(10)『Whisper Not』
アパートでひとり、奏汰は、ぼうっと考えていた。
アンプを通さないベースの弦を、弾いてはいても、気持ちは上の空だった。
師匠の橘に、「良いフレーズを弾くようになったし、微妙なニュアンスも出せて、良い感じになってきたけれど、たまに思い切りの悪い時がある」と言われたことを思い出していた。
橘だけではなく、次回ライブの参加が決まっているバンドのメンバーからも、ちらほらと、似たようなことを指摘されたのだった。
つくづく、俺は、プライベートが、正直に、音に現れてしまうらしい。
そう考え、ゴロンと、ベッドに横向きになる。
二、三日前、美砂から、蓮華とどうなっているのか、尋ねられた。
蓮華と美砂ーー常に、二人に感じている罪悪感から、あまり突っ込まれたくなかった部分でもあったので、そのような時は、いつも「仕事でしか会っていない。仕事や音楽の話しかしていない」と答えていたが、近頃は、その手の質問が増えてきたように思う。
「この頃、……あんまり、触れ合ってないね」
ついに、奥ゆかしい美砂に、そこまで言わせてしまう事態となって初めて、奏汰は、じっくり考えるようになった。
彼から見ると、同級生であり、自分を頼ってくれる美砂は可愛く、守ってあげたくなる存在だ。彼女には、自分が付いていてあげないと、という気持ちになる。
それに対し、蓮華は、十歳も年上であり、自分と知り合う前から店を経営していて、自立した大人の女性だった。
何より、優がいつも近くにいる。何かあれば、自分よりも、年の近い優を頼るのだろう。
そうなのだ、蓮華は、自分がいなくても、充分ひとりでやっていけるのだ。
奏汰は、溜め息を吐いた。
最近、須藤が、店に通い出したのも気になっていた。
彼も、蓮華に惹かれているのだろうか?
蓮華とも、なんだか、親密に見えなくもない。もしかしたら、優よりも、須藤の方が親しくなっていたら……?
だとすれば、少しーーいや、大分、気に入らなかった。
そうなんだよなぁ、蓮華のことでは、いつもやきもきしてきた。
寝返りながら、奏汰は思った。
自分を、素直に慕ってくれる美砂の方が、互いにちぐはぐな部分もあるが、誠実に思える。
それこそが、対等な付き合いであると言えるのではないか?
どうしても、蓮華と対等になることが出来ないと思うと、自分に相応しい、等身大の恋愛をするべきなのかも知れない。
そう思うのなら、美砂への回答も、決まっているはずだ。
それなのに、すっきりとしないのは、いったい何なのか?
「蓮華を嫌いになったわけじゃないから……かな?」
奏汰は、思わず呟いていた。
彼から見た蓮華は、音楽面での相談役の他には、今でも、近くにいると触れたくなる。それが自然であるかのように。
美砂は、文句なしに可愛い。
デートは相変わらず受け身ではあるが、可愛い印象の強かった外見は、『きれい』へと変わっていくなど、自分のために、徐々に変わってくれている感覚が、彼に満足感をもたらせる。
だが、彼女に対しては、色気はあまり備わらなくてもいいと、どちらかというと、そのままでいて欲しいと思った。
勝手なものだったが、恋愛的な感覚では蓮華を望み、癒し的な存在は美砂だった。
二人に対する想いとは、その違いなのだと、奏汰には思えていた。
「ねえ、今、蓮華さんのこと、考えてた?」
二人で歩いていると、ふいに、美砂が問いかけた。
近頃の美砂は、常に蓮華を意識している。
美砂をかわいいと思ったのは、嘘ではない。
だが、しょっちゅう、蓮華のことを尋ねられるのは、妬いてくれて可愛いという段階を通り越し、少々面倒になってきていた。
奏汰の足が止まり、少々うんざりした顔になる。
「そんなこと……」
「だって、この頃、奏汰くん、……なんか、悩んでるみたい」
奏汰は、言葉に詰まった。
悩みの核心に、改めて触れた気がした。
美砂ちゃんを好きなはずなのに……?
