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カクテル・バー『J moon』  作者: かがみ透
第五章『同級生』
19/72

(5)『Misty』

 閉店後の『J moon』では、蓮華が、ジンにレモンを搾っただけのロックを、飲んでいた。


 バックには、ジャズのバラード『Misty』が流れている。

 蓮華自身も、よくライブで歌っていた曲だった。


 タイトルのように、どうすることも出来ない恋する気持ちを持て余し、戸惑っている歌であった。


「まだ帰らないの?」


 私服に着替えた優が、帰り際、気付いて声をかけた。


「うん」


 仕事中はアップにしているウェーブのかかった髪は、肩や背に下りている。


 彼女を見る限りでは、普段と変わらず、単に音楽を楽しみ、酒を飲んでいる風に映った。


 だが、優には、少々、いつもの彼女と違うように感じ取れたのか、黙って、曲に聴き入っているようだった。


「奏汰くん、……今日は、アパートには帰らないかも」


 ぽつんと、蓮華が呟いた。優に聞こえるように。


 優は、立ったまま、カウンター席の蓮華を見下ろし、溜め息を吐いてから、言った。


「バカだな、蓮ちゃんは」


「……ほんとね……」


 グラスに、氷を足すと、蓮華は、ジンに口をつけた。


「今時珍しい、あんないい子、連れてくるとは思わなかったわ。奏汰くん、本気になっちゃうかも」


 蓮華から視線を反らした優は、呆れた顔になった。


「また同じ過ちを、繰り返してるの? まったく、学習効果ないんだから」


「そうね……」


 蓮華も、優を見ずに、空を見上げて、少し微笑んだ。


「またうちで飲む?」


 優が蓮華の背に、問いかけた。


 十年間、何かあると、蓮華が優の部屋に、酒とつまみを持ち込んで、語り合っていた。それが、二人の間では、自然なことだった。


「ううん、大丈夫。ありがと」


 歌の1コーラス目が終わったあたりで、優が、口を開いた。


「痩せ我慢しないで、奏汰くんに、本音でぶつかればいいのに」


 蓮華は、黙っていた。


「だから、心のどこかで、年下だと思ってると、うまくいかないって、忠告したでしょ? 僕だって、年上と付き合った時、本音を話してくれない淋しさを経験してるんだから。前にもその話はしたよね?」


「……うん……」


 反論はおろか、あまり反応のない彼女の後ろで、調子を狂わされた優は、黙った。


 2コーラス目の『Misty』が、ピアノのアドリブへ、複雑なコードの、せつないサビの部分に到達する。


「優ちゃん、いい加減に、あたしのこと呆れたでしょう?」


「今さら、呆れるも何もないけどね」


 優は、少し間を置いてから、気を取り直したように言った。


「でも、奏汰くんの場合、もしかしたら、一時的なものなのかも」


 蓮華が、空を見上げる。


「そうかなぁ。優ちゃんて、こういう時、あんまり、本当のこと言わないから」

「バレてるか」


 苦笑いをしながら、優は呟いた。


「……何か、僕に出来ること……ない?」


「一緒に飲んで」


 初めて、蓮華が優を見る。


 優は、蓮華の隣に腰かけた。


「奏汰くん、ベースも上手くなってきたし、自分から進んで、実技はもちろん、音楽理論の勉強もしてるし、橘先生も言ってたけど、今、急激に成長してるところなの。音楽方面でも、……恋愛方面でも、……もう、あたしの手なんか、必要じゃないのかも知れないわ」


「まだそうとは言い切れないと、思うけど。壁にぶつかるのは、これから何度でもあることだし。経験上、それは、わかってるでしょう?」


 諭すように、優は続けた。


「蓮ちゃんは、年下が相手だと、いつも、自分が甘えないでしょ、カッコつけたがって。今までも、肝心な時に、痩せ我慢するから、相手には、本当の気持ちに気付いてもらえず、去られるパターンだったよね?」


