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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第十一章『渡米準備』
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(2)渡米準備

「そっか! 雅人、内定決まったんだ? おめでとう!」


 雅人からのメッセージに、奏汰が返信した。


 翔とは、ゆかりとのライヴ出演と、アルバムのレコーディングにも参加したことで、他ミュージシャンからも声がかかり、顔を合わせることも多い。

 奏汰がマークのところで居候しながら英語力を磨き始めた頃、翔も、菜緒のジャズボーカルを教えるアメリカ女性に習い始めていた。

 五〇代ほどの恰幅のいい、豪快に振る舞う白人女性で、時間にかなりルーズなため、常に振り回され、何度辞めてやろうかと思ったことか知れなかった。だが、奏汰と互いの状況を報告し合っていると、辞めるわけにはいかないと思い、なんとか続いているという。


 いつか、いや、近いうちに、二人でNYに行く!

 それは、二人の暗黙の目標であった。


「お前は、いいよなぁ! ホームステイ先に、エロいねえちゃんがいるんだろ?」


 明日香といえば、シルクのツーピース、つまり下着姿でウロウロしている。それを知った翔から、時々電話やメッセージで時々そんな風にからかわれたが、奏汰は、羨ましがられるほどじゃないと、返していた。


 英会話講師の仕事もしているマークは、早く家を出て行く。

 それに合わせて奏汰も起き、二人で、朝食と、明日香の分の昼食も用意する。


 奏汰も音響講師の仕事がある時は、マークと同じ頃に出て行くが、ベースレッスンや『J moon』での仕事、ライヴなどの日は、午後になる。

 そんな日は、夜中に執筆作業をしていて、昼前後まで寝ている明日香と、顔を合わせることになる。


 驚いたことに、家事をしていたのはマークだった。

 魔性の女をつなぎ止めておくには、ここまでしないとならないのだろうか。当のマーク本人は、それを、当たり前のようにこなし、文句を言おうともしない。

 英会話のためとはいえ、ただで泊まっているのは悪いと思った奏汰は、洗濯などは自分がやると申し出た。

 二人の間のこととはいえ、マークが気の毒に思えた奏汰は、彼の役に立とうとするならば、家事手伝いが一番大きいだろうと思ったのだった。


 洗濯物を干し、床に掃除機をかけていると、明日香が起きてきた。

 相変わらず、シルクのツーピース姿である。常に奇抜な色で、今日は紫だ。


「ちょっと、奏汰く~ん、悪いけど、缶と瓶、結構溜まってるから、捨てて来てくれる? マンションのゴミ収集場所はわかってるよねぇ? ついでに、プラセンタとコラーゲンのサプリ切れちゃったから、買って来てくれる?」


 掃除機を止め、奏汰が振り返る。


「あのー、俺、そろそろ吉祥寺行きたいんですけど。他の人のレッスン見学するのも、すっごく勉強になるんで」


「掃除なんてやんなくていいから、今さーっと行ってくれば? ドラッグストア、歩いて五分くらいなんだから。ついでに、ペッパービーフと刻みレタスと……任せるから適当につまみ買ってきて。ビール、箱でもらっちゃったから飲まなくちゃ。マークが帰ったら今日は家飲みしようよ!」


