(1)第一歩(*)
※ただ今大幅(?)改稿中です。(2017.11)
バックが青色に指定したページは、改稿済みです。
(多少の誤字や表現などは、今後もちょこちょこ直していきます)
※挿し絵入れてみました。
今後ちょっとずつ入れていこうと思います。
(今さら遅いかも知れないけれど……)
奏汰は、思った。
「二一でベーシスト目指すなんて、遅いかも知れないけれど……」
今度は、口に出していた。
「音楽に年齢は関係ないさ」
四〇代と見られる男が、奏汰の前を歩く。
「まだ若いママだが、新人ミュージシャンに理解のあるお方だ。音楽の勉強をする環境は整っているし、業界とのつながりもある」
奏汰は、これまで勤めていた音響会社社長に連れられ、アルバイトの面接に向かっていた。
横浜赤レンガ倉庫と海の見える、建物の地下へと入っていく。
バー『J moon』という、真鍮の表札が打ち付けられた洋風の木戸を開けると、そこは、青い絨毯貼りで落ち着いた雰囲気の、上品なバーであった。
カウンターにひとり腰かけていた女性が立ち上がり、社長を出迎える。
社長と挨拶をし、二、三言葉を交わすと、すぐに奏汰が呼ばれた。
「このバーのマダム、水城蓮華さんだ。まだお若いから、ついマダムではなく、ママと呼んでしまうんだがな」
「蒼井奏汰と申します。よろしくお願いします」
奏汰は緊張して、お辞儀をし、改めてママを見た。
髪を結い上げ、水色のシンプルなワンピースに、派手ではないオパールのネックレスと、揃いのイヤリングをしている。
目鼻立ちの整った顔に乗った控えめなメイクと笑顔が、ソフトで親しみやすい、人好きのする印象を受けた。
(随分、若いママだな!)
社長から若いとは聞いていたが、自分よりも少しだけ年上にしか見えない彼女を、呆気に取られたように見ていた。
「お酒は強い?」
蓮華は、まるで、以前からの知り合いのようにくだけた口調で語りかけた。
「はあ、まあ、近所のぶどう農園で作ってるワインは好きで、実家から送られてくるので、しょっちゅう飲んでますが……あ、もちろん、二〇歳過ぎた去年からですよ」
奏汰は、慌てて言い訳した。
蓮華は、くすっと笑った。
「音楽歴は、どのくらい?」
「高校の時に友達とバンド組んで、卒業したら、それっきりでしたが、社長の会社に入ってからは、趣味程度です」
「じゃあ、ライブハウスとか、人前で演奏経験は、あまりない感じかしら? 楽器は何を?」
「ベースです」
奏汰は、蓮華が、じっと自分を観察していることに気付くと、冷や汗が流れ出した。
彼の、明るい茶色をした髪から、吊り目気味の大きな瞳、顔から肩幅、腕や指先、足の先までも、観察されている気分だ。
「いいわよ、明日から、うちにいらっしゃい」
奏汰はホッとして笑顔になり、「ありがとうございます!」と頭を下げた。
社長が奏汰の肩をたたく。
「これからは、困ったことがあったら、いつでもママに相談するんだぞ。音楽方面でも恋愛の相談でも」
「まあ、いやだわ、社長ったら! あたし、そんなに人生経験豊富じゃありませんよ〜」
蓮華は、ころころ笑う。
奏汰も、社長の冗談に笑ってみせた。
そこでは、ミュージシャンを夢見る若者を主にアルバイトとして雇っていた。
長身で痩せ形、黒髪を束ねているハヤト、中肉中背で明るめの茶色に染めた髪を肩に付くくらいまで伸ばした、いかにもミュージシャン風のタケル、色白で小柄な一見高校生に見えてしまうケントがいた。
楽器や音楽の話で、三人とはすぐに打ち解けられた。
奏汰の仕事は、店内と休憩室、シャワー室の掃除や、接客、注文されたものを運ぶものであったが、そのうち、カクテルの作り方も教わる予定だ。
チーフ・バーテンダーの桜木優は、長身のハヤトと並ぶ一八〇センチを越え、細身であり、手の指も長く、男にしてはきれいな手をしているのが印象的だった。
ベースを弾く奏汰は、人の手にも自然と目が行く。
バーテンダーは、爪の手入れも行き届いていて、ハンドケアもしているのかも知れない、と感心した。
制服を着た後は開店前の準備に取りかかり、掃除の後、テーブルを拭いた。
店のBGMで流れるジャズは、古き良き時代のものから新しいものまであり、うっかりすると、聴き入ってしまう。
ついベースのフレーズを耳で追っていたり、コードを聴き取っている。その時点で気付ければ、すぐに現実に戻ることは出来るが、それが進むと、右手の指が見えない弦を探っている。
困った癖だと自覚しながらも、これまで、なんとか同僚に見つかることなく仕事は出来ている。