 蓮華は、すまして言った。


「だって、あたしの方が、おねえさんなんだから、器の大きいところ見せなくちゃ」


 優は蓮華を向き、真面目な顔になった。


「器なんか、最初からないでしょ?」


 蓮華が、下から睨む。


「今日は、随分、辛口ね。優ちゃん、やっぱり、ギムレットよりも、超淡麗辛口の吟醸酒なんじゃないの?」


「蓮ちゃんには、ずけずけ言うくらいで、ちょうどいいんだよ」


「じゃあ、もっと言って。この際だから。お酒も入ってることだし、多めに見てあげるから」


 蓮華が、少し微笑んだ。


 優は、容赦ない調子で告げた。


「周りを、やきもきさせ過ぎるよ」


「そう……。それから?」


「えーと……」


 すぐに、優が、言葉に詰まった。


 蓮華が、目を丸くして、優を覗き込む。


「……それだけ?」


「……その一言に尽きるかも……?」


 優が、苦笑いをする。


「強い女って、……損ね……」


 蓮華が、視線を遠くに移し、溜め息混じりに呟いた。


 どこか淋しそうな、諦めたような微笑みとセリフに、同調したように、優の瞳には、遣る瀬なさが浮かんだ。


「いいひとも、損だよ」


 彼の腕は、彼女の背を通り、普段とは違う、その頼りない肩を引き寄せた。


 自然に、彼の顔が近付いた。


 蓮華は抵抗することなく、なるようになっても構わない、というように、優の腕に身を委ねた。


 唇が、近付いていく。


「お待たせ、蓮華! やっと、新メニューの案まとまったから、打ち合わせ出来るよ!」と、全身エスニックな出で立ちの新香と、「すみませーん、忘れ物しちゃいましたー!」と、タケルとケントが、扉を勢いよく開けた。


 優は、さっと、蓮華の肩から、手を外した。

 蓮華も、酔いのめた顔で、皆を見回す。


「……何してたの?」


 新香が、二人の距離が近いことを不自然に思ったようで、優と蓮華とを交互に見た。


「い、いやあ、ネタ合わせを」


 咄嗟に、優が取り繕うが、


「なんなのよ、ネタ合わせって?」

「えっ? えーと……」


 新香がますます首を傾げ、優も、言葉を濁す。


 すると、横から、蓮華が人差し指を立てて言った。


「隣のキャクは、よくギャク言うキャクだ!」

「へっ!?」


 優も含め、一同、蓮華の発言に、硬直するが、


「出来たわっ!」蓮華が、笑い出した。


「あはははは、面白いっ! それで行こう!」


 優もそれを受けて、人差し指を立てて笑った。


「なにそれ? いったい、どこで披露するのよ? まさか、もう忘年会の打ち合わせ?」


 新香が呆気に取られる。


 タケルも、ケントも、口をぽかんと開けていた。




 夜十二時を過ぎたあたりだった。


 自宅のベッドで、パジャマを着て、横になってから、奏汰は、今日の出来事を振り返っていた。


 なかなか眠れそうにない。


 良かったのだろうか?


 美砂に「好きだ」と言ったのは、成り行きではなかったか?


 彼女のことを、可愛く、いじらしく思ったのは、本当だった。


 だから、好きだと思った。


 ……これって、浮気……だよな……?


 ……それとも、……本気?


 奏汰は、今、無性に、誰かと話したくなった。


「今日は、こっちに来ないのかな……? そりゃ、そうか。俺に、彼女を送ってこいって言ったってことは、……そのまま、泊まってきてもいいって意味もあったんだろうから」


 例え、蓮華が来たところで、相談するのもおかしな話だと思い直す。


 奏汰は、ごろんと寝返りを打った。


 金曜の夜遅くは、ホテルは満室だった。

 美砂は弟と二人で暮らしているので彼女のアパートには行かれず、蓮華が来るかも知れないここにも泊まらせるわけには行かず、それぞれに帰るしかなかった。


「俺と違って、蓮華は余裕だな……」


 ふっと、冷めたように笑うと、奏汰は、無理に目を瞑った。




 そして、優も、自宅のキッチンで、立ったままミネラルウォーターを飲み、呟いていた。


「危ないところだった。つい、いつもの調子で……」


 彼は、ひとり反省していた。




※『Misty』作曲:Erroll Garner 作詞:Johnny Burke


※『Misty』作曲:Erroll Garner 作詞:Johnny Burke


 奏汰&蓮華カップルの危機!? 

 第五章まだまだ続きます。


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