「ビールなんて腐らないんだから、慌てて飲まなくても。もったいないから、とっておけばいいじゃないですか?」


「貧乏性ね。『魔界へようこそ』って珍しいお酒も手に入ったのよ。飲む?」


「そんな恐ろしいもの飲むわけにはいきませんっ!」


「なによー、せっかく、おねえさんが相手してあげようと思ったのに、つれないんだからー」


 そう言いながら、明日香はソファの上であぐらをかき、手で隠しているとはいえ大きな欠伸をしながら、ぼりぼり腹を掻いた。


 「この人、男だ!」と、奏汰は思った。


「そういつもいつも美しくなんてしてらんないわよー。蓮華だって、そうでしょ~? 似たようなもんじゃないのー?」


「もう少し、マシです。それに、蓮華は可愛いからいいんです」


 ひっくり返って足をバタバタさせ、ゲラゲラ笑う明日香に、呆れた視線を送ってから、奏汰は、さっさと用事を済ませ、吉祥寺へと急いだ。


 平日ずっと英会話合宿ではなく、明日香たちにもプライベートな時間をと、遠慮して奏汰が気を遣い、3日くらいに減らした。


 マークと奏汰が英会話をしながら作った夕飯に、明日香は感激した。


「帰ってきたら、ゴハンが出来てるなんて、最高だわ! ありがと、ダーリン!」


 マークに口づける。


「奏汰くんも! お礼のチュウしてあげる♡」


「いえ、いいです。ゴハン、冷めますよ」


 そんな数日が過ぎた頃だった。


「奏汰くん、あなたの渡米先の宿泊する場所が決まったわよ!」


 マンションに帰るなり、明日香が威張って言った。

 夕食用に、サラダを盛りつけていた奏汰は、手を止め、呆れたように振り返った。


「あのー、俺たちですらまだ決めていない予定を、どうしてあなたが知ってるんです?」


「私とマークの結婚式に合わせて、一緒にマークの実家に行くことにしたから」


「えっ!?」


 ミニトマトが、奏汰の手からこぼれ落ちた。

 明日香がペラペラと続ける。


「あなたとお友達も一緒にマークのファミリーのところに泊まって、私たちはマークの向こうの友人とか招いて式を挙げるから。日本では帰国してからにして……」


「そっ、そんな人生の大事な一大イベントを、俺になんかに合わせなくても!」


「別に、あなたに合わせたわけじゃないわよ、結婚を。私の仕事の都合上ちょうどいいからよ。それにね、あなたにとって有利にもなるのよ。アメリカに行くのはいいけど、どうやって長期滞在するつもりだった?」


「え? えーと、ビザがいるんでしたっけ?」


 目を白黒させる。


「申請するのに、書類も集めないといけないし、英訳もしないといけないわよ。手続きも時間かかるから、余裕持った方がいいわ。アメリカは、年々入国が厳しくなっていて、目的もなくブラブラする人は入れてくれないわよ」


「適当に、ワーキングホリデーとか言っても、ダメなんですか?」


「残念ながら、日本がワーキングホリデーとして提携してる国に、アメリカはないわ。せいぜいカナダなら、トロントがニューヨークに近いけど、車じゃないとね。だったら、車じゃなくてもニューヨークに出られるマークの実家の方が、動きやすいでしょう? 最初のうちは、ホームステイさせてもらっちゃえばいいのよ」


 明日香が眉をひそめる。


「ビザもいくつか種類があってね、キミの場合は、アーティスト・ビザがいいのかな。でも、それには、実績とか、推薦状も十通近く必要よ。それと、最近、アメリカがビザ取得費用を値上げしたようよ」


 それを聞いて、すぐに翔に連絡するが、返事はなかなか来なかった。

 先に、電話で、ゆかりに相談することにした。


「う~ん、私の時より、今は規制が厳しくなっちゃってるみたいね。とりあえず、私のアルバムに参加したり、ライヴやった実績をかき集めて、PA講師で行ってる音楽学校と、アメリカ人の推薦書も必要だから、この間一緒にライヴやったピアニストにも書いてもらいましょう」


「ニューヨークに行って、いろいろライヴ見たり参加したいだけなのに、気軽に行けるもんじゃないんですね……」


「でも、奏汰はラッキーな方よ」


 がっかり。でも、なんとかなりそう?

