15.間宮陽日の恨みつらみ 前編
少し長くなりそうなので、前編後編に分けました。
間宮の逆襲が始まります。
廊下を走ってはいけないらしい。小学校で教わったが、私は思う。緊急時であれば、もしくは走らなければならない理由が明確であれば致し方ないと。だから私は廊下を全力疾走するのだろう。……目の前の逃亡者を追って。
「調理実習か……やだなぁ」
「あぁ。確かに間宮って料理苦手そうだよな。てか家庭科全般苦手だろ。この前のトートバック、相当ひどかったぞ?」
家庭科の授業が終わり、廊下を佐伯君と並んで歩く。
「料理とか裁縫はホントダメなんだよ。まず前提に不器用なんだけど加えてトラウマがあって……」
「トラウマ? 針で指差すとかそんなんだろ?」
「まぁ似たようなもんかな。小学校の時にさ……」
あれは確か六年生の家庭科の授業だった。ミシンの使い方、みたいな感じで二人一組で実習をしていた。結構設備の悪い学校だったためか、比較的新しい型のミシンは行き渡らなくて半数は足で踏んで稼働させるタイプのミシンを使っていた。そして運の悪いことに、私たちペアのミシンは手動式の上に接触不良で一人では使えなかったのだ。私はちゃんと先生に報告した。したともさ。だが先生は言った。
『一人が押さえてその間に縫えばいいよ』
素直な私はその通りにしましたよ。まぁ、私が押さえているときは上手くいっていた。ペアの男子はみんなと同じ仕上がりになった。でも私の作品はそれはもうひどいものになった。私が『ちょっと止めて』と言っているのに奴は手を離さなかったのだ。そりゃあ糸が絡まってぐちゃぐちゃになりますよ。奴が上手くできているので機械のせいにもできず、私が怒られるという……。
「その時に一生ミシンは使わないと誓ったね」
「まぁ手縫いができるならそれでもいいと思うけど、お前それも壊滅的だからな?」
「わかってるから言わないで……でもさ。私の料理の腕が壊滅的なおかげでちょっとした憂さ晴らしができるんだよ」
あぁ、実習自体は気乗りしないが、そのあとのイベントが実に楽しみだ。
「おい、間宮。なんか材料多くないか?」
同じ班になった、というか友達が他にいない私は無理やり佐伯君の班に割り込んだ。熾烈な戦いだった……。
「大丈夫。この余分な材料は私の自腹。日頃の感謝を込めて配る分だから」
「……何か顔怖いぞ」
笑っているだけなのに失礼な。
「じゃあ、始めるか」
今日作るのは、無難なカップケーキとチョコチップクッキー。きっと普通の女子高生ならなんてことのないお手軽お菓子なのだろう。器用な佐伯君も率先して作業をしている。見とれる他の班の女子たちが足を引っ張っているっぽいが。
「ちょっと間宮さん。ちゃんと参加してくれない? 何一人で別行動してるわけ?」
みんながカップケーキとクッキーを二グループに分かれて作っている中、私は一人、自称クッキーを作っていた。
「そうよ。間宮さんはクッキーの係でしょ? 私一人にさせるわけ?」
うちのグループは佐伯君以外女子、という非常に偏った編成の四人グループ。確かに一人に任せてしまうのは心苦しいのだけれど、
「ごめんなさい。だけど多分私が手を出さないほうがいいと思うよ」
「は? そうやってサボろうとしてるの?」
いや、こっちはこっちで作業しているのだが。
「私が手を加えると、別の物質になってしまうから」
「……間宮は自由にしてていいから」
意味が分からなかったらしい女子二人をよそに、疲れた様子の佐伯君がカップケーキの材料を合わせながらため息をついた。
家庭科室に甘い匂いが漂いだしたころ、私の自称クッキーが異様な存在感を醸し出していた。
「かーんせい! ……ムフフ」
「ま、間宮さん。それ、何なの?」
一人のギャルが私の前の机に並べてあるクッキーたちを指差す。
「自称クッキー。先輩たちが可哀想だから一応プレーンにしておいたやつ、です」
私のクッキー発言に驚いたのか、遠巻きにこちらを見ていた人たちも瞠目していた。まぁ、そりゃあ驚くよな。だってどう見ても消し炭だから。
「それ、人にあげるわけ?」
「はい。日頃の感謝を心の底から伝えたくて」