開店時間になると、スーツを着たビジネスマンたち、着飾ったOLたち、楽器の入ったケースを持つ若者たちなどがやって来る。
サンドウィッチやパスタなどの軽食も用意があるが、注文は、もっぱらアルコールと肴になるものだ。
カウンターと正反対の壁側には、グランドピアノ、ドラムセット、ギターアンプ、ベースアンプが置いてあり、天井にはスポットライトも備え付けてある。ライブのある時は、そのスペースで行われる。
奏汰は、自分にも早くそこでライブに参加出来る日が来ないかと、わくわくした。
休憩時間には、仮眠も取れるパイプベッドと、ソファのある小さな殺風景な部屋で休める。小さめの冷蔵庫とカクテルの道具、カクテルの本などが並び、身だしなみをチェック出来る姿見もあった。
悪くない職場だと、奏汰は思っていた。
仕事が終わると、近所に借りたアパートへ帰り、殺風景なワンルームで、スタンドに置いたベースを取り、アンプを通さず弦を弾く。
そんな日々だった。
数日が経った。
仕事が終わり、従業員たちが帰った後、蓮華に呼び止められた。
チーフ・バーテンダーの優も残り、酒などの在庫チェックをしていた。
カウンターに座った奏汰は、好きな物を飲んで良いと言われ、ジンライムを頼んだ。
動画を見ながら、蓮華がスマートフォンを操作すると、無線で専用スピーカーから曲が流れる。
奏汰のバンドが演奏しているものだった。
しばらく、蓮華は聴き入っているように、テーブルの上で指でリズムを取りながら時々ロックグラスを揺らし、傾ける。
隣に腰掛ける奏汰のロックグラスは、ジンライムだった。
優の作るカクテルが、居酒屋や安いチェーン店のバイトが作るものと違い、濃いせいだろうか? 一杯目で、もう気分が良くなっている気がする。
ふと、社長のの言葉を思い出した。
「彼女は年下に親切らしい。お前はまあまあイケメンの部類だから、ママと仲良くなっておけば、コネであちこち売り込んでくれるかもな!」
嫌なことを思い出してしまったと、酔いが醒めた。
モテなくはなかったし、イケメンだと言われることもあった。
しかし、だからと言って、そのようなやり方は嫌だった。実力でプロになりたいと思っていた。
年上の女性は、彼にとっては未知の世界だ。
擦れていない若者が、年上女性に弄ばれた話や、女にのめり込み、堕落し、通っていた専門学校へ来なくなってしまったクラスメイトがいたことも思い出す。
その後、音響の仕事をしていた時も、ミュージシャンの間のくっついたり離れたりはしょっちゅう目にしてきた。
今は、優の作る、その濃くて美味いカクテルに酔わないよう用心する。
「ベースなかなかうまいじゃない。軽快で爽やかな感じ!」
唐突に、蓮華が言った。
「でもねー、ジャズ弾いたことないでしょー?」
「はい……?」
「ジャズが出来るとロックももっと味のある演奏になるの。一層セクシーな演奏が出来て、奏汰くんもセクシーになれるよ」
「男の演奏に、セクシーなんて関係あるんですか?」
奏汰は明らかな疑問を顔に表す。
蓮華は、ころころ笑った。
「若いから、まだわからないかしら? セクシーな方がいいに決まってるじゃないの」
「それは、ママの個人的な好みじゃなくて?」
「あら、ホントにわかってないみたいねぇ。もしかして、奏汰くん、女の子と付き合ったことないとか?」
意表をつかれた彼は、驚いて黙った。
「えっ、マジで経験ないとか?」
ここは黙ってはおけなかった。
「そんなこと、ママに関係あるんですか? 俺が何人付き合おうと、どこまで深くかかわろうと、勝手でしょう?」
「怒った?」
「別に、怒ってなんかいません」
奏汰は、ふてくされたように、ジンライムを一口飲んだ。
蓮華が悪びれる様子もなく、グラスに唇をつけた。
彼女の動作を目の端で追うと、目が離せなくなる。
まただ。
エロい……いや、色香という言葉の方がふさわしいのだろうと、思い直す。
天使のような小悪魔のような微笑みを始め、このような動作も、大人の女性なら無意識に、否、意識的に出来てしまうのかも知れない。
憎々し気に横目で見ていると、蓮華が口を開いた。
「楽器やってればね、大抵、女の子にモテるわよね。でも、それで寄って来た子たちって、本当のあなたを見て好きになったと思う? 『楽器をやっているあなたが好き』なんじゃないの? もっと言えば、バンドを組んでいればカッコ良く見えちゃう。そこから入ると、長続きはしないわよね」
天使の唇から発せられた毒の舌が、奏汰の痛いところを突いた。
この人、全然天使なんかじゃない。