蓮華とは、プライベートでは、しばらく会っていないのに、なんで……?
彼の近くに蓮華がいない状態が続いていることが、不自然であるように感じられるのだ。
だが、今は、心の中で起きている動揺を、美砂に悟られないよう、奥にしまい込む。
「私、どうすれば……?」
奏汰はやさしく微笑んでみせると、美砂の頭に、ポンと手を置いた。
「美砂ちゃんは、そのままでいいんだよ」
「そのままの私って……、奏汰くんには、どう映ってるの?」
「え? だから、いつも言ってるみたいに、純粋で、かわいくて、いい子で……」
奏汰の返答に、美砂は、喜ぶ様子はない。
「私、そんなに純粋ないい子じゃない。奏汰くんならいい、私のこと好きじゃなくても……なんて言ったのも、あなたを振り向かせるための計算かも知れないんだよ?」
美砂が奏汰を、じっと見上げた。
「いつかは、私のことだけ見て欲しいって、正直、今も思ってるの。もともと相思相愛だった奏汰くんと蓮華さんから、奏汰くんを奪おうとしてるんだよ? これって、略奪愛でしょう? 私、略奪する人なんて、嫌だと思ってた。そんな自分が、自分の軽蔑するような人間になっていくなんて……」
美砂の瞳から、耐え切れなくなった涙の粒が、こぼれ落ちた。
急にそんなことを言い出す美砂に、戸惑いながらも、奏汰は、彼女を抱き寄せた。
「略奪なんかじゃないよ。俺が、美砂ちゃんを、……蓮華よりも好きなら、いいんだから」
「奏汰くんが、私を好きになろうとしてくれてるのは、わかる。蓮華さんには頼らないようにしているのも、わかってる。でも、私、……私と蓮華さん、どっちの方が好き? なんて聞けない。奏汰くんだって、今聞いても、答えてくれないんじゃないの?」
図星だった。
今の彼には、うまく応えられる自信がない。
自分の気持ちに、整理が付かないままの日々が続いた。
奏汰は、誰に打ち明けることなく、考えをめぐらせるほど、どうしていいかわからず、苦しくなるばかりだった。
それから間もなく、美砂から告げられた。
少し距離を置こうと。
事実上、別れ話だった。
「奏汰くんには、いつも彼女の影を感じてしまってた。奏汰くんのこと格好良いと思っても、好きだと思っても、それは、彼女の力だったのが大きいんだよね。彼女がいい人だから、嫌うことも出来なくて……。奏汰くんのやさしさにも、ずっと甘えてきて……ごめんなさい」
「そんな……! 美砂ちゃんが謝ることなんかないよ。全部、俺がはっきりしないのが悪かったんだから」
それらのやり取りを思い起こすと、胸が痛む。
仕事中は普段と変わらないよう、必死に取り繕う奏汰だが、ふとした時に、表情には憂いが加わり、溜め息も吐いていた。
従業員は気付かなかったが、蓮華と優は、それに気が付いていた。
そんな彼に、蓮華が、声をかけたくなるのを、堪えていることにも気付いていた優は、もどかしさから、ある時、奏汰にある映画のDVDを貸した。
「『カクテル』……? これって、トム・クルーズですか? 若っ!」
DVDを手にした奏汰は、パッケージに見入った。
「昔からカッコ良かったんですね。若いけど、今とあまり変わらないような? でも、これ、とても、アクション映画には見えませんが?」
優が笑った。
「カクテルを作るパフォーマンスが、アクション・シーンでもあるかな」
「カクテルを作るのが……ですか?」
奏汰も、笑った。
「80年代後半の映画でね。お酒に関する映画は、探しまくって観てたから。これ観ると驚くと思うけど、日本では、バーはお客さんが主役で、バーテンダーは話を聞く役だけど、アメリカは違うみたいだね。バーテンダーはお客さんを楽しませるものみたいだよ」
