18.佐伯秋人と演劇部の受難
我が紅陽高校演劇部は、これまでに数々の輝かしい成績を残してきた。それも特に三年前からは演技の質が格段に上がっている。そう、演劇部部長、松山譲が入部したからである。気弱な印象の部長は演劇バカで、舞台上では人格が変わる。どんな役も自分のものにし、完璧に演じ切る。だからこそ自由人が多いこの部でも皆部長についていくのだ。
そして、部長には鬼畜と名高い友人がいる。ここの生徒ならその名を知らないものなどいない、超有名人。夏目千里は、人を寄せ付けない圧倒的な存在感を僅かに緩ませ、今日も嬉々として部長をいじり倒すのだ。
「千里。何やってるわけ?」
「今後の参考に必要だろう。お互い」
不敵に笑う夏目先輩に、部長の色白な頬が薄紅色に染まる。この人雰囲気が気弱なだけで、顔立ちは中性的だからやけに扇情的だ。まぁ、今の衣装とメイクのせいでもあるのだろうけれど。
「何がお互いだ! 部のカメラは一年がちゃんと回してる。千里のそれは思いっきり私物だろ! 俺の黒歴史で楽しむ気だろう!」
「これから先も今日のような役を書くかもしれないからな。映像があったほうがイメージが湧く。それに松の演技は完璧だしな」
「にやけた顔で言われても嬉しくねぇよ!」
いつものごとく、部長と夏目先輩の言い合いが始まる。言い合いといいうよりは、怒る部長を見るのが楽しいんだろうな先輩は。
この騒動は思えば一か月前から始まっていた。間宮が夏目先輩の書いた脚本を持って来た時から……。
「はぁぁ。千里の奴、俺で遊びすぎだろ」
間宮が申し訳なさそうに部室を去った後、部長がパイプ椅子の背に凭れ掛かって大きなため息をつく。
「部長、大丈夫ですか? もし難しそうなら練習だけやって公演は別の作品にしましょう」
「佐伯……。こっちが頼んで書いてもらってるし、それに厄介なことにいい出来なんだよなこの作品。千里の言う通り深い話なのに、硬すぎず重すぎない。千里の性格の悪さが出てるよね」
顔を覆う部長から台本を拝借して読んでみると、確かに夏目先輩の文才を実感する。これだけ濃いキャラが動き回っているのに、無駄な設定など一つもない。でも、無駄はないけれど、これだけはわかる。
……オネェは部長を面白がってるんだろうな。
あの美しく冷たい目が楽しげに細められるのを容易に想像できる。性格悪いよな、本当。
「仕方がない。役者はどんな役でも演じきらないとね」
そうして翌日の読み合わせに、部長は隈を作って来た。
「ちょっと、まっつん大丈夫? 隈すごいよ?」
「大丈夫だ。あとその呼び方やめて、河村」
河村先輩は片手で金槌を回している。
小柄なのにいつも片手には金槌、元気に部室を走り回る姿はなかなか恐怖を煽る。
「部長。役作りできたんですか?」
「あぁ、何とかな。バラエティやらドキュメンタリー、あとはドラマと映画を見まくった」
本当に演技が好きだなこの人。凄まじい根性だ。
「よし。じゃあ読み合わせしようか」
やはり、部長の演技力は半端じゃない。本物のオネェにしか見えない。今日は読み合わせだけだから衣装もメイクもないけれど、それでも演技だけで騙されてしまう。果たして、夏目先輩は部長を見てどう出るのだろうか。さすがの先輩も、この演技力を前にしては何も言えなくなると思う。
とか思ってたあの頃の自分を殴りたい。部長の演技は確かに素晴らしいけれど、忘れてはいけない。夏目千里が鬼畜であるということを。
今回の作品、「水城と深月」に出演する部員たちが衣装やらメイクをしているとき、文芸部の部長であり脚本を書いた張本人の夏目先輩が部室に現れた。この時からだいぶ嫌な予感はしていた。夏目先輩が片手にビデオカメラを持っていたから。
