(4)『The Cat』バンド結成
翌日、翔を含めたライブの打ち上げと反省を、シェアハウスで行うことにした奏汰たちは、缶ビールや肴を買って戻った。
翔も、自分の分を持参して、訪れた。
レコーダーで録音した他のバンドの曲も、流しながら、飲み会が始まる。
自分たちの曲になった。
奏汰のソロに、翔が割り込んだところだった。
「翔、お前も、軽いノリでやったのかも知れないけど、今後はもう、こういうことはするなよ、わかってるとは思うけど」
雅人が、ライブ直後の時よりは穏やかに、だが、しっかりと釘を刺すよう、翔に言い聞かせる。
翔は、雅人を見てから、奏汰の方を向いた。
「奏汰、はっきり言って、俺は、お前が気に入らない」
「お、おい、翔、そうじゃないだろ」
言い切る翔に、後輩キーボード二人は、びくびくと、状況を見守り、雅人が翔を止めるが、奏汰が、それを止めた。
奏汰の表情には、ある覚悟があった。
「俺も、ちゃんとお前と話をしようと思ってた。わかった。そんなに、俺や彼女のことが気に入らないなら、彼女の分も俺が引き受ける。二人分、俺を殴れ。その代わり、もう彼女に仕返しなんかするなよ」
「おい、奏汰まで、何を言い出すんだよ」
雅人が手にしていた缶ビールをテーブルに置き、睨み合う二人を、いつでも止めに入る体勢になった。
翔も、缶ビールを置き、ソファから、立ち上がった。
奏汰も立ち上がると、間に挟まるようにして、雅人も急いで立ち上がる。
改めて、奏汰を睨みつけると、翔が口を開いた。
「バカか、お前は! 殴ったりしたら、ギター弾けなくなるだろうが! それに、お前なんかを殴ったところで、俺の気は晴れねえ!」
奏汰が、肩を竦める。
「仕方ないなぁ。じゃあ、いったいどうしたらいいんだ?」
「お前、全然許してもらおうって態度じゃねえな?」
「わからないから、聞いてるだけだよ」
翔は、口を噤んだ。
二人を見てから、雅人が穏やかに言った。
「翔、お前、奏汰の何が気に入らないんだ? プライベートで何があったかは聞かないでおくけど、奏汰のベースに不満があるのか? 友達だからって肩を持つわけじゃないけど、俺は、退部したベースのヤツより、奏汰の演奏の方が好きだぜ」
その言葉に、翔の表情が、少しだけ和らいだ。
「……こいつにイラつく理由が、俺もやっとわかった。思ったよりやるな、って認めた時からだ。雅人のドラムとも息が合ってたし、技術も感性も、今まで出会ったヤツの中で、一番かも知れない。
もしかしたら、俺以上の何かがあるのかも知れない。雅人も、俺より奏汰を取る、そう思ったら……」
「わかったよ、それ以上言わなくても、お前の気持ちは」
雅人が、穏やかに、翔の肩を叩いた。
奏汰は、意外な顔で、翔を見つめていた。
「奏汰、翔を許してやってくれないか? お前に、そのう……イジワルしたのも、お前の実力に、今までの自分の地位が、脅かされる気がして、つい……だったんだよ。
ただ、こいつ、ひねくれてるからさ、素直に、お前と演奏したいって、言えなかったんだ。好きな子を、ついイジメちゃうガキみたいなもんで、だから、許してやってくれ」
「おい、雅人、変なこと言うんじゃねぇよ!」
怒りながらも、翔の頬が、うっすらと赤くなった。
「それじゃ、彼女がワインぶっかけたのは、もう怒ってないのか?」
「はっ? ワインぶっかけ……?」
雅人が驚いて、奏汰を見てから、翔を見る。
睨んでいた翔だったが、溜め息を吐いた。
「それには、もう仕返ししたし、ピシッと返されたし。あのねーちゃんに言われて、俺も、これからやらなきゃならない課題が見えて来た、音楽の方はな。恋愛の方は、……しばらく、保留だが」
雅人と奏汰の顔は、晴れていった。
「だったら、翔も、一緒に住もうぜ! 俺も、もっと翔のギターと合わせてみたい。だから、菜緒さんさえ許してくれるなら、翔もシェアハウスに来いよ!」
奏汰から、思わぬ誘いを受け、翔は驚きを隠せないでいた。
「ただし、ここは、女子禁制だからな。女連れ込むのは、ダメだぜ」
雅人が咳払いしながら、二人を、からかうように見た。
数日後、翔がシェアハウスにやってきた。
だが、それと同時に、キーボードの後輩二人が、出て行くと言い出した。バンドも抜ける、と。
二人は、今まで、翔の自己中心的な振る舞いにも、我慢してきた。
奏汰とは、うまくやっていけそうに思ったが、翔と住むところまで一緒になるのには、耐えられなかったのだった。
「放っとけ! 二人いなきゃ決められない。そんな意識の低い奴らは、いらない」
と、翔が言い放つ。
雅人がなだめ、止めるのも空しく、二人は出て行った。
