(1)『St. Louis Blues(Jimmy Smith ver.)』オーディション
「翔って、口も性格も悪いけど、それを超えるギターの実力がある! 音楽やってる時なら、お前の性格も、そんなに悪くないって錯覚出来るぜ!」
邪気のない笑顔の奏汰が、翔を見た。
「お前、それ、褒めてるのか? けなしてるのか?」
奏汰が、あっけらかんとズケズケ言っても、翔は、それほど嫌ではない様子で返す。
バンド『ワイルド・キャッツ』を結成した、シェアハウスに住む四人の男子は、音楽浸けの日々を送っていた。
『ワイルド・キャッツ』のレパートリーは、ほぼロック、ジャズ、フュージョンだ。
練習を重ねるうちレパートリーも増えていき、そろそろバンド・オーディションに参加してみようということになった。
時期を急いだ理由には、一歳年上で大学四年の琳都が卒業し、仕事が始まらない今のうちに、というのが大きかった。
数ある新人発掘オーディションの中でも、早く結果の出るものを中心に雅人が選び、演奏データを送った。
同時に、動画サイトにUPもしていく。その作業は、琳都が行っていた。
奏汰と翔は練習に熱中し、アレンジの意見を出し合っていた。端から見ると口論しているようなこともあったが、ケンカにまで発展することはなかった。
練習が進むうちに、見えて来たことがあった。
自分たちの演奏を録音、または録画し、見直している時であった。
今の、ジャズオルガン、ギター、ベース、ドラムの編成では、メイン楽器を務めるのは翔のギターか、琳都のジャズオルガンだ。
その琳都本人は、演奏家志望でもなければ、一時的なヘルプだった。
ジミー・スミスや他のオルガン奏者のように、自分を前面に出すほど、琳都は積極的な性格ではない。
普段から、クールで淡々としている性質が、演奏にも現れてしまっていた。
それは、表現者としては、マイナス面となる。
外見上はクールであっても、演奏には想いを込め、他人に伝える表現力が必要とされる。
音楽はあくまでも趣味としていた琳都には、それが足りなかった。
といって、代わりのメンバーが見つからない今、琳都を外すわけにはいかない。
「一回、琳都が全面が出る曲をやってみたら、どうかな?」
引っ込めるのではなく、そう逆の発想で提案したのは、奏汰だった。
「琳都は、昔からピアノやジャズオルガンで遊んでたみたいだから、その時気に入ってた曲とかを、皆でやってみないか? 翔と俺は、コードがわかれば、すぐ合わせられるんだし」
「そうだな、琳都、ちょっと弾いてみてくれないか?」
奏汰に続き、雅人が期待を込めた目で、琳都を見た。
少し考えてから、琳都は、ジャズオルガンに座る。
「『St. Louis Bluesーーセント・ルイス・ブルース』、原曲は、こんな感じ」
ミディアム・テンポの、グレン・ミラー・オーケストラの演奏で知られる「セント・ルイス・ブルース・マーチ」だった。
奏汰、雅人も、中学や高校の吹奏楽部が演奏していたり、どこかで聴いたことのある曲だった。
ブルースであれば、コード進行は決まっているので、Key(調)さえ指定すれば、ギターやベースは、すぐに演奏に移ることが出来る。
翔は、何も言わず、腕と足を組んだ体勢で、じっと聴いていた。
「それが、ジミー・スミス・バージョンだと、こうなる」
琳都が弾き出したのは、アップ・テンポで華やかなブルースだった。
奏汰も雅人も、翔も、目を見張る。
イントロもなく唐突に始まり、終始アグレッシブな演奏だった。
足鍵盤はトゥヒール奏法、トゥ&ヒール奏法、ヒール&トゥ奏法などと呼ばれる、つま先とかかとを使い分ける弾き方だ。
速いフレーズでは、つま先とかかとを交互に使うことが多い。テンポの遅い曲であっても、足でもなめらかなフレーズを弾くためには不可欠な奏法だった。
