(3)テスト(*)
※2018.10.7 途中イラスト入れてみました。
閉店後、奏汰は、蓮華と優に、カクテルの作り方を教わっていた。
シェイカーを振らず、グラスに直接作るものだけだ。
優の作ったレシピを見ながらでいいということだったので、彼の肩の荷は、多少軽くなった。
「ロンググラスは、炭酸入りの、度数も弱いカクテル用。炭酸ものは、一回ステアするだけで、ぐるぐるかき回さないように。泡が立って、美味しさが逃げちゃうからね」
優が見本で作ってみせるのを、奏汰が、真剣に見ている。
カクテルに添えるフルーツの切り方は、蓮華が教えた。
「フルーツ切るのは、家でもやっておいてね。ナイフの使い方に慣れるためよ。それと、レシピは作る時には見てもいいけど、グラスとカクテルの名前は覚えるようにしてね」
職場では、これまで通りに、奏汰に接する蓮華だった。
想いを打ち明けてから三日が経つが、何もない。
店の連絡用に使っているスマートフォンのツールは、従業員全員が閲覧出来るもので、プライベートな会話は出来ない。
しかも、これからシンガポールに行くまで、連絡は取らない、と蓮華が言っていた。
いったい何を考えているのか。
想いが通じ合ったと思ったのは、夢だったのではないかと思えるほど、彼女は何事もなかったような態度だった。
百合子が乗り込んで来た時に、皆のいる前で、奏汰が蓮華に口づけたのは、ただの演技だったと皆に思わせるために、自分との関係を匂わせないよう振る舞っているに違いない。
そう思うように努める奏汰だったが、内心、蓮華が心変わりしてしまったのではないかと、不安に駆られていた。
ある日、バーのアルバイトは休みであったが、休憩室でカクテルの練習をしようと、ベースを背負った奏汰が、早めの時間に店に行くと、清楚な出で立ちの若い女が立っていた。
「百合子さん? また優さんに会いに来たの?」
「なによ、あなたには、関係ないでしょ。あなたこそ、こんな早い時間から、あの女と逢い引き? お盛んね!」
出会い頭に、百合子が、つんけんした態度で言った。
「おいおい、お嬢様、何言ってんだ~?」と、奏汰は、怒るより、呆れ顔になった。
「あれ、奏汰くん、どうしたの? 今日、バイト休みでしょう?」
聞き慣れた声に、二人は振り返った。
「優さん!」
百合子が、途端に笑顔になった。
修羅場を恐れた奏汰の顔は、引き攣ったが、優の態度は普段と変わらなかった。
「ああ、ゆりちゃん、お店に来てくれたの?」
「ええ! ああ、でも、安心して! ちゃんと、私、わかってるから」
二人の間は、どうやらケリがついたと見た奏汰は、思い切りホッとした。
手を振って、優が、何事もなく、地下の『J moon』へ下りていったのを見届けてから、百合子は、奏汰に向き直った。
「ねえ、後で、一緒にお店に行ってよ」
「何で俺が? やだよ、忙しいし」
奏汰は、思わず本音が出ていた。
むすっとした百合子の目からは、意外にも、ぽろぽろと涙がこぼれた。
それを見た奏汰は、断り切れなくなってしまった。
「今晩はー」
開店早々に、奏汰と腕を組んだ(正確には、奏汰の腕を掴んだ)百合子が、ご機嫌な調子で現れた。
「手、離してくれない?」という奏汰の言葉には、耳を貸そうとしない。
「あら、珍しい」
出迎える蓮華に、奏汰は慌てて言い訳をした。
「一時間だけ。後で、カクテルの練習するから」
「そう。なら、それまで、どうぞ、ごゆっくり」
にこやかだが、どこか刺々しい態度で去って行った蓮華を、奏汰は気になって、目で追った。
そして、なるべく、カウンターからは離れたテーブル席に着いた。
優が、わざわざカウンターから出て来る。
「あれ? 二人とも待ち合わせて、デートだったの?」
けろっと言う優に、
「いや~ん、優さんたら~!」と笑う百合子と、
「違いますよ!」と、必死に言い訳する奏汰の声は、同時だった。
「ご注文は、いかがいたしましょう?」
百合子は「ホワイトレディー」、奏汰が「ジンライム」と、優に答える。
優が、ちらっと奏汰を見て、にこやかに言った。
「二人とも、ジンベースか。気が合うねぇ」
百合子がきゃっきゃ笑い、奏汰は、「しまった!」と思った。
まだまだカクテルを覚え切れていない、と奏汰は、がっくりと肩を落とした。
優が去ると、百合子は、一変して沈んだ表情になり、大きく溜め息を吐き始めた。
「優さん、私が、他の男の人と一緒でも、全然平気なのね」
「それを確かめるために、俺を誘ったのか」
奏汰は呆れるが、すぐに真面目な顔になった。
