表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第七章『兄弟』
31/72

(3)立ち入り禁止令

琳都(りんと)は大学四年で、ああ、百合子ちゃんと同い年で、奏汰くんの一つ上になるわね」


 蓮華が、奏汰たち従業員に弟を紹介し、しばらく、店の食器洗いを手伝わせると言った。

 奏汰以外の従業員は、時々、琳都がそのように来ることはわかっていた。事実、彼用のバーの制服もある。

 一番下っ端の奏汰と同じか、それ以下の扱いであったので、開店前に、二人で掃除をしていた。


「大学では、何を?」


 奏汰が尋ねると、「デザインとか」と、琳都は短く答えた。


「へー、映像の方?」

「音楽も、ちょっと関係あって」

「そうかぁ! 面白そうでいいなぁ!」


 奏汰が感心するが、琳都は、少し微笑んだだけだった。

 蓮華と違い、弟は人見知りで、無口なのかな、と奏汰は思った。


「琳都も、何か楽器やるの?」


「ピアノとジャズオルガン」


「ジャズオルガンて、ママと同じかぁ!」


「うちでは、パパは音楽やるのに反対だから、よくおじいちゃんちに行ってた。ジャズオルガンも、おじいちゃんが持ってるから、勝手に弾いてた」


「勝手に弾いて、弾けちゃうんだから、すごいな! 俺、ベースやるんだけど、後で、一緒にやってみないか?」


「え……」


 琳都が、少し驚いたように奏汰を見たので、奏汰も、彼に注目した。


「……人と合わせたこと……ないから」


 ぼそっと、琳都が答えるが、嫌だと言われたわけではなかったので、奏汰は安心した。


「大丈夫、大丈夫! 遊ぶつもりでいいんだから」


 閉店後、蓮華の許可をもらうと、店のステージにあるジャズオルガンとスピーカーに電源を入れた琳都が、ためらいがちに座る。


 休憩室からベースを取って来た奏汰が、ベースをアンプにつないだ。

 奏汰が、琳都の弾ける曲に合わせ、適当にベースを刻む。

 一曲目は、無難に合わせられた。


 琳都は、幼い頃に、クラシックピアノを学び、楽譜も読め、更に、ジャズ理論とコードもわかるようだった。


「いいなぁ! 俺は、コードや、タブ譜ならわかるけど、楽譜は苦手なんだよ。今は、基礎からやり直して、楽譜も理論も、ちょっと勉強してるけどな」


 奏汰が、頭をかきながら言った。


 遠慮しながらではあったが、琳都の演奏は悪くないと思った奏汰は、二曲目は、あえて曲にせず、二人で相談して、コード進行だけを決め、ジャンルを決めずに好きに演奏、つまりアドリブで合わせてみたのだった。