「そうなんですか?」
「フレアバーテティングって言ってね、世界大会もあるんだよ。お酒の瓶とかシェイカーとかを投げたりして、パフォーマンスを見せながらカクテルを作るっていう。DVDを観た後、友達と真似して、フレアバーテティングの練習してたら、師匠にすごく怒られてね」
苦笑する優だが、奏汰には想像もつかず、半信半疑だ。
「これには、カクテルの名前がたくさん出てくるから、参考になるよ。ただ、スラングが多くて、下品だとも言われてて、ヒットはしたけど、映画の評判はあまり良くなかったみたい。トム・クルーズ自身も気に入らない方みたいで。トム・クルーズがイケメンで爽やかだとか、ジャマイカの景色がきれいとか、音楽の評判とかは、良かったみたいだけどね。フレアバーテティングも有名になったし」
ふうん、と奏汰は、優の話に耳を傾けていた。
「そうそう、友達と一緒にこのDVD借りて初めて観た時に、蓮華さんもいたけど、文句言ってたよ。トム・クルーズはカッコいいけど、この映画ではチャラいだけじゃないか、全体的に下品だし、浅はかで、バーテンダーが軽んじられそうだ……とかね」
「そうですか、ママは、気に入らなかったんですね」
「ああ、彼女、あれで意外に、恋愛物は好きじゃないからね。トム・クルーズは、アクションやってる方がいいって」
奏汰は、近くに蓮華やタケルたち従業員がいないかを、さっと伺ってから、優を見直した。
「……なんで、これを、俺に?」
「まあ、観てみてよ。この映画が言いたかったことは、何なのか。難しいことじゃないよ。ただ、どう受け取るかは、奏汰くん次第だよ」
優は、奏汰を、見つめた。
奏汰は、わかったような、わからないような顔で、「わかりました。今度、観てみます」と答えた。
以前、蓮華がよく課題を出していたように、優から、カクテルにまつわる課題を出されたのだと、解釈していた。
映画を見るのは、気分転換にはなるかも知れない。
だが、今は、カクテルのことよりも、音楽のことと、美砂や蓮華のことが気がかりで、すぐには、観る気がしなかった。
DVDは、アパートの、テレビ台の上に置かれたままであった。
奏汰の中では、何も解決しないまま、数日が過ぎていく。
「よう!」
元気よく声をかけてきたのは、須藤だった。
「須藤さん?」
平日の昼間に、スーツ姿の須藤がそこにいることに、奏汰は驚いた。
「外回りしてたら、ちょうど近くまで来たもんだから」
須藤が腕時計を見る。
「ちょうどいい時間だな。一緒に昼でも食わないか?」
彼を少々苦手に思っていた奏汰だったが、屈託のない笑顔の誘いに、乗ってみることにした。
二人が向かったのは、須藤の希望で、ワインの飲めるファミリーレストランであった。
平日は、サラリーマン風の男性客が、意外にいることに、奏汰は、入り辛さは感じずに済んだ。
「須藤さんは、随分うちの店を気に入って下さったみたいで。ありがとうございます」
奏汰が会釈をすると、須藤が笑った。
「ああ、気を遣わないで。もっと普通にしてていいから。仕事を離れたきみと、是非話したかったから、この近くに外回りに来る度に、きみがいないか、いつも気にしてたんだよ」
「は、はあ……? 気にかけていただいて、……どうも」
一瞬、口説かれてるのか? と思えなくもないほど、須藤は、奏汰に出会えたことを、喜んでいる。
まさか、俺のファンてわけじゃないだろうし……?