奏汰がそれを知ったのは、アルバイトを終え、戻ってきた時であった。
愕然とした。
翔本人も、少なからず、ショックを受けているように、黙ったままだった。
「それで、あの二人は……? バンドを抜けて、どうしたんだ?」
奏汰が、おそるおそる、雅人に尋ねる。
「大学には、他のバンドも結構あって、先輩たちのいるところに行くってさ。イベントとかで、メンバーが足りない時は、助っ人し合うこともあったけど……、うちには、もう助けには来てくれないみたいで。先輩たち同様な」
雅人が、肩を落とす。
翔が、「けっ」と言った。
「どうせ、俺のせいだよ。俺が、うまく周りとやらないからだろ。だけどな、気を遣ってばかりで、やりたい音楽が出来るか? 今の自分の腕に満足して、磨きをかけない、向上心もねぇ奴らといても、腹立つばっかだったし」
「……そうだったのか」
今、奏汰には、やっと、翔を、少し理解出来た気がした。
これまで、自分の参加してきたバンドは大人ばかりで、修行中の自分は、なんとか彼らに付いて行くために必死であったが、同年代と対等な世界では、音楽に対する温度差は、起こり得ることだったのだ。
自分の腕に満足して、磨きをかけない、向上心のない者に、翔が腹を立てていたと知ると、奏汰には共感出来、翔が志すものが高かったと思えたのだった。
こいつは、周りに理解されなくても、独りで努力して、あそこまでの実力を身に付けてきたんだ。
そう思うと、奏汰には、翔が純粋過ぎる音楽青年に映り、親近感を覚えた。
「でも、こうなったのも、俺のせいだとしたら、俺が辞めれば、良かったのか」
「そんなこと言うなよ」
翔にそう答えた雅人は、普段よりも元気のない声で続けた。
「といって、ドラムとギター、ベースだけじゃなぁ……」
奏汰も、考えこんだ。
「だよな。減衰音の楽器だけじゃあ、やりたい表現が出来ないかもだし……」
「なに? 減衰音?」と、雅人が、奏汰に聞き返す。
「ドラムもギターもベースも、一回音を鳴らすと、だんだん音が消えていくだろ? ピアノとか鉄琴、木琴とかも。トランペットやフルートみたいな管楽器や、バイオリンみたいに弓を使う弦楽器は、音が持続する。持続音だけでは、うるさい場合もあるし、減衰音と持続音、両方あると、表現の幅が広がるんだけどなぁ」
翔は、無言で、奏汰の話に耳を傾けていた。
雅人は、なんだかわからないが、とても不利な状況にいるという認識に、変わりはなかった。
「ああ、いよいよ、バンドが危機に……!」
雅人が頭を抱えた。
「だったら、俺が辞めてやるよ。そしたら、あいつら呼び戻せるだろ? あいつらだけじゃなく、先輩たちも」
「おい、翔、ヤケを起こすなよ!」
翔と雅人が言い合っていると、奏汰が遮った。
「キーボード出来るの、ひとり知ってるよ。ただ、皆で合わせたこともないし、当然、ライブも出たこともないんだけど、なかなか実力はあると思うんだ。もし、良かったら、正式なメンバーが決まるまでの間だけでもどうかって、聞いてみようか?」
「ホントか!? 助かったぜ!」
みるみる雅人に笑顔が戻り、有頂天になっていった。
さっそく、奏汰は、琳都を連れてきて、紹介した。
「水城琳都。大学四年で、俺たちの一コ上。大学では、映像関係を専攻してて、就職も、そっち方面に決まってるんだって」
「そうか! 水城さん、よろしくお願いします!」
「ああ、琳都でいいです。敬語も使わなくていいし」
「ありがとうございます!」
雅人は、琳都に頭を下げた。
「水城って……まさか……?」
翔の目が、見開かれていく。
「そう。うちのママの弟なんだ」
「なんだと!?」
奏汰のアルバイト先であるバーのママを差していることは、当然、翔には伝わっていた。
翔は、奏汰と琳都を見比べる。
「最近、ママのとこで同居してて、他に住むとこ探してたんだ。だから、バンド手伝うついでに、シェアハウスにも移っちゃえばいいかって。その方が、部屋も広いし」
口数の少ない琳都の代わりに、奏汰が説明していた。
「あのねーちゃんと、同居だと……?」
翔は、ぶつぶつ言いながら、顔を歪めた。
「方やヒモでマザコン、方やシスコン……あの女の身内ばっかりじゃねぇか!」
そのように、翔が悪態を吐いても、奏汰も琳都も無反応であったので、雅人は、ホッとしていた。
奏汰は、あえて、ヒモと呼ばれることで、蓮華に甘え過ぎてはいけないと、自分を戒められるから、構わないと思い直していた。
琳都には、こっそり、蓮華のことは自分の片想いだ、と取り繕ったが、琳都から、「わかってるから、大丈夫。僕には気を遣わなくていい」と返されて、驚いた。