 徐々に、琳都が心を開いて行くのが、演奏にも現れる。


 コードの和音をバッキングしていただけだったのが、少しずつ、右手でも即興でメロディーを紡いでいく。


 琳都に合わせ、奏汰がベースラインにバリエーションを加えていく。


 奏汰の方も、普段、周りにいる年も離れた大人たちの中で演奏する時と違い、気負わずに、アドリブらしいものも弾けた。


 即興で演奏したとは思えない、高度な演奏になっていくのを、二人とも感じ、笑顔になっていった。


 その演奏は、十分以上続いた。


「なんか、俺たちって、すごくね?」


 奏汰のそのセリフに、琳都が吹き出して笑った。


「琳都、うまいなぁ! やっぱり、ママの弟だけある! ピアノでクラシックの基礎が出来てるのも大きいよな!」


 奏汰が笑顔で言った。


「ジャズやるにも、やっぱり、基礎出来てるのと、出来てないのとは違うよな。専門学校で生徒たち見てても感じてたけど、今改めて思った」


 奏汰は、琳都を改めて見た。


「明日の閉店後も、また合わせような」


 琳都は奏汰を黙って見つめるうちに、少しだけ、微笑んで、頷いた。

 奏汰は、琳都とも気が合いそうだと思い、嬉しくなった。




「今日は、奏汰くんと仲良さそうに、何を話してたの? セッションも上手くいった?」


 バーの仕事が終わり、上の階にある蓮華の部屋で、風呂を済ませた彼女が、タオルに包んだ髪をドライヤーで乾かしながら、にこやかに、弟に尋ねた。


「友達になった?」


「友達って……」


 スマートフォンのゲームをしながら、弟は、ちらっと、姉を見る。


「あいつと付き合ってるの?」


「そう見える?」


 特に態度を変えるでもない蓮華に、琳都は、少し呆れたような顔を見せた。


「俺より年下の彼氏なんて……まったく、どんな神経してんだ?」


「でも、いい子でしょ?」


 まったく悪びれる様子のない蓮華に、琳都は「まあね」と答えた。


「奏汰が悪いんじゃない。蓮華が悪いんだよ」


「そうなのよ、いつも、あたしが悪いの」


 姉は、全然気にも留めていないようだ。


「ねえ、琳都は、どうして彼女作らないの? イケメンの部類なんだから、モテなくはないんでしょう?」


 ほぼ乾いた髪を横の位置でシュシュで結わえながら、シルクのチュニック風パジャマを着た蓮華が、小首を傾げて聞いた。


 琳都は、黙りこくっている。


「あ、わかった! おねえさんが、美し過ぎるからだわ!」


 蓮華が、わざとらしく言ってころころ笑うと、琳都は、またしても、呆れたように彼女を見た。


「見た目はどんなに着飾った美しいおねえさまでも、中身はオヤジだって知ってると、女子に期待なんかしなくなるんだよ」


「あらあら、可哀想な琳都くん! おねえさんが、慰めてあげる!」


 蓮華が、琳都を後ろから抱え込んだ。

 しばらく、やさしく包み込んでいたと思うと、いきなり、腕の力を強め、羽交い締めにした。


「こら、やめろよ!」


 琳都が、もがく。蓮華は、きゃっきゃ笑っている。


「ねえ、あたしが、パパに話付けに行って来ようか?」


 琳都が、もがくのをやめ、黙った。


「蓮華だって、パパの顔なんか見たくもないだろ?」


「琳都のこと話しに行くくらい、いいよ。これでも、接客業よ、嫌なお客だと思えば大丈夫!」


 しばらくして、琳都が言った。


「そのうち、俺が自分で話すから」


「そんなにパパといるのが苦痛なら、あんたも、おじいちゃんちに行けばいいのよ、あたしみたいに」


「でも、そうすると……ママが……」


「そうね、残されたママは、可哀想よね。琳都は、やさしいんだよね」


 蓮華は、後ろから締め付けていた腕を、緩めた。


「あたしが、家を出ちゃってるから、琳都には、迷惑かけてるね」


「蓮華のせいじゃないから……」


「あんたの人生なんだから、いつまでも、ママに遠慮してることないのよ。あんなオヤジと一緒にいて、精神衛生上良くないなら、おじいちゃんちか、一人暮らしか、した方がいいからね」


