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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第十章『疑似恋愛』
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(2)『Three Views Of A Secret』と「ダイキリ」

 大学軽音楽部の部室の一つでは、翔がひとり、ギターを弾いていた。


「翔!」


 部室のドアが勢いよく開くと、奏汰と雅人が飛び込んできた。


「やっぱり、ここにいたか!」雅人が、安心した顔になる。


「お前、まだ菜緒さんとこにいるし、携帯も電源切ってるだろ?」

「香月さんから、返事来てなかったか!?」


 息を切らしながら、興奮した奏汰が、雅人に続いた。


「え?」


 翔は、おもむろにスマートフォンを取り出す。

 香月ゆかりのオーディション以来、シェアハウスには戻らず、何日も電源を切ったままだ。


「あー、やっぱり、見てなかったんだな! オーディションの結果が来たんだよ!」


 奏汰に言われて初めて、翔は、スマートフォンの電源を入れ、貯まっていたメールボックスを確認する。


 ゆかりの兄、香月孝治からのメールが来ていた。

 おそるおそる開く。


「……合格……してる」


 翔は、放心した声をもらした。


「やっぱりな!」

「奏汰、お前もか?」

「おう! これで、ゆかりさんとセッション出来る! やったな!」


 奏汰が翔に飛びついた。


「良かったな! お前たち!」


 雅人も嬉しそうに、眩しそうに、二人を見た。


 カシャッ


 小さくシャッター音が聞こえた気がした翔は、さっと、目だけで部室のドアの方を見る。

 ドアは開いたまま、数人の女子が、スマートフォンを向けて、写真を撮っていた。


「奏汰、お前、騒ぎながら、ここへ来なかったか?」


「騒いでないよ。走っては来たけどな」


「同じだ、バカ! お前がバタバタ廊下走って、目立つことすっから、腐女子に尾行されてんじゃねぇか! おい、離れろよ! また誤解されんだろーが!」


 奏汰の腕を振り払った翔だったが、遅かった。

 のぞいていた女子たちは、きゃっきゃ笑いながら、風のように去っていく。


 数分後、またしても、一部のSNSで、写真は公開されていた。




 ゆかりの予告通り、オーディション最終日の受験者たちは、ほぼ合格していた。

 コンサートのメンバーではなかったが、奏汰も翔も合格し、さっそくライブ・バーでセッションをすることになった。

 二人は別の日を指定されていた。


「あら、ベースくん、今日は、ウッドベースなの?」


 ゆかりが、面白そうに言った。


 消音ウッドベースも、コンサートでは使われているが、ゆかりのコンサート動画では、アコースティックの楽器にこだわりがあるように思えた。

 宝の持ち腐れになっている中古ウッドベースを、手に入れることは容易く、オーディションに通ったことで、奏汰はウッドベースを購入する決心が付いたのだった。


「デジタル楽器も使用する時なら、消音ベースでもカッコいいんですが、ゆかりさんの最近のコンサート見ると、全部アコースティックだったから、揃えた方がいいと思って」


「そこまでお気遣いありがとうね! 今日は楽しみだわ!」


 会場であるライブ・バーでは、オーディションではバックで演奏していたドラマーとピアニストが、さらに、彼の知らない、まだ若いバイオリニストの女性もいた。

 ジャズ・バイオリニストとして売り出し中ということだが、まだライブに出ているだけだ。


 Cメロ譜を渡され、演奏のスタイルを軽く確認すると、さっそく合わせる。


 若く、品の良いお嬢さん風のバイオリニストは、演奏も優雅であった。


 遊び感覚で弾くと言っていたゆかりは、ファンキーに冒険し、時には優雅で美しく、たまに、指の練習だと言って超絶技巧を用いたりしていたが、いずれもダンサブルで、一曲ごとに、奏汰は驚かされたものだった。