じっくりと琳都の演奏を見たことのなかった三人は、ただただ圧倒されていた。
「ジャズの、鍵盤超絶技巧って、こんなだったのか……!」
琳都の演奏が終わっても、前のめりな姿勢のままになっている翔が、言葉を漏らした。
「超かっけぇ……!」
隣で、同じく前傾姿勢になっている奏汰もうなずき、雅人は、未だ余韻から抜け出せず、口を利くどころではないようだった。
「まったく別の曲みたいだったよな。どこに原曲出て来た?」
奏汰が尋ねると、「この部分」と、琳都が弾いてみせる。
それは、ブルースの間に挟まれた十六小節で、原曲とは、かなりアレンジされたコード進行だった。
この際、ジミー・スミスをよく聴いてみたいと言い出した奏汰のために、琳都がCD『The Cat』を取り出し、ミニコンボで流した。
琳都の弾いた『セント・ルイス・ブルース』は、完全耳コピーであったとわかる。
オルガンと、トランペット、トロンボーン等のホーンセクション、ギター、ベース、ドラム、パーカッションの編成であり、アレンジは、ディジー・ガレスピー・コンボ出身のピアニスト、ラロ・シフリンだった。
CDのレーベルを読んでから、奏汰たちは、さっそく調べた。
ジミー・スミスは、ジャズピアノからジャズオルガンに転向し、ハモンドオルガンを普及させた、黒人で、楽譜の読めない奏者だった。
マイケル・ジャクソンの『Bad』でも弾いている。
ジャズオルガンには、足で演奏する鍵盤もある。
主に、左足で鍵盤を弾き、たまに両足のこともあるが、通常、右足は、車のアクセルのようなペダルを踏んでいる。
強弱をつけるペダルであり、つま先を踏み込むと強く、かかとを下げると弱くなる。
ジャズオルガンと、電子オルガンと呼ばれる音楽データに合わせて演奏する類の楽器とは、外観は似ていても、別の楽器だった。
電子オルガンも、一時は、ジャズオルガンと似た奏法で良かった。
だが、作成された音楽データと演奏出来るよう改良されていくうちに、右足の強弱ペダルは、それまでほど重視されなくなってきた。
奏汰たちも、ネット動画で、電子オルガンの演奏を見ることもあるが、どんなに上手に弾きこなす奏者も、琳都のような右足使いを感じられなかった。
ジャズピアノでは、タッチの強弱が重要であるように、ジャズオルガンらしく演奏するには、右ペダルを常に細かく操作し、それが、全体のノリに大きく関わる。
何度もジミー・スミスを聴くうちに、奏汰も翔も、それを感じ取っていた。
琳都の演奏は、そのような意味では、申し分なかった。
「昔やってた曲だから、にわか仕込みじゃなく、ちゃんと弾き込んでるし、これまでの曲よりも思い入れが強いのも、ちゃんと伝わってきたよ。なあ、これも、『ワイルド・キャッツ』のレパートリーとして、やってみようぜ!」
奏汰が意気込んでそう言うと、全員が納得した。
そうして、琳都の昔のレパートリーも数曲取り入れ、しばらく練習に励んでいると、また問題が浮かび上がって来た。
『セント・ルイス・ブルース』は、奏汰と翔の練習は順調だが、テンポの速さに、ドラムの雅人が、なかなか付いて行けないのだった。
雅人としては、ここまでの速いフレーズは叩いたことがなく、最後までテンポを保つのが難しいと言う。
ひたすら、雅人は練習に励んだ。
その横では、相変わらず、どこかあっさりしている琳都の演奏に、「超絶技巧はOKとして、琳都は、もっとネチッこく弾け!」と、翔が注文をつけていた。
強く、抜くように軽く、スネア・パッドを叩く雅人の側に、奏汰がついていた。
「今の感じ、良かったぜ!」
奏汰がそう言うと、雅人も微笑んだ。
「少しコツがわかってきた。ジャズって、ノリとアクセントが難しいけど、決まった時は格好良いんだな!」
