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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第十章『疑似恋愛』
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(3)『Night and Day』

「『ワイルド・キャッツ』は、ちょっとレトロな路線のバンドでね、方向性はまだ手探りが続いてるんだ。今のところは」


「メンバーは、どなたがいらっしゃるんですか?」


「ギターの翔と、ドラムは俺、ジャズオルガンは外部の琳都、ベースも外部の奏汰の四人だよ」


「半分は、外部の方なんですね」


「ああ、ちょっとワケあってね。あ、翔、いいところに!」


 「ああ?」と、黒いギターケースを背負った翔は、部室に入ると、雅人が知らない女子二人と話しているのを、怪訝そうに見ていた。

 二人は、「広報」と書かれた腕章をしている。


「私たち、新聞サークルの者です」


 二人は、翔に会釈をした。

 翔も、とりあえず、会釈で返すが、新聞サークルなんてあったっけ? と首を傾げる。

 それを察したように、ひとりが言った。


「あの、有志でやっているんです。写真部と文芸部から募って」

「へー」


 興味のなさそうな返答をすると、翔はケースからギターを取り出し、チューニングを始めた。


「それで、雅人先輩、残りのお二人は?」


「ああ、琳都は俺たちの一つ上で、別の学校通ってたんだけど、就職して。だから、ここには来ないで、シェアハウスの方で音合わせしてるんだ」


「シェアハウスに住んでるんですか? 皆さんで?」


「うん、そうだよ」


「もう一人の奏汰さんて人は?」


「ああ。あいつもこの学校の生徒じゃなくて、俺たちと年は同じだけど、もう働いててね、最近は、ライブの練習とかに呼ばれてて、昼間はなかなか会えないから、やっぱり、シェアハウスの方でさ」


