(2)適当カクテル
「久しぶりね!」
『J moon』で、そう声をかけてきたのは、百合子だった。
「お久しぶりです」
カウンター内から、アルバイトの奏汰は、バーの制服に見合うスマイルを百合子に向け、心の中では警戒していた。
カウンターに座った百合子は、ひとりだった。
「お友達とバンド組んでるんですって?」
「ええ、まあ」
「それで、どうなの? うまく行ってるの?」
奏汰のひとつ年上である彼女は、姉が弟に、または、先輩が後輩に尋ねるような口調だ。
「はあ、まあ、それなりに」
「そういう方面のコンクールとか、ないの?」
「ありますよ」
「まだ受けないの?」
「受けても、なかなか通らなくて」
「ふ~ん、やっぱりね」
ホントに何しに来たんだ、この勘違いお嬢様。
相変わらず、人の心を抉るようなことを……!
奏汰は、心の中でムカムカしていたが、おくびにも出さずに、さっさと注文を促した。
百合子は、「いつもの」と言った。
一杯目はジントニック、二杯目にホワイトレディーを、奏汰が差し出す。
「僕のバンドが、オーディションを通らないのを、なぜ『やっぱり』と思われたんですか? 致命的な何かがあるんでしょうか?」
百合子に、そんなことを指摘されたくもなかったが、彼の演奏を数回でも聴いたことのある彼女には、思う所があったのかも知れない。
気になっていた奏汰は、出来る限り、さらりと尋ねてみた。
シャンパングラスを持ったまま、百合子は、パチパチッと、驚いたようにまばたきをした。
「えっ!? そ、そうねぇ、……ああ、ほら、あれよ! どうせ練習不足だったんでしょう~?」
してやったりと見ている彼女に、奏汰は拍子抜けしていた。
「バンドみたいに、他の人と合わせるのって、なかなかうまく行かないものよ。皆が皆、上手なわけじゃないんだし……」
アドバイスを装ったその場の思い付きだと、奏汰に伝わった。
なんだ、適当に言ってみただけ、ってところか。
ベースに対してのアドバイスもなく、そもそも、『ワイルド・キャッツ』の演奏を聴いたことのない彼女に、彼らの欠点などわかるはずもない。
「基礎から練習し直した方がいいわね。あなた、ピアノは弾けないんでしょう? なんなら、私が、ピアノ教えてあげようか?」
「いいえ、結構です」
奏汰は思い切り営業スマイルで、丁重に、だが、きっぱりと断った。
「そういえば、蓮華さんは?」
「バンドマンたちと、打ち合わせです」
「そう」
店内を見回していた百合子は、小さく溜め息を吐いた。
がっかりしたようにも見えた奏汰は、百合子が蓮華を待っているらしいことを意外に思った。
思い起こせば、このところ、彼女は、ひとりで通い、カウンターに座る時は、優ではなく、蓮華と話すことが多い。
バーの主人が女であることで、ひとりでは入りにくい女性客でも、安心して来店している。百合子が蓮華と話していても、端から見れば不思議ではない。
「ママが戻りましたよ」
奏汰は、黙ってカクテルに口を付ける百合子に告げた。
百合子が顔を上げると、蓮華が、カウンターに姿を現している。
「あら、百合ちゃん、いらっしゃい」
「べ、別に、私は、蓮華さんに用があって、来たわけじゃないんだからねっ」
急に態度の変わった百合子に、奏汰は目を丸くするが、蓮華は笑っていた。
「あら、そうなの。でも、せっかくだから、私は、百合ちゃんの話、聞いてみたいわ。この間の話は、どうなったの?」
百合子は、俯いてから、顔を上げた。
「そんなに聞きたいなら、しょうがないから、話してあげてもいいわ。あれから、大学ではね……、そしたら、父がね……」
なんだよ、結局は、ママに聞いて欲しいんじゃないかよ。
奏汰は、またしても心の中で文句を言い、話を盗み聞きする趣味はないとばかりに移動し、仕事を続けた。
『ワイルド・キャッツ』は、ライブハウスやイベントに出演していたが、未だに自分たちの音楽を確立していない。
オーディションにも、まだ一度も通っていない。
助っ人に琳都を呼び、ジャズオルガンが加わったことで、急に音楽の路線を変え、模索中であることは仕方がないと、始めのうちは皆そう考えていたが、リーダーであり、ドラマーの雅人は、自分のせいだと思うようになっていった。
そして、これまでになく、間違えるようになり、がっくりと落ち込むほどのスランプに陥っていた。
自分が一番劣っていると言って、練習量を増やすが、上達するというよりも煮詰まっていくばかりで、奏汰から見れば、それは痛々しく映った。
