(1)デート
「あら、晃くん」
須藤が、横に並んだ女に、目を留める。
ナチュラルメイクのせいで、すぐにはわからなかったが、この近くにあるバー『J moon』のママ、蓮華であった。
「ああ、蓮華ママだったのか! いつもと雰囲気が違うから、全然わからなかったよ!」
蓮華の着ている服も、店で見る、夜の大人の雰囲気とは大分違い、一見して普通の女性であった。
「昼間は、ちょっと若いでしょ?」
蓮華の笑顔は、夜同様、親しみが沸いた。
須藤は、微笑んだ。
「今日は、元気みたいだね」
「おかげさまで、彼と仲直り出来たーーっていうのかしら? 晃くんが、一役買ってくれたんでしょ? ありがとね!」
「いやいや、自分のためでも、あるわけだからね。ところで、またお礼してくれるのかなー?」
須藤が、冗談口調で、蓮華の顔を覗き込む。
蓮華は人差し指を、自分の唇に持っていき、ウィンクして見せた。
「他のもので、是非! あたしの唇は、奏汰くんのものなの」
「ホントかなー?」
二人は吹き出して、笑い合った。
「それで、美砂ちゃんとは、どうなってるの?」
「時々、ご飯食べに行ってるだけだよ。まだ何の行動も起こしてないや。ははは」
笑っていた須藤が、ハッとして、蓮華を見下ろす。
「俺、まだお店に通っててもいいんだよね? まさか、用なしじゃ……?」
蓮華が、おかしそうに笑ってから、言った。
「何言ってるの! いつまででも、どうぞ。面倒見てあげるわよ」
「サンキュー!」
須藤も、安心して笑った。
美砂は、映画館にいた。
同僚の松岡と、映画を見ていた。
私、こんなところで、何やってるんだろう?
どうして、この人と、映画見てなくちゃ、いけないのかしら?
奏汰くんと見たかった……
気を抜くと、すぐに、奏汰のことを思い出してしまう。美砂は、強く打ち消した。
だめ。奏汰くんのことは、もう考えないって決めたんだから!
そうでなければ、自分から、別れようとは言い出さなかった。
美砂は、隣にいる男を、ちらっと見る。
社内でも可愛がられている松岡と美砂は、一見、お似合いだと、言われたこともある。
奏汰と別れる前から、松岡は積極的に美砂をデートに誘うが、美砂としては、二つ年上のその同僚といても、弟といるような感覚であり、ときめきは感じられなかった。
バー『J moon』でアルバイトするミュージシャン志望の奏汰には、高校の時から憧れていて、外見も、声や喋り方、動作まで、すべてに惹かれていた。
松岡は、奏汰のような生まれつきの茶髪や、少々吊り目気味の大きな瞳ではなく、黒髪で、どちらかというと垂れ目であった。
外見が奏汰と違うのを理由に、松岡にときめかないわけではないと、美砂もわかっている。
彼の話の内容は、スポーツやカーレース等、美砂にはあまり興味のない分野であった。
奏汰も、スポーツの話はしていたが、音楽の勉強や課題に取り組み、好きなことに熱中している様子が、生き生きとしていて、好きだと思っていた。
「ごめんね、なんか、最近、疲れちゃって……眠ってもいい?」
帰りの電車の中で、美砂が言った。
「いいよ。昨日も残業だったんでしょう? 大変だよね」
松岡が、やさしく微笑んだ。
美砂は、本当は、眠いわけではなかった。
だが、話をすることに疲れたような、つまらないような気になっていた。
松岡くん、悪い人じゃないんだけど……私とは、合わない気がする。
同じ一緒にいるなら、……須藤さんの方が楽しいのになぁ。
でも、須藤さんは、私のこと、子供扱いして、楽しんでるみたいだし……、いつも、ふざけてるし……。
私のことなんか、本気で相手にしてくれる人なんて、……いないのかも……?