「そうなんですか!」


 驚いた二人の女子のうち、ノート型パソコンを持参していた方は、視線をパソコンに戻すと、キーボードを叩くスピードを速めた。


「そこにいる翔も、同じライブに出てるんだぜ」


「ええっ! そうなんですか!」


「だから、あいつも、ここにいることは珍しいんだよ」


「そうなんですね! じゃあ、今日は、お会い出来て、ラッキーでしたね! すみません、上原先輩、お話、詳しく伺えませんか?」


 声をかけられた翔は、ギターを弾く指を止めずに、仏頂面を向けた。


「奏汰さんと同じライブっていうのは、『ワイルド・キャッツ』の活動とは別ってことですよね? どんなライブなんですか?」


「ジャズ・ヴィオラの香月ゆかりのライブだよ」


「えっ? それって、もしかして、プロの?」


 質問担当の女子が固まると、パソコンを打っていた方の女子の手も、止まった。


「すごいじゃないですか!」

「すごい、すごーい!」

「どうも」


 きゃっきゃ騒ぐ女子たちに、翔は、嬉しそうには見えない、どちらかというと迷惑そうな顔を向けたままだ。


「是非、取材に行きたいです! 上原さんがご出演なさる日を教えていただけませんか?」


「忘れた」


「えっ、……あ、そうですか……」


「おい、翔、そんなこと言わずに、教えてあげろよ」


 そんな雅人の声が聞こえているのかいないのか、翔は背を向け、黙ってアコースティック・ギターの練習を続けていた。


「ごめんな、せっかく取材に来てくれるっていうのに。あいつ、今、奏汰に置いていかれそうで、焦って練習してるんだ」


「おい、雅人、今何て言った?」


 ギターを弾く手を止め、ぎらっと光る目で、翔が雅人を振り返る。


「なんだ、ちゃんと聞こえてるんじゃないか」


「聞き捨てならねぇな。この俺が、奏汰に置いていかれそうだと?」


「え? だって、翔、最近、ストイックに練習してるから、そうなのかと思って」


 翔は、身体ごと雅人に向き直ってから、口を開いた。


「俺は、決して、あいつには劣ってない! 若手でベースはあいつしかいないから、たまたま、あいつがいつも呼ばれてるだけだ」


「別に、お前が劣ってるとは、言ってないって」


 ヘラヘラと笑う雅人を一睨みすると、翔は、また背を向け、ギターを弾く指の力を強めた。


「上原さんて、イケメンでやさしいって聞いてたけど……」

「なんか今日、機嫌悪いのかな?」


 女子二人が顔を見合わせ、首を傾げる。


「ごめんなー、せっかく取材に来てくれたのに、あいつ、今、奏汰いないから、イラついててさー」


 雅人が、肩身の狭そうな笑顔で、新聞サークルの二人に、手を合わせ、謝る仕草をした。


「ああ、やっぱり、噂通り……」

「……みたいだね」


 二人の女子学生は、妙に納得した表情になり、頷いた。


「なんとかしてライブの日、聞き出しとくから、また連絡するよ」


「はい。よろしくお願いします」


 二人は立ち上がり、頭を下げると、部室を出て行った。


「おい、雅人、さっき、なんか誤解招きそうな言い方してなかったか?」


 翔がギターを弾く手を止め、横目で雅人を見ている。


「えっ? そうだった?」


「まさか、実は、お前が、俺と奏汰の変な噂を振りまいてる黒幕なんじゃねぇだろうな?」


「違うよ。ただ、噂に便乗した方が、バンドも注目されるかなーって」


「なんだと?」


「ははは、俺、缶コーヒー買ってくるわ」


「おい、待てよ、雅人! 待てっつってんだろ、こら!」


 ギターをスタンドに立てかけてから、翔が部室から出ると、雅人が全速力で駆けていった後だった。




「今度のレコーディングでは、『Night and Day』を入れてみようと思うの」


 ゆかりが、メンバーの前で切り出した。


「ええっ、ゆかぽん、やっとやる気になったんだぁ?」


 ゆかりの兄、香月孝司が驚いた。

 常に、きりっとしているマネージャーの孝司は、妹に対しては、子供の時からであろう接し方をしていた。


 それには、始めは驚いて違和感のあった奏汰と新人たちも、やっと慣れてきたところだ。


 ジャズのスタンダード・ナンバーで、特別珍しい曲ではない『Night and Day』。


 奏汰が初めて演奏したバラード『Ev'ry Time We Say Goodbye』と同じ、コール・ポーターの曲だった。


 緊張感のある響きから、安心感のあるコードに落ち着く。特徴的なテーマが始まり、伸びやかに歌うサビ。


 奏汰も知っている曲であり、それを選択したといって、なぜ、孝司も、ピアニストやドラマーまでもが驚いているのか、不思議だった。


「『Night and Day』は、ゆかぽんが大好きな曲でさ、それを初めて聴いた時に、ジャズに目覚めたんだって」


 新人の奏汰とギター青年、サックス青年に、ピアニストが説明した。


「だけど、既にいろんなアレンジがあるだろ? ボサノバとかスイングとか、ラテン系とスイングを交互にとか、いろいろ」


「思い入れの強い曲だからこそ、アレンジが納得いかなくて、自分らしいアレンジを求めるあまり、ずっと彼女が避けてきた曲でもあるんだ」


「なんで、急に、やる気になったんだろう?」

「だよな!」


 ピアニストとドラマーの話を聞いて、「へえ」と、新人たちは顔を見合わせた。


「ゆかぽん、ホントにいいのかい?」


「いいのよ、コウちゃん、今なら出来そうな気がするの。このメンバーではエレキを使ってフュージョン風に、そして、もう一つ、アコースティックでボサノバ風に、やってみたいの」


