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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第十四章『帰還』
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Ending『Waltz for Debby』

 青い空に白いベイブリッジを挟み、青い海が広がる。

 赤いレンガ造りの古い建物のテラスから臨む風景は、みなとみらいを一望出来る。


 ステンドグラスの施された柱の間に吊り下がる二つの幸せの鐘、祭壇、敷かれた長い赤い絨毯の両脇に一列ずつ並ぶ参列者用の白い椅子、それらがテラスを教会風に仕立て上げる。

 外国人牧師を前にした、白いタキシード姿の新郎と白いウェディングドレスの新婦は、誓いの言葉を交わし、指輪を嵌める。


 無事に式が終了すると、夕方からは同じ建物内にあるライブ・レストランで、両家の親族たちに友人や仕事関係者を招待したブライダル・ステージとなる。


 ステージと客席の間に作られた新郎新婦向けのテーブルに、鮮やかな青色のスーツを着た奏汰と、白いウェディングドレスの蓮華が着くと、三人だけのワイルド・キャッツのサプライズ演奏が始まった。


 翔のギター、雅人のドラム、琳都のジャズオルガンが、とぼけて誕生日の歌を演奏し、笑いが起こると、メンデルスゾーンの『結婚行進曲』を賑やかなアレンジで披露し、会場をさらに沸かせた。

 奏汰も加わり、ジャズのスタンダード・ナンバーが、コテコテのジャズではない、ジャズ風味の16Beatやロックのアレンジで続く。


 その後、ステージは奏汰と翔のデュオがメインとなる。

 ステージの照明もタイミング良く変わり、通常のライブそのものであった。

 後半のステージには、ゆかりがヴィオラで賛助出演として二人に加わる予定だった。それまでは歓談の場であった。


「ああいうライブって初めて観たわ。ジャズは良く知らないのに、なんだかすごい熱量が伝わって来たわ」


 ビュッフェではBGMがかかり、蓮華の友人・涼子が、明日香とマークと並び、上気した笑顔で話す。


「奏汰くん、ニューヨークから帰ってからも、ますます演奏が垢抜けたね!」


 明日香も涼子に続いた。


「ありがとうございます!」


 蓮華と挨拶をして回る奏汰が、会釈をする。


「向こうにいる時には、お二人で時々ライブにも来てもらっちゃって」

「そうだったの。明日香ちゃんもマークも、出発前からいろいろありがとうね!」


 須藤と美砂、百合子の姿を見つける。


「百合ちゃん、ウィーンからわざわざありがとうな!」


「別に、あんたをお祝いするために来たんじゃないんだからねっ。美砂ちゃんの結婚式に行かれなかったから、顔見るついでに、こっちにも寄ってあげただけよ」


 奏汰が目を丸くしていると、蓮華が笑った。


「忙しいのにホントにありがとうね! 向こうでずっと頑張ってて偉いわ!」


 少しだけ、百合子の目が潤むと、俯いた。


「蓮華さんには、いろいろ相談とかに乗ってもらって……。親よりも、私の話聞いてくれて……あの……」


「いいの、いいの、それ以上言わなくて」


 蓮華が笑い飛ばすと、百合子が涙ぐみ、すすり泣き始めた。


「淋しくなったら日本に帰ってきて、いつでもお店に来てくれていいのよ」


 百合子の背を、蓮華が子供をあやすようにやさしくたたいた。


「あの子、誰?」


 親族の席にいた潤がいつの間にか、奏汰の後ろに来ていた。


「百合ちゃんのこと? 俺の一コ上で、ウィーンに留学しててピアノやってる」

「……かわいい。泣いてるとこ見てたらキュンて来た」

「はっ?」

「ウィーンでピアノ勉強してるなんて、お嬢様か?」

「いや、兄貴、それ以上あの子に興味持たなくていいから」


 ミュージシャン仲間や仕事関係者、ゆかりと孝司とも言葉を交わし、蓮華が菜緒と話す間、奏汰は翔と雅人、琳都とじゃれ合っていた。


 親族とも改めて顔を合わせ、奏汰のステージを観ることのなかった両親も、多少彼のやってきたことを認めるような言葉をかけた。蓮華の父母は会釈のみであったが、挨拶の時よりは穏やかな表情である。

