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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第九章『ワイルド・キャッツ』
39/72

(3)『PEGASUS(ペガサス)』

「翔! 帰ってるか?」


 ベースレッスン後、帰宅した奏汰が、勢いよくドアを開け、リビングに駆け込んだ。


 アンプを通さず、エレキギターを(はじ)いていた翔が、「ああ? なんだよ、うるせえな!」と、練習を中断されたのが気に入らない顔を上げた。


「とりあえず、これ、聴いてみろ」


 背負っていたベースケースを床に置き、奏汰が斜めがけ鞄から取り出したCDを、数枚テーブルに並べていく。


 スピーカーから流れる音楽は、ゆったりとしたアコースティック・ギターと男性ボーカル、ドラムもなく、キーボードもない、ベースをフィーチャーした曲だった。


「本当はCDで欲しかったんだけどーー中のライナーも読みたくてーー、今すぐには手に入らないみたいだったから、とりあえず買ってダウンロードしたんだ。それと、これの前衛になったCDを、優さんが持ってて」


 優に借りたCDを取り出し、CDプレイヤーにセットする。

 櫻井哲夫のアルバム『Cartas do Brasil』だった。


「相変わらず、マニアックなモン持ってるな、あの人」


 (かな)わないとでも言わんばかりの苦笑いが、思わず翔の顔に(にじ)み出る。


 元『カシオペア』ベーシスト櫻井哲夫のことを、師匠の橘から知った奏汰は、彼の演奏を意識して聴くようになっていた。


「ボサノバか」


 翔が呟く。

 スピーカーから流れる音楽は、その場を異国に変える。

 南国の気怠い雰囲気は、リラックスして純粋に音楽を楽しめたが、ボーカルとベースの高い技術と表現力には唸らされる。


「ベースは生とエレキではすごく雰囲気変わるし、メインの楽器じゃない分、メインにいろんな楽器を持ってこられるんだ。これなんて、一つのアルバムに、男声の曲も女声の曲も入ってるから、違う雰囲気の曲集めて、バラエティーに富んだアルバムを作ることが出来るんだなって、改めて思ったよ」


 奏汰が、嬉しさを押さえ切れない様子で語る。


「次は、ダウンロードで買ったヤツ」


 奏汰のスマートフォンをミニコンボに無線でつなぎ、流したものは、先のアルバムの後にリリースされた『BRASIL CONNECTION』No.1・No.2だった。


 新しいほど、ますます洗練されていき、高揚感も高まっていく。

 その元になったアルバム『Cartas do Brasil』は、ベーシストとしての挑戦と言えた。


「考えもしなかったけど、ギターみたいに、ベースでもコード鳴らしたり、メロディー弾いたりしても、カッコいいんだな!」


 奏汰が惚れ惚れと聴く横で、翔は黙って耳を傾け、足でリズムを取る。


「それで、お前は、こういうのを、俺とやってみたい、と?」


 決して嬉しそうには尋ねなかった翔に、奏汰は、大きく首を縦に振ってみせた。

 翔は、溜め息を吐いてから、眉間に皺を寄せる。


「ボサノバのギターって、フォークならコードかき鳴らすだけでいいけどな、これみたいに、クラシックギターでちゃんと弾く場合は、メロもベースもバッキングも、全部独りでやるんだぜ? リズムも難しいし。なんでお前のために、俺がそんなめんどいことを!」


 そう言った翔に、奏汰も負けずに言い返した。


「だったら、こっちのアルバムも聴いてみろよ。これは、俺だけじゃなく、お前にとっても、挑戦になるんだ」


 テーブルに並べたCDの一つ、『PEGASUSペガサス』を取り出す。

 櫻井哲夫と同じく、元『カシオペア』野呂一生のギターと、櫻井哲夫のベースのみのライブを収録したアルバムだった。


 カシオペアの曲や、書き下ろしの楽曲等を、ベースとギターのみにアレンジし直している。


 ありきたりでないコード進行はもちろん、リズムの正確さと呼吸、二人の技巧の高さならではの、想像を超えた表現力に、衝撃を受けた翔は、その世界に入り込んでいた。


 なんてとんでもないモンを持って来やがったんだ、こいつは!?


 すべてを聴き終わった時、翔は、奏汰を恨めしそうに見た。


「まずは、始めの方に聴いたボサノバのアルバムだが、ベースがギターみたいなこともやってんの、面白いかもな」


「そうなんだよ!」


 奏汰が、嬉しそうな声を上げた。


「エフェクトかけてギターっぽく聴かせたり、ウッドベースも、エレクトリック・アップライト・ベースも、エレキベースも使い分けてるんだ!」


「あんなシンプルな編成で、ドラムもシンプルだし、パーカッション1個だけの曲もあるし、ベースとギターとボーカルだけで、あれだけのことをやってのけるとはな!」


「だろー? すごいだろー? こういうのやってみたい!」


「シンプルにするなら、曲によっては、ドラムは、パーカッションだけ打ち込み流してもいいよな。『Cartas do Brasil』の『ナヴェガンド・ソジーニョ』みたいに、2・4拍だけタンバリン小さく鳴らすだけとかでもいいし」