 セッションの合間に話していると、バイオリニストもゆかりも、元はクラシックの出身だと知った。


 バイオリニストの優雅さの理由に、奏汰は納得が行った。

 音大を卒業してから、ライブでは、彼女はジャズしか弾いていないというが、奏汰には、ゆかりのヴィオラの印象とはまったく違うように聴こえた。


 二人の演奏を聴き比べながら、考えていた。


 そうか、弦楽器は、音の立ち上がりが柔らかいイメージだけど、ゆかりさんのは、フレーズによって最初から強かったりするんだ。


 時には、サックスのように鳴ることもある。

 様々なジャンルの音楽を聴き、取り入れてか、ジャズらしく、彼女らしい感じを出すには、本来のバイオリンやヴィオラと違う奏法を、工夫を凝らして編み出したのだろう。


 自分の奏法で演奏をするのが一般的だが、ゆかりは、曲の持つイメージに自分の表現を近付けようとしている、それが、彼女らしさ、個性になっている、そう奏汰には思えた。


 そして、お嬢さん風のそのバイオリニストも、元気な演奏をすることもあるが、ゆかりの方がさらにエネルギッシュで、自分の思う音楽を全面に出している。


 それには、彼女の演奏を聴きに来た客に、例え、一曲しか聴けなかった客に対しても、一期一会を大事にするように、一曲、一曲に自分のすべてを込めて演奏を届けている、そんな風に、奏汰には思えたのだった。


 彼女の演奏に、強烈に惹き付けられた奏汰は、蓮華が十年も前から、彼女のファンであることに、強く共感していた。


「せっかくだから、今度のライブには、きみの好きな曲も一曲入れてもいいわよ」


 ゆかりがペットボトルの水を飲み、奏汰に言った。


「ホントですか!? じゃあ、『Three Views Of A Secret』は、どうでしょう? ジャコ・パストリアスって、一時ウェザーリポートにもいたベーシストが作った曲なんですけど、今、俺、この曲が一番気になってるんですよ!」


 嬉しそうに、奏汰はスマードフォンを取り出すと、動画を探し、メンバーに見せた。

 ウェザーリポートのものはもちろん、電子楽器、ピアノ、ビックバンド、ギターソロ、管楽器、そして、弦楽器でも演奏されていた。


「ゆったりしたジャズワルツで、独特のコードから始まって、サビの前に転調して、ガーシュウィンっぽいサウンドになるんですけど、いかにもスタンダードジャズって感じで、そこからの、自然に元のキーに戻り、M7(メジャーセブン)が続く新しい和音に移り変わるところが、超気持ちいいんですよ! その後の、きわどいコードが続いた後の……」


「お前、うるさい、ちょっと黙ってろよ。そんなに喋るヤツだったか?」


 ピアニストが苦笑し、奏汰も、首を引っ込めた。


「曲の構成も変わってるし、予測不可能なコード進行が多いわね。面白いじゃない!」


 ゆかりは賛成するが、バイオリニストの方は「なんだか難しそう」と、苦笑いしていた。


「大丈夫よ、やってみましょう!」

「ありがとうございます!」


 奏汰が笑顔で頭を下げた。


「それにしても、若いのに、こういう曲が好きとはね。オーディションの時は、アップテンポの曲だったでしょう? ああ、でも、あのギターの子と弾いてたのは、スローテンポのボサノバだったわよね。きみの趣味って、珍しいわよね」


 『Three Views Of A Secret』は、音楽漬けの日々に充実していながらも、なかなか蓮華に会えないせつなさを感じていた時に聴き、妙に感情移入してしまったあまり、6弦ベースで、ギターのように探り弾きをしてみたりしていた。


