(1)シェアハウス
「はい、蒼井です。……雅人か!? 久しぶりだなぁ!」
奏汰のスマートフォンの相手は、高校時代のバンド友達だった。
同窓会には来られなかった雅人と会うのは、高校を卒業して以来だ。
吉祥寺のレッスンの日は、奏汰はアルバイトが休みであったので、雅人と居酒屋で落ち合った。
「高校卒業してからスマホ壊れちゃって、新しいのに変えたんだけど、バックアップ取ってなかったもんだから、皆とも連絡つかなくてさー」
「それで、同窓会には来なかったのか」
「実家から連絡来て知ってたんだけど、その日は、どうしても行きたいライブがあったからさ。ついこの間、美砂ちゃんに、ばったり会ったから、助かったよ。美砂ちゃんから、お前がまだ音楽やってること聞いて、どうしても連絡取りたくてさ!」
雅人は、中ジョッキのビールを、ぐいっと一口飲んだ。
奏汰も、イカ焼きの輪切りをかじってから、ビールを飲む。
「美砂ちゃんから聞いたけど、お前、今ジャズ勉強してるんだってな」
「まあな」
「あと、音楽学校で教えてるんだって? いやあ、お前が『先生』とはな!」
「教えてるのは、PAだよ。たまに、別の授業のアシスタントで、ベースも弾きに行ってるけどな」
「俺の方は、大学のサークルで、軽音部に入っててな、ネットに、ちょこちょこアップしてる曲をちゃんとアレンジし直して、今度、有料で配信しようってことになったんだ」
「すごいじゃないか!」
「ただ、うちの大学じゃ、レコーディングの設備がないんだよ。録音取れるカラオケボックスじゃ狭いし、音響凝れないし。当然、そういう機材も買えないし、買っても扱い方わかんねぇし」
「それで、俺の手が必要になったわけだ?」
「実は、そうなんだ」
「うちの学校にスタジオあるから、予約取ろうか? 機材も、俺がわかるし」
「サンキュー! 助かるぜ! ついでに、もう一つ、頼み事が……」
「ああ、なに?」
「ベースのヤツが、つい最近、退部しちゃったから、奏汰、良かったら、弾いてくれないか?」
「えっ!? いいのか!? ホントに!? そっちの方が嬉しいっ!」
顔をほころばせる奏汰だったが、ふと気になった。
「だけど、何で、そいつ、これからって時なのに、辞めちゃったんだ?」
「……まあ、ちょっと、その、……いろいろ、込み入っててな……」
ごにょごにょ言う雅人を、奏汰は不思議そうな顔で見ていたが、あまり問い詰めないでおくことにした。
「俺もレコーディング参加するんだったら、俺のパートだけ先に撮っておいてもいいし、一発撮りの方が良ければ、それでもいいけど、どっちにしろ、ミキサーの方に、もう一人、必要だなぁ。うちの学生にでも、頼むか」
「ああ、ホント、助かるぜ!」
雅人は、肩の荷が下りたような顔で、喜んでいた。
レコーディングの前に、奏汰もサークルに顔を出す約束をし、雅人が知らせたネットにアップされている曲を聴きながら、奏汰は、さっそくコードを聴き取っていった。
『J moon』閉店後、奏汰と琳都が掃除をし、優はグラスを拭いている。
蓮華がいじるタブレットの音は、スピーカーを通して、聴こえていた。雅人のバンドが、ネット上に流している曲だった。
「二曲目と三曲目、いいわね」
蓮華が言った。
「ママも、そう思いますか?」
蓮華の弟である琳都の手前、奏汰は、アルバイトの姿勢を保ったままだった。
「ええ。タイプの違う曲だけど、両方とも、好きな感じだわ。かなり演奏技術もある子たちね。特に、ギターの子、上手じゃない?」
蓮華が、ロックグラスを傾けてから、続けた。