「ああ! あれも、シンプルでカッコいいよな!」


 発展していく二人の会話のそばでは、雅人が悲しそうな顔になっていく。


「ひどい、奏汰、翔……。いくら俺がスランプだからって、お前たち、俺のドラムは、いらないのか?」


 翔は、ぎょっとした顔になり、奏汰も慌てた。


「違う、違う! 雅人のドラムも、もちろん必要だから! あえて、ドラムに頼らないように、俺たち自身の練習としての話だからさ!」


 雅人が、少しだけ安堵した表情を見せると、ホッとした奏汰は、特に表情も変えず、無言でいる琳都を見てから、翔に視線を移した。


「なあ、挑戦してみようぜ、翔。あんまり言うと、つけあがりそうだから言いたくないけど、お前の音楽センスを見込んで言ってるんだ。お前なら、このアルバムのギターみたいな演奏が出来るはずだと思って」


「『つけあがりそう』って、なんだよ、つくづく失礼なヤツだぜ!」


 奏汰のセリフに、悪態を吐いて返した翔だが、すぐに、真顔になった。


「……俺、ボサノバ、弾いたことないぜ」


「俺もあんまりないけどさ、ジャズのコードがわかって、ジャズ弾いたことあるんだったら、すぐに勘を掴める気がするんだ。蓮華だって言ってたよ、ジャズをやれば、いろんなジャンルに応用効くって」


「またあのねーちゃんの受け売りか。だいたいな、挑戦するのは、自分の腕を磨くことにはなるけど、俺たちは、一刻も早く、自分たちの音楽を……!」


「スランプとか煮詰まってる今のうちは、とにかく、思い付いたことや、興味持ったことはやってみようよ。何が今後生かされるかわかんないんだから。とにかく、俺たちみたいな若いヤツは、経験が足りないんだからさ、何でもやってみないと」


「お前、先生やってるからって、説教くせえんだよ」


 ツンケンした態度ながらも、翔は、さっそく、それまで練習していたエレキ・ギターをスタンドに立てかけ、アコースティック・ギターを構え直した。


「この俺が、最も難しいと、避けて来たジャンル、『ボサノバ』!」


「うん、俺も」奏汰が嬉しそうに笑う。


「ボサノバって、シンコペーション多いし、ベースのアクセントの位置も気を付けないとだからな。そして、俺も、ついに、こいつを使う時が来たか!」


 そう言って、うっすら誇りがかったケースから、奏汰が、秘密兵器のごとく取り出したのは、6本の弦が張られたベースだった。

 通常、ベースは、アコースティックもエレキも4弦だが、エレキには、5弦や6弦のものもある。


「ああ、あれか! あの、先輩から押し付けられてたヤツ!?」

「そう!」


 見ているうちに、雅人が思い出した。


「高校ん時に、卒業した先輩が、カッコいいと思って買った6弦ベースが、結局は弾けなくて、無理矢理押し付けられて仕方なく、安く買ってたよな!」


 翔と琳都に説明がてら、雅人が苦笑しながら、奏汰とベースを見ている。


「そうなんだ。俺も、あれから、いじってみたけど、6弦はネックも太くて、楽器自体重いから、つい4弦で済ませて来ちゃって。だけど、このCDみたいに、速いフレーズを弾くには、6弦の方がやりやすいから!」


 チューニングを済ませた6弦あるエレキベースを触るうちに、奏汰は、懐かしそうな顔で微笑んだ。




 スケールと練習曲の後、ウォーミングアップ代わりに、ボサノバの刻みパターンを試みていた翔と奏汰は、待ち切れずに、『PEGASUSペガサス』の中でも、なるべく取りかかりやすそうなものの聴き取りを始めた。


 再現しようとすればするほど、難しさを実感する一方だ。

 翔は学校を休み、ひたすら曲を聴き、耳コピーと練習に明け暮れていた。

 奏汰は音響講師の仕事から帰宅後に取りかかる。


 独特なコード進行が心地良い響きに浸りながら、演奏する。

 アコースティック・ギターが、ベースも兼ねてコードを刻む。

 それに乗っかったベースが、メロディーを奏でる。


 アドリブに入ると、翔の技術で、リズムパートがもの足りなくなることはなく、奏汰は、好きなように動けたし、アドリブが翔にチェンジしても、同じことが言えた。


 二人だけで合わせたのは初めてであったが、意外にもうまくいったと実感していた。


「いい感じじゃないか! 俺たち、天才かもな!」


 有頂天になった奏汰に向かい、翔が、ふんと鼻で笑った。


「バーカ! 俺が合わせてやったんだろ?」

「えっ? 俺も合わせたけど?」


 けろっと応える奏汰を、面白くなさそうに睨む翔だったが、「もう一回!」と、ギターを弾き出す。


 回を重ねるごとに二人のセッションは馴染み、調子に乗って、自由過ぎるアドリブまで展開した。


 『ペガサス』だったものは、いつの間にか、ノージャンルの曲へと移り変わる。

 ジャンルにこだわらず、自由に。


 互いに、多くの役割があり、難易度が高いが、まるで、それを楽しむように、二人の表情には微笑が浮かぶ。


 『ペガサス』の真似っこと、ノージャンルのセッションを続けていた二人は、いつの間にか数時間が経過していたことに驚いた。


 そのようなことが、数日続いた。


 まだまだ本物の『ペガサス』の粋には達していなかったが、楽しさのあまり、『なんちゃってペガサス』と称して、数曲、録音してみることにした。

 レコーダーのRECボタンを押したまま、二人は自由に弾き続けた。


※参考CD:

『Cartas do Brasil』by 櫻井哲夫

『BRASIL CONNECTION』No.1・No.2 by 櫻井哲夫

PEGASUSペガサス』by 櫻井哲夫&野呂一生ライブ・アルバム


※タイトル引用楽曲:

『ナヴェガンド・ソジーニョ』by 櫻井哲夫


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