 そんなこととは言えない奏汰は、へへっと、ただ照れて笑ってみせた。


「とりあえず、基本はこんなもんでいいか?」


 さっそくピアニストが、コードを聴き取り、演奏というよりも、確認として弾いてみせるが、曲らしくなっている。


「すごい! さすがですね! そんな感じです! あ、ここのコードは、こうの方が俺は好きですが、どうですか?」


 奏汰がピアニストと簡単に話し合い、とりあえずのCメロ譜が出来上がる。


「ベースなんですけど、これ、エレキでやっても面白いと思うんです」


 奏汰が、遠慮がちに、ゆかりを見て切り出した。


「お前なぁ、最近、ゆかぽんは、アコースティック・オンリーなんだよ」

「この編成で、ベースだけエレキってのはなぁ……」


 ピアノとドラムは渋い顔を見せていた。


 案の定、ゆかりも、「ウッドベースでやりたいわ」と言った。


 お嬢さんバイオリニストは、元から気が進まないような、どうでもいいという顔になっていた。


「今日は俺もウッドベースしか持って来てないけど、今度はエレキも持って来ますから、試しにやってみても……」


「いいえ、ウッドでいいわ」


 ゆかりに断言されると、奏汰は従うしかなかった。




 バイオリニストが帰ると、入れ替わりに、翔ではないギターの若い青年と、サックスの青年が来た。


 適度に入れた『合いの手』のセンスが良いと、奏汰はゆかりに褒められた。


「ベースくん、きみ、名前なんだっけ?」

「奏汰です。蒼井奏汰」

「よしっ、奏汰ね! 悪いけど、今、兄から連絡あって、明日来る予定だったベースの子が、急に来られなくなったみたいなの。連日で悪いけど、明日も来られる?」

「はい! 是非やらせてください!」


 嬉しそうに言った奏汰に、「助かった!」と笑ったゆかりは、兄からの電話に答えていた。


 翌日は、スタジオで練習だった。


「もっと、ここで、スパーンと、勢いよく入ってきてくれる?」「そうじゃなくて、もっとクレイジーな感じで」


 奏汰を含める若手の三人は、ゆかりにしごかれる。


「そうじゃないのよ。ちょっと休憩にしよ!」


 彼女を見ていると、気に入らない、気に入った等が、わかりやすかった。

 はっきりした態度は、新人には怖いものでもあったが、彼女が褒めた時は、心から喜んでいるように見えるので、嬉しいものだった。


 裏表のない性格だろうことは、すぐに皆に伝わり、それに好感を持てた者は残り、期待に応えられそうになかったり、打ち拉がれてしまった者は、去って行った。


 ライブの本番も無事にこなし、以来、頻繁に練習に呼ばれるようになった奏汰は、ウッドベースにこだわるゆかりに、曲によってはエレキの方が合っていると、再び主張し始めた。


 周囲からは、正式なメンバーでもない、「若くて何もわからないくせに生意気だ」とか、他の新人からも「ゆかりさんに楯突くなよ」と文句も言われたが、一曲も試さずに決めつけられることは、彼には納得が行かなかった。


 エレキでも、アコースティック・ベースのように柔らかくも出来ると、言い続けた結果、譲らなかったゆかりも根負けし、試しに同じ曲を両方のベースで弾いてみることに、やっと応じた。


「一曲は、エレキにしてみてもいいわ。ただし、一曲だけよ」


 奏汰は何度も礼を言い、試しに弾いたのは、彼の提案した『Three Views Of A Secret』だった。


「エレキも悪くはないかもな」


 と、始めに感想を言ったのは、ドラムだった。


「どっちでもいいんじゃないか? どっちも良かったし」


 ピアノもそう言った。


「そうね。確かに、一曲はエレキも悪くないわね。ただし、『Three Views Of A Secret』は、ウッドで行くわ。カッコ良くて渋いアドリブを、期待してるわよ」


「はい……、わかりました」


 ベースソロを入れてもらえて、嬉しそうではある奏汰だが、僅かに、腑に落ちない声だった。


 何度目かのライブに出演した頃だった。

 大盛況で終わり、メンバーや他の新人が帰った後、エレキベースを片付け、ウッドベースを拭いていた奏汰に、ゆかりが声をかけた。


「今日の演奏も良かったわよ」


「ありがとうございます」


「何度も助っ人頼んじゃったし、今日も上手くいったお礼に一杯おごるから、ちょっと頼まれてくれない? 疲れてるところ悪いけど」


 後から彼の知ったところでは、ベース志望は他の楽器に比べ、少なく、さらに、ウッドベースを弾ける者を限定して選んでいたため、ほんの数人しか通らず、ほとんどが辞めてしまっていた。


「俺で良ければ」

「助かるわ!」


 喜んだゆかりが、さっそくCメロ譜を渡す。


「明日は、コンサートのミュージシャンたちと合わせるの。それで、プロのベーシストとも演奏するんだけど、奏汰の教えてくれた『Three Views Of A Secret』もやりたくて。簡単にアレンジの予習をね、遊びながらしてみたいの。なんか適当に弾いてみてくれる?」


 奏汰の顔がほころんだ。


「こんな風にしようと思うんだけど……」


 ゆかりの考えたアレンジを、奏汰が聴き、それなら、ベースはこういう感じがいいのではないかと、さらっと弾くと、彼が適当に弾いたフレーズの中で、ゆかりの気に入ったものは、五線譜にメモ書きしていく。

