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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第十三章『決着』
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(4)「ベイリーズ」決着

 しょっちゅう遊びに来ていた彼の部屋でも、二人きりで入ったことはない寝室で、蓮華は立ち尽くしていた。


 見覚えのある本や旅の土産品、少ない雑貨だけがあった。シンプルな机にはパソコンがある。カクテルのレシピやCD、DVD等、電子ピアノも、キッチンとつながったリビングに並んでいる。ここは、本当に眠るだけの部屋だった。


「懐かしい?」


 後ろから、優が声をかける。


「前からこんな感じでシンプルだったような気がするわ」

「殺風景でしょ? 必要なものは全部向こうの部屋だから」

「そうだったわね」


 蓮華が遠慮がちな目になる。


「あたし、ホントにここに来て良かった? もし、あたしを気遣ってるだけで、優ちゃんの本心じゃないんだったら、無理に……」


「いやだったら、何もしないよ」


 優の穏やかな声が遮った。

 黙って上目遣いになる蓮華に、優は懐かしそうな顔になった。


「出会った時と、それから数年後に店を始めた時の蓮ちゃんは、見た目は大人の女性に変わっていても、僕の中では印象は変わってなくて。いつまでも、かわいい女の子って感覚だった。でも、奏汰くんと出会ってからは、さらに綺麗になっていって、いい付き合いをしてるんだってわかった。奏汰くんを送り出してからも頑張ってる——今は、そんな蓮ちゃんが好きだ」


 蓮華が顔をしかめた。


「三五近くの男の人が、三〇過ぎた女にそんなこと簡単に言うもんじゃないでしょ? 優ちゃんは、そうやってなんでも自然に振る舞うから」


「『いい女になった』って今まで言って来たのも、今好きだって言ったのも本心のつもりだったけど、信じようとしなかったのは蓮ちゃんの方でしょ?」


「だって、無自覚なのと区別つかないから」


「じゃあ、もっとはっきり、『今は女として好きだ』って言わなきゃいけなかった? 『きみが欲しい』って? それとも、言葉だけじゃ信じられない?」


 蓮華の顔が真っ赤になり、俯く。


 優の方も我に返り、少々照れ臭い顔になった。


「ごめん。……ああ、えっと、何か飲む?」


「……さっき買ったベイリーズでいいわ」


 わざわざ道具を使うカクテルを作らせずに済むよう、コンビニに寄って蓮華が購入していた。


「珍しく甘口だね」


「うん。今は甘いのが飲みたくて。でも、これはカルーアよりも濃厚な割に後口がサッパリしてるのよね」


「濃く作ると酔うよ」


「……濃いめで」


 小さい声で、蓮華が言った。


 じっと蓮華を見つめてから、優は、氷の入ったロックグラスに、黒いボトルを傾けた。

 アイリッシュ・ウィスキーとスピリッツ、バニラのフレーバーで整えられた香りの良いカフェラテ色をしたリキュールが、グラスの中の氷の上に流れ出し、隙間を埋め、さらに氷を覆い隠す。