「そんな試すようなことしたって、無駄だよ。男ってさ、一度、この女とは、もうやっていけないと思うと、その気持ちは、なかなか変わらないんだ。だから、優さんのことは、さっさと諦めた方がいいよ」
むすっとした百合子だが、先日のような感情的にはならず、多少抑えて言い返す。
「私だって、何度も諦めようとしたわよ。この間だって、電話もらって、じっくり話して、やっぱり、もうだめなんだって、よくわかったつもりでも、未練があって……。だけど、実際に優さんに会ってみたら、少し諦めがついたわ。私を、お客さんとして迎えてもくれて……。だから、もういいの」
俯いて、おとなしくそう言う百合子を、奏汰は、拍子抜けした思いで見た。
「意外と、ものわかりいいんだな」
「なによ、あなた、さっきから不躾ね。随分、失礼なんじゃないの?」
「それは、失礼いたしました」
優の身を案じていた奏汰は、彼を諦めたと、百合子本人の口から聞くと、安心したあまりに、百合子に睨まれた。
一時間後、会計時に「女にデート代払わせる気?」と百合子が言うので、言い返すと面倒に思った奏汰は、さっさと二人分の代金を支払ったのだった。
その後、休憩室で、カクテルの本を読んだり、ベースの弦を弾いたりして、閉店時間になるまで、時間を潰した。
奏汰の今日のお題は、「ブラディー・マリー」だった。
珍しく、スパイスを使うカクテルだ。
「このスパイスって、どのくらい入れたらいいんですか?」
奏汰が、蓮華に質問する。
「自分で味見しながら作ってみるのが、一番よ」
蓮華は、さっさと奥へ行ってしまった。
とりあえず、適当に作ってみてから、味見をする。
「うっ、……なに、これ!」
ブラディー・マリーには、ウォッカ、トマトジュース、飾りのレモンを使うが、通常のカクテルでは考えられないものも入れる。
ウスターソース、タバスコ、塩、こしょうなどだった。
げほげほ言っている奏汰に、気付いた優が、やって来た。
「ああ、ブラディー・マリーは、スパイスの加減が難しいんだ。注文がある時は、僕かハヤトくんが作るから、今は練習しなくていいんだよ」
「そ、そうでしたか……」
奏汰は、「謀られたか!」と、蓮華の後ろ姿を、恨めしそうに見た。
百合子に付き合ったことへの、ちょっとした仕返しだと、すぐに思った。
好きで、話に付き合ってたんじゃないのに。
まったく、今日は散々だ!
だが、蓮華が妬いてくれていたとも思えて、少し嬉しい気もしていた。
いよいよ、蓮華たちのシンガポール行きの前日となった。
閉店後に、ハヤト、タケル、ケント、奏汰が、実際にカクテルをふるまう、試験のようなことが行われた。
カウンターには、蓮華、エスニック雑貨担当の新香、経理担当の京香、そして、優が座る。
「京香ちゃん、ハヤトくんは、もういろいろ作れるから、飲みたいもののイメージだけ伝えてみて」
蓮華に言われ、京香は、グレープフルーツ味で、アルコールは弱めと注文する。
「どんなお色に致しますか?」
「ピンクで」
いきなり、高度に思えたそのやり取りを見ていた奏汰は、圧倒されていた。
細長く、女性受けしそうな、凝ったデザインのフルート型シャンパングラスに、ピンク系の飲み物が注がれる。
「きれいだし、美味しいわ……!」
眼鏡の奥で、京香が嬉しそうに微笑んだ。
「コアントローと、ピーチリキュールを使ったんだね。やるねぇ!」
隣で味見をした優が、目を丸くして、ハヤトを見た。
「このままだと、チーフ・バーテンダーの座を取られちゃうなぁ」
「またまたー、優さんには、かないませんよ」
ハヤトが笑う。
「新香ちゃん、何がいい?」と、蓮華が隣の新香に尋ねる。
「じゃあねえ、奏汰くん、ウォッカ・トニックお願い」
「かしこまりました」
新香があえて定番のものを頼んだので、奏汰はホッとした。
氷を入れたタンブラーに、ライムを切って絞り、そのままグラスに落とす。
ウォッカとトニック・ウォーターをそそぎ、優に言われたように、一回だけ混ぜた。
それを、新香の前に置く。
蓮華の方は、タケルにサイドカーを頼んでいる。
ブランデー、ホワイトキュラソー(コアントロー)、レモンジュースを入れた後に、氷を入れ、タケルがシェイカーを振るう。
なかなか様になっているタケルを見て、ちょっとカッコいいな、と奏汰は思った。
「ベースをブランデーじゃなく、ウォッカにするとバラライカ、ジンだとホワイトレディ、ラムだとXYZっていうカクテルになるのよ。配合は同じで。面白いでしょう?」
蓮華は、新香たちに説明するが、奏汰にも聞こえていた。
そうか、配合を変えずに、違うカクテルに……!
