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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第十一章『渡米準備』
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(1)魔の英会話強化?

 ウッドベースを手に入れていた奏汰は、借りていた消音ベースを返し、ライブ・バーでは、ジャズ・ヴィオリスト香月ゆかりのセッションに加わり、たまにコンサート・メンバーとして参加する日もあった。


 翔も、ゆかりから声がかかる時は、エレキギターではなく、アコースティック・ギターを持参してセッションに加わり、コンサートでは、他の若手ギタリストと交代で出演していて、奏汰と共演することもあった。


 雅人が率いるバンド『ワイルド・キャッツ』は、ジャズ・オルガン担当の琳都が就職し、奏汰と翔のライブ出演も増えたため、自然と活動は減っていったが、シェアハウスでメンバー四人がそろい、練習することは、全員の息抜きにもなっていた。


 翔と、ドラムの雅人の周りでは、就職活動が始まっている。

 翔は音楽活動を続けることに迷いはなかったが、雅人は、一般職に就くことにした。


 奏汰は、ゆかりのバンドとライブ活動をしていくうちに、外国人プレイヤーともたまに顔を合わせることもあり、もっと英語が話せればと思っていた。

 音楽だけでもコミュニケーションを図ることは出来るが、より細かいやり取りをしたくなり、自分の言いたいことも、伝えられたらいいのにという思いが強くなっていった。

 そんなことを、蓮華に話していた。


「マークに、英会話教えてもらえないか、明日香ちゃんに聞いてみるわ」


 蓮華が友人明日香にメールをすると、しばらくして、マークもOKだという返事が来た。

 ただし、奏汰との時間がなかなか合いそうにないため、住み込みでなら教えるという条件だった。


「住み込み……」

「ホームステイ状態ね」


 蓮華が笑った。


「でも、マークさんて、明日香さんと一緒に住んでるんじゃ……?」

「そうよ」


 奏汰が遠慮がちに、蓮華を見る。

 スマートフォンをスクロールしていた蓮華の指が止まり、笑みがこぼれた。


「もうすぐ結婚するんですって!」

「ええっ! 魔性の女も、とうとう……!」


 驚く奏汰に、蓮華も、非常に嬉しそうに笑った。


「今の返事に、そう書いてあるわ! それでね、結婚式の二次会を、うちのお店でやりたいんですって。仕事関係者は呼ばず、友人だけで、ひっそりと」


「へえー! 意外だな! あ、……ってことは、俺は、新婚のお宅に泊まり込むってこと? ますます悪いよ」


「まあ、新婚っていっても、付き合い長いからね。もともと二人で住んでたし。マークも明日香も、了承したからこそなんだから、大丈夫よ。ホストファミリーみたいな感覚かも知れないわね」


 蓮華が、少し考えてから続けた。


「もしかしたら、日常生活で使う言葉を教えるには、その方が手っ取り早いのかも。この際だから、そのうち、アメリカに行くつもりで、教わってくれば?」


 奏汰は、目を見開いて、蓮華を改めて見た。


「……よくわかったね」


「わかるわよ。奏汰くん、アメリカに行きたくなったんでしょう? ゆかりさんも、ちょくちょくアメリカに行ってたし、外国人プレイヤーともセッションしてると、本場アメリカのジャズにも触れたくなるわよね。目的があった方が、英語の勉強もはかどるでしょう?」


 蓮華の話を聞くうちに、奏汰の表情が明るくなっていく。


「ありがとう、蓮華……!」


 蓮華を抱きすくめ、彼女の足が浮く程持ち上げると、小躍りするように、ぐるぐる回った。


「やだ、奏汰くんたら! 下ろしてよ」


 蓮華が笑った。

 奏汰は、蓮華を床に下ろすと、改めて見つめた。


「いつもありがとう。俺、頑張るから」

「うん」


 嬉しそうに微笑みながら、蓮華は、奏汰の髪を、梳くように撫でた。


「明日香ちゃんのところに泊まるのは、ちょっと心配だけど、気を付けてね」


 奏汰は、ふっと笑った。


「俺が、魔性の女の魅力に引き込まれちゃうって心配? それには及ばないよ。蓮華以外は、俺には映らない……」


 唇が合わせられた。

 目を閉じた蓮華の肩を抱いた奏汰は、さらに、大事なものを扱うように口づけた。 




 三〇代半ばほどのアメリカ人マークだが、十歳以上も年下の奏汰にも、対等に接する。

 多少の日本語は使えても、あえて英語のみで話していた。

 テキストなどは使わず、日常生活の会話をし、ゆっくりと彼が話せば、奏汰には、なんとなく伝わった。


 簡単な料理もしながら、作り方を説明する。

 奏汰も、それを繰り返し、発音も直されながら、一緒に調理していた。


 夜は、リビングのソファを借りることになった。

 外国製の広めのソファであり、奏汰が寝られるほどの大きさはあった。


 アンプを通していないエレキベースを練習してから、奏汰は、ソファに横になった。

 心地良く、眠りに落ちるには、時間はかからなかった。


 夜中だった。

 玄関のドアが開き、鍵を閉めた音の後に、足音が近付く。

 リビングのドアが開くと、オレンジ色の小さな照明だけが点けられた。


「Hi, Mark. I'm home 」


 小さく、女の声が、呼びかけた。

 赤茶色の長いストレートの髪からは、煙草の匂いが振りまかれる。


 千鳥足の音と、キッチンで手を荒い、コップに水を注ぎ、ごくごくと飲み干す音。


 上着や衣服、ストッキングを、次々と脱ぎ捨てながら、「 I missed you!」歌うような甘えた声で、女はソファに近付くと、薄手の毛布に包まった者に、覆い被さる。


