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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第三章『ライブ』
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(1)「ギムレット1」カクテル修行

 蓮華と新香は、シンガポールへ旅立って行った。


 その前夜に出された蓮華からの課題であるカクテル作りを、奏汰は開店前に、優に教わっていた。

 シェイカーを振るにも、適した速度や向きなどがある。


「この氷が当たって鳴る音って、なんか好きだなぁ」


 そう言った奏汰に、優が賛同した。


 前日のテストで、蓮華が「サイドカーのベースをブランデーからウォッカにするとバラライカ、ジンだとホワイトレディ、ラムだとXYZっていうカクテルになるのよ。配合は同じで。面白いでしょう?」と言っていたのが気になり、奏汰は、試作して、味の違いを比べてみた。


 味の違いは、なんとかわかった気になる。


 休憩室にある本のレシピを、眺めてみる。


「カクテルって、女性向けの物が多い気がするんですけど、男らしいのって、どんなのがあるんですか? 」


「女性向けに思えるものでも、注文する男性はいるよ。好みかなぁ。まあ、あえて、男性っぽいカクテルっていうのを挙げるなら、キューバリバー(ラムコーク)とか、マティーニ、ギムレットとか……」


「ギムレットですか?」


「そう。ある小説で有名になったんだけどね。僕が一番好きなカクテルでもあるんだ」


 優が、ギムレットを作ってみせた。


 シェイカーにドライジン、ライムジュース、シロップを入れる。

 ライムジュースは、市販のものもあるが、優は、生のライムを絞っていた。


「なんで、ジュースになってる方を使わないんです?」


「ギムレットには、こだわりがあってね。市販のジュースだと、甘いものもあるから。オリジナルは甘口らしいけど、辛口タイプにしたレシピもあって。いろいろ作ってみたけど、僕は、ギムレットは、本物のライム果汁の方が合うと思ったんだ。もちろん、お客さんの要望で、甘口のギムレットが良ければ、そう作るよ」


 奏汰が見たことのあるギムレットは、薄いグリーンであったが、出来上がったものは、白っぽい。


 優に勧められ、シャンパングラスに口をつける。


「うわー、かなりキツイですね。美味しいけど、ジンてクセがあるから、嫌いな人は飲めないでしょうね。俺は、この味、結構好きですよ」


「良かった。ギムレットには、ワインのコルク抜きに似た、木工用のキリっていう意味もあるんだよ」


「喉を刺すような辛さってことなのかな」


「そうかもね。だから、辛口の方が合うとも思うんだ。あとは、人の名前だという説もあるよ」


 イギリス海軍が、海のシルクロードーーインド洋を旅していた時、船員たちが好んで飲んでいたドライジンのストレートに、健康のためにインドで取れたライムを絞って飲むようになった。その時の提唱者ギムレット卿にちなんで名付けられたとも言われている。


「ギムレットを知った時、これが似合う男になりたいって思ったんだ。なーんてね」


 優が、冗談めいた口調で言った。


「小説みたいに、ハードボイルドな探偵には、似合うんだけどねぇ、僕じゃ、まだまだ」


「そんなことないです、かっこいいですよ! 優さん、やさしいから、見た目はハードボイルドじゃなくても、俺にしてみれば、音楽面でもバーテンダーとしても、底知れない力があるから、ギムレット似合ってると思いますよ!」


