(4)対面
「こんばんは」
美砂が、『J moon』に、やってきた。
奏汰が出迎える。
「あの、……本当に、私が来ちゃって、いいの?」
「いいの、いいの」
奏汰は、美砂を、蓮華のいるカウンターへと案内した。
「同級生の山科美砂ちゃん。偶然、近くの駅に住んでたんだ」
「初めまして」
奏汰の紹介で、美砂が、控えめに頭を下げる。
長いストレートな髪と、大きな瞳の、可愛らしい顔立ちをした彼女は、ウェストでリボンを結んだベージュの上品なコンサバ風ワンピースと、黒い七分袖のボレロを羽織っている。
誰が見ても、『好感の持てるお嬢さん』だった。
蓮華の方は、茶系のウェーブ・へアをアップにし、サイドの後れ毛を巻いた、いつもの髪型に、襟回りと肩、袖に黒いレースをあしらった、ターコイズ・ブルーのワンピース姿だ。
ミディ丈のフレアなスカートの裾が、大人の女の中にも、可愛らしさのある雰囲気を、品良く演出していた。
いかにもフェロモンを振り巻いているような、セクシーな大人の女を想像していた美砂は、蓮華が、思ったよりも、近付き易い雰囲気であったことに、少し意外な気がした。
思わず見入っていた美砂に、蓮華は、通常のマダムの時よりも、親しみを込めた笑顔になった。
「かわいい! この子が、奏汰くんのガールフレンド?」
「そんなもんじゃないよ。もう、カノジョだよなー?」
冗談ぽく言った奏汰が、美砂の肩に手を回す。
「そっ、そんなこと言っちゃ……! あのっ、ただの友達ですから!」
美砂が奏汰を窘めながら、腕を払い除け、蓮華に、必死に言い訳した。
「あら、照れなくても」
蓮華は、笑った。
「奏汰くん、美砂ちゃんに、カクテル作って差し上げて」
「はい」
蓮華はカウンター席の端に、彼女を座らせた。
奏汰が一杯目に作ったのは、ドライ・ジンをオレンジジュースで割った、オレンジ・ブロッサムだった。
美砂があまりアルコールに強くないことを知っている奏汰は、オレンジジュースの量を、スピリッツの二倍に増やした。
「おいしい!」
美砂が顔を上げて微笑んだ。
次に、彼が用意したのは、モスコミュールだった。
ウォッカに、ライムジュースとジンジャーエールを注ぐ。
「定番ね。よし、よし」
蓮華が、横から、顔を覗かせた。
「ちょっと、ママ、あっち行っててよ」
奏汰が照れ笑いをしながら、ニヤニヤしている蓮華を、追い払った。
その様子に、思わず笑う美砂だった。
「さっぱりしてて、おいしい!」
美砂の笑顔を、奏汰は、満足そうに見ていた。
そこへ、扉が開き、二人組の来客が現れた。
「こんばんはー、奏汰くん、いるー? ああ、いた、いた!」
奏汰も、蓮華も、「えっ」という顔になった。
音大生、百合子だった。
眼鏡をかけた、ネクタイにカシミアのセーターを着た男性と一緒である。
「あら、奏汰くんのお友達? ふーん」
腕を組んだ高飛車な態度で、百合子は、美砂を見下ろした。
じっと見てから、すぐに、笑顔になった。
私の方が美しいわ! とでも勝手に思ったように、奏汰には見えた。
「百合ちゃん、久しぶり」
「あら、優さん!」
カウンターに現れた優に、百合子が目を留めた。
「紹介するわね。バイオリン講師の源太郎さん」
「初めまして。百合子さんと、結婚を前提に、お付き合いをさせて頂いています、津田源太郎です」
クールな二枚目の源太郎は、優にだけ、自己紹介をした。
「ちょっと、いいから、こっちに来なさいよ」
「なんなのよ?」
蓮華が、百合子を、隅に連れていった。奏汰も後に続く。
「百合ちゃん、あなたねー、いきなり結婚前提って、どういうつもりなのよ?」
「いいじゃないの、人のことなんだから」
百合子は腕組みをし、横目で蓮華を睨んだ。
「あのさあ、よく付き合ってから、結婚するかどうか、決めた方がいいんじゃないの? きみの場合は、勘違いが激しいんだから」
奏汰も、口を挟まずには、いられなかった。
「相変わらず、ズケズケ失礼な子ね」
百合子が、むすっと、奏汰を見る。
「そうよ、新たな被害者生み出す前に、あなた、よく考えなさいよ」
「うるさいわね。なによ、被害者って」
「それで、いくつなの? 彼」
「優さんの二つ上。オトナでしょう!」
百合子が、にっこりと、蓮華の質問に答えた。
「三五……その年齢で独り者だと、一人暮らしなのかしら?」
「いいえ、ご両親と同居よ。源太郎さんて、幼い頃から人間が出来ていて、お母様に口答えや反抗なんて、したことないんですって。両親を尊敬してらして、親孝行で、とても優しい、良い方なのよ!」
浮かれている百合子に対し、蓮華の顔が、こわばっていく。