 少しずつ、ニューヨーク行きに希望の兆しが見えてきた頃、一方、翔の方には手放しで喜べない事態が起こきていたことを、奏汰は、まだ知らなかった。




「使う機材は、これでOKね。当日は、開店一時間前に入って、リハやってくれていいわよ」


 蓮華は、『J moon』でライヴをやる高校生との打ち合わせが終わり、休憩室から店へと現れた。

 引き続き、ソフトドリンクを注文し、親や教師とは違う、少し年上の、親戚のおねえさんのような感覚で相談をする学生たちの話を、テーブル席で訊いている。


「親が、音楽なんかやめて勉強しろって」


「音楽で食っていけないからって言う」


 奏汰が働いてから、そんな場面を目にすることは度々ある。

 彼らの親の愚痴であったり、恋愛相談のことも多い。


 「もう親とは口きかない!」と、中には泣き出す女子高生もいたが、聞き役に徹底している蓮華でも、「親に説明してわかってもらう必要もある」と、宥めながら、真剣に話していることもあった。


 たまに百合子が現れ、コンクールで入賞したり、三位を取った報告に来たが、浮かない顔をしていた。


「どうしても、三位から上には行かれないの。二位とか一位を取るにはまだまだ壁があるみたい。もう、何が違うのかわかんない!」


 百合子がハンカチで目を覆った。


「今回の二位は、超絶技巧の持ち主だったみたいね。一位は、アジア人の子なのね」


 コンクールの結果を調べた蓮華が記事を読んだ。


「この一位の子は、余裕のある演奏ね。動画を見ると、二位の子が真剣に弾いてるのに、この子はにこにこ楽しそうに弾いてるわ」

 

 貧しい国で、音楽教育を受けられるのはごく限られた家庭だった。


「だからか、こんな綺麗なホールで、良いピアノで、お客さんも大勢いて、そんな中で演奏できることが楽しくて、感謝してるみたいに見えるわ」


「どうせ、私は超絶技巧派の人間で、余裕ないわよ!」


「なにそれ? 自慢?」


 少し奏汰がからかうと、わあっと百合子は泣き出し、カウンターに俯せた。

 びっくりして、奏汰は、その場から退散した。

 蓮華は、百合子の肩を、やさしくたたいた。




「蓮華は、皆のママだよな」


「そうよ~」


 奏汰がそう言うと、蓮華は嬉しそうに笑った。

 土曜日、日曜日は、なるべく、蓮華と過ごすようにしていた。


 百合子が帰った後に届いた「バカ!」というメッセージを見せて、奏汰が苦笑した。

 「自分にはとても真似出来ない」と、彼女への尊敬を込めて微笑むと、蓮華も「私も苦労したわよ」と笑った。


「今日の子たちみたいに、高校くらいの時って親と対立することあるよな。特に、進路のことで」


 奏汰が懐かしそうな顔になる。


「あたしも、そうだったわ。音楽の方に行こうとするあたしに、自分の考えを押し付ける父親とは、毎晩ケンカよ。わかってもらおうと何度も話したけど、耳を傾ける気もなくて。それで、おじいちゃんのところに駆け込んでね。琳都は我慢しちゃってたから可哀想で。よっぽど我慢出来なくなった時に、家出するくらいで」


 蓮華は笑い飛ばしていた。


「奏汰くんは、音楽やるのを反対されなかった?」


「俺の親は、どっちかっていうと、兄貴の方を心配しててね。いつも、過剰なくらいに兄貴に構ってて、俺にはあんまり。さすがに仕事辞めた時と、今度アメリカに行くって言ったら電話してきたけど。じっくり話して、最終的には、自分の金で行くならいいって」


「そうなの……。まあ、信用はされてるんじゃ……」


「よくわかんないけど」


 その後も続く会話の途中で、ふと奏汰が何も返さなくなった。


「疲れてるよね。ライブと英会話ホームステイ生活の合間に、書類も集めて。お疲れ様」


 小さくそう言って微笑むと、蓮華は、奏汰の寝顔を眺めながら、その明るい色をした髪を撫でた。


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