「……なんで、そんなことまで……?」
「年の功かしら。本人を見て、演奏聴いただけでわかるのよ、いろんなことが」
うっすらと睨む奏汰を見ながら、恐れるでもない蓮華は、少し真面目な顔になった。
「さらに、こういうこともわかるわよ。あなたは、どこかムキになっているところがあるわ。演奏も、テクニックを使って、背伸びしているように聴こえる部分がある。人に認められたいのかしら? それとも、ストイックにならなければ音楽は出来ない、と思っているとか?」
今度の彼は睨む余裕すらなくなり、青ざめ、何も言えなくなった。
「深入りして悪かったわ。だけどね、余裕のない演奏は、聴く人が聴けばわかってしまうわ。素直に自分を出せるようになれると、もっといいと思う」
余計なお世話だと言い返す余力はなかった。
自分の演奏では、まだまだ世間では通用しない現実を突きつけられた、そのダメージの方が大きかった。
「なんだか、無理してあがいているみたい。今はそれでもいいんだけど、そんなに焦らなくても、まだまだ若いんだから大丈夫だと思うわ。一回リセットしたつもりになってみれば? わからないことがあれば私に聞いて。私には甘えてくれていいのよ」
宥めるように、蓮華は言った。
それには、彼を引っかけてやろうだとか、からかっているとか、そのような素振りは感じられない。自分を心配してくれているように、彼には素直に受け取れた。
「でも、俺、誰の力も借りずに、自分の実力で、伸し上がってやりたいと思ってるんです。ママに取り入って、コネでプロになっても……」
「意外と真面目なのね。なんだかイメージと違うわね」
「そんなに俺、チャラく見えました?」
奏汰が、自分の髪をつまんでみせる。
「これ、よく染めてると思われるんですが、地毛が茶色いだけなんです」
「あら、そうだったの? どうりできれいに染まってると思ったら……それは失礼。イケメンで茶髪でバンドやってるっていうと、大抵チャラく見えちゃうもんだから」
「なんか、俺、大人から見ると、イメージ悪いんですね……」
ますます打ちのめされた奏汰は、力なく溜め息を吐いた。
「そこよ! あなたは外見の印象と中身が違うの。一見、カッコ良くてクールで、ひょうひょうとしているように見えても、中身は地道な正当派で古風なの。チャラいと思って寄って来た女子には、実はダサかったみたいに思えたわけよ」
「外見チャラくて、中身はダサい……」
ぐさぐさと、奏汰の頭と心に、見えない釘が刺さる。
「それって、……いいとこなしじゃないですか」
「違うの!」
はっきりと打ち消した蓮華を、びっくりして見た。
「その子たちが、わかってないだけなの。あなたは悪くないの! あなたをちゃんと理解してくれる人と付き合えばいいの。そして、あなたは、地道で正当派なところを見せればいいの。
まずは、見た目をダサく……というか、シンプルにしてみて。ここのライヴでは、TシャツとジーンズでもOKよ。音楽に入れ込んでます、服装よりも演奏で勝負します、ってね。そうして、だんだん自分の音やカラーが音楽にも現れて来たら、それに合う衣装を考えていけばいいわ。
『Tシャツ、ジーンズで目立たなくても、いい演奏してるし、よく見たらカッコいいじゃない、イケメンなのに見た目にはこだわらずに音楽に打ち込んでいる姿ってステキ!』って、それが女にも男にもカッコよく映るわけ。あなたは、その路線で行ったらいいわ」
いつの間にか、奏汰は、はーっと口を開けて、蓮華の話を聞いていた。
「……すごい妄想力ですね」
「ええ、ありがとう。でもね、私の見立てって、意外と当たるのよ」
蓮華は、グラスを掲げて、にっこり笑った。
「そうそう、私に、コネ目当てで近付いてきた男の子たち、確かにそういうのもいたけど、彼らがどうなったか知ってる?」
奏汰は真面目な顔になって、首を横に振った。
「今頃、恋愛不能になってるんじゃないかしら?」
ころころ笑う蓮華を、奏汰はぞっとして見た。
「それからね、ここからが、もっと大事な話」
チャーリー・チャップリンを一口飲んでから、蓮華が微笑んだ。
「よくここでライブをやるグループが、以前、あなたたちの演奏を聴いて、奏汰くんのベースが気に入ったみたいで、今度一曲だけ、一緒にやってみてもいい、って言ってるの。年齢層お高めな人たちだけどね」
奏汰の瞳が、みるみる大きく見開いた。
「それ、……ホントですか!?」
蓮華がにっこり微笑みながら、「乾杯」と言っているようにグラスを掲げた。
それが、すべての始まりだった。