美砂が危機感にとらわれている間、隣で、松岡は寝ていた。
翌日、日曜日、弟が、美砂に言った。
「姉ちゃん、悪いけど、今日、彼女来るから、一日外に出ててくれない?」
「そんなこと急に言われたって……。あんたが、外で会えばいいじゃない」
「だーって、俺たち、まだ学生だぜ? 金ないし」
弟は、大学一年だった。
「映画高いからDVDレンタルして、外食高いからコンビニ弁当で、家で食べるのが、一番安上がりでしょう?」
美砂は、しょうもなさそうに、弟を見た。
「あんたねぇ、いくらお金がないからって、初めてのデートがそんなだなんて、彼女が可哀想よ」
「彼女も、それでいいって言ってくれたもん」
「嫌われたくなくて、口ではそう言ってても、内心は違うかも知れないのよ」
「え~、そんなことないって!」
聞く耳を持たず、笑い飛ばす弟を見ると、美砂は、情けなさそうに、溜め息を吐いた。
「帰ってくるのは、なるべく夜遅くで、お願いします。ああ、帰る前に、絶対連絡ちょうだい」
「もう、しょうがないなぁ。じゃあ、めぐちゃんと遊ぼうかな」
美砂が同僚のめぐみにメールをすると、「カラオケなう」と返信が来た。
「ああ、そうだったわ。めぐちゃん、今日は、友達と朝からカラオケ行くって言ってたっけ」
めぐみは、他県から来た美砂と違い、地元で生まれ育っているので、学生時代からの友人たちと遊ぶことも多かった。
美砂は、職場以外の友人を当たってみるが、用事や休日出勤で、スケジュールの調整が付く者は誰もいなかった。
ひとりで夜まで外出など出来そうになかった美砂は、ふと、須藤を思い浮かべた。
『俺、(彼女)いないよ、奥さんもいないし。だから、何も気兼ねすることないよ』
彼のセリフを真に受けて良いなら……と、メールをするが、しばらくしても返事がない。
気付いていないのかと思い、電話をかけてみた。
「はい、須藤です」
普段よりも、トーンが低く、落ち着いた大人のように聞こえた。
電話だと声が違うなぁ、と美砂は、思った。
「もしもし、山科ですけど」
「えっ! ああ、おはよう! どうしたの?」
途端に、普段の須藤の口調に変わる。
「おはようって……、もしかして、……まだ寝てました?」
「あれっ、もう九時半? ああ、もう大丈夫だよ、起きたから!」
「今日って、何か、予定あります?」
「今日? 暇、暇! お一人様だから。ははは」
「良かったら、一緒に、どこか遊びに行きませんか?」
「へっ!?」
「……あの、……ダメですか?」
「いやいや、そんなことないよ! 喜んで!」
待ち合わせを決めた後で、美砂は、やっぱり職場の上司と休日遊びに行くのは、変かも知れない、と思ったが、弟がせかすので、あまり長くは考えなかった。
ドライヤーで、長いストレートな髪の毛先を、少しカールさせていると、弟が、ひょっこり、顔を覗かせる。
「姉ちゃん、今日は、どっちとデートするの?」
「どっちって?」
「ギターかなんか背負ってるヤツか、昨日のお坊ちゃんぽいヤツ」
「どうだっていいでしょ。窓から覗かないでよ」
美砂がむすっとしながら、イヤリングを付ける。
ニヤニヤと、弟は、美砂を見る。
「社会人になってまだ一年も経ってないのに、これじゃあねぇ。不純異性交遊っていうの? パパもママも泣くよ」
「人のことが言えるの? あんたの為に、外に出てあげるんだからね。そんなこと言うんなら、もう唐揚げ作ってあげないから!」
「えっ、そっ、そんな……!」
弟を黙らせた美砂は、都内に住む須藤と、品川で落ち合った。
「早いですね。まだ十五分前なのに」
「せっかく、美砂ちゃんがデートに誘ってくれたんだから、誠意で答えないとね!」
わざと威張ったように、須藤が言う。
美砂は、「私服だと若い!」と思いつくと、くすくす笑っていた。