「ギターって簡単だし、値段も手頃なのからあるから、取りかかり易くて、やる人多いけど、エレキなんか、ただ鳴らしただけでもサマになるもんだから、それで満足しちゃう人も多いのよね。でも、この子は別ね。コードも理解して弾いてるし、三曲目ではアコースティックも弾いてるわよね? この子なの、奏汰くんのお友達って?」
「いいえ。あいつは、ドラムなんです。小学生の時から習ってて」
奏汰は、琳都に微笑みかけた。
「今度、琳都にも紹介するよ」
琳都は、特に、感心はなさそうだったが、蓮華が嬉しそうに琳都を見ている。
「それで、バンドの話以外でも、その友達から誘われたんですけど……」
奏汰は、蓮華の様子を伺いながら、遠慮がちに切り出した。
「シェアハウスだと?」
アパートに帰った奏汰は、先程、店で蓮華たちに話したことを、兄の潤にも話した。
「高校の時の友達の雅人が、バンド仲間とシェアハウスに住んでるんだよ。バンドを辞めたヤツがいて、空きがあるらしいんだ。俺は、そっちに住もうと思って。その方が家賃も安いし、店までは電車になるけど、近いし。だから、兄貴は、このまま、ここに住んでていいぜ」
潤は、呆気に取られた顔で、奏汰を見ていた。
「それで、蓮華さんの反応は……?」
「ああ、喜んで、賛成してくれたよ」
「なんだと?」
潤は、眉間に皺を寄せた。
奏汰は、構わずに話し続けた。
「今は、修行がてら、ベテランのミュージシャンのライブに、ゲストって形で参加させてもらってるけど、そろそろ対等なバンドに入ってもいいんじゃないかって、応援してくれたよ。シェアハウスのことも、もちろん、音楽やるにはいい環境だからって」
潤は、奏汰の顔を、まじまじと見た。
「お前、それ、本気にしてるのか?」
「え?」
「蓮華さんと会う機会も、減ってしまうんじゃないのか?」
「ああ、そうかも知れないけど、バイトは続けるし、プライベートで会おうと思えば、いつでも会えるし」
「バカか! お前は、それでいいかも知れないが、向こうは、淋しくなるだろうと言ってるんだ」
「蓮華も、気を遣うなって、言ってくれたよ」
「またお前は、言葉通り受け取って。女の人っていうのは、言ってることと、心の中は、違うんだぞ!」
「ああ、俺たち、一応、そういうのも乗り越えてきたから。まあ、兄貴の心配には及ばないよ」
奏汰は笑った。
潤は、少々納得がいかない顔をしていたが、やがて、ふっと笑った。
「淋しくなった蓮華さんを、俺がなぐさめることになっても、知らないぞ?」
奏汰は、顔をしかめた。
「そこまで淋しい想いはさせないけど。兄貴をなぐさめ役に選ぶほど、蓮華は血迷ったりしないよ」
「負け惜しみを言うな」
「負け惜しみって……」
挑発する潤を、奏汰は、呆れたように見ると、何も言わずに、寝る支度に取りかかった。
「レコーディングとベースをやってくれる、蒼井奏汰だ」
大学の軽音楽サークルでは、雅人が奏汰を紹介していた。
「よろしくお願いします。奏汰って呼んでくれていいです」
奏汰が、ぺこっと、頭を下げた。
そこには、ピアノとキーボード担当という、雅人の後輩が二人だけいた。二人は、一見して大人しそうであり、それぞれ名乗った後は、何も喋らなかった。
思ったよりも、小ぢんまりとしたサークルに、奏汰には思えた。
「あと一人、ギターのヤツがいるんだけど、もうすぐ来ると思うから」
雅人がそう言うと、部室は、静まり返った。
「そう言えば、ネットで見たよ。すっげー、良かったぜ! 特に、二曲目の、ちょっとカッコいい感じの曲と、三曲目のバラード! 誰が作ったんだ?」
奏汰が皆を見回した。雅人の後輩の二人は、そわそわしていた。
「それは、後で紹介しようと思ってた、ギターの翔ってヤツのなんだよ、二曲とも」
「へえ! 同じヤツだったのか! だけど、皆も作ったんだよな? すげえよなぁ! 俺なんか、最近、やっとアドリブ出来るようにはなったけど、自分で曲まで作ったことないもんなぁ」