雅人は、奏汰と試行錯誤していた。
プロダクションから、メールが届いた。
琳都のノートパソコンを、皆で、のぞき込む。
ミディアム・テンポのジャズ、ジミー・スミス版『セント・ルイス・ブルース』、翔が作曲したバラード計三曲のCD-Rを送っていた。
メールの批評には、
『ギターとベースは、年齢を超えた表現力がある』と。
まずは褒められたことで、わくわくしながら読み進めていくと、
『オルガンが、技術はあるが、『セント・ルイス・ブルース』以外は淡々とし過ぎている』
『ドラムが時々スイングし切れていない。三連符と付点音符の違いが、あいまいだ』
などと鋭い指摘がされていった。
「あああ、ごまかしたとこ、全部バレてる~!」
雅人が、頭を抱え込んだ。
最終的には、「今回は、見送らせていただきます」という返答だった。
その後も、演奏データを送ったところからは、レトロな路線にするには、まだ演奏が若いだとか、四人の演奏に統一感がないだとか酷評されたり、無難な断り文句のみであったりで、オーディションには落ち続けていた。
それらの批評に共通していた部分は、四人ともが、うすうす感じていたことで、最もな分、文句の言いようもなかったのだった。
シェアハウスは、静まり返っていた。
「ギター、オルガン、ベース、ドラムだけだと、俺たちには難しかったのかなぁ。このまま、練習は続けるとして、いずれは、琳都の後釜を探すわけだし、サックスとか、ボーカルでもいいから、この際、同時進行で、ちゃんとメンバー探すか? 正式なメンバーが決まるまでは、ゲストでもいいし」
皆の顔を見回しながら、雅人が、明るい声で言い出した。「だが、それには、翔との相性が……それ次第だと思うけど」と、付け加える。
「このままじゃラチが開かねえもんな。仕方ねえ、俺も、なるべく気を遣って、我慢してやるよ」
翔が、ふっと笑って、悪態を吐く。
雅人も奏汰も、ホッとしたように笑った。
「そうとなったら、俺、募集かけてみるよ!」
雅人がさっそくスマートフォンを出し、大学や、外の知り合いにも、SNSを使って呼びかけた。
琳都の作成したチラシも、雅人の大学の掲示板に貼り、学校のホームページにも書き込む。
雅人のところに、参加希望の返信が、いくつか集まる。
有頂天になった雅人は、部室の掃除を始めていた。奏汰も手伝う。
雅人の呼びかけたオーディションに集まったのは、ほとんどが同じ大学の学生だった。
それぞれが、カラオケCDだったり、伴奏者を連れて来たりして、自分のパートを披露する。
部室の中央には、机を並べて座る、雅人、翔、奏汰、琳都がいた。
オーディションの様子をおさめるカメラも、部室の奥に設置されている。
まずは、ボーカル志望の女子たちであった。
三人ほどの候補者から、ひとりずつ歌う。
「はい、ありがとう。結果は、後で知らせるから」
どの候補者にも、にこやかに雅人が言い、ボーカル志望者全員のオーディションは無事に終わった。
「三人とも、音程が定まってなかったように思えたんだけど」
口火を切ったのは、奏汰だった。
「二番の子は、声も良いし、パンチがあって、悪くなかったんだけど、高音になると、首締められてるみたいに、声が詰まるよな……。それが、どうしても気になる」
奏汰に続き、「だよな」と、翔もうなずく。雅人も残念そうに賛同した。
次に、ソロ楽器のオーディションの時間となる。
サックス、クラリネットなど木管楽器を始め、ソロ楽器を持参してくる者が五人の予定だ。
一人目の演奏が終わり、雅人が、ボーカル志望の女子に向けたのと似た笑顔で、結果は後ほど連絡する旨を伝える。
二人目の演奏曲目を聞き、雅人と奏汰は「おっ!」と、嬉しそうな顔になった。二人が高校の時にバンドで演奏した曲だったからだ。