 蓮華の言葉が心からのものだと知る琳都は、小さく頷くと、姉の腕を振り解いた。




 奏汰のところに兄の潤が居候(いそうろう)してから、蓮華の立ち入り禁止令は、まだ解けておらず、説得のための、蓮華と潤のデートも、何回目かになっていた。


 『J moon』閉店後、二人は、別のバーへ訪れていた。


「何を怒ってるの?」


「別に、怒ってなんかいませんよ」


 蓮華の質問に、潤は、ぶすっとして答えた。


「僕は、あなたがわからなくなりました。そのままな人だと思っていたのに。優さんと、一〇年間も、関係を続けていたなんて」


「ああ、なんだ、そんな話? 関係っていったって、友達関係だけどね」


 蓮華が、さらっと答える。


 潤は、思い出していた。

 奏汰が、テレビゲームをしている時だ。

 ふと、潤が、『J moon』で感じたことを、振ってみた。


「優さんてお店のバーテンダーと、蓮華さんは、随分親しいんだな」


「ああ、そうだよ。一〇年も付き合いがあるからね」


「お前、……平気なのか?」


「だって、気にしてもしょうがないし。彼女、実は、優さんのこと好きなんじゃないかって思ったこともあって、実際、俺も、優さんに、引け目を感じることも多いんだけど。優さんのことは、俺も好きだし、人間的に魅力のある人だって認めてるから、張り合っても、しょうがないんだ。今の俺は、彼女が、例え、優さんのことを好きでも、他の誰かを好きになったとしても、彼女をずっと好きでいられると思う。ま、今のところは、彼女が、俺にホレてんのは、よくわかるけどさ」


 潤が、蓮華に視線を戻す。


「あなたは、奏汰がいなくなっても、優さんがいるから平気だと、だから、奏汰を自由にさせるなんて、言えるんだ。それじゃあ、ますますあなたと奏汰との交際を、認めるわけにはいきません」


 頬杖を付いた蓮華は、顔色を変えるどころか、にっこりと言った。


「随分、見上げた兄弟愛ね。潤くんて、弟思いなのね」


「そんなんじゃ、……ありませんよ」


「じゃあ、なあに?」


 蓮華の微笑みから、一度目を反らした潤は、キッと視線を戻した。


「どうしたの? 今日は、なんだか、コドモみたいよ?」


「僕が年下だからって、からかわないでください。真面目に答えて下さい。本当のところ、優さんとは、どうなんです?」


 ますます、潤が、じっと蓮華を見据える。

 蓮華が、溜め息を吐いた。


「やれやれ。あなたはね、正面から向かって来るのは、いいんだけど、カタすぎるのよ。そんなんじゃ、女は皆、逃げてっちゃうわよ」


 うっと、潤が言葉を詰まらせた。


 公園に移動し、暗い海を眺める蓮華の、少し後ろに立つ潤は、元気がなかった。


「どうしたの? さっきから、黙り込んじゃって」


「落ち込んでるんです。放っておいてください」


 ぷいっと、潤は横を向く。


「はいはい、じゃあ、放っとこーっと」


 そのまま、ひとりで蓮華は海を見る。


 後ろの潤が、たまりかねて、口を開いた。


「……冷たいんですね。僕は、あなたの言葉で傷付いて、落ち込んでるのに」


「潤くんが、あまりにもカタブツだから、サジを投げたのよ」


「ひどいなぁ、結構、気にしてるのに……。同じようなことを、前に付き合っていた女性に、言われたことがあるんです。彼女は、僕が結婚まで考えた人でしたが、彼女の方には、そこまでの気はなかったんです。


 僕がからかわれていただけなんだって、ずっとひがんでいたけど、もしかしたら、違ったのかも知れないって、最近になって、わかってきました。


 あなたと会うようになってから、彼女の気持ちも、何となく、理解できた気がしました。結局、僕は、彼女を束縛していたんだな。今思えば、彼女が去って行ったのも、当たり前かと……」