 祖父と祖母がにこやかに、親し気に長々と話しかけてくると、奏汰には例えようもない嬉しさがこみ上げて来た。


 最後に『J moon』従業員のいる場所に向かう。

 その一角には、カクテルを作るブースが儲けられている。


 一番の先輩従業員であるハヤトは独立に向け、優の手伝いもあり準備中だった。

 次に先輩にあたるタケルは、主にギタリストとしてアルバム制作に参加したり、ライヴに出たりしていたので、アルバイトで入ることは減っていたが、奏汰とは一番親しかった。


 他従業員や高校生アルバイトとも顔を合わせ、蓮華の同級生で親友である、店の経営を手伝う新香と京香にも、改めて礼を言った。


「お店の方は、私たちが今まで通り手伝うから、奏汰くんは安心してお仕事に励みなよ!」


 姉御肌で冷静に物事を見てきた新香が、激励するよう奏汰の背を豪快に叩き、主婦の京香は奏汰もよく知る癒しの笑顔で見守っている。


 優が昔作ったオリジナル・カクテル、友人の結婚で創作したカクテル「ウェディング・ギフト」が振る舞われる。


 欧米では花嫁はウェディングドレスにオレンジの花を飾り、カクテル「オレンジブロッサム」を飲む古くからの習わしがある。


 優の「ウェディング・ギフト」は、ジンと、オレンジのブランデーであるグラン・マルニエと、オレンジジュースを加え、オレンジ・スライスもシェイカーの中に入れて振るい、仕上げにオレンジの果皮のオイルを飛ばし付けるピールという方法で、オレンジの芳香をふんだんにまとったカクテルであった。


 辺りは、オレンジの香りに包まれている。


 直接、優から受け取った蓮華と奏汰は、その豊かな香りと味に感動していた。


「これを、本当の意味で、優ちゃんからもらえるなんてね」


 店では、六月のカクテルのメニューに入れ、他の月であっても注文が入れば作る。


 銀座で行われたカクテル・コンクールで、即興で作った優のカクテルが金賞を受賞した。誕生の瞬間を見た蓮華にとっても、優にとっても感慨深いだろうと、その場にいた奏汰にも想像がつく。


 空になったグラスを受け取った優が、バーテンダーから友人に戻り、笑いかけた。


「おめでとう! 蓮ちゃん、綺麗だよ」


「ありがとう……」


「やっと安心したよ。やっぱり、蓮ちゃんは奏汰くんとが一番合ってるよ」


 蓮華の瞳が潤んでいく。


「優ちゃん、ホントにありがとう。言葉ではとても語り尽くせないくらいお世話になったわ。今まで、ありがとうね!」


 感極まり抱きつくと、優は軽く背を抱えてから、遠慮がちに言った。


「あのぅ、蓮ちゃん、……ダンナさんがあちらで待ってるよ」


「いっ、いえっ! そんなっ! 気にしてませんからっ! どうぞごゆっくり!」


 優と目が合い、焦った奏汰に、従業員たちが笑った。




 空は深い紺色となり、ライトアップされた赤レンガ倉庫に見送られながら、スーツとワンピースに着替えていた二人は、ホテルに着いた。


「疲れたー!」


 スイートルームの、通常より大きいサイズのベッドの上にゴロンと転がった。

 仰向けに並んだ二人は、どちらからともなく手を重ね合わせ、顔を見合わせると、自然と笑みがこぼれていくのを抑えられない。


 ふと起き上がり、バルコニーへ出て夜景を眺める蓮華に、奏汰が寄り添った。


「結婚……しちゃったね」


「……うん」


 恥ずかしそうに呟いた蓮華の声に、奏汰も照れた声で返してから続けた。


「このまま新婚旅行に行かれたら良かったんだけど……」


 奏汰のレコーディングと、学校のテストや生徒たちのライブもあったため、数ヶ月先に繰り越された。


「それも、アジアで良かったの?」


「いいの。アジアが好きだから。ニューヨークへは、また今度ね。その時は、奏汰くんがライブに出演する時よ」


 微笑んだ蓮華に、はにかんで、奏汰が語った。


「ニューヨークで、ベニーとライブに出てた時に、ビル・エヴァンスの『Waltz for Debby』をやった時があってさ。その時は俺もウッドベースで、ベニーはオルガンじゃなくてピアノで、それが鳥肌が立つほど透明感のある綺麗な音で」