メンバーも新しくなった同居生活は、彼らが予想したよりも、淡々と過ぎて行った。
皆、家を出る時間が違ったため、食事もバラバラに摂り、バラバラに帰って来て、それぞれの部屋で、勝手に練習をしてから寝る、という生活だった。
それが、かえって気楽で、快適であった。
全員そろっての練習の時、琳都は、時々発せられる翔の嫌味も、自分の父親よりもマシだし、筋は通っている、と言って、気にしていないようだった。
「キーボードがオルガントーンだけだと、今までとは、アレンジも変えなきゃならねえじゃねえか」
翔が言った。
琳都はジャズオルガンを持参していたが、特に主張はしない。
「でも、他のバンドにはない、レトロな雰囲気も出せて、いいかも知れないぜ。ジャズオルガンは、ハードな音色も、ソフトな音色も作れるから、ギターやベースは、エレキも生も、どっちとも合うと思うよ」
奏汰の思い付きを受けて、翔は、少し考えた。
「だったら、俺、アコギ、使ってみるか」
アコースティック・ギターを取り出す翔を、奏汰が、わくわくと見る。
「おおっ! いいじゃないか! 俺も、ウッドベース使おうかなぁ!」
「お前、ウッドベース出来んの?」
翔が目を丸くして、奏汰を見た。
違う楽器ではあっても、エレキから入った者が、生楽器に取り組むのは難しいことは、充分知っていた。
「消音ウッドベースだから、エレキだけどな。まだ借り物で。今、修行中なんだ」
奏汰も、ウッドベースを取り出した。
それまでの曲は、ギターとベースがアコースティックになっただけでも、ぐっと、印象は大人びた。
アコースティック・バージョンのアレンジも、すんなりと出来上がった。
「今までやってきたのとは違うけど、この路線の曲を入れるのも、いいかもな!」
雅人も賛成し、翔の作ったバラードを、即興で、アコースティック・バージョンにして演奏してみる。
これまでにない感覚を、四人は味わった。
「同じ曲か? と思うくらい、全然違ったものになったな」
演奏後、溜め息を吐き、すぐには、誰も発言出来ないでいたところ、やっと、雅人が感想を言ったのだった。
誰もが、自分たちの演奏に、うっとりしてしまった、とでも言うように、なんとも言えない感覚に襲われていた。
「ちらっと、フレーズ思い付いた」
翔が、レコーダーに、ギターを弾いて吹き込む。
楽譜には書けない、または、書くのが間に合わない場合は、レコーダーに録音しておくのが、手っ取り早い。
「後で、譜面に起こしておくよ」
珍しく、琳都が発言した。
「え、琳都、楽譜読めるだけじゃなくて、書けるのか?」
奏汰が尋ねると、琳都が頷いた。
「うちの父親は、音楽やるのは反対してたから、自分の部屋でこっそり、CD耳コピーして、楽譜書いたりして、遊んでた」
「遊びで? はあ~、すげえな!」
そう言ったのは奏汰だったが、三人とも、琳都の静かだが音楽に対する情熱を、垣間見た気になった。
そうして出来上がった翔の曲の構成では、ベース・ソロはなかった。
「俺だって、もうちょっと弾きたい」
「ベースのくせに、目立とうとするんじゃねえ!」
「そんな言い方ないだろ。ギターもベースも、見た目は似てるけど、全然違う楽器だろ? そこをはっきり表現すれば、面白いじゃないか」
「だったら、どうやるんだよ?」
「例えば、この間の『割り込み』じゃないけど、ソロのところで、ギターとベースの掛け合いをするとか。他にも……」
奏汰と翔は、よく言い合いをしていたが、ケンカとは違い、音楽面の話の上であった。
試行錯誤の上、方向性が決まりつつあった。
バンドの名前も、新しく変えた。
そこでも、奏汰と翔が揉めたのだが。
『ワイルド・キャッツ』
発案者は、雅人だった。
山猫、短気な人、そのような意味合いだ。
粋がってる自分たちには、ぴったりだ、と。
そして、琳都が加わったことにより、ジャズオルガン奏者ジミー・スミスの名曲『ザ・キャット』を意識していた。
CDジャケットの、印象的な黒猫が、奏汰も翔も気に入ったので、『ワイルド・キャッツ』は、全員一致の文句なしであった。
参考CD『The Cat』by Jimmy Smith
なんとか、丸くおさまりましたかな。
翔……とんがってるので、書いててハラハラするし、疲れるキャラですが、ハッキリしてるので、セリフは浮かびやすい。
とんでもないこと言い出すので、自分がびっくりしてしまいますが、なんとか雅人やら奏汰が、取り成してくれた。(^^;
とにかく、翔は、音楽面に関しては、頼りになりそうです。
とんがってる部分は、丸くなっていくのか、そのままなのか。
今後もよろしくです。(^_^)
次回、第八章の最終話です。




