延びる不気味な階段だった。中に電灯は無く、一体どれくらい下まで続いているのか、入り口からは測りかねた。周りを見渡してみるも、いつの間にか辺りには私たち以外誰もいなくなっていた。
「ちょっと待ってて、灯りつけるから」
あまりにもあっさりと繋いでいた手を離されて、右手の行き場を失った。
「……寒い」
そっぽを向いて零すと、頭一つ上からふっと息が漏れる音が聞こえた。きっと今隣でこの男は、私の一番好きな表情をしていやがるだろうから、絶対に見ない。懐中電灯の光が一直線に階下を指すも、結局終わりは見えなかった。
「失礼致しました。お手をどうぞ、お姫さま」
差し伸べられた左手に、無言で指を絡める。かつん、かつん、と二人きりの足音が響く。かつん……かつん。ぶるり震えて無意識に右手に力がこもった。
「何処を目指しているの」
今更すぎる問いを、前を行く背中に投げる。
「桜をね、見に行くんだよ」
「さくら…桜って、もう葉桜になっているんじゃないの。お花見には遅すぎるよ」
足を止めて振り返る、一瞬確かに見えたはずの悲しそうな表情は、見間違いだったろうか。瞬きした後の世界では、彼は優しく笑っていた。
「大丈夫。ここには季節なんか無いから」
ぐいっと腕を引っ張られて意図せず前へ出た脚は、在るはずの階段を捉えられないまま空を掻く。重力から解放された内臓がせり上がり、背中に鳥肌が立つ。知っている、私はこの感覚を知っている。
「もういいよお花見なんて」
一緒に落下していく光源が、代わる代わるに彼と私の姿を照らす。私は尚も続けた。
「満開の桜じゃなくたっていい、葉桜でいい、だから、」
底無しだと思い込んでいた奈落は唐突に終わりがきて、私は独り、星の無い空を仰いでいた。その少し手前に焦点を結ぶと、見慣れた橋が架かっている。右手はとうに冷え切って爪は紫がかり、うまく動かすことができない。
「どうして、私だけまだここに居るのかなぁ」
呟きに応える声は無く。一緒に行く筈だった。二人であの橋から身を投げたのはもう一年も前のこと。
葉桜でいい、だから、君の隣で見たかった。
Fin.
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