表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第九章『ワイルド・キャッツ』
38/72

(2)適当カクテル

「久しぶりね!」


 『J moon』で、そう声をかけてきたのは、百合子だった。


「お久しぶりです」


 カウンター内から、アルバイトの奏汰は、バーの制服に見合うスマイルを百合子に向け、心の中では警戒していた。

 カウンターに座った百合子は、ひとりだった。


「お友達とバンド組んでるんですって?」

「ええ、まあ」

「それで、どうなの? うまく行ってるの?」


 奏汰のひとつ年上である彼女は、姉が弟に、または、先輩が後輩に尋ねるような口調だ。


「はあ、まあ、それなりに」


「そういう方面のコンクールとか、ないの?」


「ありますよ」


「まだ受けないの?」


「受けても、なかなか通らなくて」


「ふ~ん、やっぱりね」


 ホントに何しに来たんだ、この勘違いお嬢様。

 相変わらず、人の心を(えぐ)るようなことを……!


 奏汰は、心の中でムカムカしていたが、おくびにも出さずに、さっさと注文を促した。


 百合子は、「いつもの」と言った。

 一杯目はジントニック、二杯目にホワイトレディーを、奏汰が差し出す。


「僕のバンドが、オーディションを通らないのを、なぜ『やっぱり』と思われたんですか? 致命的な何かがあるんでしょうか?」


 百合子に、そんなことを指摘されたくもなかったが、彼の演奏を数回でも聴いたことのある彼女には、思う所があったのかも知れない。

 気になっていた奏汰は、出来る限り、さらりと尋ねてみた。


 シャンパングラスを持ったまま、百合子は、パチパチッと、驚いたようにまばたきをした。


「えっ!? そ、そうねぇ、……ああ、ほら、あれよ! どうせ練習不足だったんでしょう~?」


 してやったりと見ている彼女に、奏汰は拍子抜けしていた。


「バンドみたいに、他の人と合わせるのって、なかなかうまく行かないものよ。皆が皆、上手なわけじゃないんだし……」


 アドバイスを装ったその場の思い付きだと、奏汰に伝わった。


 なんだ、適当に言ってみただけ、ってところか。


 ベースに対してのアドバイスもなく、そもそも、『ワイルド・キャッツ』の演奏を聴いたことのない彼女に、彼らの欠点などわかるはずもない。


「基礎から練習し直した方がいいわね。あなた、ピアノは弾けないんでしょう? なんなら、私が、ピアノ教えてあげようか?」


「いいえ、結構です」


 奏汰は思い切り営業スマイルで、丁重に、だが、きっぱりと断った。


「そういえば、蓮華さんは?」

「バンドマンたちと、打ち合わせです」

「そう」


 店内を見回していた百合子は、小さく溜め息を吐いた。


 がっかりしたようにも見えた奏汰は、百合子が蓮華を待っているらしいことを意外に思った。


 思い起こせば、このところ、彼女は、ひとりで通い、カウンターに座る時は、優ではなく、蓮華と話すことが多い。


 バーの主人が女であることで、ひとりでは入りにくい女性客でも、安心して来店している。百合子が蓮華と話していても、端から見れば不思議ではない。


「ママが戻りましたよ」


 奏汰は、黙ってカクテルに口を付ける百合子に告げた。

 百合子が顔を上げると、蓮華が、カウンターに姿を現している。


「あら、百合ちゃん、いらっしゃい」


「べ、別に、私は、蓮華さんに用があって、来たわけじゃないんだからねっ」


 急に態度の変わった百合子に、奏汰は目を丸くするが、蓮華は笑っていた。


「あら、そうなの。でも、せっかくだから、私は、百合ちゃんの話、聞いてみたいわ。この間の話は、どうなったの?」


 百合子は、俯いてから、顔を上げた。


「そんなに聞きたいなら、しょうがないから、話してあげてもいいわ。あれから、大学ではね……、そしたら、父がね……」


 なんだよ、結局は、ママに聞いて欲しいんじゃないかよ。


 奏汰は、またしても心の中で文句を言い、話を盗み聞きする趣味はないとばかりに移動し、仕事を続けた。




 『ワイルド・キャッツ』は、ライブハウスやイベントに出演していたが、未だに自分たちの音楽を確立していない。

 オーディションにも、まだ一度も通っていない。


 助っ人に琳都を呼び、ジャズオルガンが加わったことで、急に音楽の路線を変え、模索中であることは仕方がないと、始めのうちは皆そう考えていたが、リーダーであり、ドラマーの雅人は、自分のせいだと思うようになっていった。


