(2)Wカップル
奏汰が、雅人のシェアハウスに引っ越したのは、それから間もなくであった。
ベッドは既にあり、冷蔵庫やキッチンは共同なので、楽器と、自分の身の回りのものだけ持ち込めば良かった。
皆で集まるリビングが、音楽の話をしたり、練習をしたりする場である。
楽器は、生のピアノは不可であったが、キーボードや電子ピアノ、近所に迷惑をかけない程度の音量であれば、アンプを通したギター等も音を出して良かった。
「翔は、ここに住んでないのか?」
奏汰は、皆を見回した。
「あいつは、彼女と同棲してるから、ライブ前とか、必要な時しか、ここに来ないんだ。だから、ここは、皆にとっては、オアシスなんだよ。部室よりもな」
そう言って雅人が笑うと、二人の後輩も、部室では見せない笑顔を見せた。
さっそく、奏汰がベースと、曲のコードのメモを取り出し、四人で合わせてみる。
雅人の練習用ドラムセットも、トレーニングパッドで、音量を調節出来る。
「AメロとBメロでは、ベースを、こういう風に変えてみたらどうかって、思いついたんだけど」
奏汰が、ベースのパターンを弾いてみせる。
「そうだな、そんな風にパターン変えた方が、変化があっていいな! だったら、ドラムも、こうしようか?」
奏汰に合わせて、雅人が、ドラムのパターンを変える。
「この方が、サビが引き立つな!」
雅人が皆に笑いかけ、キーボードの二人も頷いていた。
楽しい練習の日々が続き、次の『J moon』定休日の時、日中練習を終えた奏汰が、夕方になってから、蓮華と待ち合わせる。
「ごめん、明日さっそくライブで。二時間だけって言って、抜けてきた」
ホテルのラウンジで、奏汰は、蓮華にすまなそうに言った。
「せっかくなんだから、今は頑張って。お店の定休日は、またあるんだから」
蓮華は、にっこり笑った。
奏汰はシェアハウスでの練習のことを話し、蓮華はワインを傾けながら、奏汰の話を聞き、微笑んでいる。
席を探していた男女が、二人の前を通った。
黒い服を着た、長身のすらりとした男と、長いウェーブの女が通りかかった時、男と奏汰の目が合った。
「あ……」
二人は、互いの顔と、連れの女とを、見合った。
「翔じゃないか!」
声をかけたのは、奏汰の方からだった。
「ちょっと弾き方変えたところあるんだ。明日のライブ前に、合わせておかないか? この後、練習あるから、シェアハウスに来いよ」
「ああ、雅人から聞いてるよ。お前、見てわからないか? 俺は、今デート中なんだよ。練習なんか、明日の昼間でも間に合うぜ」
「ああ、そう? 俺は、早く、翔とも合わせてみたかったんだけどなぁ」
残念そうに言う奏汰を、うっとおしそうに、翔は見ていた。
「席、いっぱいみたいだから、良かったら隣どうぞ。私たち、もうすぐ出るから」
蓮華が、翔と連れの女に微笑んだ。
二人は、奏汰と蓮華の隣の椅子に腰かけた。
「あなたが、あのギターの?」
奏汰の説明に、蓮華が感心して、翔を見る。
「奏汰くんと同い年に見えないわね。大人っぽいのね」
翔は、ツンケンした態度ではありながらも、まんざらでもなさそうに、煙草を吹かしていた。
翔の隣の女に向かって、奏汰も話を振った。
「菜緒さんは、音楽は何かされるんですか?」
「私、普段は外資系の会社に勤めていますが、たまに、ボーカルをやっているんです」
「あら、そうなの? あたしも、少しだけ歌ってたの!」
「そうでしたか」
話が弾んでいたところで、翔のスマートフォンが鳴った。
席を立って、ラウンジから出たところで、電話に答える。
「……きっと、また女ね」
知らず知らずのうちに声に出てしまったように、菜緒は、溜め息混じりに呟いていた。
「えっ?」
奏汰が、奈緒を見る。
「あっ、いやだ、私ったら……! 何か言ってました?」
取り繕う奈緒に、蓮華が控えめに微笑みながら、切り出した。
「初めて会ったのに、こんなこと言うのは失礼だけど、……なんだか、菜緒さん、彼に遠慮してない?」
「い、いいえ、そんなこと……」
慌てて打ち消す奈緒であったが、蓮華の話しやすい雰囲気に、つい口を開いた。
「彼があまりにも眩し過ぎて。私じゃ、釣り合い取れないんじゃないかって……。そう思うと、彼のすることには、口を挟む気にはなれなくて……」
「でも、翔の同棲相手って、あなたですよね?」
奏汰も、奈緒を気遣うような視線で、問いかける。
奈緒がうなずくのを見てから、奏汰は続けた。
「だったら、あいつの本命は、あなたなんだから、遠慮することないと思いますけど?」