「なに笑ってんの? ほら、行くよ」
「はい」
「どこに行く?」
「どこでもいいです」
須藤に尋ねられ、美砂は、奏汰といる時と同じように答えた。
「その『どこでもいい』っていうのは、やめた方がいいなぁ。いつもそうだよね?」
須藤が言うと、美砂が、上目遣いになる。
「だって、急に家追い出されちゃったから……」
「それも、そうだったね。ごめん、ごめん! じゃあ、今日は、俺の行きたいところでもいい?」
「はい」
美砂が、笑顔で応える。
電車で移動した二人が訪れたのは、恐竜展であった。
「須藤さんて、こういうの好きなんですか?」
美砂は、驚いていた。
「うん。前から来てみたかったんだけど、ひとりじゃ淋しいから、来られなかったんだ」
明るく答えた須藤の言う通り、美砂が周りを見渡すと、親子連れや、意外にもカップルが多かった。
恐竜にちなんだ菓子や、ゲームセンターのコーナーもある。
UFOキャッチャーでは、トリケラトプスのぬいぐるみを、須藤がキャッチし、美砂に渡すと、美砂が喜んだ。
ごく普通のデートである。
「こういうところって、女子だけだと来ないけど、結構、面白いんですね」
「そうでしょ?」
次に、二人は、水族館へ向かった。
「俺、海の生き物も好きなんだよ」
「私もです! あっ、かわいい!」
美砂が水槽に近付いて見たのは、ぷっくりと太ったフグのハリセンボンだった。
須藤が、真面目な顔になり、それを見る。
「これ、ふぐ刺しにしたら、美味いだろうね。いやいや、大阪名物ふぐ天丼もいいよなぁ」
「ひどーい!」
笑う彼に、美砂が怒ってみせた。
水族館の後は、カフェで、美砂はコーヒーを頼んだ。
須藤は、プリンアラモードだった。
「須藤さんて、男の人なのに、甘いもの好きなんですか?」
「いつもじゃないけどね、たまに、プリン食べたくなるんだ」
「コドモみたい」
美砂が、吹き出した。
「男には、いつまでも少年の心を忘れないようなところがあるんだよ」
気取って言う須藤に、
「そうなんですか。でも、それとこれとは、違う気がする」
と美砂が笑う。
「ありがとう! よくツッ込んでくれた!」
二人は笑い合った。
あっという間に夜になり、美砂が帰り易いよう気を遣った須藤が、横浜の最寄り駅近くの居酒屋に誘った。
「美味しい!」
和風のカウンターでは、小鉢の総菜を口にした美砂が、楽しそうに笑う。
「でしょ? ここの店のつまみは、どれもお勧めだよ」
ハイボールを飲みながら、須藤が言った。
美砂は、甘めのサワーを飲んでから、彼を見上げた。
「須藤さんて、何で、彼女がいないんですか? こんなに楽しいのに」
須藤が、キメ顔になる。
「美砂ちゃんが、彼女になってくれないからだよ」
「ふーん、そうですか。いろんな人に、そういうこと言ってるからですね。わかりました」
美砂には、通用しなかったようだ。
さすがに、須藤も、焦った顔になる。
「言ってないよ、ひどいなぁ。俺、見た目よりは真面目なんだぜ。ここ数年は、ホントに仕事一筋で、彼女もいなかったし」
「亜矢さんて、同期ですよね? 仲良いし、◯◯さんともアヤシイって噂ですよ」
意地悪く言う美砂のセリフに、須藤が、記憶を辿る。
「亜矢ちゃんは同期で、もう五年以上付き合いあるし……ああ、だけど、彼女、彼氏いるの知ってるでしょ? ◯◯さんは、……そんなに仲良かったっけ?」
「無意識のうちに、女の人と仲良くなっちゃうんですね」
美砂が意地悪な目をする。
「うーん、今日は、なかなか手厳しいねぇ!」
須藤が笑う。
「だって、私、昨日、須藤さんのせいで、大変な思いしたんですから、お返しです」
「昨日って、土曜だよね?」
「松岡くんと会ってたんです」
「ああ……。でも、それは、きみが、はっきり断らないからでしょ? 俺のせいじゃないよ」