奏汰には、須藤の意図が、よくわからなかった。
注文を取りに来たウェイトレスに、須藤はパスタと白ワインを、奏汰はオムライスと赤ワインを頼んだ。
「ワインは、赤が好きなの?」
「はい。近所のぶどう農園によく遊びに行ってて。小さい頃から好きなんですよ、ぶどうの皮が」
「へえ!」
トマトソース系のパスタを食べながら、須藤が、いつもの笑顔で、さりげなく切り出した。
「奏汰くんてさー、あの蓮華ママと、付き合ってるんだって?」
「えっ……!」
唐突な質問に、奏汰が驚き、手が留まった。
「……ママが、……そう言ったんですか?」
「ええーっ!?」
奏汰よりも数段、須藤が驚いた。
「ホントだったんだぁ!?」
「……は?」
「いやあ、驚いたな……。まさか、そんなこととは……!」
須藤が、まだ信じられないという風に、奏汰をまじまじと見た。
「あの職場って、女の人、ママだけじゃない? といって、きみのお相手は、女性客ではないと思ってたし。いやあ、悪いね、ちょっとカマかけてみたんだ」
目を丸くしている須藤の顔を、見ているうちに、奏汰は、徐々に事態を飲み込み、ようやく理解が出来た。
「どういうつもりなんです? 『そんなヤツには、美砂ちゃんは渡さない!』とでも?」
身を乗り出した、真面目な表情の奏汰に構わず、須藤は、ワインを一口飲む。
「彼女、前から悩んでたみたいで。詳しくは話したがらないから、きみ本人に確かめる方が確実だと思ってね」
「蓮華が……?」
須藤の手が留まった。
「……美砂ちゃんのことだったんだけど……?」
「え? あ、ああ、そうでしたか……」
視線を反らす奏汰を、見つめてから、須藤が言った。
「きみさあ、美砂ちゃんのこと、ちゃんと好きだった?」
彼の表情は攻めるようではなく、同じ男として、二股をかけてしまったのは、わからなくもないと、奏汰に対し、気遣うようであった。
そのため、奏汰の方も、素直に打ち明ける気になっていた。
「好きだって……思いましたよ。蓮華とは別れて、美砂ちゃんと、等身大の恋愛をするべきなんじゃないか、って。だけど、なかなか踏み切れずにいるのを見透かされて、美砂ちゃんの方から、別れ話を切り出されました。彼女、略奪愛に走るのは、自分が許せないって。そういうことでも、すっごく悩んでたみたいで……」
「そうだったんだ……」
考えていた須藤が、ふいに、奏汰を見た。
「えっ? ママとは切ることも考えてたの? ええっ? なんで?」
須藤の方も身を乗り出した。
「……あ、ごめん、こんなこと、俺が立ち入ることじゃなかったね」
すまなそうに頭を低くした須藤を見る奏汰は、どこか安心したようでもある表情になっていた。
「いいですよ。実は、俺も、誰かに話したいと思ってましたが、こんなこと、相談出来るのは、唯一、俺たちの間を知っている優さんくらいしかいなくて。だけど、優さんに対して、今、俺、すっごく引け目を感じていて。だからか、借りた映画も、なかなか観る気にならなくて……」
「じゃあ、俺が踏み込んで、……ちょうど良かった?」
「まさか須藤さんに話すことになるとは、思いもよらなかったけど、助かります」
「なら、良かった」
須藤が、ホッとして笑った。
「蓮華といると、所詮、俺は、年下なんだって、思い知らされるんですよ。年のことは気にしないように、してるんですけど、結局、いつもそこに戻っちゃって……」
一口、赤ワインを含んでから、奏汰は続けた。
「それに、最近、二人で会ってないんです。『J moon』上の階にあるカフェの方に、新メニュー追加する準備とかで、忙しそうで。職場じゃプライベートな話は出来ないし、メールや電話じゃ話しにくいし……だから、俺の方も、先延ばしにしちゃってて。その結果、美砂ちゃんを傷付けることに……」
奏汰が、溜め息を吐いた。
静かに聞いていた須藤が、遠慮がちに、口を開く。
「あの……、余計なことかも知れないけど、早くママと、ちゃんと納得行くまで、話し合った方がいいと思うよ。お互いに思うところがあるなら、それも一緒に。だって、あの蓮華ママと付き合ってるんだったら、美砂ちゃんに限らずだけど、同年代や一般人は……面倒でしょ? ああ、楽だからいいってことじゃないよ」