 ミディアム・テンポのボサノバでは、ギターは翔が、ウッドベースに奏汰が指名された。

 再び、新人以外のメンバーが、どよめいた。


「ゆかぽんがフュージョンやるなんて、……何年ぶりだ?」


「三年ぶりだ」尋ねたピアニストに、孝司が即答した。


「よっぽど、奏汰のエレキベースが気に入ったのかな?」


「そうよ。若い風を入れたいって、オーディションする前に言ったでしょう?」


 メンバーに、あっさりと、ゆかりが答えた。


 皆の注目が集まると、奏汰は嬉しいような、恥ずかしいような表情で、「ありがとうございます」と、ぺこりと頭を下げた。


「これからも、『Night and Day』は、アレンジを変えて、時々発表していくわ。なにも、私らしくなんて、ひとつのアレンジにこだわらなくてもよかったんだわ」


「頑固なゆかぽんが、やっとそう決めたんなら、それで行こう!」


 ゆかりは、そう言った兄を、わざと睨むようにして笑った。




 バーの営業時間ではない日中、場所を借りて集まることもあった。

 孝治と仲の良いマスターが、時々、練習にと場所を提供していた。

 マスターが買い出しに行く間、メンバーよりも大分早くやってきた奏汰とゆかりは、練習中だった。


 ウッドベースで、奏汰が試行錯誤していると、ゆかりが寄って行く。


「そのフレーズ、良いわね」


 奏汰の思い付いたベースのフレーズに乗せて、ゆかりがヴィオラを奏でる。


 息遣いまでも彼に合わせたのかと、奏汰が思ったほど、彼女のフレーズはぴったりと合い、練習とは思えないほどの出来映えに感じられた。


 思わず、奏汰が、溜め息を吐いた。


「今、なんていうか……鳥肌が立ったっていうか、ビリビリ来た感じがした。共鳴するって、こういうことなんですかね」


「私も同じよ」


 ゆかりも、嬉しそうな、弾んだ声になる。


「これで、行きましょう! 後で、皆が来た時に、聴いてもらうわ」


 感性がくすぐられたような感覚を、自分だけでなく、相手もが味わうなんてことがあるんだな、と奏汰が思っていると、ヴィオラを置いたゆかりが、奏汰の隣に行き、背伸びをした。


 柔らかい唇が、奏汰の頬に触れる。


 一回り年上で、颯爽とした美しい彼女のそんな動作が、奏汰には、可愛らしく感じられた。


 ウッドベースを立てかけると、見上げて待つ彼女に、唇を重ねる。

 待っていたように、ゆかりが口づけ直し、奏汰の腕の中にすべりこんだ。


 幅の狭い彼女の背を包み込むと、彼女の口づけが深くなる。

 それに合わせ、吐息を感じながら、彼も深く唇を覆い返す。


 暗黙のうちに始まった無言の口づけは、誰にも気付かれてはいない。


 マスターが戻る頃には、二人は元の位置で練習を続けていた。

 そのすぐ後に、メンバーがやってくる。


 その前に、ゆかりから、練習を早めに抜けて、指定したカフェに来るよう言われていた奏汰は、しばらくメンバーとの練習を続けてから、その通りにした。


 勘ではあったが、今日のゆかりの様子が、これまでとは違うように思えた。


 メンバーとの練習中は、冗談を言い合ったり、相変わらず、はっきりとした物の言い方で、自分の音楽を伝えているところなどは、普段通りであった。


 例え短いフレーズであっても、合わせた時に波長が合うような、共鳴するような、そう感じられると、自然と口づけを交わすことが多かった。


 だが、先ほど口づけた様子から、彼女は彼を受け入れている、自惚れではなく、そう思えたのだった。


 自分は、彼女を受け入れられるのだろうか。

 受け入れてしまって、いいのだろうか。


 彼女が何を言い出すのか、奏汰には、少し不安であった。




「私には、音楽が一番なの」


 ゆかりが切り出した。


 とりあえず、奏汰は、それを聞いて、ほっとした気がしていた。


「だから、勝手かも知れないけど、あなたが、私に甘えないところも助かるの」


 そう言って、カプチーノを傾ける彼女を見つめ、奏汰は、少し考えてから言った。


「甘えてないって、言えるのかな」


「だって、そうでしょ? あなたから、私に、プライベートでも会いたいって言い出すとか、触れて来るとか、そういうことはなくて、全部、私からでしょう? 私が、そうしたい時だけ」