 大まかに二人で弾いたものを、録音し、聴き直す。


「意外と、うまく行ったわね」


 うっとりと聴きながら、ゆかりが微笑んだ。


「なら、良かったです。俺の案も、取り入れてもらえて、嬉しいです」


 ほっとしたような笑顔で、奏汰が答えた。


「コンサートでは使わせてもらうけど、セッションでは、もちろん、使っていいんだからね! その時は、きみとアレンジしたって、ちゃんと紹介するわ」


「ありがとうございます!」




「どうして、私が、ウッドベースにこだわるか、教えてあげる」


 正面に都会の夜景が見えるよう、椅子とソファが配置されたバーの奥では、ウッドベースとエレキベースのケース二本を壁に立てかけ、ゆかりと奏汰が並ぶ。


「あの低音の響きは、エレキでは出せないものだわ。CDになっても、あの音の広がりは、アコースティックならではなの。それで、もともとウッドベースの方が好きなのもあるけど、きみのウッドベースが、気に入ったからもあるのよ」


 奏汰は、意外そうに、改めて彼女を見た。


「そうなんですか?」


「そうよ。あの教えてくれたジャズワルツのバラード、あんなのウッドベースで弾かれたら、皆メロメロでしょう?」


「そ、そんなことないですよ。俺なんて、まだまだだし」


 慌てる奏汰に、ゆかりの瞳の奥が、面白そうに光っている。


「まだまだとは思ってなさそうな演奏だったわよ。若い子なのに、ちゃんと自己主張出来るし。いえ、若いからこそ、余計な事は考えずに、自己主張出来るのかしら。私も、そうだったわ」


 瞬間、自分のことを振り返るような、懐かしい顔になったと思うと、ゆかりは、少し諦めたような表情で語り出した。


「キャリアを積んでしまうと、私のバンドだからって、皆、いつの間にか、意見をあんまり言わなくなってね。変な意味で、私には敵わないと思っているのか、どうせ聞き入れてもらえないと思っているのか……。


 私だって、自分が正しいと思ったことは譲らないけど、それでも本当は違うこともあるし、音楽なんて正解はないわ。ひとりで作る音楽じゃなくてセッションなんだから、もっと意見を言っていいと思うの。アメリカや外国では当たり前なのに。せっかく、若い風を入れようと思ってたのに、遠慮してたり、意見を言わないうちに辞めちゃう子も多いし……」


 残念そうに俯いた彼女が、深い溜め息をつく。

 奏汰は、黙って、彼女を見つめる。

 それに気付いた彼女は、気を取り直したように微笑んだ。


「だから、奏汰のことは、私、信頼しているのよ、音楽においては」


 少し考えてから、奏汰が口を開いた。


「俺は、図々しいのかも知れません。鈍感だし。でも、悪気はなくて……」

「わかってるわ」


 ゆかりは、おおらかな微笑みで、カクテルグラスを傾けた。


 暗がりの白いカクテルに、淡いローズ色の唇が、美しく映える。


「度数も高くて辛口の、ダイキリが好きなんて、男っぽくてカッコいいですね」


 奏汰が、少しからかうように言った。


「あなたも飲んでみたら? 自分の作るカクテルとは、違うかもよ」


 ゆかりに勧められるまま、奏汰は、二杯目のカクテルにはダイキリを頼んだ。


 同時に、ゆかりは、バカルディを頼む。赤いグレナデン・シロップで、ピンクに色付いたダイキリだった。


「ねえ、バイトでバーテンダーやってるなら、カクテル言葉って知ってる? 最近、よく聞くんだけど」


 スマートフォンを取り出したゆかりが、画面をスライドさせながら見せる。


「一応は、そういうのがあるとは心得てますが……今は仕事中じゃないから、正直に言いますけど、なかなか覚え切れてなくて……」


「そうよね、たくさんあって、覚えるのも大変よね。この間、作ってくれた『キール』ーーあの白ワインにカシスのリキュールを足したーー、あれはね、『最高のめぐり逢い』っていうんですって」


「ああ、そう言えば、そうでした」と、奏汰は笑った。


「あら、知ってて出したんじゃなかったの?」


「そういうわけでは……。ただ、ゆかりさんみたいな、綺麗な大人の女の人には似合うと思ったもので」


「本当かしら?」


 疑いの目で、ゆかりが、くすっと笑った。


「『ダイキリ』はね、『希望』ですって」


「はあ、そうでしたか」


「これも、覚えてないの?」


「レシピなら、覚えてるんですが」


「どんなレシピ?」


「ホワイト・ラムにライムジュースを足して、シロップをちょっとだけ入れます。ライムの代わりにレモンジュースを使うレシピもありますが、ここでは、うちの店と同じでライムの方を使ってますね。辛口のギムレットみたいな酸味と、アルコール度数も強い、男らしいカクテルですが、女性でもお好きな人もいます」