「原曲みたい。いいじゃない!」


 蓮華の表情が一層華やぐ。


「あの曲って、つかみどころがなくて、なんだか指の間からこぼれていくような……っていうのかな。俺には蓮華のイメージだったんだ」


 黙って見上げる蓮華を見つめる。


「時には、ワルツのように癒されて……あの曲みたいに、移り変わるハーモニーの響きみたいに、軽やかに、しなやかに、弾み、たゆたう……そんなイメージ。演奏しながら蓮華を思い出して、どうしようもなく切ない気持ちになってたら、ベニーに、今のは最高の出来だったって褒められた。ただ、もう少し軽やかでも良かったけどな! って」


 照れて笑ってから、奏汰は続けた。


「向こうで、レコーディング前に演奏した『上を向いて歩こう』をジャズワルツにしたのも、俺の中では『Waltz for Debby』のイメージだったんだ。その時も、蓮華のことが頭をよぎってた。ミュージシャンは恋愛してた方がいい音楽が出来るって言うけど、俺には、蓮華のことを思い出すだけでも充分だったよ」


 愛おしく見つめる奏汰の胸に、蓮華が滑り込んだ。


「んもう、結婚したのに、まだ口説くの?」


「口説いたつもりはないけど、『Waltz for Debby』の話はまだ打ち明けてなかったなと思って」


「……あの曲に例えられるなんて、……すごく嬉しい……!」


「渡米する時は、こんな時が来るなんて思いもしなかった。……夢じゃないんだね」


 奏汰が蓮華を抱きしめる腕に、ぎゅっと力がこもった。


「ずっと好きだから。大好きだから」


「あたしも、奏汰くんがずっと好き。大好き!」


 蓮華の声で涙ぐんでいるのがわかる。

 奏汰の瞳も思わず潤んだ。


 今、ここに抱えているもののありがたさと愛おしさを、自分はこの先ずっと忘れることはないだろう。

 彼女も、そう感じてくれているのが、鼓動からも肌からも伝わってくる。




「去年から引き続き、この学校のアーティスト学科の実技と、ジャズ・ライブの授業を担当することになった、蒼井奏汰です」


 新しく入ってきた生徒たちにとって、奏汰の最初の授業だった。


「ジャズを学びながら作っていく自分たちのオリジナル曲を、実際にライブでも演奏して、学年末にはレコーディングするのを目標にしたいと思ってる。あくまでも、この授業では、皆のオリジナルにもどこかにジャズらしいものを取り入れていくように。全くのジャズみたいな曲でもいいし、ジャズテイストのロックでも、ジャンルはなんでもいい。単なる授業の課題としてじゃなく、デビューしたい人にとってはそのままデモ演奏としてレコード会社に持って行く曲の一つのつもりで、気合いを入れて作ってくれたらいい経験になると思う」


 教室には、三〇人ほどの生徒たちがいる。ざっと見渡すと、戸惑い、ざわざわとした中でも、目を輝かせて前のめりに話に聞き入っているのは数人だ。入試が簡単な分、意識の低い者が多いだろうとは思っていたが、数人でもいれば充分だと覚悟していた。


「音大でもジャズ科のあるところは、ニューヨークにジャズ留学したりもしてる。希望があるなら、是非、本場のジャズライブをお勧めしたい。まずは、東京とか横浜でライブ・バーとかレストランで経験を積んでからだけど、俺の時は──」