「いやいや、それは、どうも」


「俺は、何のカクテルにしようかなぁ。そんなに種類飲んだことないけど、ジンライムは好きかな。一般的過ぎるかな?」


「わざわざ探さなくても、いずれ見つかるよ。印象的な出来事があれば、その時出会ったカクテルが、思い入れの強い一杯になって、心に残っていくものみたいだよ」


「優さんの思い入れの強いカクテルって、他に、何があるんです?」


「ドライマンハッタンとか、他にもね」


「時には、カクテルが、恋愛の小道具になることもあるって、何かで見たんですけど……?」


「ああ、結構、ドキッとするネーミングの物もあるからね。キッス・オブ・ファイヤーとか、ビトウィーン・ザ・シーツとか、もっと過激なのも」


「はー、そうなんですか……!? なんだか、注文されたら、こっちが照れちゃいそうですね」


 奏汰は、笑った。


「ちなみに、優さんは、そういうの使って、女の人口説いたことあります?」


「僕は、あんまり使わなかったな。直接的なものより、抽象的なものの方が多かったね。ブルームーンとか、シャンパンカクテルなら、使ったことあるよ」


「うわー、ネーミングだけでも、女の人が喜びそうですね」


「昔の映画が好きな女性には、シャンパンカクテルで『きみの瞳に乾杯』って言うと、ウケるよ。これは、注文してくれたお客さんなら、どなたにも使うけどね」


「キザですねぇ!」

「そうだよ」


 優とふざけ合いながらだと、奏汰は、カクテルの知識が、するすると入っていく気がした。


「それで、誰に作ってあげるために、練習してるの? 彼女か誰か?」


「い、いや、蓮華ママですよ。また指令が出て。ママに合いそうなカクテルを、三つも作らないといけないんです。この本のレシピから」


「へえ。まあ、蓮華さんの出しそうな課題だね」


 優は、にっこり笑ってから、言った。


「口説くつもりで作ったら、うまく行くと思うよ」


 奏汰の顔が、ボッと赤くなった。

 この人は、なぜ、こんなことを、屈託のない笑顔で、さらっと言えるんだ? と、思う。


「や、やだなぁ、優さん、何言ってるんです?」


「そうだねぇ、蓮華さんなら、多少強いお酒も好きだし、日本酒も好きだし、どんなカクテルでも大丈夫だと思うよ」


 優が、突っ込んだことを言わなかったので、安心した奏汰は、改めて、本を見る。


「日本酒を使ったカクテルなんかも、あるんですね」


「自分で作ってみて、彼女が好きそうな味かどうか、味見して考えてみるのもいいよ」


 日本酒を使ったカクテルは、自分には、かなり飲みにくい。

 あまりに男らしい飲み物というものも、選択肢から省くことにした。


「ああ、かわいらしい物一つ選んでおくと、いいかも。お世辞で」


 優が、「お世辞で」の部分を、小声で言って、笑う。


「なるほど。それだと、グラスも選んだ方がいいかな」


「そうそう!」


 飲み物だけでなく、グラスまで考えないとならないか。


 奏汰には、ますます難しく感じられたが、優と話しているうちに、選ぶカクテルのイメージが湧いていく。


「バーテンダーって、お客さんを主役とした、裏方ですよね。俺、前にいた会社でも、PAをやっていて、あの仕事自体は、気に入ってました。バンドだって、ボーカルやギターみたいに目立つものよりは、地味だけど、縁の下の力持ち的なベースが、性に合ってたし。だからか、バーテンダーの仕事って、なんか共感出来るところがあります」


「僕もバンドで演奏経験あるけど、ベースやドラムって、下手な人がやると、他の楽器が気持ち良くノれないんだよ。バックほど重要だよね」


 まったくの同感だった。

 奏汰は、優に、以前から覚えていた親近感が、ますます感じられていった。




 店の鍵は、優が管理している。

 優と一緒に店を出て、しばらくは同じ道を行き、それぞれの家へと別れるまで、話は尽きない。


 そうして、アパートに戻った奏汰は、すぐにスマートフォンを確認する。


 蓮華から、さっそくメッセージが届いていた。


 シンガポールに到着し、空港の写真と、ラッフルズホテルのロビー(実際に宿泊したわけではないので、入ってみただけらしい)、ラッフルズホテルのバーで頼んだ、本場のシンガポール・スリングの写真が添えられていた。