「一緒に住んでるからといって、私が本命とは限りません」
菜緒は、悲しそうな顔になった。
「私が許さなければ、彼は、とっとと他の女のところに行くに、違いないわ」
「だからって、言いなりになっては、ダメだと思うの。余計に、彼は付け上がるわ」
その蓮華の言葉に、菜緒は、言い返したそうに、顔を上げた。
その前に、蓮華がにっこりと笑って続ける。
「あたしは、奏汰くんと十歳離れてるんだけど、菜緒さんも、翔くんより、いくつか年上なんじゃない? 年上だからって、物わかりのいい女を演じなくても、いいと思うのよ」
「そいつは、俺の一回り上だよ」
電話を終えた翔が、戻ってきていた。
「えっ、あたしより年上だったの?」
「へえ、すっごく若く見えますね!」
驚く蓮華と奏汰だった。
「いいなぁ、『はかない美人』って感じで。翔って、乱暴者っぽいイメージだけど、こういう守ってあげたいタイプが好きだったんだ? 意外だけど似合ってるよ」
奏汰が微笑みかける。
「守ってあげたいだと?」
翔は、横目で菜緒を見る。菜緒は、少し嬉しそうに、頬を染めていた。
「お前も、こういうねーちゃんと、付き合ってたとは、意外だな」
翔が、蓮華を顎で指しながら、奏汰に言った。
「あら、どういうねーちゃんだって言うのかしら?」
面白そうに、蓮華が尋ねる。
「別に。おせっかい焼きの、年上の『お姉サマ』って意味だよ」
「そうなのよー」
蓮華はころころ笑っているが、奏汰は、翔が、『お姉サマ』を強調したことに、引っかかっていた。
「俺が菜緒と一緒にいたのは、たまたまだけどな、お前は、そのお姉サマが本命なんだろ? バイト先のママじゃ、金もあるし、いろいろ尽くしてくれて、融通も利くし、便利だよなぁ?」
奏汰が真面目な顔で、じっと、翔を見ながら答えた。
「だからって、蓮華と付き合ってるわけじゃない」
「よく言う。ヒモなんだろ?」
と、にやっと挑発的に笑う翔に、奏汰は、むかっと来た。
パシャッ
その時、翔の頭のてっぺんから、赤い液体がしたたり落ちた。
ぎょっとした奏汰と、菜緒が小さく「きゃっ!」と言った。
立ち上がった蓮華が、持っていたワイングラスを、逆さにしている。
何が起きたか理解出来なかった翔が、じろっと、怒りの形相で、蓮華を睨んだ。
「なっ、何をするんです!」
菜緒が、翔の髪と服にこぼれる赤ワインを、慌ててハンカチで拭いている。
驚いていた奏汰も、蓮華を見上げると、蓮華の目はつり上がっていた。
「熱湯じゃなかったことに、感謝するのねっ!」
蓮華は、バン! と音を立ててテーブルを叩くと同時に、数枚の札を置いた。
「お騒がせ料と、クリーニング代よ。ああ、シミが落ちなかった時は、どうぞ、新しい服でも買ってちょうだい!」
蓮華は、ぷんぷん怒りながら、奏汰の腕を引っ張り上げた。
奏汰は、振り返りながら、蓮華に連れられていった。
「蓮華、待てよ」
ホテルを出て行く蓮華の後を、奏汰が付いて行く。
「許せない、あいつ! 奏汰くんのこと、バカにして!」
「俺のことならいいよ。誰だって、そう思うだろうから」
蓮華は、怒った顔のまま、奏汰に向き直った。
「少しは、怒ったら? 人が好過ぎるわよ!」
奏汰は、蓮華を抱きしめた。
「蓮華が仕返ししてくれたから、もういいよ。俺のことなんかより、蓮華が侮辱されたことの方が、頭に来た」
少し冷静になってきた蓮華は、はっとした。
「あたしのしたことで、奏汰くんが仕返しされちゃうんじゃ……。しかも、明日、あの子とライブだって言ってたわよね?」
「大丈夫だよ、俺のことは心配しなくても。あいつだって、ライブでは、ちゃんとやってくれると思う。本番前にも、練習で会うし」
奏汰の腕の中で、蓮華は、下を向いた。
「ごめん、あたしのせいで、奏汰くんが嫌な目に……」
奏汰は笑って、蓮華を覗き込んだ。
「何でさ? 俺は、嬉しかったよ。蓮華が、俺のこと、すごく大事に思ってくれてるんだってわかって」
「奏汰くん……」
奏汰は、力強く、蓮華を抱きしめ直した。
蓮華も、奏汰の背に回した腕を、強めていった。
「あの女、許せねえ……!」
菜緒のマンションに戻った翔は、着替え終わり、缶ビールで飲み直していたが、不機嫌を通り越し、腹の中は、怒りで煮えくり返っていた。
菜緒は、びくびくしながら、翔を見ていた。
「俺をここまでコケにして、ただで済むと思うなよ! この俺を見くびると、どうなるか……! この礼は、必ずさせてもらうぜ!」
コワイ、コワイ! (^^;
次回『仕返し』です。