 アメリカで学ぶことはたくさんあると、簡単に説明した。

 アーティスト希望の生徒たちに授業と実技レッスンを担当する奏汰は、以前の音響学の講師ではなく、プロの演奏家を目指す彼らを育てる側になったのは感慨深かった。


 今年度は新たな試みだ。

 自分で一年間分組んだカリキュラムがどこまで通用するか、どこまで生徒たちが応えてくれるのか、同時に、どこまで自分が応えられるのか、何もかも初めてだが、至極やりがいを感じる。


 自分の持てるすべてを、彼ら、彼女たちに伝えたい。


 生徒たちと年齢の変わらない奏汰は、身近な成功例として注目されることから、自身の活動に程良いプレッシャーともなる。


「俺も、プロになったからといって胡座をかくことなく、皆のことはライバルだと思って、追い越されないよう常に勉強し、挑戦し続けていこうと思ってるから、よろしくな!」


 圧倒されている生徒たちの中で、足を組んで横柄な態度で座っていた男子生徒が口を開いた。


「じゃあさ、先生を抜かすつもりでやっていいんだな?」


 チェックのシャツとジーンズ姿の、長めの茶髪で、皮肉な笑いを浮かべている彼は、既に何かの雰囲気をまとっている。


 奏汰は好感の持てる目を向けながら、笑った。


「そうそう! 俺を抜かすつもりで全力で来てくれて構わない。きみは、俺の相棒とちょっと雰囲気が似てる。自信があって只者じゃないその感じに、すごく期待してるよ!」


「……地味にプレッシャー与えるなぁ」


 男子生徒は、皮肉振りながらもはにかみ、周りの生徒たちも笑った。


「じゃあ、授業に入ろう。まず聴いて欲しいのは、『Waltz for Debbyワルツ・フォー・デビー』ビル・エヴァンス・トリオの演奏だ。その後、三人組を作ってセッションしてもらう。人数の少ないパートは誰か補って」


 ざわつく生徒たちに構わず、プリントした楽譜を配る。


「先生、コードがわかりません」

「え、そこからなの?」


 拍子抜けした奏汰は、つくづく短い曲にして良かったと思いながら、黒板の五線に、コード(和音)の構成音を白玉で書いていった。

 少しだけ先が思いやられる気にもなるが、負けてはいられないと思い直した。




 『J moon』カウンターでは、ヴィオラのハードケースをスツールに乗せ、隣に座るゆかりの前には、ゲスト演奏前を気遣った、軽めのジントニックが置かれていた。


「コウちゃんが──兄が、いずれ、優くんと、ちゃんと話したいって」


 心配そうな上目遣いに見るゆかりに、優は包み込むような眼差しになり、微笑んだ。


「うん。いつでもどうぞって伝えて」


 ゆかりの頬がわずかに赤く染まり、安堵した笑顔になる。


 客席には、常連も、時たまふらっと姿を現す年配客も、仲睦まじい男女も、友人同士も、ちらほら音楽学校の生徒らしき若者たちの姿もあった。


 奏汰と翔のライブが始まる。

 MCも交代しながら、いかにも好青年同士だと言わんばかりの爽やかなやり取りに、ステージから遠いカウンターでは、ゆかりが吹き出し、優もにこやかに見守っている。


「幸せはいつの間にか、だと思うんです。何が自分にとって大事なのかは人によって違うけど、人は人とつながっていることで安心する。好きなことをしていられるのは、理解してくれている人がいるからだし、帰る場所があれば、人はいつでも羽ばたけるんだと思います」


 奏汰はMCの途中で、奥のテーブル席で、もてなし中のママを見つめた。

 彼の首元には黒い革紐で結ばれたプラチナの指輪が、彼女にはチェーンを通した同じデザインの指輪が、控えめな輝きを放つ。


「でも、羽ばたいている間、忘れちゃいけない。感謝することを。自分が好きなことをできる、という環境に。そんな想いで作った曲です」


 ボーカルはない。ギターとベースのみの演奏に想いを乗せて──


時を刻んで来た軌跡は

時にあやうくても

時に途絶えても

眠りについていても

見ることは出来なくても

ちゃんとある

虹の彼方へ訪れても

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