奏汰は、さっそく記憶にインプットした。
ソルティー・ドッグを頼まれたケントが、ロックグラスを斜め下に向け、上向きにしたレモンの切り口を、グラスの縁に付ける。
そのまま、皿の塩に付け、グラスの底をトントンと叩いて、余分な塩を落とす。
スノースタイルというものだった。
奏汰は、自分に注文が来るまでは、他の仲間の作り方を観察していた。
「奏汰くん、オールド・ファッションド作ってくれる?」
優からの注文に、それって、なんだっけ? と思いながら、奏汰がレシピを見る。
ウィスキーをベースに、角砂糖、炭酸水を少々入れたものに、アロマチック・ビターズという苦みをつけ、さらに、レモン、オレンジ、ライムのスライスも入れる。
フルーツを、慎重に切らなければならなくなった。
六~八等分する「くし切り」ではなく、スライスは均等な厚みに切るのが難しい。
初日よりは、大分進歩したナイフ技術で、緊張しながら完成させると、奏汰は優に差し出した。
「うん、おいしいよ。フルーツはもう少し厚めでも大丈夫。その方が、飲み手が味の加減も出来るからね」
「これって、ウィスキーの香りが苦手な人も、飲みやすいのよね」
優に、蓮華が続いた。
なるほど。
奏汰の頭には、またしてもインプットされた。
「タケルくん、チャーリー・チャップリンお願い」
注文した蓮華は、普段から、よくそれを飲んでいた。
奏汰は、タケルの手元を観察する。
スロージンという、スモモの一種でストロベリー風味のリキュールと、アプリコット・ブランデーに、レモンジュースを加えた、甘みはあるが、さっぱりとした味だ。
新香は、エスニックな装いにぴったりな、シンガポール・スリングを頼む。
ケントが、ジンとレモンジュースを入れたものに、赤いチェリー・ブランデーを注ぎ入れ、グラデーションを作った。
優が、京香のために、ハヤトにフローズン・ストロベリー・ダイキリを注文した。
材料とクラッシュした氷をミキサーにかけ、赤いシャーベット状にすると、ハヤトが、シャンパングラスに注ぎ、京香に差し出す。
「これなら、普通のダイキリよりも、アルコールは強くないから、京香さんも気に入ると思うよ」
優のセリフで、奏汰は、すぐにレシピを確認した。
ホワイトラムに、ストロベリー・リキュール、ライムジュース、いちご。
アルコール度数も弱く、甘めのカクテルを注文することが多い、経理担当の京香の好みが、奏汰にもわかってきた。
新香は、酸味のあるものや、辛口、さっぱりとしたものが多く、蓮華は甘みはあっても、さっぱりとしたものが多かった。
そして、優とハヤトは、奏汰から見ると、彼女たちの好みも、わかっているようだった。
レシピ通りにカクテルを作ることだけが、バーテンダーの仕事を極めることじゃないと、奏汰にはわかった。
飲む人の好みを覚えることも、仕事のうちだと。
まだまだレシピ通りに作ることに追われていた奏汰だったが、カクテルに、少し興味がわいた。
全員よく頑張ったと、蓮華が、最後にねぎらい、テストは終了した。
「お疲れ様」
従業員が全員帰った後、片付けで、ひとり残っていた奏汰に、蓮華が、カウンターでジンライムを差し出した。
ピアノトリオのジャズが、会話の邪魔をしない程度の音量で、流れている。
制服から普段着に着替えた奏汰は、ありがたく、飲むことにした。
「蓮華さんは、飲まないの?」
「あたしは、さっき皆の作ってくれたもので、満足したから」
蓮華は、奏汰の隣に腰かけた。
「ごめんね、奏汰くんの初ライブ、見れなくて」
「ああ、俺、録音しておくから。蓮華さんが旅行から帰ってきたら、一緒に聴こう」
「うん」