「楽なところは楽ですけど、俺に他の人との恋愛を勧めたり、わけわかんないところあるし、いつも、蓮華にはハラハラするっていうか、やきもきさせられるんです。それは、俺が、自分に自信がないからかも知れませんが」
「自分に自信がない? きみが?」
奏汰の顔を覗き込みながら、須藤が意外そうな顔になった。
「そういう風には、見えなかったけどなぁ」
視線を落とした奏汰の表情は、変わらない。
「彼女は、俺に頼るくらいなら、他の……もっと大人な人たちを頼ってますよ。俺なんか、ただ可愛がられてるだけだったんじゃないのかな」
「それで、きみに憧れてる美砂ちゃんといると、安心したわけ?」
「そうなんでしょうね。美砂ちゃんといると、対等な気がして。……でも、それって、蓮華が俺を可愛がってるだけに思えてたのと、同じことをしていただけだったのかも知れない……。可愛いとか、いい子だって言ったら、美砂ちゃんには否定されましたから」
奏汰は、進まないオムライスのスプーンを、置いた。
「等身大の恋愛をした方がいいんじゃないかと思っていたけど、単なる俺の自己満足だったんですね。俺がはっきりしなかった……いや、自分の気持ちから、目を背けてただけか……」
須藤の目には、奏汰の気持ちを汲み取るような、同調するような色が浮かんだ。
「きみの本当の気持ちは? 自分では、もうわかってるんだよね?」
攻めるのではなく、穏やかな声の調子に、奏汰は、素直に頷いた。
「だったら、きみのするべきことも、決まってくるよね?」
無言でいた奏汰は、考えながら、想いを口にしていった。
「……だけど、今さら、蓮華と前みたいに戻るのは……。職場では、仕事と音楽の話はしていましたが、美砂ちゃんと付き合ってからは、二人きりでは会ってないし……。美砂ちゃんとダメになったからって、すぐに蓮華のところに戻るのは、さすがに虫が良過ぎるでしょう。許されないことなんじゃないかと思います。せめて、美砂ちゃんが幸せになってからじゃないと」
奏汰は顔を上げると、須藤を見据え、思い切ったように言った。
「須藤さんこそ、美砂ちゃんを、どう思ってるんですか? ……あ、それとも、蓮華の方が……なんですか?」
ふっと笑うと、須藤は頬杖を付いて、白ワインを飲んだ。
「今の段階では、美砂ちゃんとは、ご飯食べに行くだけ。ママとは、……この間キスしちゃった」
「えっ……!」
奏汰の顔が青ざめ、みるみる動揺が、表に現れていく。
「奏汰くんがモテるってことは、彼女、つまりあたしが、奏汰くんを、魅力的にしてるってことでしょう? 裏を返せば、まあ、あたしがモテるのも、あなたのおかげってことになるけど」という蓮華の言葉が、甦った。
「……そ、そうですか。俺が曖昧にしてる間に、……そういう間柄に……」
もう手遅れなのか……
どくん、どくんと、心臓が音を立てる。
奏汰の中では、遣る瀬ない想いが渦巻いていく。
須藤は、ワイングラスを、テーブルに置いた。
「誤解のないように言っておくけど、……俺が好きなのは、美砂ちゃんだよ」
大きく目を見開いた奏汰が、即座に、須藤を睨んだ。
「だったら、なんで、蓮華にそんなこと……!」
「きみのせいだよ」
ストレートな須藤の言葉に、ぐっと、奏汰は口を噤んだ。
「その日、俺が、ママに、どうしたら、美砂ちゃんの目を、きみから俺に向けられるか、って相談していたんだ。そうしたら、彼女、大人としての思いやりと包容力、その熱いハートで頑張れって、勇気付けてくれたんだ。言っていて、彼女自身も元気付けられたんだと思う。キスしたのは、お礼だって言ってたから、本当は、不安になってたんじゃないかなぁ。それで、助けられたのは俺の方だと思ってたから、お返しさせてもらったってわけ。お互い、愛情確認じゃないから、気にしないで」
奏汰の心臓は、鳴りっぱなしだったが、頭の方は冷静になっていった。
「ママは、きみのこと、待ってると思う。今思うと、どこか淋しそうだったよ。年上だからこそ、我慢してることもあるんじゃないかな?」