「……そんなこともないと思いますけど。俺からの時だって……」


 奏汰は、言葉を濁すように、コーヒーに口を付けた。


 少し頬が赤らんだ彼に、ゆかりは、見守るようなやさしい視線を向けた。 


「それだって、私の気持ちを察して……よね? やさしいのね。私を、傷付けないようにしてるのがわかるわ」


 奏汰が顔を上げた。


「あの、俺、実は……」


 ゆかりが、手で制した。


「誰かいるんでしょ?」


「……はい」


 そう答えても、彼女の表情は変わらないままだ。


「私とは、これ以上は発展しないということね」


「少なくとも、あなたを俺のものにしようだなんて、おこがましいことは考えてません。これまでのことも、あなたとの音楽の余韻だと思ってますから」


 ゆかりは、同調したように頷いた。


「そうね。あくまでも、私は、あなたとは音楽仲間」


「あなたは、俺の尊敬するヴィオリストで、……ああいうことも、あなたが作り上げる音楽の一部だと思ってますんで」


 言い訳ではなく、本心だった。


 じっと彼を見据えるゆかりは、すがるような瞳を、彼に向けた。


「それでも、一度でいいから……もうキスだけじゃ、我慢できないの」


 奏汰の心臓が、大きく鳴った気がした。


 彼の恐れていたセリフだった。


 硬直した奏汰は、すぐには言葉を返せないでいると、ゆかりが、いたずらっぽい笑いを浮かべ、緊張を破った。


「ーーって言ったら、どうする? あなたのお相手と同じように、って言ったら?」


「……同じようには、出来ないと思います……」


 小さい声で、彼は答えた。


「それなら、最大限に、近付けて」


 ゆかりの端正な顔立ちから目を反らせず、どう答えていいか迷う奏汰を見てから、彼女は、さっと時計に目をやり、彼の答えを待つまでもなく言った。


「ねえ、ディズニー・シー行かない?」


「えっ? 今から?」


「夕方からは、ちょっと安いのよ」


 にっこり笑って立ち上がると、善は急げとばかりに、ゆかりが、奏汰の腕を引っ張った。




 夜のテーマパークを訪れたことは、社会人になってからは初めてだった。

 ゆかりの方は、都内に住んでいるため、思い付きで何度も来ているという。

 思ったほど混んでいなかったのは、平日の夜だからだろうと、奏汰は思った。


 ヨーロッパ調建物の夜景を見渡しながら、イルミネーションの中を、二人は並んで歩いた。


 さっきの発言は、本気なんだろうか?

 「最大限に、近付けて」という……。


 楽しそうな笑顔の彼女と反対に、奏汰は、迷いながらも、いくらなんでも、越えてはならない一線を越えるわけにはいかないと思っていた。


 一通り、ゆかりの遊びに付き合い、水の上をくるくるとトリッキーに進む乗り物に乗り、波瀾万丈空の旅のアトラクションも楽しんだ。


「今、何を考えてるの?」


 夜の水上ショーが終わり、そのまま、奏汰とゆかりは、パークの港を見下ろしていた。

 夜景を眺めながら、隣にいる彼女の質問に、奏汰は、答えようがなかった。


 ゆかりは、別段、不快でもなんでもない顔で、さらっと尋ねた。


「私がどこまで望んでいるのか、それに応えていいのか。どうしたら、私を傷付けないで済むか、ーーって、断り文句を考えてるのかしら?」


 奏汰は、ゆっくりと、ゆかりを向いた。


「両方です。応えちゃいけない想いもあれば、応えたい想いもあります」


「応えたいっていうのは、あなたのやさしさ以外の理由があるとすると……、例えば、断れば、私が機嫌を損ねて、あなたを、メンバーから外すことを恐れているから? それとも、疑似恋愛とはいえ失恋のショックから、私の音楽に影響が出てしまうかもしれない、と心配してくれているのかしら?」


 奏汰は、困った顔になった。


「そんなんじゃないんです。そこまで、俺なんかの影響が、あなたの音楽にまで現れてしまうと、自惚れているわけではないし……」


「影響するわよ」


「えっ……」


 ゆかりの強い一言に、奏汰は、さーっと顔が青ざめ、絶句した。


「ーーなんて言うと、増々断れなくなるから、パワハラよね」


 冗談のように、ゆかりが笑ってみせた。


「でもね、例え、私がすごく傷付いたとしても、それを自分の音楽に取り込んでいけるって、思っているの。その時は深く傷付いたとしても、後に、その経験を、曲や表現に活かせる、いいえ、活かしてみせるって。これまで、そうしてきたし、これからも、そうしていくつもりよ」


 言い終わると、改めて、ゆかりは奏汰を見上げた。


「だから、奏汰は、私のことを気遣うことなんてないの。自分がどうしたいか、だけでいいのよ」


 演奏している時の彼女からは見られない、大人の女性らしい、穏やかな微笑みが浮かんでいた。


 この(ひと)は、きっと、今まで、そうやって割り切って……。

 そう考えられるようになるまでには、おそらく、いろいろな想いをしてきたのだろう。


 きっと、蓮華も……。


 奏汰は、そう察した。


「大人はいつも、相手を気遣っているんだなって思います。以前の俺なら、こういう場合、言葉通り受け取っていたけど……。おそらく、たくさん傷付いて、それでも負けずに今のあなたがあるんだとしたら……」


 言葉を区切ると、奏汰は、ゆかりを、そっと抱えた。


「せめて、あなたの心を抱きたい」


 ゆかりの瞳が揺れ動き、潤んでいく。


「……ずるいわ。そんなこと言える子だったの?」


 奏汰の腕が、強く抱きしめていく。


 しばらく、彼女は、それに身をゆだねていた。

 無言の時が流れ、静かな波の音を聞きながら、ゆかりは、ぼんやりと、水面を眺めていた。


「ありがとう。もう大丈夫よ。困らせて、ごめんね」


 奏汰の腕の中で、彼女は俯き加減に、目尻を指で拭う仕草をした。


※『Night and Day』by Cole Porter


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