私のほほ笑みに、一同が顔を青くする。
「日頃の感謝って、文芸部の人たちにあげるのか?」
佐伯君がひきつった顔で炭と化したクッキーを見つめる。
「甘いな、佐伯君。私はもっとたくさんの人に感謝してるんだよ? 文芸部のメンバーはもちろん、松山先輩に河村先輩、望月先輩。あぁそうだ、中村先生と間宮先生にも配らないと。もちろん、佐伯君にもね?」
「いや。俺は別に、感謝されるようなことは……」
「何言ってるの? 佐伯君にはとっても感謝してるんだよ、私。はいこれ。どーぞ」
後ずさる佐伯君の手に、丁寧にラッピングしたクッキーを乗せる。
「ちゃんと食べてね? 捨てたりしたら……呪うから」
その時の佐伯君の顔は、見たことがないくらい蒼白でした。
「中村先生。間宮です」
昼休み、化学準備室を訪ねる。中村先生は幸せそうな顔で愛妻弁当を頬張っていた。
笑顔が凍る五秒前~。先生、不幸を届けに参りました。
「あぁ間宮。今日の俺の弁当見るか? すごい旨いぞ。やらんけどな」
「わぁ、ホントに美味しそうですね。今日は先生に日頃の感謝を込めて渡したいものがあるんです」
自慢の愛妻弁当の横にラッピング済みのクッキーを置く。
「こ、これは……」
「はい。クッキーです。今日調理実習だったので。今日のはすごいですよ、先生。誰の手も借りず、私一人で作り上げたんで」
中村先生はこれ以上ないんじゃないかというほど顔を青くさせている。
あぁすっごい楽しい! これは定期的にやるべきだな。
「あ、ちょっと今から職員会議が……」
「それは残念ですね。愛する奥さんの弁当を残さなきゃいけないなんて」
先生がビクッと肩を揺らす。
さぁ、中村先生。愛する奥さんの弁当と私の悪意のクッキーからの逃亡、どちらを取る?
「……ちなみに毒物は」
「入れてないですよ。普通にみんなと同じ材料で作りました。ただ、毒なんて入れなくても体に悪い物質なんて作れてしまうものですけどね」
涙目の中村先生は、最後の晩餐の如く静かに愛妻弁当を食べ始めた。
「クッキーは食後にどうぞ」
絶望した先生の顔を背に、準備室を後にする。昼休みのうちにもう一人、感謝を伝えなければいけない人間がいるからだ。
「間宮先生。授業でクッキー作ったので食べてもらえませんか?」
職員室で無邪気な生徒の皮を被る。お兄ちゃんには家であげるより効果的なのだ。家だとのらりくらりと逃げられるが、職員室なら……
「いいですねぇ、間宮先生。妹から差し入れですか」
「仲がいいですね」
絶対に逃がすものか! 乙女の秘密を暴いた罪、償ってもらう!
「はい、どーぞ」
「あ、ありがとう。今ちょっとお腹いっぱいだから後で食うよ」
「あれ? 間宮先生今日は弁当忘れたって言ってませんでしたか?」
お兄ちゃんと同じ体育科の先生の一言に、お兄ちゃんは冷や汗をかいている。
当たり前だ。私がお兄ちゃんのカバンから弁当を取ったのだから。お兄ちゃんも私の作戦に気が付いたのか恨めしそうな顔でこちらを見ている。
「それに作ったからには目の前で食べてもらった方が嬉しいものですよ? 間宮先生」
新任の女性教諭がとてもいいパスをくれる。
「今、食べて? お兄ちゃん」
私の笑顔の圧力に負けたのか、ほほ笑ましく私たち兄妹を見ている先生方の視線に負けたのかわからないが、お兄ちゃんが包みを開ける。
「陽日。これは……」
「クッキー。一応、一番負担がないように余計なものは入れずにプレーンにしておいたよ」
「……ありがとう」
周りの先生方は私の諸々の意図に気付いたのか、気の毒そうにお兄ちゃんを見る先生と、楽しげに事態を見守る先生とに分かれた。
――ゴリッ、ガリッ
とてもクッキーを食べているとは思えない音が職員室に響く。
「……妹は怒らせるものじゃないですよ、間宮先生」
顔を強張らせて言う先生方に、お兄ちゃんは
「分かってます。本当に……どうしてうちの妹は行動で示すのか」
一番怒りを表現できて、且つダメージを与えられるからです。
未だ聞こえるクッキーを齧る音を聞きながら職員室を出た。
……次は演劇部。
……ホラーですね。
後編に続きます。