 ソファの背を向いている顔を振り向かせると、長い髪を耳にかけ、女の赤いルージュの引かれた唇が、探り当てた唇を覆う。


 甘い音を立てながら、もぞもぞと、食べるように赤い唇は動き回った。


「ん~、蓮華……?」

「……ん?」


 うっすらと開いかれた目と目が合う。


「わあっ!」

「あら!」 


 女が慌てて、部屋の照明を明るく切り替えた。

 赤いシルクのキャミソール姿だった。


「やっだー! 奏汰くんじゃないの!」

「明日香さん!? なにしてんですか!」

「ごっめ~ん! 間違えちゃった~!」


 騒ぎを聞きつけて寝室から出てきたマークに、明日香が、酔っぱらって帰ってきたから、あなたと間違えたのだと英語で説明する。


 反射的に、唇に付いたであろうルージュを急いで手の甲で拭い取り、ソファに座り直した奏汰は、怒られるだろうとビクビクしていた。


 マークは笑い飛ばすと、奏汰の肩をポンと叩き、気にするなと言った。

 それから、明日香をやさしく抱き寄せ、口づけた。


『今夜も、一段と綺麗だよ、ハニー』 

『嬉しいわ、ダーリン!』


 そのような会話と、終わりそうにない口づけに、思わず見入っていた奏汰は、はっとして、赤くなりながら、目を反らした。


「ごめんね〜! 奏汰くん、今日から『合宿』なんだったわね! すっかり忘れてたわー」


 キャミソールのツーピース姿で、明日香は、ご機嫌に、ミネラルウォーターを飲み、奏汰と同じソファに座った。

 マークが、彼女の脱ぎ捨てていった仕事着を拾い集め、洗濯機の方へ運んでいるのに気を取られながら、奏汰は言った。


「お二人の愛の城に、無粋な真似してすみません。しばらく、お世話になります」


「あら、気にしなくていいのよ〜! 人がいようといまいと、どうせ、やることは変わらないんだから!」


 コロコロと笑う明日香を、奏汰は恨めしそうに見てから、少し呆れた目になった。


「で、どうだった? 魔性の女の口づけは?」


 明日香は、ソファの肘掛けにもたれかかり、足を組むと、小悪魔的な微笑みになった。


 それを、横目で見て、奏汰は答えた。


「精気が吸い取られていくような、血の気が引く思いでした」


「私はヴァンパイアか」


 明日香は苦笑しながらも、面白そうに奏汰を見た。


「ねえ、NYに行ったら、蓮華とのこと、どうするの?」


 足の先で、奏汰の腕をつつく。


「どうって……」


「単身で行くつもりなんだ? 多分、あの子、待ってると思うわよ〜」


「はあ、まあ、日本で待っててくれるでしょうけど……」


「そうじゃないわよ」


 明日香が吹き出した。


「連れてっちゃえば?」


 奏汰は目を丸くしてから、真面目な表情になり、明日香から目を反らした。


「からかわないでくださいよ。……お店があるんだから、連れて行けるわけないじゃないですか」


「お店は、優さんがいるんだから、接客面でも、なんとかなるでしょ。あと、共同経営者のエスニック路線のお友達——新香ちゃんだっけ? ——もいるんだし、蓮華なら、その間のことくらい考えるわよ。キミ、若いんだからさー、そんなこと考えずに、勢いで言っちゃえばいいじゃないの。年取ると、常識に囚われるし、つい計算しがちなんだけどさ、そこに、若くて純粋なエネルギーがぶつかって来たりしたら、『いいかな〜』って、フラフラ〜っとなる年上女は多いと思うわよ」


「……そんなもんなんでしょうか?」


 眉間に皺を寄せる奏汰に、明日香は続けた。


「——ってカンジのドラマなら、書いたことあるわ」


「……ドラマの話ですか。現実は、そんなわけには……」


「もし、ついて行くのが無理でも、ちゃんと待ってると思うわよ。今の蓮華なら、キミに惚れてるから」


 ミネラルウォーターをテーブルに置き、ソファに座り直した明日香が、真面目な、射抜くような目で、彼を見る。


 その瞳を捉えたまま、奏汰も真面目な表情になった。


「……わかってます、明日香さんが、俺に、何を言いたいのか。茶化してるかのようだけど、実は……」


「あら、茶化してるだけよ」


 唐突に遮った明日香を、思わず、奏汰が二度見た。


「説教垂れるつもりも、指南するつもりもないわ。ただ、どんな方に向かうのか、見てみたいだけ」


 魔性の女は、好奇心に満ちた物書きの目になり、にっこりと微笑んだ。


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