二人は、店の連絡用に使っているのと違うアカウントで、二人だけの無料通話も可能なアプリを、今になって設定した。
「旅先では、時差があるから、電話は難しいかな?」
「時差は、一時間だけだから大丈夫よ。だけど、向こうでは、移動が多くて。シンガポールの他に、マレーシアやタイにも行くの。メッセージは送るけど、乗り物乗りながら文字打つと、あたし、酔っちゃうから、夜ホテルに戻ってからになるかしら? あたしが旅行中は、毎晩ここのバイトでしょう? 電話出来るとしたら、バイトが終わった後くらいかしらね。朝も早いから、うっかり寝ちゃってたら、ごめんね」
「この二週間、仕事でしか会えなかったし、この先の一週間も、ろくに話せないかも知れないのか……。しょうがないけど」
奏汰が、残念そうに溜め息をついた。
「その気持ちを、演奏に生かして」
奏汰の腕に、蓮華の手が、やさしく乗せられた。
「……蓮華さん、……まさか、俺の演奏のために、わざと連絡取れないって言ってるんじゃないよね?」
奏汰が、少し拗ねたような顔になった。
「違うわよ」
蓮華が笑う。
「だけどね、あたしは店が一番大事なの。そして、奏汰くんには、音楽が一番大事でいて欲しいの。二人でいる時間も大事だけど、自分の時間もすごく大事なのよ。今度のライブが無事に終わるまでは、あんまり恋愛事にのめり込まないようにした方がいいと思うの。今は、練習に打ち込む時だから、かえって、妨げになっちゃうわ」
「ええっ!?」
奏汰は、ショックを受けた。
「だって、いつも恋をしていた方が、いい音楽が出来るって……」
放心しかけながら、呟く。
「恋なら、今してるでしょ? あたしもよ」
蓮華が、奏汰の頬を、両手で包みこむ。
唇が触れた。
二週間振りの口づけは、奏汰の中に、あたたかい感情を湧き起こさせた。
「……お店では、こういうことはしたくないって、言ってなかった?」
「誰もいなければ、いいの」
蓮華が微笑むと同時に、奏汰が唇を覆う。
二人は、しばらくの間、口づけを交わすことに、酔いしれていた。
「奏汰くん」
「なに?」
唇を放さずに、奏汰が返事をする。
蓮華が、名残惜しそうに離れ、彼を見直す。
「あたしが帰ってくる前までに、やっておいて欲しいミッションがあるの」
「ミッションて、新たな指令? もう一段階上のカクテル作れるようになれとか?」
「いい勘してるわね。あたしに合うカクテルを、三つ作ることよ」
奏汰は、一瞬目を見開くと、苦笑いした。
「それ、超難しいじゃないか。しかも、三つも?」
「そうよ、あたしが好きなチャーリーは使わないで。帰って来た時に、ちゃんと順番も考えて、ご馳走してね。カクテルは、順番も大事よ。ああ、オリジナルじゃなくていいわ、一般的なもので。奇をてらったものはダメよ。凝ってなくても、シンプルなので構わないから」
「シンプルでいいなら、ちょっと安心したけど」
「といって、ジュースみたいなの出さないでね」
「あ、ああ、……うん」
「休憩室に、本があるでしょ? あの本のレシピは信頼出来るから、あの中から選んで作って。お店にあるレシピは、優ちゃんのだから、この場合は、使わないように。シェイカー使ったものも、一つ以上は考えてみて。やり方は、優ちゃんに教わって」
「わかった。勉強しておくよ」
「それからね、帰ってきたら、次のミッションがあるから」
「えっ、まだあるの?」
「それは、お土産に貼付けておくわ。全員にお土産配った時に、わからないように確認してね」
「なんで、わざわざ、そんな危険を冒すようなことを?」
「この方が、本当にミッションぽくて、面白いでしょ?」
蓮華のいたずらっぽい笑顔を受けて、奏汰は、おかしそうに笑った。
※参考文献「カクテル」上田和男著