……この人、絶対余計なことする気だ。いつもは不機嫌に顰められている眉もどことなく楽しそうだし。
夏目先輩は、勝手知ったるでいつものドア付近のパイプいすに腰掛けた。
「……千里。なんでいるわけ?」
「よう、松。似合ってるぞ」
準備を終えて部室に戻ってきた部長が、安物のパイプ椅子に優雅に足を組んで座る夏目先輩を視界に入れるなり、舌打ちせんばかりに顔を顰める。部長は栗色のショートのウィッグに、ロングのワンピースを着ていた。メイクを施された顔は、女性にしか見えない。僅かに低い声だけが男性を主張していた。
「でしょう? 私の自信作なの。譲は華奢だから結構いい線行くのよねぇ」
衣装係の望月先輩が目を輝かせている。あぁ、メイクも担当だったんだな。部長の避難がましい目が語っている。
常に完璧を求める部長だが、望月先輩の完璧なメイクとコーディネートはただでさえ女顔の部長を八割がた女子にしてしまい、さすがに自尊心が抉られたようだ。
「ほら、皆始めるよ! 照明準備できてる?!」
パンパンと手を打つ部長は、軽く自暴自棄だ。
そして劇が始まる。
「え!? 深月ちゃん友達できたの? すごいじゃない! 今度遊びに来てもらいなさいよ」
完璧なるオネェ。さすが部長だ。
ふと視線を夏目先輩に向けると、笑いを堪えながらカメラを構えていた。
……この人自分の作品に愛着とかないのだろうか? 多分、自分の小説より部長のこと好きなんだろうな。なんだかんだでいつもちょっかい出してるし。捻くれた愛情表現だ。
そして無事閉幕し、部長が荒々しくウィッグを取る。
「あぁ! ちゃんと写真撮ってないのに!」
望月先輩の悲痛な叫び。この人も大概悪趣味だ。
「写真ならそこのバカがずっと撮ってただろ!」
夏目先輩に向けてウィッグを投げる部長。
夏目先輩は片手で捕まえると、満足げにカメラを確認し始める。
「さすがだな松。よく撮れてるぞ」
「ふざけるな! どうせそれで遊ぶ気だろう。今すぐ消せ!」
切れた部長が手あたりしだい夏目先輩に投げつけ始める。
「皆ー。とりあえず避難してー」
もはや慣れてしまった河村先輩の撤退命令に、部員も慣れた様子で従う。
あまり小道具壊されないといいが。
……何なんだこの人たちは。一体ここで何があったんだというほど荒れ狂った部室。肩で息をする部長と、それを楽しげに見る夏目先輩。部室がこんなにも荒れているのに、何故先輩は無傷なのだろうか。間宮の恐怖がわかった気がする。この人は多分人間じゃないんだろう。
「気が済みましたか、部長。先輩もからかい過ぎですよ」
「あー。ごめん。後でちゃんと片づけるから」
「すまなかったな。怒り狂う松が愉快でつい。まぁ、反省も後悔もしていないが」
いやしろよ! 潔すぎるだろう!
「じゃあ後は先輩方で片してくださいね。部員はすでに解散しているので」
了承の意を示す二人に背を向け部室を出る、一歩前。振り返る。どうしても言っておきたいことがあった。
「『水城と深月』、すごく良かったです。今度の公演も楽しみにしてます」
ほほ笑みを漏らす部長と軽く手を挙げた夏目先輩に今度こそ背を向け、部室を後にした。
部長の演技はきっと他の高校生など足元にも及ばないぐらいの完成度で。夏目先輩の書く脚本も部員の力を十分に引き出すもので。次の公演が楽しみなのは事実なのだが……。
あの人たち、どこぞのカップルより仲良くないか?
最近、間宮×夏目よりも夏目×松を書きたくて仕方がない作者は腐ってしまったのだろうか?