 写真の解説以外のメッセージは、なかった。

 それだけでも、奏汰は嬉しくなり、返事を送るが、反応はなかった。


 「電話していい?」とも送るが、返事はない。


「寝ちゃったかな」


 奏汰は、くすっと笑うと、寝る支度をした。




「こんばんは」


 ある時、百合子がやってきた。


 カウンターの中にいる奏汰が、「あれ?」という表情になってから、「いらっしゃいませ」と、営業向けスマイルになる。


 百合子の方も、つんけんした態度ではなく、自然に、カウンター席に座る。


「へー、そっちにいるってことは、カクテル作れるの?」


 百合子が、少し、感心したように尋ねた。


「簡単なやつだけね」

「じゃあ、ジントニックお願い」

「かしこまりました」


 奏汰は笑顔で答える。


 そういえば、前回、百合子はホワイトレディーを頼んでいた。

 この人、ジンが好きなのかも? 


 にしても、今日は、男っぽいものを頼んでいる。

 そうか、この間は、優の前だったからか? 

 本来は、こういう、炭酸ものをガブガブ飲みたいのかも知れない。


 奏汰は、仕事として、脳にインプットした。


 店で、彼女が血の雨を降らせて以来、従業員は、彼女を警戒し、近付こうとしない。


 彼女の相手は、奏汰に任されていた。


「ジントニックになります」


 ライムを絞り、ジンとトニックウォーターの入ったタンブラーを、奏汰が、丁寧に、百合子の前に置いた。


「今日は、あの女は休みなの?」


 きょろきょろと見渡していた百合子が、奏汰に尋ねる。


「一週間ほど、海外に出張することになったんです」


 と、彼は、表向きの理由を話した。


「ふうん、じゃあ、しばらくは、いないのね。その間に、ここに通っておこうかしら」


 奏汰は、聞かなかったことにした。


 百合子は、ジントニックを一口すすり、気を取り直したように、奏汰を見た。


「あなた、いくつなの?」

「二一です」


 百合子が、驚いた。


「うっそー! そんなに若かったの? それじゃあ、あの女と十歳も離れてるじゃない!」


「えっ?」


 営業向けに繕っていた奏汰の表情は一変し、目を見開いた。


「……ママって、三一だったの……? あれで……?」


 からかわれてたわけだ。

 彼は、妙に納得した。


「そんなことも知らないで、付き合ってたの? 」


 百合子は、眉間に皺を寄せて、奏汰をまじまじと見た後で、微笑んだ。


「私は大学四年、あなたより、一つ年上なだけだけどね」


「俺より年下かと思った!」


 またしても、奏汰は本音をもらした。


「やあねぇ! 確かに、私って、若く見られるけどね。高校生に見られたこともあったし」


 百合子が、上品に笑ってみせた。


 いや、そうじゃなくて……


 さすがに、仕事中の奏汰は、その言葉は飲み込んだ。


 百合子は、少し真面目な顔になった。


「ねえ、あなた、本当は、あの女に騙されてるんじゃないの? 私だったら、年下なんて、しかも、十コも下なんて、考えられないもん。絶対、年上がいいわ!」


 百合子の表情は、心の底から、不思議そうである。


「いい女には、何度騙されても構わないのさ」


 奏汰は、わざと格好付けて、ニヒルに笑ってみせた。


「ふーん、そう……?」


 それを、呆れた顔で見る、百合子だった。




 その日は、何事もなく終わる。


 帰宅途中、歩きながら、さっそくスマートフォンを見ると、やはり、蓮華からの写真が送られてきていた。


 いつものように、旅先の風景と、料理が主だった。


 マレーシアの、カレー味の知らない魚料理だとか、タイに行った時は、本場のトムヤムクンを食べられて、辛くて、酸っぱかったけど、美味しくて感動しただとか。


 奏汰が蓮華の写真も欲しいと書くと、恥ずかしいから、という返事だった。


 勝手にスマートフォンを覗かれた時のためにも、彼女の写真があるのもマズいから、それでもいいか、と思うことにした。


※映画『カサブランカ』の中で、シャンパンカクテルで「きみの瞳に乾杯」という場面がある。


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