 蓮華は、顔だけ、振り返った。


「それで、過敏に、奏汰くんのこと、心配してたのね。同じような目に合うんじゃないかって」


 潤は、これまでの勝ち気な表情から一変し、険の取れた顔になっていた。


「……すみません。今では、蓮華さんのことは、そんな人じゃないって、わかってますから」


「奏汰くんにも、言ったことあるけど、もうちょっと肩の力抜いてみたら?」


「……そうですね」


「自分に自信持つことね。潤くんは、イケメンなんだし、中身もいい男なんだから」


「そ、そんなこと、ないですよ」


 潤が慌てると、蓮華は、人差し指を振った。


「そういう時はね、『蓮華さんも、いい女ですよ』くらい、言えなくちゃ」


「あ……、そうですね……」


 微笑する潤に、蓮華は、意地悪く言った。


「だからって、そのまま言うのは、ダメよ。こういうことは、言われる前に、言わなくちゃ」


「えっ、じゃあ、なんて……?」


「自分で考えるのね。オリジナリティーがないと、女は、ついてこないわよ」


「うーん……」


「ほら、また真面目になってる。頭で考えてもだめよ、もっと感覚で勝負しないと」


「感覚……?」


 潤が、ハッとした。ようやく理解した。


「また、僕のこと、からかってません?」


「バレた?」


 こら! と、潤が、わざと拳を上げると、蓮華が、きゃっきゃと逃げる。


 蓮華の腕を引き寄せ、潤が、素早く口付けた。

 すぐに離れた二人の視線が、絡み合う。


「お仕置きです。からかってばかりだから」


 潤は、真面目な表情になっていた。


 そんな彼の顔を、蓮華は、じっと見つめた。


「潤くんて、やっぱり、奏汰くんと似てるのね。六年後の奏汰くんも、こんな感じなのかしら……」


「今は、他の男の話はしないでください。例え、弟でも」


 潤は、もう一度、今度は、長く口付けた。


 蓮華は、彼のしたいように、身を任せている。


 長い口づけが終わると、頬を染めた潤が、照れたように、静かな口調で言った。


「さっき、優さんのことで、あなたを責めたけど、奏汰の肩を持ったというよりも、本当は……僕自身が妬いてたから……なのかも知れない……」


 やさしく包み込むような目で、蓮華が、潤を見上げた。


「あたしは、わかってたわよ。あなたは、もう、あたしを好きだってね」


「わかっていながら、からかっていたなんて、ひどいな」


「だから、お仕置きされてあげたんじゃないの」


「こんなもんじゃ、僕の気は済まない。覚えててくださいよ」


「ほんと、見上げた兄弟愛だわ。弟の恋人を、取ろうというの?」


「あなたも僕を好きになれば、あとは、あなたと奏汰が『二人で決めること』なんでしょう?」


「そううまくいくかしらね。あたし、奏汰くんの方が、ずっと好きよ」


「でも、僕のことだって、ちょっとは好きでしょ?」


「キスは悪くなかったわ。今のところ、それだけよ」


 にっこり笑うと、蓮華は、潤の頬に、ちゅっと口付けた。




「ただいまー」


 奏汰と優だけが残る『J moon』に、ご機嫌な潤と蓮華が、腕を組んで現れた。


「奏汰、蓮華さんを、うちに呼んでもいいぞ。立ち入り禁止令は解いてやる」


「ほんとか!? 兄貴、住むとこ見付かったのか?」


「いや、俺は、出て行かない。フェアに行こうじゃないか!」


「フェア……?」


 奏汰が、怪訝な顔をする。


「お前ばっかり、蓮華さんとこっそり会うなんて、ずるいぞ! だから、蓮華さんが、うちに来る時は、お前が出て行け!」


「……まさか、兄貴……? 蓮華のこと……!?」


 蓮華も優も、唖然として、潤を見る。


「お前がもたもたしてるんだったら、俺が、蓮華さんをもらうぞ!」


「もたもたって……、兄貴が邪魔してるんじゃないか!」


「はあ、やれやれ、情けない。人のせいにするとは。これじゃあ、時間の問題だな」


 潤が肩を竦める。

 それを、顔をしかめて、まじまじと見ながら、奏汰が、ぶつぶつと言った。


「普段モテない兄貴が自信持つと、タチ悪いな。しかも、昔っから、思い込み激しいし」


 優は呆れた顔で、蓮華を見た。


「どうせ、蓮ちゃんが、仕掛けたんでしょ?」


 蓮華が困ったように笑う。


「ちょっと自信付け過ぎちゃったかしら?」


 結局、「蓮華は、うちに来ちゃダメだ! 危険だ!」ということで、蓮華の立ち入り禁止令は、奏汰が発令したのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