キーボードの二人は、奏汰の尊敬のまなざしに、少しだけ、笑顔を見せた。
それをきっかけに、二人が奏汰と、ちらちらと話をし出したのを、雅人は、安心したように見ていた。
その時、部室の扉が開けられた。
「翔、来たか!」
雅人の声に、奏汰が振り返った。
簡素な部室に、一気にインパクトが備わったようだった。
黒い、ハードな出で立ちの、いかにもロック・ミュージシャンだと言わんばかりの男だった。短髪の黒髪に、大人びた整った顔立ちは、俳優の卵と言われてもおかしくはないほどだ。
生まれながらの茶髪に、どちらかというと童顔の奏汰とは、タイプの違う男だ。
「ギターの上原翔だ。翔、こっちは、レコーディングとベースを手伝ってくれる奏汰だ。高校の同級生で、俺たちと同い年だ」
「よろしくな」
そう言った奏汰に、翔は、一瞥をくれるだけだった。
雅人が、はしゃぐように、翔に言った。
「奏汰がな、翔の曲、二曲とも、気に入ったってさ!」
奏汰も、瞳を輝かせて、翔を見ている。
「へっ! あんなの、作りたくて作ったわけじゃねーよ。あいつらの曲に合わせて、妥協して作ったチンケな曲だぜ」
翔は、じろっと、キーボードたちを見下ろした。
後輩の二人は、おどおどとした態度になり、下を向いた。
「おいおい、なにも、そんな……!」
雅人が、翔を止めようとすると、奏汰が笑い出した。
「またまたー、謙遜しちゃって! すっげー、いい曲だったじゃないか!」
翔は目を見開いてから、奏汰を睨んだ。
「あんな曲がいいなんて思うヤツの、気が知れねぇよ!」
奏汰は、目が点になった。
キーボードたちは、おろおろし、雅人も、一瞬、固まった。
だが、奏汰が、また笑い出した。
「ははは、照れるなよー! ミュージシャンは、ひねくれ者が多いからな!」
「照れてねぇよ! バカ!」
「ギター、すっげえ上手いよな! 独学か? 習ったのか? それとも、どこかで修行してきたのか?」
「なんで、お前に、そんなこと話さなくちゃなんねえんだよ?」
「いつから始めたんだ?」
「うっせえ! 言うかよ!」
音楽のこととなると瞳を輝かせて夢中になる奏汰と、邪険に返す翔を見守りながら、雅人と後輩の二人は、少し希望が見えて来たように、安堵した表情になっていた。
「翔を抑えられるのは、お前だけだ、奏汰! その『鈍感力』で!」
呟いた雅人の拳は、小さくガッツポーズをするように、握られた。
帰りがけ、居酒屋に誘われた奏汰は、仕事前であったので、烏龍茶で、雅人に付き合うことにした。
雅人は、晴れ晴れとした顔で、中ジョッキを、ガブガブと飲んだ。
「良かった、奏汰が昔のままで!」
「どうせ、成長してないよ」
奏汰が苦笑いをする。
「高校の時も、バンドやってた時、楽しかったよな。お前は、リーダーじゃなかったけど、皆、自然と寄ってきてたし」
「そうだっけ?」
「皆の憧れの美砂ちゃんも、お前のこと見てたし」
「何で、知ってんの?」
奏汰が、驚いて、雅人を見る。
「最初、俺のこと見てるのかと思ってたんだよ。それで、よく見たら、視線が微妙にズレてて。お前、いつも、俺の近くで弾いてただろ?」
雅人が笑った。
「その時、仲間うちで、どうやら、美砂ちゃんが、奏汰のことを見てるらしい、って話になって。『あいつには、このことを悟られてはならない!』とか、『隣のクラスに彼女がいながら、美砂ちゃんまでとは許せない!』とか話しててな」
「なにー? お前ら、グルだったのかよ? ひでえな!」
「昔のことだ。まあ、許せ!」
雅人が笑いながら、砂肝をつまんだ。
「とにかく、お前は、普段、無愛想なくせに、音楽やる時はイキイキしてるんだよな。だから、うちのサークルにも呼んだんだ」