「私みたいね。で、どう? このお店のダイキリは?」


「美味いです。ちゃんと生のライムを使ってるから、香りもいいし、酸味が強くて、さっぱりしてて、ライブ後の疲れてる身体にはピッタリです」


「生のライムと、そうじゃないのとは、やっぱり違うのかしら?」


「ええ。俺が家でライムジュースを使う時は、市販のを使うけど、お店で出してるのは、生のライムを絞ってますから、違いがすぐにわかります」


 奏汰が、もう一口、味わうように口に含ませてから飲み込み、続けた。


「ゆかりさんの、そのピンクのダイキリ『バカルディ』は、おそらく、果汁入りのグレナデン・シロップ使ってると思います。俺が練習で作ったのは無果汁のシロップで、発色はハッキリしていて綺麗なんですが、こっちの方が自然な色だし、風味も良いと思いますよ」


「そうなの? それなら、良かったわ!」


 嬉しそうに笑うゆかりが、カクテルグラスを傾けるのを、奏汰が微笑んで見守る。


「ダイキリよりも、甘酸っぱい果実みたいな味がして、少し甘めな気がするわ」


「グレナデン・シロップはザクロで作るので、美容に良くて、女性受けします」


 ついでに思い出したように、奏汰は付け加えた。


「ダイキリって、キューバにある鉱山の名前で、確か、米西戦争でスペインにアメリカが勝った時に、ダイキリ鉱山に技術援助に来たアメリカ人が、キューバの暑さと仕事のキツさを癒すために飲み始めたんだったかな」


「そうなの? じゃあ、まさに、ハードな仕事の後には合ってたのね。知らずに、今まで、仕事の後の一杯にしていたわ」


 ゆかりが、笑った。


「怒濤のような日々だったけど、充実していたんじゃない? 練習もライブも、やってみてどうだった?」


 奏汰は、飲み干したダイキリのグラスを置き、ゆかりの方に身体を向けた。


「練習の時からそうだけど、特に、本番の、ダンサブルでファンキーなアドリブは、あんなの誰にも真似出来ない。すごくカッコ良かったです」


「あら、私のこと? きみのことを訊いたつもりだったのに。緊張とかしなかったの?」


「俺のことは、いいんです。ゆかりさんの演奏にばかり耳が行っていたので、自分のことはよく覚えてません」


 ゆかりの瞳が興味深そうに瞬くと、奏汰を、改めて目に留めた。


「あなたも、ファンキーだったわよ。リズム感いいのね。気持ち良く乗れたわ」


 一通りライブの話で盛り上がると、頬杖を付いたゆかりが、奏汰の顔を、じっと眺めていたことに、彼は気付いた。


「奏汰って、普段は、可愛かったのね」


 ゆかりが微笑んだ。


「どうせ童顔ですよ」


 苦笑いで、奏汰が答えた。


「なのに、演奏してる時は、大人っぽくて、カッコいいわよ。さっきも言ったけど、『Three Views Of A Secret』のウッドベースなんて、色っぽくて、素敵だった。コンサートでも、……あなたと演奏したかったな。プライベートでも……」


 そこから先のセリフは、聞くことはなかった。


 奏汰を見上げ、見つめ続けるゆかりの表情は、引き止めるようであり、心を解放しているように見える。


 彼にとっても、『Three Views Of A Secret』を合わせた時、思い入れのあったその曲が、やけに愛おしく感じた。


 彼女のヴィオラが響かせるフレーズが、心地よく、身体中に広がっていったのを思い起こさせた。


 芳醇な香りをまとったダイキリが、そこに加わると、思考は止まり、感覚に突き動かされる。


 自然なことだった。


 二人にとってはーー


 ごく自然に、惹き合い、唇が触れ合った。



カクテル:

「ダイキリ」ホワイトラム、ライムジュース、シロップ。

「バカルディ」バカルディ・ラム、ライムジュース、グレナデン・シロップ。

※参考文献:「カクテル」上田和男。


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