淡々と鍵盤を弾く琳都にも、翔が、どこをどうとまでは言えずに「とにかく、もっと熱く!」と言い続けている。
「ああ~!」雅人がソファに突っ伏した。「俺たち、この路線でいいのかな?」
雅人のセリフが代弁していたように、『ワイルド・キャッツ』は、自分たちの音楽を見失いかけていた。
スランプ経験のある奏汰と翔だが、メンバーのスランプには、これ以上、どう付き合っていって良いのか、思い付かずにいた。
煮詰まる日々が続く。
シェアハウスでは、口数が減っていた。
「やっぱり、もっといろんな音楽を聴かないと! こんな時こそ、人の演奏を聴いた方がいいと思う!」
奏汰が声を上げた。
「ああ、そうだな!」
珍しく、翔も、すんなりと賛同する。
奏汰はベースの師匠である橘からのライブ情報や、ネットで調べた中で、四人の興味のあるものを上げていく。
四人が揃う時と、翔と奏汰の二人の時もあった。
「琳都は試験で、雅人は学校の課題が終わってないって言ってたけど、翔はいいのか?」
「ああ、レポートなんて、バイトにやらせたからな」
「バイト?」
「文学部のヤツで、自分の練習にもなるからって、時々そういうのがいるんだよ。そいつに千円払って書かせたから、後で写すだけだぜ」
奏汰は、あんぐりと口を開けて、悪びれもせずに言い放つ翔を見た。
「お前、要領いいな」
「あんなのにかける時間があったら、少しでも弾いていたいだろ」
顔を歪めて笑ってみせる翔を見て、奏汰は苦笑しながら頷いた。
二人は、選んだライブには、必ず足を運んだ。
演奏を聴いて感動する、或は、悔しく思うなど、二人で共感するうちに、翔の性格も、多少は丸くなってきたと、奏汰には感じられていた。
近頃の翔には、菜緒以外の女の気配もない。
女たちからの連絡が来る度に着信音が鳴っていたスマートフォンも、電源を切っていることが多い。
彼ら二人の話は音楽が中心であり、たまに、菜緒の様子など奏汰が聞き出すと、彼女に対する翔の態度は少しずつ、良い方向へと変わっているようだった。
全員がそろった夜に、気分転換にと、奏汰がカクテルを作った。
スピリッツは、アパートにいた頃から練習用で買っておいたジン、ウォッカ、ホワイトラムがある。
それらを割る炭酸水、トニック・ウォーター、ジンジャーエール、コーラ、レモンそしてシュガーシロップを購入し、少ない材料でも出来るカクテルを、三人に差し出した。
「美味いな、これ!」
ジントニックを一口含んだ雅人の表情が、明るくなった。
琳都は、ウォッカ・トニックを飲む。
「レシピ通りじゃねぇもん作ってみろよ。音楽で言うところの『アドリブ』だな」
翔が、意地悪そうな笑いを浮かべてみせる。
奏汰も、にやっと笑い返すと、冷蔵庫を開ける。
「え~っと、ソースとマヨネーズは……」
「ちょっと待て。てめぇ、何作ろうとしてんだよ?」
「試作品。『ブラディー・マリー』がトマトジュースにウスターソースとかタバスコとか入れるから、それにならって」
「罰ゲームじゃねぇんだから! 今は、ちゃんと飲めるもん作れ!」
「あ、そう?」
「やっぱり、信用出来ねぇ! 貸せよ、俺が自分で作る!」
トボケる奏汰の隣で、翔がグラスに適当にアルコールと炭酸類を入れて作り、がぶっと飲んだ。
「……」
顔をしかめ、しばらく黙っていた翔は、それを、奏汰に突き出した。
「おい、これを改良して、飲めるようにしろ」
「は? お前が勝手に作ったんだろ?」
「うるせえな、お前、バーでバイトしてんだろーが」
それほど嫌な顔もせず、奏汰は、翔から受け取ったグラスの飲み物を、口に含む。
そして、無言で立ち上がると、コンビニでコアントローの小振りな瓶を買って来た。
味を見ながら、コアントローと、少量のシュガーシロップを足し、絞ったレモンをそのまま入れてから、グラスを翔に返すと、翔は、うさん臭そうな顔で少量だけ啜った。
「意外と美味い」そう言うと、一気に飲み干す。
「お、おい、大丈夫なのかよ?」
雅人がおろおろするが、翔は、まだ信じられない不思議そうな顔で、氷の残ったグラスを見ていた。
「俺も、だんだん優さんに近付いてきたかな?」
「はあ? まだまだに決まってんだろ」
わざと自慢気に言った奏汰に、翔が意地悪く笑った。
雅人も笑い、黙っていた琳都も、くすっとだけ笑った。
少しは皆の気分も変わっただろうか、と奏汰は思った。
普段より、多少ハイテンションに見える翔も、彼なりに盛り上げようとしたんだろうと、奏汰には思えた。
煮詰まっていたシェアハウスの空気も、少しずつ、新たな空気が流れ出し、撹拌され始めていた。