「反抗期もなく同居……いいんだけど、まさか、マザコンじゃないでしょうね?」
百合子は、眉をひそめた。
「なによ、そんなわけないでしょ? マザコンって言ったら、奏汰くんだって、そうじゃないの。『ママ』と付き合ってるんだから」
「えーっ、何言ってんの? お嬢様のクセに、オヤジギャグ?」
奏汰が、冷めた目で返す。
「ふんだ、なにさ!」
百合子が、つーんと横を向いた。
「ねえ、百合ちゃん、もうちょっとね……ちゃんと良く見て、人と付き合いなさいよ。思っていた人と違うってことも、あるかも知れないでしょう? 人って、そんなに簡単に、わかるものじゃないのよ?」
蓮華が、少し深刻な様子で、百合子に言い聞かせるが、百合子の方は、有り難迷惑なようだった。
「なによ、蓮華さんが、私と優さんの結婚をぶち壊しておいて、その上、源太郎さんとの結婚も、ぶち壊そうっていうの? 自分が結婚出来ないからって、人の恋路の邪魔しないでよ!」
「は? 今なんて言ったのかしら?」
蓮華の眉間に皺が寄ったところで、奏汰が二人の間に入り、惨劇が起きる前に、なんとか食い止めた。
「まったく、お客さん放ったらかして、しょうがないなぁ。ごめんね、奏汰くんもママも、今取り込んでるみたいで」
ぽつんとひとり残された美砂の相手は、優が引き受けていた。
「あなたは、百合ちゃんと婚約までしておきながら、破棄するとは、何事ですか? 女性に対して、失礼ですよ。同じ男として、軽蔑します!」
まだ立ったままの源太郎が、いきなり切り出した。
「僕は、あなたのように、彼女を弄んだりはしない!」
「別に、そんなことしてないけど……」
大真面目な源太郎に、優は、辟易した様子こそなかったが、ただ目を丸くしていた。
間に挟まれた美砂は、居心地が悪そうに、この日に来たことを後悔し、縮こまった。
「ママ、ちょっとさあ、急で悪いんだけど、ベースのヤツが、変なモン食ったらしく、腹痛で来られなくてさあ。誰か、代役できそうな人いないかな?」
これからライブ出演予定のバンドメンバーで、髭を生やした、四〇代くらいの男が、蓮華に横から尋ねる。
「奏汰くん、出動してあげて。お客さん、せっかく来てくれたのに、悪いけど」
戸惑う奏汰に、「お願いだーっ!」メンバーたちに懇願され、有無を言わさず、出演することに。
「ごめんね、せっかく来てもらったのに、相手出来なくて」
奏汰が美砂に謝る横で、蓮華も、すまなそうに「ごめんなさいね」と言う。
気を悪くするどころか、美砂は、笑顔になった。
「ううん。奏汰くんのベース、聴いてみたかったから、丁度良かったわ。楽しみ!」
なんていい子なんだ! と、奏汰は感動し、蓮華も、感心したように、美砂を見つめていた。
コード進行をメモし、軽く音合わせをする奏汰を、カウンターから、美砂が眺めている。
この頃には、奏汰がライブに参加する日は、蓮華がシフトに彼を入れないようにしていたので、演奏する時は私服であったが、急きょ加わったため、バーの制服のまま参加することになった。
演奏が始まると、蓮華が美砂の横についていた。
「ごめんね、今日は、特にマニアックな選曲で。ミュージシャンの年齢が高いから」
蓮華が、苦笑いをする。
「つまらなくない?」
「いいえ、そんなことないです」
美砂は微笑んでいた。
「こういうライブって、私、見るの初めてなんですけど、……なんか、いいですよね。プレーヤー同士が楽しんで演奏していて」
「次、お前がアドリブな!」と言うように、人差し指を、自分や相手に向けて、合図をする髭の男の動作に、奏汰も通じているように、頷いている。
美砂が続けた。
「もっと、ジャズ知ってれば、より面白いんでしょうね」
その言葉を聞いた蓮華は、嬉しそうに微笑んだ。
「譜面がないんだから、正しく弾いてるかどうか、わからないじゃない」
「ジャズのアドリブというのは、演奏している本人たちだけが楽しいのであって、『聴かせる音楽』とは、とても言えませんね」
といった、百合子と源太郎の会話が聞こえる。
「まだいたの、あの子たち? つまみ出してやろうかしら!」
蓮華が、しかめっ面で、ぶつぶつ言うのが聞こえた美砂は、おかしそうに笑った。
出番が終わり、ステージ・スペースから戻る途中、奏汰は、客たちから声をかけられていた。
「きみ、ここの従業員かね? なかなか良かったよ!」
「ピンチ・ヒッターにしては、上出来だ!」
年配客からそう言われ、奏汰は、はにかみながら、謙虚な態度で礼を述べた。
その次に、数人の若い女たちのゾーンに差し掛かる。
「奏汰くーん、一緒に飲もうよ!」