雅人の声の調子が、少し真面目になったのを受け、奏汰も、真面目な顔になった。
「サークルのメンバー、少なかっただろ? しかも、編成、偏ってるし。おかしいと思っただろ?」
「確かに。ドラムとギターに、ピアノとキーボードって鍵盤が二人っていうのは、珍しいと思ったよ」
「もとは、サックスやトランペットも数人ずついた、華やかなバンドだったんだけどさ、翔が、ちょっと問題のあるヤツで……。サークル仲間のほとんどが、あいつと合わなくて、辞めていったんだ。先日話したベースも、その一人だ」
「……確かに、アクが強そうだったもんな」
「残ったのは、大人しいあの二人だけ。腕は悪くないんだけど、いつも翔に遠慮してるんだ。かといって、翔を辞めさせるわけにはいかないし……。
あいつが上手いってこともあるけど、ファンも多いんだよ。客のほとんどは、あいつのギターを聴きに来てたり、あいつ目当ての女子だったりで。
実際、それに嫉妬して、あいつに絡んでいった先輩もいたけど、自滅してた。他にも、人の女取ったり、……っていうか、先輩の彼女だった人が、翔に目移りして……とかな」
奏汰は、烏龍茶のジョッキを傾けた。
「雅人は、何で、そんなヤツと仲良くしてるんだ?」
「まあ、俺、女いないし」
雅人が、冗談めかして、明るく笑ってから、真面目に言った。
「あいつは、俺とは、なんだか衝突しなくて。俺が、あいつの格好良さを認めてるからかも。外見的なものだけじゃなくて、ギターの素質も認めてるし、あいつも、俺のドラムとはやりやすいって、言ってくれた。何よりも、俺とあいつは、目指してる音楽が、似てるんだと思う」
奏汰の瞳が、やさしく雅人に注がれた。
「そういう仲間を見つけられて、雅人が羨ましいよ」
雅人は、奏汰を見た。
「何言ってるんだよ、奏汰だって、そうだよ! これから、一緒にやっていくんじゃないか! 一応、今は、俺がバンドのリーダーだからな。今いる四人だけじゃ、後輩のあの二人が可哀想だから、出来れば、お前と一緒に盛り上げていきたいんだよ」
雅人の熱く語る様子を見て、奏汰は、彼の力になりたいと思った。
マンションの一室では、扉が開く。
そこに立つ翔を、女が出迎えた。
「今日も、帰って来ないかと思ってたわ」
長いウェーブの髪を耳にかけ、女がそう言うのも構わず、翔は、ずかずかと部屋へ入って行く。
「七時には帰るって言ってたじゃない。もう九時よ」
「うるせえな。先約が長引いたんだよ。それでも、帰ってきてやっただろ?」
「……また女のところに行ってたのね」
うつむく女に、翔は、まったく悪びれもせずに、言い放った。
「ああ、そうだよ。他に行くとこあるかよ。嫌なら、出て行ったっていいんだぜ? 俺を待ってる女は、何も、お前だけじゃないんだからな」
俯いた女は、ラグに座り込むと、しくしくと泣き出した。
「なんで、そんなひどいこと言うの? この一週間、私が、どんな想いで、あなたを待ってたと思うの? メールも返事くれないし、電話しても、ずっと留守電になってるし……」
ソファに、無遠慮に座ってから、面倒臭そうに、翔が口を開いた。
「けっ、年上なら、多少、物わかりがいいと思ったのに、これじゃあ、ガキと変わんねぇな!」
女は、ソファの翔を、涙目で見上げた。
「しょうがねぇなぁ!」
「あっ……!」
翔は、女を、ソファに押し倒した。
「どうして欲しいんだか、言ってみな」
意地の悪い瞳で女を見下ろし、甘い声でささやく。
女の瞳は、脅えから、甘美な輝きへと、移り変わっていった。
ワルそうなのが出てきました。(^^;
『Dragon Sword Saga』にはいない、スケコマシ?
その上、ダグト並の、ひねくれようですかね。
奏汰は太刀打ち出来るのか?