懐かしそうにほころばせた二人の顔は、演奏を聴くうちに、光を失っていった。
演奏が終わった直後、ガツン! と、机の足を蹴った音が響いた。
演奏者は驚き、雅人と奏汰も、びっくりして翔を見た。
「ワリイな。足が長いもんで」
机を元の位置に直すでもない翔は、腕を組み、椅子の背にもたれかかったまま、上目遣いになっていた。
演奏者は、すごすごと部屋を出て行った。
次の候補者の演奏を聴くうちに、翔が不機嫌になっていく。
それが顔に表れているため、怖くなったクラリネット演奏者は、緊張して、ますます固くなり、ピッ! と奇妙な音を発した。
「この下手クソ! チューニングん時からずっと、ピッチ、ズレてんぞ! ちゃんと基礎もやれ!」
「ひいーっ!」
立ち上がり、今にも暴れそうな翔を、奏汰と雅人とで、取り押さえた。
「後で連絡するから、とりあえず、今は逃げて!」
雅人が苦笑いして早口で告げ、怯えていたクラリネット奏者は、逃げるようにして出て行った。
「次!」椅子にかけ直した翔が、ふてくされた顔で、机に肘を付く。
現れたのは、帽子を目深に被り、着ているものからブーツまでを、ウエスタンにまとめた一年生だった。
スパイを連想させる、黒い専用の収納ケースには、十種類以上のハーモニカがあった。
「おっ?」と翔も奏汰、雅人も見入る。
一年生にしては、貫禄の備わった奏者は、Key 毎に並んでいる中から、一つを取り出す。
ウエスタンにハーモニカ、いかにも、カントリー・ミュージックなどアメリカ系の音楽にハマッていそうだ。
こいつなら、やってくれるかも知れない!
『ワイルド・キャッツ』メンバーは、密かに期待の目で見守っていた。
マイナスワンCD(ソロの部分を抜いた演奏カラオケ)をかけ、青年はブルース・ハープを口に当てた。
その姿格好は、様になっていた。
一通り、演奏が終わる。
「おい」
冷めた目で、翔が口を開く。
「ブルース・ハープであれば、デタラメ吹いてもカッコいいとでも思ってんのか? せっかくのハープが、宝の持ち腐れじゃねえか!」
翔が一括すると、また奏汰と雅人が押さえ、ハーモニカの一年生は、慌てて立ち去る。
「もっと、良く元の音楽を聴け!」
廊下にも、そんな翔の声が聞こえていた。
すべてのオーディションが、終わった。
誰も、メンバーの目に留まる者はいなかった。
「せっかく、人集めたのにー」
「しょうがねえだろ? あんな下手なヤツらと組んでも、レベル下がるばっかりだぜ!」
ぶうぶう言う雅人に、翔は「けっ!」と言った。
「確かに、他のバンドに入ってないだけあって、……っていうか、入れてもらえないだけあって……って感じだったな」
ずっと沈黙を保っていた琳都も、さすがにコメントした。
「ああ。だよな……」奏汰も、しんみりと同調した。
「そうだ! 奏汰んとこの学校の生徒には、いないのかよ?」雅人が、手を打つ。
「ああ、あいつら、ちょっと腕良くても、時間にルーズだったり、すごい天然だったりでな……。多分、翔と合わない……いや、翔どころか、皆と合わないかも。人間的には大丈夫なヤツでも、センスが合わなかったりとか」
「まったく! 残ってるのは、意識の低い奴らってワケかよ」
翔は、足を投げ出して座り、大きく溜め息を吐いた。
正式メンバーに相応しい奏者は、なかなか見付からず、しばらくは四人のままとなった。
完全なジャズでは雅人が付いて来れず、派手な曲では、琳都のクールさが歯止めをかけていたが、琳都の仕事が始まり、完全にメンバーから抜ける時までは、このまま四人で頑張ってみることにしたのだった。
※引用楽曲:アルバム『The Cat』より『St. Louis Blues』
by W.C.Handey
Arrange by Lalo Schifrin