私服で出るライブの時は、メンバー以外、多少の酒類であれば、客と飲むことも許されている。
「悪い! 今日は仕事中だから。また今度!」
制服の奏汰が、手を振る。興味のない女の子たちにも、蓮華のしつけにより、愛想を振りまくようにはなっていた。
「奏汰くんも、大分知られて来たわ」
にこにこ満足げな蓮華の隣で、美砂は、放心して、彼を見つめていた。
「すごかったです。高校の時も、奏汰くんのバンド、人気あったけど、今の方が、もっと上手になってて……というか、大人な演奏になってると思いました」
蓮華が、美砂の肩越しに、顔を近付けた。
「高校の時から、奏汰くんのこと、好きだったのね?」
思わず振り返った美砂の頬が、ポッと赤く色付いた。
蓮華の穏やかな表情に、既に、親しみ易さと包容力を感じていたように、安心した顔で、彼女を見つめ返した。
「卒業したら、東京の専門学校に行くって知って、泣いた子、結構いたんですよ。私もショックでしたけど」
美砂の、純粋で一途な様子に、蓮華は、思わず、目が離せないでいた。
「ママ、下手すると、奏汰くん、取られちゃうんじゃないですか?」
優が、からかうように言った。
「そうかも知れないわねー」
蓮華が笑うと、美砂が慌てた。
「えっ、そっ、そんなこと、ないですよ!」
その言い訳する様子にも、蓮華は「かわいいわね!」と微笑んだ。
その日の最後のステージが終わると、空いたグラスや皿を片付けている蓮華に、美砂が声をかけた。
「そろそろ帰ります」
「あ、そうよね。もう遅いもんね」
ベースをケースにしまっている奏汰を、蓮華が呼び止める。
「奏汰くん、もう上がっていいから、彼女送って来たら?」
奏汰は、蓮華をじっと見て、「余裕だな」と、小さく呟いた。
挨拶をする美砂に、蓮華は、「また来てね」と、にこやかに手を振った。
「はい……!」
美砂も、遠慮がちではあったが、嬉しそうな笑顔を見せた。
私服姿の奏汰がベースを背負い、美砂と一緒に、階段を上る。
地上に出ると、奏汰が言った。
「ごめん、今日は、俺から呼んでおいて、あんまり構えなくて」
「ううん、お仕事だもん。当たり前よ」
美砂が笑った。
「蓮華さんて、きれいで、やさしくて、どこか男気みたいなのも感じられたせいか、頼りがいがあるように思えて……。もっと近付き難い人を想像していたけど、すごくいい人だったのね。私に、とても良くしてくれたのよ」
「あの女は、俺には妬かないのかなー? 優さん時は、妬いてたくせに」
奏汰は、顔をしかめて笑った。
「私、これからも、時々、奏汰くんに会ってもいいのかしら?」
美砂が俯いて、遠慮がちに言った。
そんな彼女を見る奏汰の瞳は、やさしくなっていた。
「俺は、会いたいよ。蓮華といると、退屈はしないけど、ハラハラしたり、時々、悩むこともあって。だけど、美砂ちゃんといると、……安心するんだ」
美砂は、思わず顔を上げた。
奏汰の顔が、すぐ近くにある。
美砂の顎に手をかけ、さらに、近付いていった。
「だっ、だめっ! あんまり、私にやさしくしないで!」
美砂が、顔を背けた。
「これ以上、奏汰くんを好きになると、きっと、今以上の関係を望んでしまうわ」
奏汰は、真面目な顔のまま、言った。
「そうなったら、そうなったで、……俺は、構わないと思ってる」
振り返った美砂が、怒ったように言った。
「ひどい! よくそんなことが言えるね、かわいがってもらってるのに! 私だって、今日、彼女の良さがわかって、彼女のことも好きになって……、だから、なおさら、奏汰くんのこと、……これ以上、好きにはなれないって、思ったのに!」
美砂の瞳からは、ポロポロと、涙がこぼれ落ちた。
「美砂ちゃん……」
静かに泣きじゃくる美砂を、奏汰が抱き寄せる。
腕の中で、堪え切れずに、啜り泣く美砂に、奏汰は、唇を重ねた。
「だめって言ってるでしょ」
逃げる美砂の頭を、後ろから押さえ、口づけ続けてから、奏汰は、美砂を強く抱きしめた。
「好きだ!」
美砂が耳を疑い、思わず、奏汰を見上げる。
奏汰は、美砂の両肩をつかみ、正面から見据えた。
そして、真面目な顔で、もう一度、はっきりと言った。
「きみが、好きだ」
美砂は、涙を浮かべたまま、複雑な表情になっていた。
いろんな人同士の対面でした。
美砂と蓮華、美砂と百合子、百合子と蓮華、源太郎と優も? (^^;
一応、断っておきますが、クラシック関係の人が、ジャズに理解がないわけではありませんので。百合子と源太郎には理解不能なだけです。(^_^;
奏汰、まさかの、浮気から本気に?
次回、一方、その頃、蓮華は……? です。