 そして、これまでになく、間違えるようになり、がっくりと落ち込むほどのスランプに陥っていた。

 自分が一番劣っていると言って、練習量を増やすが、上達するというよりも煮詰まっていくばかりで、奏汰から見れば、それは痛々しく映った。


 淡々と鍵盤を弾く琳都にも、翔が、どこをどうとまでは言えずに「とにかく、もっと熱く!」と言い続けている。


「ああ~!」雅人がソファに突っ伏した。「俺たち、この路線でいいのかな?」


 雅人のセリフが代弁していたように、『ワイルド・キャッツ』は、自分たちの音楽を見失いかけていた。

 スランプ経験のある奏汰と翔だが、メンバーのスランプには、これ以上、どう付き合っていって良いのか、思い付かずにいた。


 煮詰まる日々が続く。

 シェアハウスでは、口数が減っていた。


「やっぱり、もっといろんな音楽を聴かないと! こんな時こそ、人の演奏を聴いた方がいいと思う!」


 奏汰が声を上げた。


「ああ、そうだな!」


 珍しく、翔も、すんなりと賛同する。


 奏汰はベースの師匠である橘からのライブ情報や、ネットで調べた中で、四人の興味のあるものを上げていく。

 四人が揃う時と、翔と奏汰の二人の時もあった。


「琳都は試験で、雅人は学校の課題が終わってないって言ってたけど、翔はいいのか?」


「ああ、レポートなんて、バイトにやらせたからな」


「バイト?」


「文学部のヤツで、自分の練習にもなるからって、時々そういうのがいるんだよ。そいつに千円払って書かせたから、後で写すだけだぜ」


 奏汰は、あんぐりと口を開けて、悪びれもせずに言い放つ翔を見た。


「お前、要領いいな」


「あんなのにかける時間があったら、少しでも弾いていたいだろ」


 顔を歪めて笑ってみせる翔を見て、奏汰は苦笑しながら頷いた。


 二人は、選んだライブには、必ず足を運んだ。


 演奏を聴いて感動する、或は、悔しく思うなど、二人で共感するうちに、翔の性格も、多少は丸くなってきたと、奏汰には感じられていた。


 近頃の翔には、菜緒以外の女の気配もない。

 女たちからの連絡が来る度に着信音が鳴っていたスマートフォンも、電源を切っていることが多い。


 彼ら二人の話は音楽が中心であり、たまに、菜緒の様子など奏汰が聞き出すと、彼女に対する翔の態度は少しずつ、良い方向へと変わっているようだった。




 全員がそろった夜に、気分転換にと、奏汰がカクテルを作った。


 スピリッツは、アパートにいた頃から練習用で買っておいたジン、ウォッカ、ホワイトラムがある。


 それらを割る炭酸水、トニック・ウォーター、ジンジャーエール、コーラ、レモンそしてシュガーシロップを購入し、少ない材料でも出来るカクテルを、三人に差し出した。


「美味いな、これ!」


 ジントニックを一口含んだ雅人の表情が、明るくなった。

 琳都は、ウォッカ・トニックを飲む。


「レシピ通りじゃねぇもん作ってみろよ。音楽で言うところの『アドリブ』だな」


 翔が、意地悪そうな笑いを浮かべてみせる。

 奏汰も、にやっと笑い返すと、冷蔵庫を開ける。


「え~っと、ソースとマヨネーズは……」


「ちょっと待て。てめぇ、何作ろうとしてんだよ?」


「試作品。『ブラディー・マリー』がトマトジュースにウスターソースとかタバスコとか入れるから、それにならって」


「罰ゲームじゃねぇんだから! 今は、ちゃんと飲めるもん作れ!」


「あ、そう?」


「やっぱり、信用出来ねぇ! 貸せよ、俺が自分で作る!」


 トボケる奏汰の隣で、翔がグラスに適当にアルコールと炭酸類を入れて作り、がぶっと飲んだ。


「……」


 顔をしかめ、しばらく黙っていた翔は、それを、奏汰に突き出した。


「おい、これを改良して、飲めるようにしろ」


「は? お前が勝手に作ったんだろ?」


「うるせえな、お前、バーでバイトしてんだろーが」


 それほど嫌な顔もせず、奏汰は、翔から受け取ったグラスの飲み物を、口に含む。


 そして、無言で立ち上がると、コンビニでコアントローの小振りな瓶を買って来た。


 味を見ながら、コアントローと、少量のシュガーシロップを足し、絞ったレモンをそのまま入れてから、グラスを翔に返すと、翔は、うさん臭そうな顔で少量だけ啜った。


「意外と美味い」そう言うと、一気に飲み干す。


「お、おい、大丈夫なのかよ?」


 雅人がおろおろするが、翔は、まだ信じられない不思議そうな顔で、氷の残ったグラスを見ていた。


「俺も、だんだん優さんに近付いてきたかな?」


「はあ? まだまだに決まってんだろ」


 わざと自慢気に言った奏汰に、翔が意地悪く笑った。

 雅人も笑い、黙っていた琳都も、くすっとだけ笑った。


 少しは皆の気分も変わっただろうか、と奏汰は思った。


 普段より、多少ハイテンションに見える翔も、彼なりに盛り上げようとしたんだろうと、奏汰には思えた。


 煮詰まっていたシェアハウスの空気も、少しずつ、新たな空気が流れ出し、撹拌(かくはん)され始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