「そうですけど、その前に、松岡くんをけしかけるようなことするからです」
「あいつとデートして、どうだった?」
「……ちょっと疲れました」
「ははは、あいつだって、モテるのに」
「私とは合わないと思うんです。須藤さんといる方が、ずっと楽しいです」
「それは、それは、光栄だね!」
「須藤さんて、そうやって、いつも私のことからかってばっかりね」
「ごめん、かわいいから、つい……」
須藤が、真面目な顔で謝るが、美砂は、目を吊り上げたままだ。
「また! そうやって」
「う~ん、どう言ったら、信じてもらえるのかなぁ」
「どう言っても、信用出来ないわ」
つんと、美砂がそっぽを向くと、さすがに困ったように、須藤が「ごめん! 謝るから、許して!」と、お願いする。
「おねーちゃん、許してやんなよ。昔は『浮気は男の甲斐性だ』って、よく言ったもんだよ~」
カウンターの隣席に座る初老の男が、口を挟む。
「えっ、私たち、そんなんじゃ……」
慌てて打ち消そうとする美砂だが、
「もう浮気しませんから、捨てないでー!」
須藤が泣き真似をした。
「ちょっと! 何言ってるんですっ!?」
さらに慌てる美砂と、わざと平謝りする須藤を、見ていた隣の男は、笑っていた。
辺りはすっかり暗くなっていた。
美砂を家の近くまで送る須藤が、通りがかりの、海の見える公園を、物珍しそうに、見回していた。
そこは、デートスポットとしても有名であった。
「奏汰くんのこと、……聞かないんですね」
美砂は、静かに、切り出した。
「もう知ってるから?」
須藤は立ち止まり、美砂の方を見ず、海を見ながら答えた。
「……ママと奏汰くんが復活したらしいって、いうのはね」
「そうですか……。全部知ってたんですね」
「つい最近、偶然ね」
美砂は、俯いてから、須藤と並び、彼と同じように、海を眺めた。
「ここね、奏汰くんと、よく来たんです。昨日、松岡くんにも、ここに寄って行こうって言われたけど、とてもそんな気分になれなくて。奏汰くんのこと、思い出しちゃいそうで。私から、別れを切り出したっていうのに」
「まだ、彼のことを……?」
「昨日は、いけないと思いながらも、気が付くと、彼と松岡くんを比べてばかりだったの。でも、今日は、思い出さなかったわ」
美砂は隣の須藤を見上げ、笑顔を作った。
「須藤さんと一緒にいたら、楽しくて。奏汰くんとの思い出も、忘れられそうだと思って。だから、ここにも、来られたの」
須藤は、優しく微笑んだ。
「無理に忘れなくてもいいんだよ、こういうことは」
「でも、早く、奏汰くんを、安心させたいから。付き合ってる人がいなくても、私は元気だっていうのを、見せたいの」
美砂は、素直な微笑で、彼を見上げた。
「私のことなんか、もう気にかけてはいないかも知れないけど、心配はしてくれてるだろうって、思いたいじゃない?」
美砂の長い髪が、海風になびくのを見守ってから、須藤が口を開いた。
「この間、ばったり会った時、奏汰くんも、美砂ちゃんのことを、心配していたよ」
「本当ですか? ……彼、やさしいから」
美砂は、くすっと笑った。
「もうちょっと元気になってからだわ。空元気だと、いくら取り繕っても、バレちゃうから」
改めて、美砂が、須藤を見る。
「もし、私が、ちゃんと元気になれたら、その時は、一緒に『J moon』に行ってくれませんか? やっぱり、ひとりだと……自分に負けちゃいそうで」
「俺で良かったら、いつでも、付き合うよ」
「ありがとうございます。ここまで話せるのは、須藤さんしかいないから。ごめんなさい、頼っちゃって」
「いつでも、頼ってくれていいよ」
美砂は、安心した笑顔を、須藤に見せた。
※『White Christmas』by Irving Berlin