「そのくらい」


 その後は、ミルクを入れ、混ぜる(ステアする)だけの簡単な作業だ。

 蓮華の指示通りに、ベイリーズ・ミルクが作られた。


「自分で飲む時はケチって薄めにするんだけど、このくらい濃いのもたまにはいいわね」


「どんな感じ?」


 蓮華からグラスを受け取り、優が口を付ける。


「濃いね。これだとさすがにリキュールが強過ぎて、バランス悪いな」


 普段なら絶対にしない、優には有り得ない配合だ。


「お客さんには出せないよ」


「わかってる。甘いしね」


「うん、甘過ぎる……」


「でも、今は、これでいいの……」


 グラスを挟んだ近い視線が絡み合う。


 蓮華がベイリーズを口に含んだ。


 グラスが手に渡ると同時に、近付いた優が唇を合わせた。

 蓮華の背を抱き寄せ、バニラ味の強いカクテルを吸う。


「……やっぱり、甘い」

「……そうね」


 透かさず甘味を拭い取るように、一つの味を確かめ合う。


「いやだったら、いつでもやめるよ」


「だめ」


「なにがだめなの?」


「やめないで」


 腕を優の首に絡め、蓮華が口づけた。

 二人の心からたがが外れたように、熱く、止めどなく続く。


 ベッドに、優がやさしく横たえると、蓮華は髪を留めていた飾りを外した。


「こんなこと僕が言うべきじゃないけど、翔くんとも、潤くんとも、こういうことはして欲しくない」


「優ちゃん、ホントに妬いてるの?」


「そうだよ、わからない? だから、言わないでおこうと思ってたことまで言うハメに」


「……ホント……なの? だって、そんなこと……」


「もう黙ってて」


 囁いてから、優が深く口づけて証明する。

 白く長い指が頬を、首筋を、肩から背筋へと滑っていく。

 口づけは頬から耳へ、首筋へ、鎖骨、胸元へ広がり、堪え切れない溜め息が、蓮華の唇からこぼれていく。


「何も考えられなくなってきた……」


「だったら、考えなくていいよ」


 自分たちがこうなるのは、互いが最後の恋を迎えた後だと、どこかで思っていた。

 優の最後の恋はとうに終わりを迎えているように蓮華には見え、優には、奏汰が、おそらく蓮華の最後の相手だろうと思えていた。


 もしかしたら、十年来の友情を貫いてきた互いが、本来の真実の相手ではないだろうか。

 そう思わなくもなかったかも知れない。


 優の手が蓮華のウエーブのかかった髪の下に滑り込み、肩を抱く。

 口づけは、二人の気の済むまで続いた。




 長く感じられた沈黙の後、優が、蓮華とベッドから離れた。


「……紅茶、淹れてくる」


 蓮華は放心したような、どこかショックを受けたような表情で黙ったまま、さほど乱れていない衣服を整え、待っていた。


 戻った優は、紅茶をサイドテーブルに並べる。


 沈黙の中で、二人は共に、自分たちの関係がこれ以上進展することはないと悟っていた。


 なぜ、それより進展しなかったのだろう。その理由を、互いに頭の中でかき集めていた。


 紅茶を飲み、少し落ち着いてから、蓮華が口火を切った。


「ニューヨークに立つ前、奏汰くんが、店を一番に考えるなら、あたしには自分よりも優ちゃんの方が適任だって言ったの」


「僕にも、蓮ちゃんのことを頼んでいたよ」


「自分の身勝手で、随分あたしに甘えて迷惑もかけたと思ってるみたいだった。あたしだって自分の勝手で奏汰くんと付き合ってきたつもりだったけど、彼、真面目だから。……あたしの方こそ、彼を好きでも、恋愛関係にならずに、親心みたいにずっと見守っていたら良かったんじゃないのかな。あたしのせいで、結果的に奏汰くんを傷付けてしまったんじゃ……それだけが気がかりで……!」


 蓮華の瞳が潤み、優の胸にすがりついた。

 優はそんな彼女を抱え、背を撫でた。


「少なくとも、僕から見れば、きみたちの付き合いはいいことだっと思う。彼のためにも蓮ちゃんのためにもなっていたと思うよ。だから、否定しちゃだめだ」


 柔らかな声で、優が続けた。


「蓮ちゃんが選べばいいよ。どうしたいか」


「あたし、優ちゃんが好きよ。もしかしたら、最後の人かも知れないって、思ったこともあった。でも、やっぱり、『友達』でいなくちゃいけなかったの」


 通じるものがあったように、優も妙に納得した表情になっていく。


「奏汰くんと過ごした月日は、ちゃんとあたしの中で生きてたの。奏汰くんがどんなにあたしを想ってくれていたのか、覚えてたみたい。あたしも、奏汰くんを今でも想ってることに気が付いて……だから、今は、……奏汰くんを待ちたいの」


 優の、蓮華を見つめる目に、愛おしさが加わった。


「それでいいと思うよ」


 なんとも言えずに、蓮華が優を見上げた。


「なんでさっき途中でやめたのかっていうと、……怒らない?」


 普段通りに見える優に、蓮華は頷いた。


「あたしが、いけなかったから?」

「違うよ」


 優が笑った。


「いくら奏汰くんが蓮ちゃんとのことを勧めてくれたとしても、罪悪感——奏汰くんに対しての罪悪感もそうだけど、それだけじゃなくて、『領域』を破ったことに対しての罪悪感に、現実に引き戻されたんだ。蓮ちゃんにはお店が大事なのと同じくらい僕にもお店が大事だから、同業者であり、友人であるために必要な『領域』だったはずだったって……」


 こくんと、蓮華は黙って頷いた。


「蓮ちゃんに惹かれる一方で、理不尽な想いがあったことに気が付いたんだ。僕にとっては、蓮ちゃんは特別だった。汚したくなかったっていうのかな。友人だとか同性のような間柄が一番似合っていて、居心地が良かった。それは、『彼女』とは別の種類の尊さなのかも知れない」


 優が、改めて蓮華を見た。


「だから、待てばいいよ、奏汰くんを。それが一番いいと思う」


「優ちゃん……!」


 蓮華は、再び優の胸に抱きついた。


「いつもごめん。あたし……、これじゃ、優ちゃんのことホントに都合良く……!」


 言葉を詰まらせる蓮華に、優は何かを思い付いた顔になってから、いたずらっぽく微笑んでみせた。


「そうだね。悪いと思ってるなら、もう一度だけ……」


 蓮華の肩を抱き、軽く、ゆっくりと口づける。


「これで、()()がついた」


 蓮華が瞳を潤ませながら、なんとも言えない顔で優を見る。


「……そんなんで、いいの?」


「もうわかったから。蓮ちゃんの気持ちも、自分の気持ちも」


 これまで以上にあたたかい目で、優は蓮華を見つめていた。


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