優にも、似たようなことを言われたのを思い出す。
「美砂ちゃんに義理立てして、彼女が幸せになってから、ママと話し合うなんて、綺麗事言ってないで、早くママと話し合った方がいいよ、大事な人だと気付いたのならね。待たせるのは、それこそ、彼女に甘えていることになるし、傷付けることにつながるんだよ?」
慎重に、須藤が言い聞かせるのを、奏汰は、黙っていた。
「ママと美砂ちゃん、どっちを失う方が、きみにとって、ダメージが大きい?」
「……でも、それは、このまま音楽面に進むことを考えると、必然的に、蓮華を選ぶことになるじゃないですか? それも、利用してるみたいで……」
「ママは、それでも構わないって、言う人なんじゃないの?」
「ですが、それじゃ、蓮華を踏み台にするみたいで……」
「美砂ちゃんは、踏み台にされたら耐えられないし、いい迷惑だよ。でも、ママは、そういう覚悟が出来てる人なんじゃないの? だから、きみに、他の女性との恋愛も勧めたんじゃないかって、俺は思うよ」
「踏み台を覚悟で……?」
奏汰は、初めて、蓮華の意図がわかった気がした。
彼に飽きたからではなく、彼のためを想った故に、そう言ったのかと。
「……ああ、やっぱり、俺って、コドモですね! 今、須藤さんに言われて、初めてわかりました」
「渦中にいると、なかなか、わからないものだよ」
「誰かを踏み台にしないとならないなんて、……すっごく身勝手ですよね」
奏汰が、溜め息混じりに呟いた。
「そういうきみをーーというか、ミュージシャンってそういうものだって、ママは理解あるだろうから、受け入れられるんじゃないの? 美砂ちゃんというか、一般人には、なかなか理解出来ないと思うけど」
奏汰が彼女と知り合った頃、付き合う前のことを思い出す。
また振り出しに戻ったように感じた。
「わかりました。近いうちに、蓮華と話してみようと思います」
奏汰は、改めて、須藤の顔を見つめた。
「ありがとうございます。おかげで、蓮華と話し合う勇気を、俺ももらえました。須藤さんの懐の大きさには、俺なんか、全然及ばないですね。感動しました」
奏汰の表情には、須藤への警戒心や、苦手な想いや、そういったものは、一切失せていた。
「ああ、良かった!」
あたたかく彼を見守っていた須藤が、ホッとした顔になったかと思うと、いたずらっぽい笑顔に変わった。
「ああ、お礼を言われる筋合いはないよ。俺も、そこまでお人好しじゃないからね。『情けは人のためならず』って言うように、自分のためにもならなきゃ、ここまでしないよ。美砂ちゃんがきみに未練あったら、俺も行動しにくいからさ。つまり、きみがママとヨリを戻してくれることが、俺の方のチャンスにつながるんだから、一刻も早く、解決してくれよ!」
奏汰は笑ってから、改めて須藤を見た。
「美砂ちゃんには、あなたのような大人な男が合うんだと思います。彼女、須藤さんの話をよくしていましたから、かなり印象良いんだと思います。俺じゃまだまだコドモで、彼女の期待には、応えられてなかったけど、あなたなら、きっと応えられるんだと思います」
奏汰の素直な表情に、一瞬見入った須藤が、照れながら、だが、真面目に言った。
「俺も、きみにそう言ってもらえたことが、なにより勇気付けられたよ」
須藤も奏汰も、これまでにはない、親しみの込もった目で、互いに見合い、微笑んだ。
「あ、だからって、お礼のキスは、しないからな!」
「俺も遠慮しときます」
須藤に奏汰が応えると、二人は笑い合った。
「それにしても、今日は、蓮華ママを射止めた奏汰くんの可愛さが、わかった気がするよ」
「は!? ……それって、俺が、まだまだ未熟ってことですよね?」
眉間に皺を寄せる奏汰だが、須藤は、おかしそうに笑うばかりだった。
※タイトル引用『Whisper Not』
作曲:Benny Golson 作詞:Leroy Jackson
※参考映画『カクテル』
次回、第五章の最終回です。
話し合いは、ちゃんと出来るのか、それとも、修羅場になってしまうのか?




